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2008年12月14日日曜日

新聞業界に国からの補助

 紙に活字印刷のメディア業界は世界中どこも生存競争に苦しんでいます。インターネットによる安価なデジタル・メディアが氾濫し、読者離れが急速に進んでいるからでしょう。ただ、熟練したジャーナリストによる公正な情報収集と伝達の技術は、アナログの財産ですし、優秀な人材なしで生まれるものではありません。受け取る情報には、そういう人たちの足と目と耳と頭脳と手による技が生きているはずです。 そこには時間も金もかかるというわけです。長年の経験は、特にそうです。また、そういう人材ができるだけたくさんいなければ、情報が偏ってしまう危険もあります。

 オランダでも、ここ数年新聞業界は購読者の減少に対して、あの手この手で対策を考えてきたようです。これまでの大型紙面の新聞だけではなく、若い人たちが手に取りやすい、タブロイド版のダイジェスト・ニュース誌を出したり、歴史や文化をテーマに、DVDシリーズ、リスニング講義シリーズ、を出版したりしています。当然、インターネット上でのデジタルニュースも作っていますが、こちらも、ほとんど収益がないらしく、どの会社も、当日のニュース以外は、購読者のみ専用のパスワードを使って過去の記事にアクセスできる仕組みにしています。

 そんなわけで、ここのところ、しばらく、新聞業界と第二院(衆議院)とから、メディア政策が十分でない、という批判を受けていたプラステルク教育文化科学大臣は、このほど、新聞業界に対して、公共放送の広告収入の一部を新聞業界の改革資金として提供することを決めました。

 オランダの国営放送の番組が、会員制のNPO放送団体によって作られることは、「オランダ通信」でも、また、最近の著書(「残業ゼロ授業料ゼロで豊かなオランダ」光文社)の中でも述べています。国は、STERという広告収入促進団体を別に設けており、国庫資金と合わせ、こうして集めた広告収入をいったんプールし、この資金をもとにして、各NPO放送団体には、会員数によって時間帯を配分して、公共メディアの使用を許可し、番組を作成させるという仕組みになっています。

 元来、STERの広告収入は、テレビ・ラジオのためのものですが、「メディア法」によると、収入のうち最大4%までは、公共放送以外の目的に支出してよいことになっているとか。
 今回プラステルク教育文化科学相が決めたのは、この4%枠をほぼ最大限に使って、つまり、年間、およそ2億ユーロのSTERの収入のうち、ちょうど4%に当たる800万ユーロを、新聞業界再編のために拠出することにしました。800万ユーロといえばおよそ9億6千万円。オランダの人口は日本の人口の約8分の1ですから、日本の感覚に直せば、ほぼ75億円ほどが、新聞業界再編のために提供される、というような感じでしょうか。

 具体的には、これまでほどんと収益がない状態だったインターネット上のデジタル・ジャーナリズムに対してこの基金が使われることになるだろう、との予想です。

 いずれにしても、日本の場合、健全なジャーナリズムを支えるための、何らかの公的な仕組みはあるのでしょうか?

 もちろんこの「健全」というのが曲者で、、、。

 たとえば、日本の場合、テレビならば「NHK]が健全、学校教育ならば「検定教科書の内容」が健全、という、あまり根拠のない「健全」がまかり通っています。

 しかし、本来、ジャーナリズムとは、国民の声を、それなりの比率で、つまり、多数派には多数派なりの、また、少数派には少数派なりの、広報の機会を与えるものであって初めて「健全」であるはずです。わかりやすくいえば、多数派・体制派・(今だけの)権力者だけがメガホンを持って大声を張り上げることができる状態を続けていくと、1.少数者の、ひょっとすると多くの人が気づかない優れた視点や貴重な考えが見過ごされる、2.多数派・体制派の考えを批判する声が抑えられると、本来もともともっと発展し洗練される可能性があった政策や考えもよりよく練磨される機会がなくなリ稚拙で耐性の小さい政策に終わる、3.ひいては普通ヨーロッパや世界を舞台にして行われる「議論」の文化からさらに一層遠のいてしまい、批判や議論を発展的生産的に受け止め、<みんなで社会をよくしていこう>という文化が育たない、4.そのために世界の議論についていけない状態が続きさらにどんどん悪化していく、5.結果、どうせ何を言っても自分なんか仲間に入れてもらえない、という投げやりの大衆ばかりになり、社会のために貢献しようという人々が著しく少なくなってしまうし、ちょっと論の立つ指導者が出てくると「丸投げ」状態で追随してしまう大衆行動になりがち、という結果が起こってしまうのです。

 どうも、今の日本の新聞業界は、そういう傾向が著しいように感じます。国際社会で対等に議論のできる一般市民が少なかったり、ちょっと見た目にかっこよいスターやきれいな女性キャスターの人気が出たりするところに、こういう「健全な」ジャーナリズム不在の状況は如実に表れているという気がします。

 日本でも、新聞の記事構成民放の番組作りには、一般の読者・視聴者がほとんど気づかないところで、スポンサーの影響が大きく反映していると思います。 新聞社が、読者の活字離れで苦しんでいるのはわかるのですが、、、 こんなことを続けていると、自らの存在価値すら認められないようなことになるのでは、と他人事ながら心配です。

 それでもどうにかして、声なき声を伝え、力も金もない人々にメガホンを渡すにはどうすればいいのか。そこにこそ「公」の役割があるはずです。税金が、そういうことのためにどう使われているのか、、、

 日本でも、社会貢献意識の高いスポンサーが集まって、NPO放送団体に、会員数に応じて番組制作をやらせるような民放チャンネルを作ってみたらどうでしょう? カネは出すが口は出さない、という、、、。インパクトは強いだろうな、と思うし、「民主制」をしっかり主張できれば、スポンサーの評価も跳ね上がるのでは、などと思うのですが、、、

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