「教育先進国リポートDVD オランダ入門編」発売

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2010年11月25日木曜日

ニューワークの時代

数年前に民営化された、ある国際的にも有名な(元)国立機関の職員と話をする機会があった。
この今は「企業」となったこの機関、これまでは、何の変哲もないコンクリート造りの、長い廊下に沿って事務室が並ぶいかにも(元)公営機関らしいオフィスを使っていたが、来年新しい社屋に引っ越しだ、と喜んでいる。

今度の社屋では「ニューワークなんだよ」という。
「なにそれ?」
ときくと、嬉しそうに、楽しみな様子で説明してくれた。

今度の社屋には、共同のスペースが広くあるだけで、個別の事務室はないんだ、という。毎日、会社に言ったら、自分が好きな場所に座って仕事をするのそうだ。もちろん、ちょっとリラックスするための場所、少しひとりになって仕事をするようなニッチェ的な場所、同僚と話をするためのコーナーなどもあるのだそうだ。

「管理職はどうするの?」
といったら、
「管理職も、一部を除いてその形式だよ」
とのこと。

話を聞きながら、オランダの学校の様子を思い起こしていた。
オールタナティブ系の学校がやってきた、オープンスペース、生徒の数よりたくさんある椅子やクッションなどの座る場所、モンテッソーリが好きなニッチェ、他学年の子どもたちが交われる廊下やホールなどがすぐに目に浮かぶ。
ただ、こういう形は、小学校だけではない。中等学校(中高)でもこういう形式がかなり広がってきている。スタディハウスという、大学進学コースの子どもたちの高等学校では、決まった教室がなく、授業ごとに教室を変わるし、ましてや、スタディハウス方式で、自学自習なので、メディア室、ホール、廊下、いたるところで、自分の計画に従って勉強を進めている。
モンテッソーリやダルトンの中学などは、こういうやり方がお得意で、新校舎の学校などには、広々としたランチルームとも休憩所ともつかない場があり、そこで、共同プロジェクトの打ち合わせをしたり、ノートを広げて勉強したり、友達と雑談したりしている。

多分、ニューワークになると、一番早く適応するのは、こういう学校で育ってきた20代30代の若手たちなのだろうな、と思う。

話をしていたその職員によると、
「ニューワークはね、かなりの企業が取り入れていて、その経験からすると、最初は結構嫌がって抵抗する社員がいるらしい。でもね、いったん慣れると、たいていの人が「もう元の形式に戻るのは嫌だ」って、そういうんだそうだ」

なるほど、、そうだろうなと思う。
いつも同じ部屋で仕事をするよりも、流動的に仕事をすれば、同じ会社のいろいろな社員と自然な出会いをすることも増えるだろう。それが、良いアイデアや、生産のための連帯感にもつながろう。

―――

かつて、60年代のヨーロッパ映画シリーズを見たことがある。あるイタリアの映画に、狭い長方形に仕切られた仕事場で、前に座って監督している課長のもとで、一斉授業の教室のように数列に並べられた事務机で、タイプを叩きながら仕事をしている社員の様子が映された。映画監督の意図は、産業化型社会の仕事場の象徴として、すでに、この時代に、それを風刺するつもりであったようだ。

こういう仕事場は、現に、ヨーロッパ社会ではずっと少なくなってきている。70年代に広がった機会均等意識、豊かな人間らしい仕事場を求める意識が、人々の職場環境に彩りを与え、空間的な余裕を与え、灰色のスチール製の事務机からの決別を果たしてきた。

そして、それがまた一歩、ニューワークの形で、職場環境をがらりと変える変革につながってきつつある。

―――

日本では、今でも、市役所だの、一般の(有名)企業だの、みんな、事務机を背中合わせにつきあわせ、社員たちは、まるで自分の砦を守るかのように紙ばさみを積み上げて、机にに向けて顔をうずめるように仕事をしている職場がほとんどだ。
あるかなり有名な教員養成大学ですら、「オープンクラス」と称する壁のない教室でありながら、子どもたちを、黒板に向けて列に並べて授業をしているし、職員室は、相変わらず、所狭しと詰め込まれた事務机で、うっとうしくなるような静寂を強制されて先生たちが座っている。

コンピューターでどこの誰とも交信できる時代。メモリースティック一本あればどこでもたいていの仕事がこなせる時代だ。しかも、仕事は、ますます、共同性、コミュニケーションを求められる。そうでなくては、良いアイデアは生まれず、そうでなくては、良い組織は生まれない。

かつて、西洋の教育者たちが、床に釘付けにされた机を叩き壊して、子どもたちが、自由に動け、サークルになり、床に寝転がって本を読める場を作ったという時代がある。そういうパワーで、日本の学校や会社が変わる日が来るのだろうか。いや、それくらいのパワーがなくては、これからの世界で、日本人が生きていく希望はない。

2010年11月1日月曜日

あらゆる意味で史上初のルッテ政権樹立~~経済危機は乗り越えられるか~~

10月14日、6月9日の第2院選挙以来127日目にして、ようやくルッテ第1期新政権が発足した。過去の記録では、選挙から政権樹立までの連立交渉は平均82日。これに比べても分かるように相当に長く、しかも、紆余曲折の多い、困難なお産だった。もっとも史上最長記録は208日だというから、経済危機の只中で、財政緊縮と政治方針の確立が急がれる中、政治家らが、夏季休暇期間を返上して一日も早い政権樹立を目指した成果だったことも否めない。

自由民主党(VVD)の党首マルク・ルッテが率いるルッテ政権には、いろいろな意味でこれまでの政権には見られなかった特徴がある。

まず、自由民主党(VVD)という非宗教的な自由主義者の政党が第1党となって政権をとったことだ。オランダの政党政治はこれまでキリスト教保守主義と労働党の社会主義が政治の両翼を成してきた。宗教的保守主義を否定して生まれた自由主義者たちの政党は、そういう文脈の中では、第3の政党にとどまり、連立政権で他党に協力して与党になることはあっても自ら第1党に躍り出ることはこれまでなかった。(1913-1918年に自由主義者が首相になったことはあるが、この首相は政党的な背景を持っておらず、以来一度も自由主義者が首相になったことはない。)

第2に、この政権は、選挙で最大議席(150議席中31議席)をとった自由民主党(VVD)が主導しているものの、今回の選挙で大幅に敗退したキリスト教民主連盟CDA(41議席から21議席へ)と連立している。言うまでもなく政治姿勢において、かなり右寄りであるVVDにとって連立政権を打ち立てるためのパートナーの選択肢が限られていたことが理由だ。しかし、その結果、与党は2政党の議席を合わせてもわずか52議席しかなく、第2院の150議席の過半数にあたる76議席を大幅に下回る。こういう、少数派政権という状況はオランダの政党政治史上初めてのことだ。

そのため、今政権樹立のためには、オランダでも前例のない新しい方策がとられた。それは、前回の9議席から24議席まで躍進して第2党に躍り出ていたヘールト・ウィルダーズ率いるPVV(自由党)との間で「許容合意」というものが結ばれていることだ。この「許容合意」とは、PVVは、政権には入らず野党として残るが、一定の政治政策項目に関しては、政権与党に協力するというものだ。つまり、VVDとCDAの政権与党は、PVVとの「許容合意」を用いることによって、76議席つまり、150議席中のぎりぎり過半数を確保できることになる。ウィルダーズのPVVは、これまで「宗教の自由」を国家存立の基盤に据えてきたオランダにとっても、また、その主張が持つ民族排他性のにおいに関してもた政党が一線を画してきた政党だ。しかし、PVVが選挙で大躍進をしたことは、有権者の中に支持が増えていることにほかならず、伝統的な政党も、PVVの存在を真摯に認めざるを得ない、という事態となった。

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前例のない少数政権、また、野党の1党との「許容合意」なるものの付随された政権樹立という結果に至った事情を、時間的な経過を追いつつ、少し詳しく見てみよう。

まず、すでに過去の記事でも報告した通り、6月9日の選挙で、オランダの政党支持の構図がこれまでと大幅に変更し、各党の政治姿勢から言って、連立によって安定政権を築くための条件が極めて難しい状況が作られていた、という前提がある。

一つは、文頭にも述べたように、自由民主党(VVD)という、これまで第1党に躍り出たことのない政党が最大議席を獲得し、PvdA(労働党)と並んだことだ。また第二は、イスラム教を単に宗教とみなすのではなく、政治的イデオロギー集団とみなして、イスラム教徒排斥を政治綱領の中心に据えた新勢力自由党(PVV)が、9議席から24議席に躍進して、なんと、キリスト教国オランダの伝統政党であるキリスト教民主連盟(CDA) を抑えて第3政党になったことである。

もともとプロテスタントやカトリックのキリスト教民主主義の伝統があるオランダでは、1990年代半ば以降の一時期、労働党がCDAを退け、自由党(VVD)と民主66党(D66)と連立して、社会主義(赤)と自由主義(青)の連合「紫政権」を作った時期を除いては、常に、CDAが政権与党の一翼を担いながら、自由党または労働党と組んで政権を樹立させるという形式が主流であった。元来、キリスト教主義は、一方で、宗教的倫理の尊重や中央集権的な教会制度などに象徴される保守的な面を強く持ちつつ、他方では救貧院の伝統に象徴されるようなキリスト教社会主義的な側面を持っている。それが、左右両翼との連合を可能にしてきたものであると思われる。CDAはある意味で、左右両翼の調性的立場に立つ政党であると同時に、CDAが中心にいることで、オランダの政治は、右にも左にも極端に揺れることなく、中道を保ちつつ、右と左へのアクセントを交互に強調してきたとも言える。しかし、それは同時に、CDA自身のイデオロギーの揺らぎを前提としており、同時に、CDAの支持基盤であるキリスト教者が教会離れをしていった70年代以降のオランダでは、確実な支持層が必ずしも得られない要因であったともいえる。

そのCDAが21議席にまで敗退した今回の選挙結果。政治姿勢が明確に対立する政党が林立する、政権交渉の見通しがすぐにも困難となると見通せる結果だったわけだ。

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総選挙後さっそく、第1党となった自由民主党(VVD)と、今回の選挙で躍進したイスラム教排斥の自由党(PVV)とが連立の可能性を主導すべき、との見方がどの政党からも認められ、この2党にCDAを加えた三党連立の可能性が議論された。しかし、CDAは、イスラム教排斥のPVVと共に政権を作ることには乗り気ではなかった。

短時日のうちにこの第1の可能性は薄いとの結論となり、連立交渉は、自由民主党(VVD)が労働党(PvdA)と協力して、これに、中道の民主66党(D66)と環境擁護派の「緑の左派党」(GL)を加えた「紫大連合」の可能性を探る方向で進められた。労働党は前回に比べるとやや後退したもののVVDに迫る第2の政党である。しかも、民主66党も緑の左派党も、今回の選挙では前回よりも躍進し、支持者層を広げた政党だ。
しかし、この連合交渉も2週間後には座礁に乗り上げた。基本的に、自由主義で企業や高所得者層の支持を持つVVDの財政緊縮政策と、労働者の利益を代表する労働党の財政緊縮政策は真っ向から対立する。妥協の余地はなかった。また、もしもこの「紫大連合」を成立させれば、野党勢力の中に、連合内でVVDのパートナーになっている政党よりもイデオロギー的にVVDに近いPVVやCDAが残り、これらの政党からVVDの政治方針と政権での姿勢の矛盾が起こることに対して、批判の矢は避けられない。次回の選挙までにVVDが支持を落とすかもしれない、というリスクは非常に大きい。せっかく第1党に立ったVVDとしては、左派勢力と連合することに乗り気にはなれなかった。

連合交渉は、次に、自由民主党(VVD)と労働党(PvdA)に加えてキリスト教民主連盟(CDA)を含め、伝統的な政党による中道政権樹立の可能性を話し合った。経済不況を乗り越えるためには、イデオロギーの違いを乗り越え、連帯してかかわるべき、という意見も散見された。しかし、前政権解散の理由は労働党とCDAの対立が原因だ。両政党の間には深い亀裂が入っている。労働党(PvdA)の党首ヨブ・コーヘンは、民主66党や緑の左派政党などの左翼小政党が参加しない中で、VVDやCDAとの連立には関心がない、と突っぱねた。

労働党を含む政権樹立の可能性がなくなった今、連合交渉は振り出しに戻る。結局、7月23日、総選挙から2カ月足らずの後、再度、VVDがCDAやPVVとの連合可能性を検討するという、総選挙直後の状態に戻った。むろん、すでに、さまざまの連立可能性を議論したのちのことだし、世論は、経済危機の中で、早く政権を樹立して安定政治を始めるべきであると、早い決着を待っている。そこで、連立交渉調停人の立場に立ったCDAのベテラン政治家、元首相ルベルスの提案で、VVDとCDAの連立に野党PVVとの「許容合意」を組み合わせて政権を発足させるという枠組みが始めて提示された。

3政党はこの案に積極的で、これまで、連立交渉にかかわった他の勢力にも言い分はなかった。

この時点で、VVDとCDAは、以下のように共同声明を発表している。

「VVD,PVV,CDAの3政党はイスラム教の性質や性格について互いに意見に相違を持っている。この相違はイスラム教の性質が、宗教的なものであるとするのか、あるいは(政治上の)イデオロギーによるものであるとするのかという点にある。各政党は、この点についての理解の相違をお互いに受容するものであり、各政党のそれぞれの立場を基本に据えて交渉に入る。にもかかわらず、この3政党を結び付けているものは多い。3政党が共通の目標にし出発点としているのは、オランダをより強力で安全かつ繁栄した国にすることだ。だからこそ、意見の相違を互いに受け入れ、それぞれの立場の間に存在する相違について、意見表明の自由を全く尊重したうえで、PVVは政権連立合意の一部を、許容的に合意する立場という観点から支持するという合意に達した。また、VVDとCDAとはPVVが許容合意を認めるという姿勢を尊重し、それに応えられるように望んでいる。この許容合意においては、いずれにしても、財政削減の施策を進めると共に、移民、同化と難民、治安、高齢者の社会保障向上の点について、PVVが財政削減策を支持することに対して、譲歩する方針である」

つまり、簡潔に言うなら、財政削減策として、VVDとCDAの合意に基づく、2015年までに180億ユーロを削減するという目標をPVVは受け入れ合意するが、それと引き換えに、移民、同化、難民、治安政策などで、これまでよりも対イスラムの態度を強化すると共に、高齢者に対する社会保障を向上させる、というPVVの意向を、VVDとCDAとは尊重する、という関係構図だ。


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一旦は、この枠組みで連立樹立は間近か、とも思われた。しかし、ここで、また新たな問題が浮上した。

VVDやCDAに協力を約束したPVVの党首、イスラム教排斥主義の旗手であるヘールト・ウィルダースが、こともあろうに、9月11日に、ニューヨークでかつてイスラム教テロリストの手で爆破されたと言われる世界貿易センターの跡地付近に作られるモスク建設反対集会に参加し、そこでスピーチを行うことにした、と発表したのだ。

連立交渉が始まったばかりのVVDやCDAにとっては当然嬉しくないニュースだ。特にあわてたのは、前政権から引き続き外務大臣を続けているCDA党首のフェルハーヘンだ。政権交渉に参加している政党の党首が、国際的な場で、「イスラム教排斥」を明言すればオランダという国の国際的な名声を傷つけるリスクは大きい、と忠言した。

ニューヨークでのモスク設置反対運動出ウィルダーズがスピーチをするということが、PVVと政権交渉を続けるCDAの内部でもよほど緊張感を高めたのか、この頃から、CDA内では、かつて閣僚や党内の重職についていたようなベテラン政治家らが、PVVとの交渉を取りやめるように、との発言を公表するようになった。60人にも及ぶ政治家らが名前を連ねて、公開の書状を全国紙に掲載したりした。
そのうち、連合交渉にあたっていたCDAの重要な政治家、かつて党の科学研究所所長や大臣を歴任し、CDAのイデオローグであり次期党首候補とまで言われていたアブ・クリンクが、「連立交渉人」辞任を発表するという事態にまでエスカレートした。

こういうCDA内部の対立に対して、PVVのウィルダースは「CDAの内部対立は、連立政権に許容合意の形で協力するという姿勢を揺るがすものである。交渉相手としてCDAに対する信頼は地に落ちた」として、交渉から撤退を表明。結局、アブ・クリンクがCDAを脱党することとなり、それによって、PVVはかろうじて、VVD-CDAの連立交渉に参加して、「許容合意」交渉を続けることに同意した。明らかに、政権交渉の行方に対してカギを握っているのは、連立交渉をしている自由民主党(VVD)やキリスト教民主連盟(CDA)ではなく、PVVの方だ、という様相が強まってきた。

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オランダがどうなることかと心配して見守っていたニューヨークでのウィルダースのスピーチは、意外にも、(あるいは国内議論を受けてウィルダーズ自身が自生したものか、真意は分からないが)多くの人の予想に反して、極めてマイルドなものに終わり、民主主義国家オランダの名声が世界の舞台で傷つけられる、という事態は何とか避けられたようだった。

そして、9月に入り、自由民主党とキリスト教民主連盟との2党による少数政権樹立のための連立交渉と、政権の政策に対して許容合意を取り付け、議会多数派を確保するというPVV との話し合いは、その後比較的順調に進み、月末には、政権樹立がほぼ現実的なものとなった。

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以上のようないきさつを経ているだけに、今政権の基盤がかなり不安定なものであることは否めない。また、大政党労働党、さらに、社会党、緑の左派党、中道知識人政党の民主66党までを含めると、多数の左派勢力が野党に残り、『自由民主党党首のルッテは、選挙結果に見られる民意を反映する努力をしたのか』という批判も残る。

VVD-CDAの連立だけでは政治的安定は見込めず、そのために「許容合意」を結んでいるPVVには、すでに、政権樹立過程に見られたように、大きな政治影響力が残されている。
連立樹立の前には、どの政党も、連立合意に同意するかどうか、党内の協議にかけられ、投票が行われる。VVDとPVVは連立合意(と許容合意)に絶対多数で賛意を示した。しかし、CDAは4000人余りの党員の投票結果、3分の1が反対していることが明らかになった。この潜在的な不安定要因が、今後のルッテ政権の安定にどんな障害をもたらすかが気になるところでもある。

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先週、いよいよルッテ政権発足ごはじめての国会討議が始まった。予想通り、早速、野党左派勢力がこぞってルッテ政権の政治方針に対して大きな批判の矢を投げ始めた。他方、これまで、「イスラム排斥党」として、右派勢力からも左派勢力からも忌避されてきたPVVが、以前に比べてずっとマイルドな姿勢で、政権に協力の態度を見せている。「許容合意」に基づく約束通りの姿勢であるとはいえ、イスラム教排斥問題が、単なる宗教(集団)に対する批判から、「オランダへの同化を拒否する人々」への批判という形で、問題の所在を正確に指摘する努力が始まっていることは、また一歩、この国の政治過程の進歩でもあるのだろう。

これらのオランダの政治過程の背景には、経済不況、特に福祉国家がどこも直面している高齢化社会の問題が厳然と存在していることは言うまでもない。移民労働者の流入は、ある時期には高齢化社会の国庫を支える若手労働者の基盤として奨励される意見もあった。しかし、1929年の世界大恐慌以来の大恐慌といわれる2008年のリーマンショック以後、先進各国で問題化しているのは、若年労働者の失業問題だ。

政治的独善に陥りやすい宗教上の原理主義は、イスラム教の場合も例外ではない。16世紀の、スペインからの独立戦争以来、オランダ建国の歴史を貫いてきたのは「宗教の自由」であり「寛容」の国民性だった。「宗教の自由」と「原理主義的独善」との間の栓をどこに引くのか、、、それは、対イスラム問題であると同時に、イスラムを排斥する側の、たとえて言うならキリスト教原理主義の持つ問題でもあるかもしれないし、西洋の民主主義に対するアイデンティティについての言えることであるのかもしれない。オランダ人らがアイデンティティの支柱にしてきた「宗教の自由」には、そういうパラドックスも潜んでいる。今後オランダの政治がどういうプロセスをたどっていくのか、、、、実は、最も大きな試練を受けているのは、オランダ政治の中心を担ってきたキリスト教民主連盟(CDA)なのではないか。

そして、オランダがこの問題をどう政治的に議論し解決していくのかを見極めることは、キリスト教を基盤として生まれた「民主主義」を、世界がどう共有できるか、「自由」や「人権意識」を、非西洋の文化的な背景を持つ私たちは、どう、自身ものとして「普遍的価値」に結び付け、世界を舞台にした市民意識として内面化させていくことができるのか、という問いに示唆を得ることでもあると思う。

2010年8月29日日曜日

お知らせ:政権樹立ウォッチング中

 去る6月9日に行われた第2院選挙の結果は、即日開票の段階で、政治家、メディア関係者にため息をつかせる結果だった。どこをどう見ても、安定した連立政権を樹立させる可能性が見つからない結果だったからだ。
実に、以来、何度も組み合わせを変え連立交渉が繰り返されてきたが、いまだに、見通しが決まらない。9月第3火曜日の予算発表と国会開幕の日が目前に迫っているのに、それまでに政権が樹立される見通しもない。
毎日毎日、樹立をめぐる状況は揺れ続けている。

果たして、金融危機と、予想される来る年間の厳しい経済情勢に挑んでいくのはどの政党なのか、、、方針が決まらなければ、経済政策も危うい。(もっとも、新政権の体制が決まるまでは、従来の政権が政治責任を維持するので、無政府状態になることはないが、、、)

というようなわけで、筆者も、政権樹立ドラマをウォッチング中。
いずれ、少し安定した見通しがついたら、報告を、と思いつつ、、、

2010年8月16日月曜日

一年中で最も心が塞ぐ日

今年も八月一五日がやってきた。
私が住むハーグ市にある、蘭印日本軍捕虜収容所犠牲者追悼碑(Indische monument)で、追悼式が行われる日だからだ。

終戦から六五年目を迎える今年、追悼式にはベアトリクス女王も出席し、追悼碑に花輪を捧げられた。

戦時中、蘭印(現在のインドネシア)で日本軍の捕虜になって四年近くもの捕虜生活を余儀なくされた、一般市民だった(軍人ではなかった)オランダ人たちが、この日全国から集まってくる。夫や妻や親や兄弟・姉妹を、日本人の手によって奪い取られた人たちだ。当時乳飲み子、幼児で、捕虜生活の中で親兄弟を失った人も少なくない。 

追悼式の前に、付近の国際会議場に集まってくる人たちに、テレビのジャーナリストがインタビューをする。一人ひとりに苦い、辛い、生きている間、決して消えない思い出がある。毎年出席し、毎年花を添えていく人たちの心は、その日、何がしか癒されるのかもしれない。しかし、消えない過去の思い出と、それを抱えて生きなければならなかった人生のつらさはなくならない。
なぜ、自分と同じ人間が、ここまで、人の「尊厳」を無視した行為ができるのだろうか、というのが、当時被害者だったオランダ人たちの、日本人の行為についての反応の一つだ。

「戦争だったから」と片付けられるものなのかどうか、、、
「戦争をしていない」今も、日本人は、みずからの「尊厳」を守れない生き方を余儀なくされているのではないのか、戦前と同じように。そういう、上から、外からの強制をはねのけられない日本人とは一体何なのだろう。民主主義の時代に、跳ねのけることを遮っている力は、いったい何なのだろう、、、、日本人が「ものいえば、唇寒し」と感じさせられてしまう、その背後にある力は何なのか、こういう式典の度にそれを思う。

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「なぜきょうここに?」
というインタビューワーの質問に、
「ビルマ鉄道敷設の強制労働に駆り出されて死んだ父親の追悼のため」
「捕虜収容所で亡くなった母の追悼のため」
「失った兄弟のため」
と次々に応える参会者たちは、答えながら、顔が急に曇り、思い余って涙を流す人たちが後を絶たない。あの日、あの時からの人生の苦しさが一気に溢れてくるのだろう。

式には、首相、国会両院の議長、厚生大臣も参加する。国家行事だ。国営放送がその様子をつぶさに伝える。
ヨーロッパのある国で、国家行事として戦時中の日本軍がテーマになった追悼式が行われているという事実を、日本人のほとんどは知らない。それを誰も報道しない。右翼も左翼もなく、この式典の事実は伝えられ、知られるべきではないのか。

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かつて外務大臣だったハーグ市の現市長ファン・アルツェン氏は、自身も二人の叔母を日本占領期に亡くした、という。そして、
「オランダ人ならほとんどの人が、親せきに、日本軍の犠牲者がいるはずだ」と彼はいう。

今年の式典では、六〇年代の人気シンガーが、生まれて間もなく、日本占領軍によって母親を失ったこと、その後の人生を、多くの人々が、沈黙の中に押し込めて生きなければならなかったことを伝えるスピーチを行った。

牙を向け続けても、日本から得られるものは何もない。日本の公的な賠償は確かに終わり、期限も切れている。日本人は、「謝った」ところで、またぞろ、国内で政治議論が起こるだけ、靖国参拝は続くだけ、もう仕方がない、と諦められているのか、日本政府への怒りの言葉は、今、もう誰からも聞かれない。

日本人の引揚者の中にも、戦時中、そして、戦後に、捕虜として辛酸をなめた人は多いはずだ。その人たちと、このオランダ人犠牲者との間には、共有できる心境があるのではないか、と思う。
また、こういう戦時中の日本軍の悪口にまつわるテーマが出てくるたびに、日本の保守的な人々からは、「戦争がいけないのだから」「オランダだって帝国支配によって現地人を強制労働に駆り立て、差別していたではないか」という議論が起こってくる。

だが、それは水かけ論というものだ。

人間は、追い詰められ、武器を持たされたら、自分の生存のために何をやらかすかわからない。
その一点で、私たちは、オランダ人の犠牲者たちと、対話の道を開くべきなのだ。しかし、それを遮る力が、対話をさせない嫌な力が、日本社会にはある。

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式典の後には、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドの大使らも花輪を添えた。しかし、日本から公式な参会者はいない。

人知れず、8月15日の午後は、オランダの通りを歩くことすら気が引ける。誰も何とも思っていないのかもしれないが、せめて、日本が、オランダとの不幸な過去について、オープンにかかわる態度、日本人の誰もが忌憚なく意見を言える環境を作ってくれていさえしたら、と思う。

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オランダでの追悼式典には、高齢者ばかりでなく、子どもの世代、孫の世代のオランダ人がたくさん参加している。スピーチには、毎年、高校生が一人選ばれる。小学生くらいの子どもたちも、おじいちゃんやおばあちゃんに手をひかれて、式に参加し、記念碑に花をささげて帰っている。

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追悼式典の後、一時間にわたって、インドネシアで日本軍兵士らの「慰安婦」として、若い身体をもぎ取られた女性たちを、オランダ人の人類学者とカメラマンとがインタビューしたドキュメンタリー映画が放映された。

「どうせ私たちのような子供を相手にやってみたかったんでしょう」とけらけら笑う老婆。恥ずかしさに、どんな顔をすればいいのかわからなかったのだろう。笑っている顔が、その日の情景を思い出してか俄かに曇り、いいようのないほどの悔しさと苦々しさを顔面に表わして、涙を流した。
「尊厳」を無視され、身体を侮辱された彼女たちの心が、どんなに、ズタズタに切り裂かれていたことか。

女ならば、「身体」だけを求めて、性欲の吐き捨て場として体を使われることが、人間としてどんなに辛い侮辱であるか、誰でもわかるはずだ。

「いったいいつまでこんなところに閉じ込められ、こんなことをさせられ続けるのだろう、とひとりで考えたわ。何か罪深いことをしているから、神様が罰を与えているのかしら、ひとりっきりでそんなことを考えていた」と、ほかの女性はつぶやいた。

一〇歳、一二歳で、兵士らの性行為の相手をさせられた女性たち。彼女らは、いったい、その後、どんなふうにして、「人を信じられるように」なったのだろう。

「あんなことをしたことは誰にも言えない。神様が許して下さるのかどうかわからない」
と彼女らはいう。

インタビューワーのオランダ人人類学者の女性が
「あなたはほかにどこにも行けない状態で、強制的にそういう行為をさせられたのでしょう。それは罪ではないでしょう」
といわれ、
「はずかしいのよ、罪なのよ」
と答える彼女たち。

「罪なんかではないわ、あなたのせいではないのだから」
と静かな口調で穏やかに諭すオランダ人に、その女性は、やっと理解者を得たかのように、流れてくる涙を静かに拭いた。

終戦直後、日本人兵士が去って行ったあとに、彼女たちは、何日間もの道のりを歩いて自分の村に帰ったという。そして、その語の人生を、「過去を隠して」か、村人からの「罵倒」を浴びながら暮らしたという。

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自分が生まれたその土地に、ある日、外国から兵士がやってきて、銃剣を突き付け、セックスを強制される。なんという哀しみであろう。

でも、彼女たちは、この深い深い哀しみを心の奥深く抱えて生き延びてきた。

愛のない、肉欲だけの男たちからからだを汚されたこの女性たちよりも、多分、そういう行為をした兵士たちの方が、みすぼらしい心を引きずった人生を余儀なくされたのではないのか。その兵士たちに本当に「選択の余地」はなかったのか。たった一度きりの人生で。
そういう環境の中で、自分らしい「選択」をすることなど、容易なことではなかったのだろう。
しかし、ではなぜ、戦後、そのことを日本人として語る場が得られなかったのだろう。語りたい人、自分の犯した行為に苦しんだ人は多かったはずだ。

そうした、良心の呵責を、皆で語る場がなかったこと、公に話をする場を奪われてしまったこと、それについて、日本人はもっと考えてみなくても良いのだろうか。なぜ、歴史は、そういう経過をたどったのか、と。

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イエ社会・タテ社会の日本。
多くの人々が誇る日本の「家系」に、女たちの名前はほとんど残されていない。みな「女」と記される存在でしかなかった。

性を売り、性を買う日本人が、知っておくべき歴史だ。


2010年6月10日木曜日

連立交渉の難航が予想される選挙結果

保守・革新に分極するオランダ

 昨6月9日、オランダでは、衆議院議員にあたる「第2院」の150議席を決める選挙が行われ、その結果、2002年以来4期続いた中道右派のキリスト教民主連盟(CDA)の議席は41議席から21議席へとほぼ半減し、代表のバルケンエンデ首相は退陣を発表した。

 この日、21時に投票が締め切られると、早速出口投票の結果がはじまった。
 いきなり、自由民主党(VVD)と労働党(PvdA)が31議席ずつで並び、キリスト教民主連盟(CDA)が大幅に議席を落としたことが明らかに。他方、ヘールト・ウィルダーズに率いられるイスラム排斥を辞さない極右政党(PVV)が、前回の9議席からなんと21議席まで躍進したことが伝えられた。

 スタジオで開票速報を伝える報道関係者も、各政党の会場の政治家らも、CDAの予想以上に大きな敗退と、PVVの予想以上に大きな躍進とに、どよめきの声が上がり、来る政権樹立交渉が、困難を極めるであろう、との予想が飛び交うことになった。

 結局、通常ならば、選挙当日の夜中の12時には、開票結果が明らかとなり、連立の予想もたって、党首らの最後の討論会が放映されるのだが、今回は、で口投票だけでは、確実な結果はわからないと、翌朝の今朝になるまで、落ち着かない選挙戦となった。

 そして、最終的には、キリスト教民主連盟CDA21議席(前回41議席)、キリスト教連合CU5議席(前回6議席)、グリーン左派党GL10議席(前回7議席)、動物愛護党PvdD2議席(前回2議席)、労働党PvdA31議席(前回33議席)、国家プロテスタント党SGP2議席(2議席)、社会党SP15議席(前回25議席)、自由民主党VVD31議席(前回22議席)、自由党PVV24議席(前回9議席)、民主66党D6619議席(前回3議席)という結果で、VVDが1議席差で、労働党を抑え第1党、前夜すでに躍進に沸いたPVVは、さらに3議席多い24議席という結果だった。


経済危機下の選挙

 2008年秋のリーマンショック以後、世界に広がった金融危機、今年初めから顕著になったギリシャを初めとする南欧諸国の経済不況の影響など、ヨーロッパ諸国の景気後退が著しい中、果たして、この難しい時期に、政策を担当するのは、企業の市場原理を優先する自由主義者なのか、はたまた、低所得層の保護を優先する社会主義者なのか、という問いが、どこの国にもある。先月のイギリスの選挙では、右派の保守党が勝利したものの、リブ・デム党との連立がなければ政権が樹立できなかったというのも、実を言えば、左右、どちらにも決められない事態が襲っていることを示している。

 オランダの経済は、この数年、ヨーロッパ諸国の中でも優等生だった。しかし、ギリシャ問題以後、国債の増加や財政赤字の増加のスピードは、他国よりも加速的な傾向がある。

 そんな中で、労働党と連立してきた中道右派のCDAは、この2月に労働党と決別。しかも、4期とも、政権満期を果たさずに中途で解散、バルケンエンデのリーダーシップに失望する声も多かった。右にもつかず、左にもつかず、中道で政策を決めてきたCDAは、残念ながら、首相のリーダーシップの不明さ、やや悪い言葉になるかもしれないが、日和見的な態度が、有権者の支持を失う結果になったようだ。

 明確な政策を求める有権者、それは明らかなようだ。しかし、それは、右であるべきなのか、左であるべきなのか。

 独立シンクタンク『経済政策分析局』CPBのさまざまの分析では、オランダは、2015年までに、290億ユーロを削減しなければ、経済の安定は回復できない、と計算されている。これは、今年の予算の20%にあたる額で、毎年4-5%の節約が迫られるということだ。

 リベラル派の自由民主党(VVD)と、ナショナリストで保守派の自由党(PVV)とは、右寄りの政党で近似性が高い。もともとヘールト・ウィルダーズは、自由民主党から分かれて自党を作った政治家だ。しかし、移民に寛容な伝統を持つオランダの中で、VVDは、あからさまなイスラム排斥は回避する。また、明らかに企業家層に支持を持つVVDに対して、PVVは、オランダ人低所得者層や低学歴層に支持が多い。少なくとも、VVDの側は、これまで、国粋主義的で、公然とイスラム排斥をするPVVに対しては、一線を画そうとしてきたかに見える。

 他方、左派革新小政党も躍進した。知識人中道リベラル派の民主66党(D66)は前回の3議席から10議席に増え、環境派のグリーン左派党(GL)は前回の7議席から11議席に増えた。両党合わせれば、21議席、さらに、議席数を減らしたとはいえ15議席を獲得した社会党(SP)を加えれば、35議席で、PVVの勢力を上回る。しかし、小政党に分かれた左派政党は、個々に、微妙なイデオロギーの差がある。また、選挙の最終結果で、VVDの勝利が確定、PVVの大躍進が厳然となった今、連立政権樹立の主導権は、とりあえず、左派勢力にはない。

イスラム排斥党の躍進と「寛容」の伝統

 オランダの社会は、昔から、移民に寛容で、しかも、資源のない小国は、対外通商のために、外国との関係に開かれた政策をとってきた。ヨーロッパ連合の発端であるヨーロッパ石炭鉄鋼共同体の創始メンバーでもあるし、長く、ヨーロッパ連合の最も大きな推進国の一つという名前を享受してきた国でもある。

 しかし、そんな国に、今、イスラム排斥党の躍進が起こり、周辺諸国に対して、異なるイメージが作られつつある。そのことを危ぶむ声は、労働党を初めとする左翼政治家たちだけではなく、国内の評論家たちの口からも次々に聞こえてくる。

 なぜ、こんなことが起きてしまったのか。
 一つには、高齢化社会の進展による、社会保障制度の行き詰まりがある。好況期ですら危ぶまれていた高齢化の問題に加えて、経済が不況になった。不況の影響を一気に被るのは、低所得者層だ。この層の中で、共に先行き不安を感じている先住オランダ人と移民との間の対立につながっている。


オープン社会の公正選挙・CPBの経済政策分析とマスメディア

 誰にとっても、予想を上回った結果、しかも、連立交渉の難航を明らかに予測させるため行きのでるような分極化の事態。だが、それでも、誰一人として、選挙の不公正を指摘する声は上がってこない。

 オランダの選挙の公正さは、群を抜いている。有権者が、みなで、公正さを監視している。

 今回の選挙は、そういう中でも、特に、オープン社会の本質を見せつけてくれるようないくつかの特記すべき選挙戦が行われた。

 オランダでは、80年代以来、『経済政策分析局』CPBという機関が、各政党の選挙プログラム(マニフェスト)の実現可能性と経済効果を科学的に分析している。政党プログラムの経済政策の分析は、政党にとっては義務ではなく、自主的な依頼によることを原則にしている。だから、分析を依頼せずに、選挙運動をしても別に違反ではない。しかし、分析があれば、その政党が来る政権で実行しようと思っている政策が、どれほど実現の可能性があり、その効果がどうなるのかがわかるわけであるから、大政党は、堂々と選挙プログラムを提出せざるを得ない、という結果になっている。
 今回の選挙では、その重要性は、これまでのどの選挙にも増して大きかった。
 なぜなら、2015年までに290億ユーロの削減ができるのか、どんな政策でそれを実現するのか、が課題だったからだ。

 選挙に先立つこと20日足らず、5月20日に、CPBは8政党の選挙プログラムの経済政策を分析して発表した。
「CPBがやるのは、お墨付きを与えることではない。どこでどんな削減が図られるのか、選択肢を明確にすることだ。選ぶのは有権者だ。選択肢はこんなにある。」と発表されたのが興味深い。

 現に、歳出削減のために、住宅政策、移民政策、医療保険制度、障害保障、失業政策、慢性病者保障、各種の手当、教育政策、エネルギー政策、開発途上国援助、環境政策、公務員制度や公共行政、防衛政策、などなどの面で、各政党が、どのような施策によって、国庫を節減しようとしているかが、一目瞭然となるグラフで国民に公開された。

 テレビやラジオでは、早速党首討論会が始まる。討論の内容は、このCPBの分析に基づき、実に細かい制度改革に及び、それぞれの政策の背景にあるイデオロギーが問われる。

 選挙の数日前には、大新聞が、インターネットのサイト上で、読者が、8政党の政策を、項目ごとに選びながら、290億ユーロの削減を実現できるかを試すシミュレーションプログラムまで登場した。削減は有無を言わさぬ課題だ。国民が決めるのは、「どんな削減法を望んでいるのか」ということだった。

 その結果が、昨日の選挙結果だった。

 オランダは、先月のイギリスと同様、左右両派に分極した。そして、左右、どちらも、中道派や小政党の参画なくして、政治を担当することはできない。

 経済大不況という、混沌とした社会不安が、世界中の政治を襲っている。

 少なくとも、オランダでは、選挙が、可能な限り公正に行われ、その結果が、こうなったのだ、という、その確信だけは、イデオロギーの相違にかかわらず、ほぼすべての有権者が自覚しているらしい。
 民主主義の目的はそこにしかなく、民主主義社会の政治は、そこからしかはじまらない。



2010年5月18日火曜日

ゴミ箱あさりジャーナリズム

 「他人の家のゴミ箱をあさってマスメディアにさらけ出すような国に私はすむ気はない」
 最近出たばかりの「ビネンホフ」という雑誌の内容にかみついたのは民主66党の党首ぺヒトルドだ。

 「ビネンホフ」とは字義どおりには「内廷」という意味。しかし実際には国会議事堂と議員室のある周辺を指す語で、今回発刊されたこの雑誌は、もともと有名人のスキャンダルを描く一般週刊誌「ウィークエンド」と、ややリベラルな知識人向けとはいえ、政治家や有名人の裏話にも立ち入る感が皆無とはいえないオピニオン誌HP/デ・テイト誌の両紙を出している出版社が、両誌の編集長の共同で発刊したものだ。来る6月9日に予定されている第二院(衆議院)議員選挙に先立って、政治家らのプライバシーを少し暴き、政治家らの人物像を描くことが目的であったものらしい。

 しかし、その内容はかなりひどい。148ページにわたるグラビア入りの雑誌には、多くの現職政治家や元政治家たちの私生活が取り上げられており、どんな家に住んでいるのか?住宅ローンは?アルコール使用料は?食生活の傾向や喫煙行動は?夫婦関係や不倫の経歴は?どんな申告をしているのか?などなど、しかも子どもたちの写真まで隠し撮りして掲載しているという。

 「ゴミ箱あさり」とかみついたぺヒトルド自身も、回収のために自宅前に出していたゴミ箱が取り去られ、そのゴミの内容がこまごまとこの雑誌に掲載されたという。

 日本やイギリスやアメリカのように、すでに長くグラビア・スキャンダル誌やスポーツ紙、一般週刊誌で、政治家や芸能人・知識人の私生活を暴き立てることに読者が慣れ切っている国では、今回の「ビネンホフ」という雑誌の中身など、驚くに当たらないかもしれない。「公に顔を出している人間なんだよ、それくらいされても当たり前、へこむなよ」というくらいの感覚、反応しかでてこないだろう。

 しかし、オランダは、ついこの頃まで芸能人や政治家、ましてや王室メンバーでさえもが、一般道路を普通に歩ける社会だった。私がすむハーグ市は、政府所在地であり王宮もあるので、本屋にいっていたら、どこかの政党の党首と出くわしたとか、スーパーマーケットの入り口で、自転車で乗り付ける政治家にあった、などということが、ごく普通にある。レストランに行けば、たまたまポップシンガーと隣り合わせ、でも、客は取り立てて大騒ぎもせず普通にしている、そんな国なのだ。
 王室のメンバーだって、イギリスの王室のようにパパラッチに追いかけられて写真の盗み撮りでもされれば、皇太子がみずからクレームをつけて来て、それが受け入れられるような国だ。

 だから、オランダのジャーナリズムには、かなりの大衆紙であっても、下世話なことはやらない、というような良識があった。確かに、今回の「ビネンホフ」誌のやり方というのは、どうも、ある種の『境界線』を越えてしまった感がある。

 ちょうどこれに合わせるように、ジャーナリズムの言論の自由をめぐって先週二つの事件があった。
 リビア・トリポリでの飛行機墜落の唯一の生存者だったオランダ人の少年ルーベン君(9歳)の病院でのインタビュー(テレグラフ紙)と、現政権の最大政党「キリスト教民主連盟(CDA)」の首相バルケンエンデの片腕と言われ防衛省の国務次官だったジャック・デ・フリース氏が不倫の事実を暴かれ政界から引退を余儀なくされたことだ。
 
 飛行機事故で家族を一度に失った9歳の少年を、まだ、回復してもいないのに訪ねていってインタビューをしメディアにそれをさらしたことについては、少年の心理的な痛みを思い測る余裕とプライバシーの保護感覚の欠如が指摘されている。また、政治家の不倫という、極めて私的な事柄が、ジャーナリズムのエスカレーションによって、政治生命の終焉にまで至ることについての疑問も議論されている。後者に関していえば、かつて、フランスの大統領だったミッテランの不倫が話題になったことが思い出されるが、ヨーロッパ(大陸)の元西側社会には、もともと政治家や有名人の不倫などには口をさしはさまない、また、それが、公的な立場での機能に障害を生むのでは云々、というような議論にはあまり発展させたがらないものだった。私生活、特に男女関係をとやかく追及するのは「無粋」、とでも言いたげな感覚があった。

 先週のこの二つの事件は、確かに、オランダのジャーナリズムが変容し始めていることを感じさせる。それだけに、「ビネンホフ」誌にごみ箱を漁られたぺヒトルドは、あたかも、「もう我慢ならない」「こんなジャーナリズムが民主主義を壊すのだ」と言わんばかりの論争を、フォルクスクラントという全国誌に発表し、「この件で、私は、ビネンホフを発刊した編集者たちと議論をしたい」と挑戦状を突きつけた。

 民主66党という政党は、もともと、1966年という、価値意識激動の時代に、元新聞記者だったハンス・ファン・ミールロが呼び掛けて作った知識人政党だ。イデオロギー的には中道左派、マイノリティの権利保護、インクルージョンの意識が高く、民主主義の制度維持に高い関心を示して、さまざまの法案を提議してきた政党だ。同性愛者の婚姻合法化や安楽死合法化などには、この政党が大きな貢献をしてきた。同時に、結党の中心だったファン・ミールロが新聞記者であったことからも図りしれる通り、市民の権利としての「自由」を擁護する意識は極めて高く、とりわけ、言論の自由の監視者・実践者としてのジャーナリズムの自由については、その擁護者としての立場をはばからない政党だった。

 そんな政党の党首ぺヒトルドが、それでは、なぜ、こうして政治家の背景をかきたてるマスメディアを批判しているのか?

 それは、フォルクスクラント誌に掲載された彼の言い分、そのものを読んでみた方が手っ取り早い。

「人にいわれるまでもなく、私は、自分が公人としてガラス張りの家に住まなくてはならないということについては覚悟を決めている。また、現在の政治体制の中で、政治家という名の背後にいる人物そのものがますます重要な要因となってもきている。だから、人々がその人物そのものについて、もっと知りたいと思うのは仕方のないことだと思う。、、、、、、(中略)ジャーナリストたちは、私をコントロールするという役割を担っている。私が仕事の中あるいは外で何か大きな間違いを犯せば、警察や司法が私を捕まえるという役割を持っている。そして、ジャーナリストらの仕事は、その誤りを裸にしてさらし、あるいは批判することが役割だろう。また、政治家には、法律や施策を策定するほかに、期待されることがまだある。政治家は、人々に対して模範として行動する機能を負わされている。ジャーナリズムは、この点で、ユニークな役割を持っており、その役割とは、政治家らがすることを評価し、政治家たちの権威主義的な行動を打ち破り、彼らの責任意識と人間としての尊厳さとを試すことにある。そして、民主主義が生きたものであるならば、そのためにジャーナリストの言論の自由の境界線が、ぎりぎりのところまで追及されるのは当然のことだ。、、、」

しかし、、、とぺヒトルドは続ける。

 ジャーナリズムの言論の自由が、飛行機事故墜落で唯一の生存者だった少年へのインタビューや不倫スキャンダルで政界を追放された有望実力政治家などの事件について議論されていたごく数日前、「ビネンホフ」の編集者たちは、それらの議論の中で、自分たちがやっていることが、「やや行き過ぎ」であるという自覚はあったらしい、という。そして、それに対して、「判断を下すのは司法だ」という発言をしたというのだ。トリポリの病院でのルーベン君のインタビューについては、それを許した現地のオランダ大使館、ひいては外務省に責任がある、といったという。

 彼らは、「裁断するならすればよい、おれたちは、ぎりぎりまで言論の自由を追求するのだから」と言わんばかりの、あたかも「自由の擁護者」をふるまう勢いだ。

 こういう彼らにぺヒトルドはこういう。

「前政権期、メディアコード(マスメディアの規則)を制定するという案が出た時、私はそれに激しく反対した。私は、ジャーナリストたちの仕事を国が管理することを望まない。ジャーナリズムは自由と多様性の中で、そのコントロールの役割を実施できるものでなければならない。、、、、(中略)(ジャーナリストらが司法に判断をゆだねたり外務省を引き合いに出すことについて)彼らは実はこういうことを言っているのだ。『私たちを制限してください。なぜなら私たちは自分ではそれはやりませんから』と。彼ら自身自分たちが行き過ぎた行為をしていることを感じているのだ。しかし、それでもそうすると言っている。つまり、責任が、それによって他の人に転嫁されている。政治家を守るのは司法官たちで、病院のベットにいる犠牲者は外務省が守るものだと。しかし私は別の道を選びたい。私は、ジャーナリズムに対する政府の監視に抵抗する。私は、ジャーナリズムが行き過ぎであるかどうかを判断するのは司法官だ、とするようなメディア状況には抵抗したい。私がほしいのは、政府だとか司法権だとかがジャーナリズムの自由の境界線を規定するのではなく、ジャーナリズム自身が、自分で自分の境界を決めるような国だ、、、、、(中略)、、、私たちは、自分がゴミ箱に捨てたはずのものが、翌日の新聞に載るような、そんな社会を求めているのだろうか。私たちは、必要もないのにずかずかとプライバシーに立ち入ってくることに、寛容でなければならないのだろうか。私たちは、娯楽やセンセーションのために責任を投げ捨ててしまうような国に住みたいのだろうか。、、、、、、(中略)、、、民主主義においては、公で討論をすることこそが、やってよいこととやってはいけないこととの境界線を定めるものである」

 硬派のジャーナリズム、新聞の論説などでは、ぺヒトルドの議論はおおむね支持されているように見える。しかし、新聞もラジオも、昨日は、この話題が飛び交っていた。

 民主主義が行き着いた先、それは、宗教も、また、科学的な研究や調査の結果といえども、どれ一つとして、絶対的な「真理」はない、そういう社会である。オランダ社会はそれにかなり近い状態にある。
 では、だれにとっても「共通」の真理がない社会では、私たちは、どういう風に生きていかなくてはならないのか。お互いの選択の自由、生き方の自由、価値観の自由、つまりは、それぞれの善悪の判断のもとになる良心の自由を、お互いに認め合って生きる社会にならなければならない。だからこそ、娯楽とセンセーションに走るジャーナリストたちが、「おれたちは表現の自由を追求している」と言わんばかりの顔で、実は、瑣末なスキャンダルを追いかけることが、ひいては、人々の大衆(自分の頭では物を考えない群衆心理に従って動く人々)化と、一時期の政治家や責任転嫁をしやすい官僚らの支配を生む結果になるのだ、とぺヒトルドは警告している。

 だが、オランダほど民主主義を追求してきた国ですら、今、ジャーナリズムがこんな風に頽廃の中に追い込まれているのは、いったい何故なのか。

 情報の価値が、インターネットによってほとんど無料化してしまったからだ。
 新聞・雑誌・書籍などの出版によるマスメディアが、それに携わる人々の収益を生むために、良識を捨ててカネの亡者にならなければ、生業が成り立たなくなっているのではないのか。

 そして、スキャンダル写真し、ポルノまがいの漫画、物質文化の退廃を象徴するファッション誌などで巨富を得ることに何の疑問も抱かずにきた日本の出版界と、それによって、広告だらけの雑誌に、政治家や芸能人のプライバシーが書き立てられても、それが、自らの社会の民主主義の崩壊であるなどとは、露にも思えない読者たちがマジョリティを占めている日本という国では、たとえ、どこかの政治家が、ぺヒトルドがやったような議論を始めても、だれも振り向かず、ただひたすら牛馬のように、仕事場と家庭の間の往復を繰り返し続けるだけなのではないのか。いつの間にか、日本のジャーナリズムは、その質を取り返しがつかないまでに劣化させてしまっているのではないか、と思うことがしばしばある。

 変わり、気づかなくてはならないのは、一人ひとりの市民だ。



2010年5月6日木曜日

家庭を理由に政界を引く若手エリート政治家たち

 さる2月20日、アフガニスタンへの平和維持軍の派兵延長をめぐって、第4次バルケンエンデ政権が解散となった。もともと今年末までで撤退することが決まっていたアフガニスタン派兵だったが、アメリカ合衆国の外交圧力もあり、延長の可能性を匂わせていたキリスト教民主連盟(CDA)の首相バルケンエンデにたいして、当時副首相だった労働党(PvdA)のワウター・ボスは、派兵延長に断固として反対し、労働党は政権からの脱退を決めた。ついに、バルケンエンデ首相にとっては、なんと4回目の政権解散となった。

 というわけで、早速、6月9日に次期総選挙が予定され、それに向けて早速選挙戦開始となったのだが、、、。

 3月11日、現政権の最大政党CDAの次期リーダー候補といわれていたカミール・ユーリングス運輸大臣(36歳)が政界からの引退を発表、続いて12日には、なんと副首相で財務大臣のワウター・ボス(46歳)も引退を発表。二人とも、閣僚内の住職にある、しかも、どちらかというと若くて脂の乗り切った政治家たちであっただけに、この発言は国民をあっと驚かせることとなった。
 ユーリングスは今年37歳。若いがヨーロッパ議会議員の経験もある将来有望な政治家だった。
 他方、ボスは有名な石油会社ロイヤル・シェルに10年勤めた後、1998年から国会議員、2000年に37歳で財務省の国務次官という重職に就き、2002年以来労働党の党首として党を率いてきた。特に、2008年の金融危機以後、財務大臣としてマスメディアに登場しない日はない、というほど政治家中の政治家。経済政策運営の手腕については定評があった。突然の引退表明に、政界ばかりでなく、国民もあっと驚きの声を上げることとなったは当然だった。

 ユーリングスもボスも、引退の理由は、プライベートな生活にもっと時間を割きたいから、とのこと。
 特に、ボスの場合、ジャーナリストの奥さんとの間に、6歳を頭に3人の子どもがいる。父親として子どもたちの育児にもっと時間を割きたい、夫婦でバランスよく家事を分担したい、というのが理由だった。

 まあ政治家の世界、深く勘ぐれば政界から引きたくなるさまざまの事情は当然あったことだろう。一般に、国会議員、閣僚の給与は、日本などに比べるとずっと低いとも言われているし、それぞれ、党内でのいろいろな政治抗争が絡んでいないとも限らない。一般の国会議員に比べると、閣僚の仕事は比べ物にならないくらい多忙を極める、ともいわれる。

 それにしても、、、、おそらく、日本などからすると、閣僚ほどの地位にあり、しかも、30台、40台という脂の乗り切った仕事盛りの政治家が、別に、何か失敗をやらかしたとか、賄賂などの腐敗のうわさが立ったわけでもないのに、さっさと政界から身を引く、それも、家庭のために、などとは、想像もつかないことだろう。

 実にオランダらしい、と思う。

 女性たちからは、「ああ、ついに男性たちもかなり解放度が高くなってきたな」などとニンマリされている。確かに、夫婦間の家事や育児の分担は、オランダの夫婦関係の一つのスタンダードになってしまっている。いまどき夫は外で働いて給料を稼ぎ、妻は主婦業に徹するというような家庭はほとんどない。ましてや、政治家や閣僚になるほどの高学歴者の場合、夫も妻もお互いに専門職を持っているケースが多く、両方が、お互いに譲り合いながら、仕事と家庭生活のバランスをどう保っていくかは、夫婦関係の維持にかかわる問題になっている。

 ボスの場合、政界を引いたからと言って家庭にこもるつもりはもちろんないのだろう。家庭生活をほどほどに維持しながら、効率よくできる仕事に就きたい、ということなのかもしれない。いずれ、子どもたちが成長したら、また、政治家としてマス・メディアで話題になる人として復活する日も来るのかもしれない。

 パートタイム就業を正規就業化し、同一労働同一賃金の原則を徹底してきたオランダ。こうした制度が成り立ち、実践されてきた背景には、家事や育児という、賃金を払われることのない仕事に対する尊重、また、一人ひとりの生活の中での賃金獲得のための仕事と家庭生活、あるいは、社会参加活動といった多面的な活動のバランス、また、ひとりの人生における、生活の重点の移動(学習=資格獲得―勤務・キャリア形成―出産・育児―勤務への回帰―退職後の暮らし)といった観点からのいろいろな議論の積み重ねが行われてきた。そういう中で、すべての人が、それぞれに、自分らしい生活のバランス、自分らしい人生設計、デザインの仕方が、できる限り可能なように選択肢の多い制度が作られてきた。

 政治家や閣僚は公僕だ。しかし、公僕もまた、一人の私的人間、市民として、一度限りの人生を自分らしく生きる権利を持っている。そして、その権利をみずから体現してみせることは、自分の政治姿勢を公に示す一つのやり方でもある。

2010年1月15日金曜日

ヨーロッパの中のオランダ:最大多数の最大幸福に高い税は欠かせない?? (その3)

 さて、CPBの調査結果を全体として眺めてみると、報告書それ自身が結論付けているように、オランダの『文明度』は、スカンジナビアモデルと大陸モデルとの中間、場合によっては、最も高いスカンジナビアモデルを上回る好成績を示していた。

 初めの問題提議にある、『課税圧力は高い文明の実現に必要か』という問いに関して言えば、スカンジナビアの成績をみると、明らかに肯定的な答えを引き出さざるを得ない、ということになる。しかも、経済繁栄の面でも、スカンジナビア諸国はアングロサクソンモデルの国に大きく遅れておらず、ならば、課税が高くても、繁栄ありで、幸福度も高いではないか、ということが言える。

 興味深いのは、課税圧力の点では39%と、スカンジナビアモデル平均の46%に比べても、また、周辺の大陸モデル平均の42%に比べても低いオランダが、経済繁栄や幸福度の点で、スカンジナビアにも遜色ない結果を達成していることだ。

 その秘密は何なのだろう。

 これは、私の勘で、仮説にすぎないが、たぶん、オランダ人特有の節約観によるものではないか、と思う。平たく言えば、けちで有名なオランダ人は、無駄を出さない、とでも言えばいいのだろうか。

 たとえば、日本でもよく知られたワークシェアリング。こちらでは、パートタイム就業の正規化、といった方が分かりやすいが、これなどは、考えようによっては、無駄のない雇用形式だ、と言っていいのではないか。

 多くの労働を必要としない職に対して、フルタイムの職を用意する必要はない。資格や経験のある能力のある人材を、必要な時間だけパートタイムで雇い、正規のフルタイム雇用と同じ安定した保証をすることで、無駄な時間が生まれにくい就業形式が作り出される。
 他方、子育てなど、家庭にも時間を割きたいライフステージにある若い労働者たちは、育児や家事をする以外の余った時間をパートタイム就業でカネを稼ぎながら埋められる。ついでに、子どもたちは、両親共々フルタイムの両親にほったらかしにされる必要もなく、ほどほどに、親の関心と保護の中で成長できる。

 一挙両得どころか、三得も四得もありそうな、働き方であり生き方だ。
 経済効率の高さ、子どもたちの幸福度の高さなどには、こういう、節約的な制度を生んできたオランダの賢さが反映しているといえないか。

 女性たちの労働への進出度が低いことについては、オランダ国内でもしばしば議論されている。
 
 しかし、労働市場への進出、産業社会の中での活躍だけが、本当に女性の解放のあかしなのだろうか、と私は疑問に思う。
 高い能力は、労働でも有効だが、子育てにも欠かせない。市民運動といった余暇を利用した社会参加でも有効だ。女性に限らず、人々が、働いてカネを稼ぐという活動のほかに、家事や子育て、市民運動にバランスよくかかわることは、むしろ、新しい時代の生き方といってもいいくらいだ。

 技術革新の発展のおかげで、家庭にいながら行えるテレワークの可能性も増えてきた。人間がかかわらずとも、機械(ロボット)を使ってやれる生産技術も、日々向上している。少ない人的能力で、十分な生産が可能であるのなら、それに越したことはない。人間の作業がかかわらない生産様式は、今後飛躍的に増えていくだろう。そこで生み出される利潤を、大企業だけが享受するのはおかしい。
 休暇がたっぷりとれるオランダ人の生産効率が、スカンジナビアモデルの国はもとより、どの国に比べても、圧倒的に高いことは有名だ。休むことは、生活を保障するだけの金銭の受領を阻む理由であってはならない、と考えられる時代は、もうすぐ目の前まで来ている。うまくやれば、高齢化社会や少子化を無条件に危ぶむ必要はないのかもしれない。少なくとも、一国の少子化を考えるのではなく、世界全体の人口圧力を大きく解決する道を、国境を越えて考える時代だ。


 オランダ人の生き方は、人と人とのかかわり方が、世界に共通の課題をみんなで考えなくてはならない時代に、未来の人々の労働の仕方、ライフ・ワーク・バランス、ワーク以外の部分についての生についての意味付け、の仕方を考えさせてくれる。

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 同時に、ありすぎる余暇をよりよく使いきれないオランダ人も多いのかもしれない。労働という紐帯によって、組織で共に働くという考えから解放されすぎてしまい、行き過ぎた個人主義が利己主義になってしまっている例もオランダには多い。なおのこと、社会参加を促す制度作りが重要だ。NPO団体やボランティアは、公的資金を使って常勤職員を雇ってでも活性化していくべきではないのか。

 短所や問題点をも含め、オランダは、生産一本やりの産業社会型世界が、環境問題という地球規模の障壁の前でスローダウンさせられている中、考えさせてくれる選択肢や課題をたくさん提供してくれるように見えるのだが、、、。

ヨーロッパの中のオランダ:最大多数の最大幸福に高い税は欠かせない?? (その2)

前回からの続きだ。

経済的繁栄

 冒頭に、『課税圧力は、高い福祉に不可欠なのか』『福祉は、繁栄を犠牲にするものか』『相対的に高い福祉と相対的に高い経済的繁栄とは、持続的に両立できるか』という問題を提議したこの報告書。とりわけ、グロバリゼーションで、世界中が経済競争の中に突入し、しかも、金融危機でいたい打撃を受けた後とあっては、だれにとっても一番関心があるのは、この経済的繁栄の部分かもしれない。

 結論から言うと、繁栄度は、一人当たり国民総生産についてみる限り、アングロサクソンモデルの国が最も高いが、スカンジナビア諸国もほぼそれに変わらないレベルにあり、オランダは、比較的低い大陸モデルや地中海モデルの国よりもずっと高いレベルを達成していた。
 つまり、税金の圧力が高いスカンジナビアモデルの国々は、税金圧力が低く、したがって、公共政策や幸福度などの福祉面にに明らかな遅れがみられるアングロサクソンモデルの国に比べて、決して、経済繁栄の面で劣っていない、ということだ。

 オランダに限って言えば、就業参加率(就業人口に対する就業者の率)がどのモデルよりも高い76.1%を達成していたこと、中でも、この就業者の中に占めるパートタイム就業者の率が、ずば抜けて高かったことが注目される。
 とはいえ、パートタイム就業を正規雇用化しているオランダについて、この点は、広く知られてきた事実でもある。
 失業率に至っては、これまた、オランダは、全体として最も低いグループであるスカンジナビアの4.6%(平均)に比べても、2.8%と最も低い。この値は、2008年の金融危機以前のものではあるが、それから1年後の2009年代4四半期の失業率は、前にも報告した通り3.6%(OECD基準)で、世界のどの国に比べても低かった。
 さらに、労働生産性に至っては、オランダは実に顕著な結果を示している。時間当たりの国民総生産は、スカンジナビアモデル35.0、大陸モデル35.2、地中海モデル24.5、アングロサクソンモデル35.4であるのに対し、オランダは、38.0と抜きんでている。これを年収に換算するならば、オランダ人の場合、スカンジナビア諸国の人々と比べ、年間、200時間短い時間で同じ給与を受けているという計算になるという。(アメリカよりも400時間短い)

 気になるのは、女性の就業形態だ。パートタイム就業が高率を占めるオランダでは、スカンジナビアモデルや周辺の大陸モデルの国に比べて、女性がフルタイムで働く率は低く、いわゆる『女性解放度』日本でいわれる「男女平等参画」の度合いは低い。また、管理職に占める女性の割合も、相対的に低い。
 これは、女性が、今でも、家庭の中で主導的な役割を占めていること、就学前の子育てにおいて、保育所などの施設に依存する割合が低く、そこに支出されている公共資金が低いことなどとも呼応する。
 果たして、その傾向が、良いことなのか、悪いことなのか、の判断については、次項であらためて考察してみたい。

社会的結合度

 さてそれでは、各国の社会的結合の度合いはどうか。社会的結合度は、人々の生活の豊かさの基準でもある。結合が高いということは、人々に社会に対する関心と参加意識が高く、したがって、満足度や社会の成り行きに対して影響を与えられるという気分が高い、といえるだろう。結合度の高い社会は、より多くの市民を関与させた政策決定ができるという意味で、政策に持続性や耐性が生まれ、安定度が高まる。

 社会の他の成員に対する信頼という点で、スカンジナビアモデルの平均は67.0と、大陸モデルの27.8、地中海モデルの24.6、アングロサクソンモデルの30.5に比べて非常に高かった。オランダは、45.0とスカンジナビアにははるかに及ばないものの、他の地域に比べれば好成績だ。
 同法に対する協力活動としてのフィランソロピーへの参加は、アングロサクソンモデルが最も高い(寄付72.6%、ボランティア31.9%)が、オランダは、さらにそれを上回り、世界一だ(寄付74.9%、ボランティア37.1%。

 ウェルビーング、良好な状態、とでも訳すこの言葉は、砕いていえば、幸福度・満足度と訳せると思う。欧米諸国が、物質主義社会から、非物質主義社会への移行を果たした70年代以降、ずっと行われてきている調査がある。物質主義の時代は、人々は、『生存』が生と労働の目的だった。しかし、一定程度の物質に満たされ、経済的な安定が確保された後、人々は、『より良いあり方、生き方』を求め、心の豊かさを求める価値観を持つようになった。ポスト・マテリアリズムとはこのことを言っている。ポスト・モダニズム(脱近代主義)とは異なり、もっと狭いものだ。
 オランダは、ウェルビーングの点でも、スカンジナビア諸国とともに相対的に高いレベルのグループにいつも入れられてきた。ウェルビーングの判断は、主観的なものが多く、プロテスタンティズムとの関連も指摘されている。
 さて、CPBの調査では、経済的安定性、労働に対する満足度、生活に対する満足度、幸福感、自由感のいずれにおいても、オランダは、最も高いスカンジナビア諸国に続く位置を占めた。大陸モデル、地中海モデル、アングロサクソンモデルに対しては、全体として水をあけている。(自由感についてのみ、自由市場原理のアングロサクソンモデルがオランダよりも高い位置を占めている)

 そのほか、不正(汚職)の少なさ、犯罪への不安、自殺率、などでもオランダは好成績だ。
 なぜか、10万人当たりの殺人率がスカンジナビアは大きく、拘留者の比率がオランダは高い。

 文明生活の先進性を測る一つの尺度として、国連開発計画(UNDP)が毎年公表しているHDI (Human Development Index)というものがある。経済指標のほか、教育の程度、健康生活の程度、などが考慮される。それによると、オランダは、世界で第6位、スカンジナビア諸国はノルウェーが1位であるほかは、皆オランダよりランクが低い。アングロサクソンモデルの中では、アイルランドが5位と健闘し、オランダのレベルを上回っているが、その他の国は皆、オランダよりも下位にある。


(この項続く)