「教育先進国リポートDVD オランダ入門編」発売

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2010年11月25日木曜日

ニューワークの時代

数年前に民営化された、ある国際的にも有名な(元)国立機関の職員と話をする機会があった。
この今は「企業」となったこの機関、これまでは、何の変哲もないコンクリート造りの、長い廊下に沿って事務室が並ぶいかにも(元)公営機関らしいオフィスを使っていたが、来年新しい社屋に引っ越しだ、と喜んでいる。

今度の社屋では「ニューワークなんだよ」という。
「なにそれ?」
ときくと、嬉しそうに、楽しみな様子で説明してくれた。

今度の社屋には、共同のスペースが広くあるだけで、個別の事務室はないんだ、という。毎日、会社に言ったら、自分が好きな場所に座って仕事をするのそうだ。もちろん、ちょっとリラックスするための場所、少しひとりになって仕事をするようなニッチェ的な場所、同僚と話をするためのコーナーなどもあるのだそうだ。

「管理職はどうするの?」
といったら、
「管理職も、一部を除いてその形式だよ」
とのこと。

話を聞きながら、オランダの学校の様子を思い起こしていた。
オールタナティブ系の学校がやってきた、オープンスペース、生徒の数よりたくさんある椅子やクッションなどの座る場所、モンテッソーリが好きなニッチェ、他学年の子どもたちが交われる廊下やホールなどがすぐに目に浮かぶ。
ただ、こういう形は、小学校だけではない。中等学校(中高)でもこういう形式がかなり広がってきている。スタディハウスという、大学進学コースの子どもたちの高等学校では、決まった教室がなく、授業ごとに教室を変わるし、ましてや、スタディハウス方式で、自学自習なので、メディア室、ホール、廊下、いたるところで、自分の計画に従って勉強を進めている。
モンテッソーリやダルトンの中学などは、こういうやり方がお得意で、新校舎の学校などには、広々としたランチルームとも休憩所ともつかない場があり、そこで、共同プロジェクトの打ち合わせをしたり、ノートを広げて勉強したり、友達と雑談したりしている。

多分、ニューワークになると、一番早く適応するのは、こういう学校で育ってきた20代30代の若手たちなのだろうな、と思う。

話をしていたその職員によると、
「ニューワークはね、かなりの企業が取り入れていて、その経験からすると、最初は結構嫌がって抵抗する社員がいるらしい。でもね、いったん慣れると、たいていの人が「もう元の形式に戻るのは嫌だ」って、そういうんだそうだ」

なるほど、、そうだろうなと思う。
いつも同じ部屋で仕事をするよりも、流動的に仕事をすれば、同じ会社のいろいろな社員と自然な出会いをすることも増えるだろう。それが、良いアイデアや、生産のための連帯感にもつながろう。

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かつて、60年代のヨーロッパ映画シリーズを見たことがある。あるイタリアの映画に、狭い長方形に仕切られた仕事場で、前に座って監督している課長のもとで、一斉授業の教室のように数列に並べられた事務机で、タイプを叩きながら仕事をしている社員の様子が映された。映画監督の意図は、産業化型社会の仕事場の象徴として、すでに、この時代に、それを風刺するつもりであったようだ。

こういう仕事場は、現に、ヨーロッパ社会ではずっと少なくなってきている。70年代に広がった機会均等意識、豊かな人間らしい仕事場を求める意識が、人々の職場環境に彩りを与え、空間的な余裕を与え、灰色のスチール製の事務机からの決別を果たしてきた。

そして、それがまた一歩、ニューワークの形で、職場環境をがらりと変える変革につながってきつつある。

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日本では、今でも、市役所だの、一般の(有名)企業だの、みんな、事務机を背中合わせにつきあわせ、社員たちは、まるで自分の砦を守るかのように紙ばさみを積み上げて、机にに向けて顔をうずめるように仕事をしている職場がほとんどだ。
あるかなり有名な教員養成大学ですら、「オープンクラス」と称する壁のない教室でありながら、子どもたちを、黒板に向けて列に並べて授業をしているし、職員室は、相変わらず、所狭しと詰め込まれた事務机で、うっとうしくなるような静寂を強制されて先生たちが座っている。

コンピューターでどこの誰とも交信できる時代。メモリースティック一本あればどこでもたいていの仕事がこなせる時代だ。しかも、仕事は、ますます、共同性、コミュニケーションを求められる。そうでなくては、良いアイデアは生まれず、そうでなくては、良い組織は生まれない。

かつて、西洋の教育者たちが、床に釘付けにされた机を叩き壊して、子どもたちが、自由に動け、サークルになり、床に寝転がって本を読める場を作ったという時代がある。そういうパワーで、日本の学校や会社が変わる日が来るのだろうか。いや、それくらいのパワーがなくては、これからの世界で、日本人が生きていく希望はない。

2010年11月1日月曜日

あらゆる意味で史上初のルッテ政権樹立~~経済危機は乗り越えられるか~~

10月14日、6月9日の第2院選挙以来127日目にして、ようやくルッテ第1期新政権が発足した。過去の記録では、選挙から政権樹立までの連立交渉は平均82日。これに比べても分かるように相当に長く、しかも、紆余曲折の多い、困難なお産だった。もっとも史上最長記録は208日だというから、経済危機の只中で、財政緊縮と政治方針の確立が急がれる中、政治家らが、夏季休暇期間を返上して一日も早い政権樹立を目指した成果だったことも否めない。

自由民主党(VVD)の党首マルク・ルッテが率いるルッテ政権には、いろいろな意味でこれまでの政権には見られなかった特徴がある。

まず、自由民主党(VVD)という非宗教的な自由主義者の政党が第1党となって政権をとったことだ。オランダの政党政治はこれまでキリスト教保守主義と労働党の社会主義が政治の両翼を成してきた。宗教的保守主義を否定して生まれた自由主義者たちの政党は、そういう文脈の中では、第3の政党にとどまり、連立政権で他党に協力して与党になることはあっても自ら第1党に躍り出ることはこれまでなかった。(1913-1918年に自由主義者が首相になったことはあるが、この首相は政党的な背景を持っておらず、以来一度も自由主義者が首相になったことはない。)

第2に、この政権は、選挙で最大議席(150議席中31議席)をとった自由民主党(VVD)が主導しているものの、今回の選挙で大幅に敗退したキリスト教民主連盟CDA(41議席から21議席へ)と連立している。言うまでもなく政治姿勢において、かなり右寄りであるVVDにとって連立政権を打ち立てるためのパートナーの選択肢が限られていたことが理由だ。しかし、その結果、与党は2政党の議席を合わせてもわずか52議席しかなく、第2院の150議席の過半数にあたる76議席を大幅に下回る。こういう、少数派政権という状況はオランダの政党政治史上初めてのことだ。

そのため、今政権樹立のためには、オランダでも前例のない新しい方策がとられた。それは、前回の9議席から24議席まで躍進して第2党に躍り出ていたヘールト・ウィルダーズ率いるPVV(自由党)との間で「許容合意」というものが結ばれていることだ。この「許容合意」とは、PVVは、政権には入らず野党として残るが、一定の政治政策項目に関しては、政権与党に協力するというものだ。つまり、VVDとCDAの政権与党は、PVVとの「許容合意」を用いることによって、76議席つまり、150議席中のぎりぎり過半数を確保できることになる。ウィルダーズのPVVは、これまで「宗教の自由」を国家存立の基盤に据えてきたオランダにとっても、また、その主張が持つ民族排他性のにおいに関してもた政党が一線を画してきた政党だ。しかし、PVVが選挙で大躍進をしたことは、有権者の中に支持が増えていることにほかならず、伝統的な政党も、PVVの存在を真摯に認めざるを得ない、という事態となった。

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前例のない少数政権、また、野党の1党との「許容合意」なるものの付随された政権樹立という結果に至った事情を、時間的な経過を追いつつ、少し詳しく見てみよう。

まず、すでに過去の記事でも報告した通り、6月9日の選挙で、オランダの政党支持の構図がこれまでと大幅に変更し、各党の政治姿勢から言って、連立によって安定政権を築くための条件が極めて難しい状況が作られていた、という前提がある。

一つは、文頭にも述べたように、自由民主党(VVD)という、これまで第1党に躍り出たことのない政党が最大議席を獲得し、PvdA(労働党)と並んだことだ。また第二は、イスラム教を単に宗教とみなすのではなく、政治的イデオロギー集団とみなして、イスラム教徒排斥を政治綱領の中心に据えた新勢力自由党(PVV)が、9議席から24議席に躍進して、なんと、キリスト教国オランダの伝統政党であるキリスト教民主連盟(CDA) を抑えて第3政党になったことである。

もともとプロテスタントやカトリックのキリスト教民主主義の伝統があるオランダでは、1990年代半ば以降の一時期、労働党がCDAを退け、自由党(VVD)と民主66党(D66)と連立して、社会主義(赤)と自由主義(青)の連合「紫政権」を作った時期を除いては、常に、CDAが政権与党の一翼を担いながら、自由党または労働党と組んで政権を樹立させるという形式が主流であった。元来、キリスト教主義は、一方で、宗教的倫理の尊重や中央集権的な教会制度などに象徴される保守的な面を強く持ちつつ、他方では救貧院の伝統に象徴されるようなキリスト教社会主義的な側面を持っている。それが、左右両翼との連合を可能にしてきたものであると思われる。CDAはある意味で、左右両翼の調性的立場に立つ政党であると同時に、CDAが中心にいることで、オランダの政治は、右にも左にも極端に揺れることなく、中道を保ちつつ、右と左へのアクセントを交互に強調してきたとも言える。しかし、それは同時に、CDA自身のイデオロギーの揺らぎを前提としており、同時に、CDAの支持基盤であるキリスト教者が教会離れをしていった70年代以降のオランダでは、確実な支持層が必ずしも得られない要因であったともいえる。

そのCDAが21議席にまで敗退した今回の選挙結果。政治姿勢が明確に対立する政党が林立する、政権交渉の見通しがすぐにも困難となると見通せる結果だったわけだ。

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総選挙後さっそく、第1党となった自由民主党(VVD)と、今回の選挙で躍進したイスラム教排斥の自由党(PVV)とが連立の可能性を主導すべき、との見方がどの政党からも認められ、この2党にCDAを加えた三党連立の可能性が議論された。しかし、CDAは、イスラム教排斥のPVVと共に政権を作ることには乗り気ではなかった。

短時日のうちにこの第1の可能性は薄いとの結論となり、連立交渉は、自由民主党(VVD)が労働党(PvdA)と協力して、これに、中道の民主66党(D66)と環境擁護派の「緑の左派党」(GL)を加えた「紫大連合」の可能性を探る方向で進められた。労働党は前回に比べるとやや後退したもののVVDに迫る第2の政党である。しかも、民主66党も緑の左派党も、今回の選挙では前回よりも躍進し、支持者層を広げた政党だ。
しかし、この連合交渉も2週間後には座礁に乗り上げた。基本的に、自由主義で企業や高所得者層の支持を持つVVDの財政緊縮政策と、労働者の利益を代表する労働党の財政緊縮政策は真っ向から対立する。妥協の余地はなかった。また、もしもこの「紫大連合」を成立させれば、野党勢力の中に、連合内でVVDのパートナーになっている政党よりもイデオロギー的にVVDに近いPVVやCDAが残り、これらの政党からVVDの政治方針と政権での姿勢の矛盾が起こることに対して、批判の矢は避けられない。次回の選挙までにVVDが支持を落とすかもしれない、というリスクは非常に大きい。せっかく第1党に立ったVVDとしては、左派勢力と連合することに乗り気にはなれなかった。

連合交渉は、次に、自由民主党(VVD)と労働党(PvdA)に加えてキリスト教民主連盟(CDA)を含め、伝統的な政党による中道政権樹立の可能性を話し合った。経済不況を乗り越えるためには、イデオロギーの違いを乗り越え、連帯してかかわるべき、という意見も散見された。しかし、前政権解散の理由は労働党とCDAの対立が原因だ。両政党の間には深い亀裂が入っている。労働党(PvdA)の党首ヨブ・コーヘンは、民主66党や緑の左派政党などの左翼小政党が参加しない中で、VVDやCDAとの連立には関心がない、と突っぱねた。

労働党を含む政権樹立の可能性がなくなった今、連合交渉は振り出しに戻る。結局、7月23日、総選挙から2カ月足らずの後、再度、VVDがCDAやPVVとの連合可能性を検討するという、総選挙直後の状態に戻った。むろん、すでに、さまざまの連立可能性を議論したのちのことだし、世論は、経済危機の中で、早く政権を樹立して安定政治を始めるべきであると、早い決着を待っている。そこで、連立交渉調停人の立場に立ったCDAのベテラン政治家、元首相ルベルスの提案で、VVDとCDAの連立に野党PVVとの「許容合意」を組み合わせて政権を発足させるという枠組みが始めて提示された。

3政党はこの案に積極的で、これまで、連立交渉にかかわった他の勢力にも言い分はなかった。

この時点で、VVDとCDAは、以下のように共同声明を発表している。

「VVD,PVV,CDAの3政党はイスラム教の性質や性格について互いに意見に相違を持っている。この相違はイスラム教の性質が、宗教的なものであるとするのか、あるいは(政治上の)イデオロギーによるものであるとするのかという点にある。各政党は、この点についての理解の相違をお互いに受容するものであり、各政党のそれぞれの立場を基本に据えて交渉に入る。にもかかわらず、この3政党を結び付けているものは多い。3政党が共通の目標にし出発点としているのは、オランダをより強力で安全かつ繁栄した国にすることだ。だからこそ、意見の相違を互いに受け入れ、それぞれの立場の間に存在する相違について、意見表明の自由を全く尊重したうえで、PVVは政権連立合意の一部を、許容的に合意する立場という観点から支持するという合意に達した。また、VVDとCDAとはPVVが許容合意を認めるという姿勢を尊重し、それに応えられるように望んでいる。この許容合意においては、いずれにしても、財政削減の施策を進めると共に、移民、同化と難民、治安、高齢者の社会保障向上の点について、PVVが財政削減策を支持することに対して、譲歩する方針である」

つまり、簡潔に言うなら、財政削減策として、VVDとCDAの合意に基づく、2015年までに180億ユーロを削減するという目標をPVVは受け入れ合意するが、それと引き換えに、移民、同化、難民、治安政策などで、これまでよりも対イスラムの態度を強化すると共に、高齢者に対する社会保障を向上させる、というPVVの意向を、VVDとCDAとは尊重する、という関係構図だ。


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一旦は、この枠組みで連立樹立は間近か、とも思われた。しかし、ここで、また新たな問題が浮上した。

VVDやCDAに協力を約束したPVVの党首、イスラム教排斥主義の旗手であるヘールト・ウィルダースが、こともあろうに、9月11日に、ニューヨークでかつてイスラム教テロリストの手で爆破されたと言われる世界貿易センターの跡地付近に作られるモスク建設反対集会に参加し、そこでスピーチを行うことにした、と発表したのだ。

連立交渉が始まったばかりのVVDやCDAにとっては当然嬉しくないニュースだ。特にあわてたのは、前政権から引き続き外務大臣を続けているCDA党首のフェルハーヘンだ。政権交渉に参加している政党の党首が、国際的な場で、「イスラム教排斥」を明言すればオランダという国の国際的な名声を傷つけるリスクは大きい、と忠言した。

ニューヨークでのモスク設置反対運動出ウィルダーズがスピーチをするということが、PVVと政権交渉を続けるCDAの内部でもよほど緊張感を高めたのか、この頃から、CDA内では、かつて閣僚や党内の重職についていたようなベテラン政治家らが、PVVとの交渉を取りやめるように、との発言を公表するようになった。60人にも及ぶ政治家らが名前を連ねて、公開の書状を全国紙に掲載したりした。
そのうち、連合交渉にあたっていたCDAの重要な政治家、かつて党の科学研究所所長や大臣を歴任し、CDAのイデオローグであり次期党首候補とまで言われていたアブ・クリンクが、「連立交渉人」辞任を発表するという事態にまでエスカレートした。

こういうCDA内部の対立に対して、PVVのウィルダースは「CDAの内部対立は、連立政権に許容合意の形で協力するという姿勢を揺るがすものである。交渉相手としてCDAに対する信頼は地に落ちた」として、交渉から撤退を表明。結局、アブ・クリンクがCDAを脱党することとなり、それによって、PVVはかろうじて、VVD-CDAの連立交渉に参加して、「許容合意」交渉を続けることに同意した。明らかに、政権交渉の行方に対してカギを握っているのは、連立交渉をしている自由民主党(VVD)やキリスト教民主連盟(CDA)ではなく、PVVの方だ、という様相が強まってきた。

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オランダがどうなることかと心配して見守っていたニューヨークでのウィルダースのスピーチは、意外にも、(あるいは国内議論を受けてウィルダーズ自身が自生したものか、真意は分からないが)多くの人の予想に反して、極めてマイルドなものに終わり、民主主義国家オランダの名声が世界の舞台で傷つけられる、という事態は何とか避けられたようだった。

そして、9月に入り、自由民主党とキリスト教民主連盟との2党による少数政権樹立のための連立交渉と、政権の政策に対して許容合意を取り付け、議会多数派を確保するというPVV との話し合いは、その後比較的順調に進み、月末には、政権樹立がほぼ現実的なものとなった。

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以上のようないきさつを経ているだけに、今政権の基盤がかなり不安定なものであることは否めない。また、大政党労働党、さらに、社会党、緑の左派党、中道知識人政党の民主66党までを含めると、多数の左派勢力が野党に残り、『自由民主党党首のルッテは、選挙結果に見られる民意を反映する努力をしたのか』という批判も残る。

VVD-CDAの連立だけでは政治的安定は見込めず、そのために「許容合意」を結んでいるPVVには、すでに、政権樹立過程に見られたように、大きな政治影響力が残されている。
連立樹立の前には、どの政党も、連立合意に同意するかどうか、党内の協議にかけられ、投票が行われる。VVDとPVVは連立合意(と許容合意)に絶対多数で賛意を示した。しかし、CDAは4000人余りの党員の投票結果、3分の1が反対していることが明らかになった。この潜在的な不安定要因が、今後のルッテ政権の安定にどんな障害をもたらすかが気になるところでもある。

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先週、いよいよルッテ政権発足ごはじめての国会討議が始まった。予想通り、早速、野党左派勢力がこぞってルッテ政権の政治方針に対して大きな批判の矢を投げ始めた。他方、これまで、「イスラム排斥党」として、右派勢力からも左派勢力からも忌避されてきたPVVが、以前に比べてずっとマイルドな姿勢で、政権に協力の態度を見せている。「許容合意」に基づく約束通りの姿勢であるとはいえ、イスラム教排斥問題が、単なる宗教(集団)に対する批判から、「オランダへの同化を拒否する人々」への批判という形で、問題の所在を正確に指摘する努力が始まっていることは、また一歩、この国の政治過程の進歩でもあるのだろう。

これらのオランダの政治過程の背景には、経済不況、特に福祉国家がどこも直面している高齢化社会の問題が厳然と存在していることは言うまでもない。移民労働者の流入は、ある時期には高齢化社会の国庫を支える若手労働者の基盤として奨励される意見もあった。しかし、1929年の世界大恐慌以来の大恐慌といわれる2008年のリーマンショック以後、先進各国で問題化しているのは、若年労働者の失業問題だ。

政治的独善に陥りやすい宗教上の原理主義は、イスラム教の場合も例外ではない。16世紀の、スペインからの独立戦争以来、オランダ建国の歴史を貫いてきたのは「宗教の自由」であり「寛容」の国民性だった。「宗教の自由」と「原理主義的独善」との間の栓をどこに引くのか、、、それは、対イスラム問題であると同時に、イスラムを排斥する側の、たとえて言うならキリスト教原理主義の持つ問題でもあるかもしれないし、西洋の民主主義に対するアイデンティティについての言えることであるのかもしれない。オランダ人らがアイデンティティの支柱にしてきた「宗教の自由」には、そういうパラドックスも潜んでいる。今後オランダの政治がどういうプロセスをたどっていくのか、、、、実は、最も大きな試練を受けているのは、オランダ政治の中心を担ってきたキリスト教民主連盟(CDA)なのではないか。

そして、オランダがこの問題をどう政治的に議論し解決していくのかを見極めることは、キリスト教を基盤として生まれた「民主主義」を、世界がどう共有できるか、「自由」や「人権意識」を、非西洋の文化的な背景を持つ私たちは、どう、自身ものとして「普遍的価値」に結び付け、世界を舞台にした市民意識として内面化させていくことができるのか、という問いに示唆を得ることでもあると思う。