「教育先進国リポートDVD オランダ入門編」発売

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2010年1月15日金曜日

ヨーロッパの中のオランダ:最大多数の最大幸福に高い税は欠かせない?? (その2)

前回からの続きだ。

経済的繁栄

 冒頭に、『課税圧力は、高い福祉に不可欠なのか』『福祉は、繁栄を犠牲にするものか』『相対的に高い福祉と相対的に高い経済的繁栄とは、持続的に両立できるか』という問題を提議したこの報告書。とりわけ、グロバリゼーションで、世界中が経済競争の中に突入し、しかも、金融危機でいたい打撃を受けた後とあっては、だれにとっても一番関心があるのは、この経済的繁栄の部分かもしれない。

 結論から言うと、繁栄度は、一人当たり国民総生産についてみる限り、アングロサクソンモデルの国が最も高いが、スカンジナビア諸国もほぼそれに変わらないレベルにあり、オランダは、比較的低い大陸モデルや地中海モデルの国よりもずっと高いレベルを達成していた。
 つまり、税金の圧力が高いスカンジナビアモデルの国々は、税金圧力が低く、したがって、公共政策や幸福度などの福祉面にに明らかな遅れがみられるアングロサクソンモデルの国に比べて、決して、経済繁栄の面で劣っていない、ということだ。

 オランダに限って言えば、就業参加率(就業人口に対する就業者の率)がどのモデルよりも高い76.1%を達成していたこと、中でも、この就業者の中に占めるパートタイム就業者の率が、ずば抜けて高かったことが注目される。
 とはいえ、パートタイム就業を正規雇用化しているオランダについて、この点は、広く知られてきた事実でもある。
 失業率に至っては、これまた、オランダは、全体として最も低いグループであるスカンジナビアの4.6%(平均)に比べても、2.8%と最も低い。この値は、2008年の金融危機以前のものではあるが、それから1年後の2009年代4四半期の失業率は、前にも報告した通り3.6%(OECD基準)で、世界のどの国に比べても低かった。
 さらに、労働生産性に至っては、オランダは実に顕著な結果を示している。時間当たりの国民総生産は、スカンジナビアモデル35.0、大陸モデル35.2、地中海モデル24.5、アングロサクソンモデル35.4であるのに対し、オランダは、38.0と抜きんでている。これを年収に換算するならば、オランダ人の場合、スカンジナビア諸国の人々と比べ、年間、200時間短い時間で同じ給与を受けているという計算になるという。(アメリカよりも400時間短い)

 気になるのは、女性の就業形態だ。パートタイム就業が高率を占めるオランダでは、スカンジナビアモデルや周辺の大陸モデルの国に比べて、女性がフルタイムで働く率は低く、いわゆる『女性解放度』日本でいわれる「男女平等参画」の度合いは低い。また、管理職に占める女性の割合も、相対的に低い。
 これは、女性が、今でも、家庭の中で主導的な役割を占めていること、就学前の子育てにおいて、保育所などの施設に依存する割合が低く、そこに支出されている公共資金が低いことなどとも呼応する。
 果たして、その傾向が、良いことなのか、悪いことなのか、の判断については、次項であらためて考察してみたい。

社会的結合度

 さてそれでは、各国の社会的結合の度合いはどうか。社会的結合度は、人々の生活の豊かさの基準でもある。結合が高いということは、人々に社会に対する関心と参加意識が高く、したがって、満足度や社会の成り行きに対して影響を与えられるという気分が高い、といえるだろう。結合度の高い社会は、より多くの市民を関与させた政策決定ができるという意味で、政策に持続性や耐性が生まれ、安定度が高まる。

 社会の他の成員に対する信頼という点で、スカンジナビアモデルの平均は67.0と、大陸モデルの27.8、地中海モデルの24.6、アングロサクソンモデルの30.5に比べて非常に高かった。オランダは、45.0とスカンジナビアにははるかに及ばないものの、他の地域に比べれば好成績だ。
 同法に対する協力活動としてのフィランソロピーへの参加は、アングロサクソンモデルが最も高い(寄付72.6%、ボランティア31.9%)が、オランダは、さらにそれを上回り、世界一だ(寄付74.9%、ボランティア37.1%。

 ウェルビーング、良好な状態、とでも訳すこの言葉は、砕いていえば、幸福度・満足度と訳せると思う。欧米諸国が、物質主義社会から、非物質主義社会への移行を果たした70年代以降、ずっと行われてきている調査がある。物質主義の時代は、人々は、『生存』が生と労働の目的だった。しかし、一定程度の物質に満たされ、経済的な安定が確保された後、人々は、『より良いあり方、生き方』を求め、心の豊かさを求める価値観を持つようになった。ポスト・マテリアリズムとはこのことを言っている。ポスト・モダニズム(脱近代主義)とは異なり、もっと狭いものだ。
 オランダは、ウェルビーングの点でも、スカンジナビア諸国とともに相対的に高いレベルのグループにいつも入れられてきた。ウェルビーングの判断は、主観的なものが多く、プロテスタンティズムとの関連も指摘されている。
 さて、CPBの調査では、経済的安定性、労働に対する満足度、生活に対する満足度、幸福感、自由感のいずれにおいても、オランダは、最も高いスカンジナビア諸国に続く位置を占めた。大陸モデル、地中海モデル、アングロサクソンモデルに対しては、全体として水をあけている。(自由感についてのみ、自由市場原理のアングロサクソンモデルがオランダよりも高い位置を占めている)

 そのほか、不正(汚職)の少なさ、犯罪への不安、自殺率、などでもオランダは好成績だ。
 なぜか、10万人当たりの殺人率がスカンジナビアは大きく、拘留者の比率がオランダは高い。

 文明生活の先進性を測る一つの尺度として、国連開発計画(UNDP)が毎年公表しているHDI (Human Development Index)というものがある。経済指標のほか、教育の程度、健康生活の程度、などが考慮される。それによると、オランダは、世界で第6位、スカンジナビア諸国はノルウェーが1位であるほかは、皆オランダよりランクが低い。アングロサクソンモデルの中では、アイルランドが5位と健闘し、オランダのレベルを上回っているが、その他の国は皆、オランダよりも下位にある。


(この項続く)  
 

2009年12月24日木曜日

ヨーロッパの中のオランダ:最大多数の最大幸福に高い税は欠かせない?? (その1)

 高い税金は高い文明を実現するために必要なもの、そして、それを実現しているのはスカンジナビアの国々と、オランダ、そういう興味深い結果を示すレポートが今月、オランダのシンクタンク『経済政策分析局〈CPB〉』から出されている。(Hoe beschaafd is Nederland? Een fiscale kosten-batenanalyse, Sijbren Cnossen, CPB2009)

 この調査研究のきっかけは、次のような問いにある。

  • 高い税金圧力は、文明を押し上げるために必要なものなのか、つまり、ベンサムに代表される功利主義者の言うところの、<最大多数の最大幸福>にとって必要なものなのか?
  • 高い税金圧力のある国の人々の幸福は、低い税金圧力の国よりも大きいのか?
  • 人々の幸福のレベルは経済的な繁栄を犠牲にするのではないのか?
  • 比較的高い福祉のレベルと比較的高い繁栄のレベルとを組み合わせることは、どの程度持続性のあるものなのか?
 実に時代にかなった、しかも、おそらく今、多くの日本人にとっても興味の尽きない、わくわくする問いかけではある。

 この問いに答えを求めるために、この調査では、調査者の国であるオランダを中心に据えながら、ヨーロッパの国々を、4つの社会経済モデルに分類している。この分類もまた、ヨーロッパの国々を理解する枠組みとしてはなかなかに面白い。分類の基準は、

  1. ひとりで生活することができない人の面倒をみるのは誰か?
  2. 雇用慣行と企業の制度は?
  3. 市場での所得は税によってどれほど調整されているか? 

    4つのモデルとは以下のものだ。
  1. スカンジナヴィア・モデル(政府主導型モデル):スウェーデン、ノルウェイ、フィンランド、デンマーク
    平等の概念を強調し、集団的な決定様式とユニバーサルな社会的施設・設備に特徴づけられる。
  2. 大陸・モデル(コーポラティズムあるいはライン諸国モデル):ドイツ、フランス、オーストリア、ベルギー
    業種集団を基礎として、それぞれ独自が供給する施設・設備によって組織される。達成された生活水準の維持を目指す
  3. 地中海・モデル(家族志向型モデル):イタリア、スペイン、ギリシャ、ポルトガル
    いまだに、古い、農耕社会的、温情主義的な、庇護と隷属の文化の後をたどることができ、家族以外には、ほとんど明確な社会的なセーフティネットがない。
  4. アングロサクソン・モデル(市場モデル):イギリス、アイルランド
    市場依存、集団的な施設・設備には限界があり、主として、貧困撲滅に力を入れる

 この分類を見ただけでも、ああ、なるほど、とヨーロッパの地域的な特徴が顕著に見えてくる。

 4つのグループの税金圧力、すなわち、国民総所得に占める税金の割合は、スカンジナヴィアモデルの平均が46%、大陸モデルの平均が42%、地中海モデルの平均が37%、アングロサクソンモデルの平均が34%で、オランダは、39%だった。

 調査結果のサマリーとしてまとめられた点は、以下の通りだ。

不平等について
 まず、3年以上所得が貧困ラインを割る継続する頑迷な貧困は、オランダは全人口中わずかに1.3%で、4つのモデルで一番低かったスカンジナヴィアモデルの平均2.3%を大きく下回り最低。(最も高かったのはアングロサクソンモデルの6.8%)、65歳以上の高齢者の中に占める割合も1,3%で最低だった(スカンジナビアモデル7.2%、大陸モデル7.0%、地中海モデル11.7%、アングロサクソンモデル15.1%)。ただし、子どもの貧困の割合が9%とスカンジナビアの4%に比べるとやや高い。これは、主として、片親世帯で、しかも親が働いていないケースが多いことによる(地中海モデル14%、アングロサクソンモデル12%)。

 不平等への意識を測る指標は、国内だけではなく、国外の貧困に対する態度からも得られる。オランダは、昔から、開発援助協力への拠出額が高いことで知られる。国連が目標額として定めている、国民一人当たり国内総生産の0.7%を達成している数少ない国だ。常に、0.8%を超えている。この調査でも、開発コミット目っと院でクスで、オランダは、10点満点の6.7点と、最高点を示した。これに続く高い得点は、フィンランドを除く北欧3国(スウェーデン、ノルウェイ、デンマーク)にみられた。

 不平等を測るもう一つの指標は、女性の解放度だが、グローバル・ジェンダー・インデックスによると、オランダは、ジェンダー間の平等に関しては、11位で、スカンジナビアの国々に比べるとやや劣る。しかしながら、他の3つのモデルの平均に比べるといずれよりも解放度は高い。これは、オランダの場合、ワークシェアリングの浸透によって、労働市場にパートタイムとして就労している女性の数は比較的多いが、男性と肩を並べて、管理職等の指導的な地位に就く女性の割合が比較的少ないことに起因している。

健康管理と教育
 オランダの健康管理ケアはよく組織されており、しかもそれほど高額ではない。収入の約1割が健康管理のために支払われる。ヨーロッパ全体として、平均寿命に大きな差はないが、オランダでは、出生時における子供の死亡率がかなり高いことが目立つ。

 教育については、オランダは、スカンジナビアの国々次いで、高い成績を示している。特に、PISA学力調査では、ヨーロッパでは、フィンランドに次いで、高い水準を達成した。
 しかし、就学前保育や子どもに対するケアに対する公的資金の支出は、スカンジナビアの国々に比べると劣っている。

(この項続く)

2009年12月23日水曜日

14才のセイラー:親権と子どもの自立

 今年の夏以来、オランダのニュースに時々登場しては社会に議論を醸し出しているラウラ・デッカー。両親の船の上で生まれ、生来のセイラー(ウー)マンとして育った14才のオランダ人少女だ。
 昨夏、13歳だったラウラは、単独で世界一周航海をすると決め、本人も熟練した航海経験のある父親は、彼女に同意して、学校に長期欠席の申し出を入れた。もちろん、就学義務の履行に厳しい学校はこの依頼を受け入れられなかった。いずれにせよ、ラウラの野望は、史上初の最年少世界一周航行を果たすことだ。訓練は十分、スポンサー初め、支援グループの準備も怠りなく、というところであったらしい。

 しかし、オランダの裁判所は、未成年のラウラが単独で公開することに対して、不許可の結論を出した。理由は、成長期にあるラウラにとって、精神的にも肉体的にも極限の状況に一人で立ち向かわなくてはならない可能性のある単独航海は、将来、取り返しのつかない危害をもたらす可能性がある、というものだ。その結果、ラウラの行動は、以後、ユトレヒトの青少年保護組織の管理下に置かれることになった。

 ラウラの単独航海に、宣伝効果を期待して申し出たスポンサーは少なくない。そんな中で出されたオランダの司法権の決定は、基本的に、未成年者に対する公的保護の立場からのものだった。宣伝収入をもくろんでいたスポンサーには落胆の結果であったことだろう。

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 子どもの教育(成長)の第1義的責任は親権者にある。しかし、その親権者が、子どもの健全な発育を保護しない、あるいはできない状況にある場合には、公的機関が子どもの発達の権利を守らなくてはならない。この原則が、ラウラをめぐる一連の議論に流れる考え方であった。そして、この原則自身には何の誤りもない。
 しかし、親の判断をどこまで認めるか、それに対して、公的機関が、いつ踏み込むべきか、その境界線を引くことは難しい。いずれの判断も、最終的には、現行の法に照らすしかないわけであるが、それでも、法の適用基準は、司法官や関係の専門家に任されることで、今回のような例では、議論が噴出しかねない。議論の行方によっては、将来、法が修正される可能性だってある。

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 スポンサーや野次馬の大きな期待をよそに、16歳までは、単独航海は認められないとの結論を受けたラウラと父親。これで事態は一件落着だったはずが、先週になって、今度は、ラウラが行方不明となり、父親が警察に届け出て、数日後、カリブ海のオランダ領シント・マーティンで見つかるというニュースが流れた。ラウラがどうやってその島まで来ていたのかについては、詳しいことは報道されていない。しかし、8月以来、青少年保護機関の監督下にあったはずのラウラが行方不明になったことで、ラウラの両親よりも、公的な機関の方が、いくらか慌てふためいている感じはある。ラウラの保護責任を持っていたはずが、保護できていなかったからだ。結局、担当機関であるユトレヒトの青少年保護ビューローは、来年の7月まで、ラウラを、現在同居している父親から引き離し、しかるべき保護機関のもとで監督する、という結論をだした。

 もちろん、この結果にはまたもや議論がおこり始めている。ラウラはもとより、父親も納得しない。昨日の新聞には、今回の結論にラウラは「打ちのめされている」と告げる手紙が、ラウラの祖父母から送られてきた、とも報道されている。

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 世の中には、中毒患者、犯罪人、児童虐待など、子どもの健全な成長を見守ることができない親が実際に存在する。そういう親に代わって、子どもの発育を保護するのは、国や社会の役割であることには間違いはない。だが、今回の場合、父親は、ラウラの航海技術を育て、見守り、そして、本人の野心を果たしてやろうと支援したまでだ。それが、子どもの成長の障害になるという判断をつけるのは難しい。
 確かに、子どもの就学を義務付けられているのは父親だ。世界航海のために、学校に長期欠席届けを出した父親には、この義務に対する不履行という問題がある。これとても、果たして、学校が子どもの成長に最善の場であるのか、と議論する親がいないわけではなく、ここでも、親権と社会の保護義務の間には軋みがある。



 オランダの教育や子育てを、外から眺めている私の目には、さらに、もう一つ、気になることがある。
 
 現在のオランダ社会の子育ては、とにかく、子どもたちを一日も早く『自立』させることにある。それは、親の意識としても、社会の制度としてもそうだ。ラウラの場合、その意味では、オランダ社会の子育ての、突出した典型例であったとも言えなくもない。本人も、親も、ともに、ラウラの自立に向けて今日まで来たのだろうし、それをとやかく言う人も、おそらくいなかったのではないか。それが、突然にして、『成長に対する身体的、精神的な危害』などと理由づけられ、これまで、知らん顔だった公的な組織が、自身ではもうすっかり精神的には自立を遂げたと思っているラウラに、『保護』を申し出てくる、というのもどんなものか。ラウラにも父親にも、何か、偽善的で取ってつけた温情に見えるのではないか。そもそも、自立などというものは、18歳という年齢がくれば、みんな同様に果たされるというものなのか、、

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 ラウラをめぐる一連の議論は、親権と、未成年者に対する社会(国家)の責任の関係、さらには、子どもの自立とそれを見守る社会の関係、など、日本においても議論されるべきいろいろなものを問いかけているように思う。

 (公立)学校という場が、いじめや校内暴力という、それこそ、子どもの発育にとって危害にあふれた場になってしまった日本。また、子どもに『自立』することよりも、ひたすら社会への同調を強い、子どもや親たちの繰り言、主張を抑え込んできた日本という社会。そんな日本に、『親権とは何か』『自立とは何か』という議論は、今まで、公に真剣に論じられたことがあっただろうか。

 日本だったら、ラウラの事件のような問題が起きたとしたら、いったい、どんな議論になっていたことだろう。ふと、イラクでの日本人人質事件とその後の議論が脳裏に浮かぶ。
 

2009年12月8日火曜日

金融危機後も低い失業率を保つオランダ

 今月5・6日(週末版)のNRCハンデルズブラッド紙の経済面では、昨年の金融危機以後のヨーロッパの労働市場をの実情を伝えるシリーズ記事の第一回目として、オランダの失業の実情が伝えられた。

 その冒頭にくっきりと描かれたグラフには、世界の先進国の失業率〈今年第3四半期分〉が比較されている。それによると、ベルギー7.9%、デンマーク6,2%、ドイツ7.6%、フランス9.8%、アイルランド12.6%、日本5.5%、ポーランド8.1%、ポルトガル9.9%、スペイン18.7%、イギリス7.7%、アメリカ合衆国9.6%、スウェーデン8.6%、そして、欧州連合平均は7.9%だ。オランダは3.6%で、世界の先進国のどこに比べても、目立って低い。(このグラフは、OECDの統計で、そのため、オランダの統計局CBSが独自の『失業』の定義によって出している5%に比べると低くなっている。) 
 2008年秋の世界同時金融危機発生直前の統計でも、オランダの失業率は、ヨーロッパでもっとも低かった。確か、当時、オランダと最低失業率を争っていたのはデンマークだったが、その後、オランダがほぼ同じレベルの失業率を保ってきたのに対し、デンマークでは倍増しているのが興味深い。

 オランダの失業を抑制している理由は、このシリーズで以前報告したように、パートタイム失業制度がいち早く取り入れられ、大変、功を奏したことがあげられる。また、労働機会の現象をいち早く見てとった若年者が、大学や職業訓練校に長くとどまっていること、また、高等教育機関への入学者が増加していることなど、就職活動を遅らせ、教育を選んだために、失業率が増大していない、という面もある。前者は、オランダ特有の政労使の話し合いによる政策上の効果であり、後者は、授業料が比較的安く、また、高校卒業資格を持つものすべてに開かれた教育機会という制度上の利点であるともいえよう。

 しかし、オランダの失業率の低さには、まだ、もっと根本的な理由があるというのが、この記事の趣旨でもあった。それは、オランダのパートタイム就業文化の浸透である。すなわち、他のほとんどの諸国では、パートタイムによる就業が、フルタイム就業の職種に比べて、いわばランク付けの低い、言い換えれば、専門的な職種には向けられていないのに対し、オランダでは、専門職であれ、パートタイムの就業で、しかも、フルタイムと同じ条件の正規就業として取り扱われることが、今や、当たり前になっているということだ。
 実際、医者でも、校長でも、研究者でも、オランダでは、専門職者が、週に4日しか働いていない、という例を探すのに、まったく苦労することはない。まさに、一つの仕事を2人で分けあう、つまり、フルタイムならば一人分の仕事にしかならないものを、時間で分け合うことによって2人に仕事の機会を与えることになる、という例が掃いて捨てるほとある。

 「いやあ、でも、それでは、パートタイムでしか働けない人は収入が足りないのでは?」と思われるかもしれない。しかし、そうでもなくて、とりわけ、小さい子どものいる夫婦などは、むしろ、自宅にいて育児にかかわれる時間を望んでいる場合が多く、夫婦でお互いにパートタイムで働けることは、家庭生活にかける時間を生み出す歓迎すべき条件なのだ。
 そのうえ、パートタイム就業者が、時間を増減することを解雇の条件にしてはならない、という規則もあるから、労働者が、もっと長い時間働きたいとか、少し短くしたいというような場合、雇用者は、できるだけ柔軟にそれに応じなくてはならない。
 だから、労働者には子どもが大きくなって時間が増えるなど、労働時間を延長したい場合には、そうする可能性が比較的容易に用意されている。

 もっとも、オランダの失業率の低さの背景には、オランダの経済は、金融危機で最も大きな打撃を受けたといわれる製造業への依存度が低く、フォワーディング業に代表されるサービス部門の産業比率が大きいことも理由としてあげられる。また、社会保障制度が、北欧並みに整っているといわれたオランダは、今でも、景気変動の影響を受けにくい、医療、介護、教育など、公共政策部門でのサービス職を多く労働機会として持っていることも理由に挙げられている。
 

2009年10月5日月曜日

ポルダーモデルの危機? ポストグロバリゼーションの時代

 「どうやら、『ポルダーの嵐』が吹き荒れることになりそうだ」
 先月末、オランダのバルケンエンデ首相はこう述べた。

 これは、オランダの社会経済政策策定プロセスとしてよく知られた『ポルダー・モデル』が機能せず、交渉が暗礁に乗り上げた、ということを意味している。
 『ポルダー・モデル』とは、政府・労働者・企業家(政労使)の三者が、お互いの利害を出し合って話し合い、それによって、立場の違うものが、問題状況を広く受け入れ、それぞれが歩み寄って納得できる形で対策を生み出すという独特の仕組みのことを言っている。そのため、オランダの「ポルダー・モデル」は「協議(overleg)経済」とも呼ばれる。
 
 『ポルダーモデル』は、戦災からの早い復帰を目指して、労使が歩み寄り、ともに解決策に乗り出そうとした、第2次世界大戦後まもなく生まれたものである。はじめに、労働者組合の代表と企業代表から成る民間の組織STARができ、それから、これに、政府が第3者として加わって話し合いを進める公的機関SERができて、制度的な形を整えた。

 『ポルダーモデル』の成功例として有名なのが、1982年の「ワッセナーの合意」であり、それは、このオランダ通信でも何回も触れてきた、パートタイム就業の正規化、すなわち、ワークシェアリングを実現させた施策だった。また、その後に再び起きた経済危機に対抗して、90年代の政策返還を生んだのも、この『ポルダーモデル』の仕組みがあったからといわれる。

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 さて、今回『ポルダーの嵐』といわれている事態とは、具体的に何のことか?

 それは、AOW(国民年金受給年齢)の引き上げ、に関するものだ。

 昨年秋の金融危機を受けて、今年の3月、オランダ政府は、金融危機緊急経済回復プランを話し合った。(本ブログで報告:http://hollandvannaoko.blogspot.com/2009/03/blog-post.html
 政府のプランは具体性や効果の見通しを欠くとして、野党からは強い批判を受けたが、その際に、現政府は、AOWの受給年齢を、現行の65歳から67歳に引き上げることによって、40億ユーロ(日本円にしておよそ5200億円)の国庫削減を生み出すとの案を提示した。
 これに対して、労働組合側は強い反対を示し、その結果、今月1日を最終締め切り日として、労使間の話し合いによって、対案を出すということで決着していた。

 このように、オランダでは、政府の案に対して、企業や労働者からの反対がある場合、国会の議員たちが、その意向を代表して協議するのではなく、その前に、企業家代表と労働者の代表とが、国が指定した独立の立場の参加者とともに直接に協議し、3者の相互理解を深め(「浮揚面」を生み出す、という表現が使われる)、その上で、対案を出す機会が設けられる。これが、『ポルダーモデル』なのだ。
 そうすることによって、社会内で広く問題を共有することができ、政府がその話し合いの結果をうけて、無理のない政策を実行できるので、政策に対する有権者の関与、特に、立場や利害の異なる、労使相互が責任と自覚をもって政策に関与できるという仕組みになっている。

 労働者代表と企業代表とは「社会パートナー」という言葉で呼ばれることもある。
 『ポルダーモデル』=「協議経済」は、政労使の協議による社会経済政策策定プロセスであると言われる所以だ。一方では、経済発展・維持モデルであるとともに、そのために、労働者が満足のできる形を求めるという点では、社会(福祉)政策モデルでもある。

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 AOWについてのポルダーモデルによる協議はなぜ決裂したのか?

 労働組合代表は、企業家代表との話し合いにおいて、「フレキシブルAOW制度」の導入という対案を提案した。
 これは、現行の65歳からのAOW受給に対して、労働者一人一人が、退職年齢を65歳から70歳までの間、自分で選択でき、長く勤務して退職するほど、AOWの額も増える、という制度である。この制度を導入することで、労働者は、退職年齢を自分で決められ、また、それによって、政府案と同じおよそ40億ユーロの節減が可能になる、との案だった。

 この案に対して、実を言うと、労働組合代表は、与野党のいずれからもあまり大きな支持を得ることができなかった。
 まず、野党のうち、組合運動とは対極にある極右政党PVVは、移民労働者の福祉資金への国庫支出が莫大であることを理由に、移民排斥を唱えている立場なので、本来オランダ人労働者が受けるべき福祉として、65歳というラインを維持したいという立場である。また、左派の社会党(SP)は、労働組合の、政府案への歩み寄りを批判して、65歳ラインの維持を訴えている。
 また、社民派リベラル政党である「民主66党」は、フレキシブルAOW制度は、あいまいで煩雑な制度だとして、対案として有効ではない、政府案の実施を好まないのであれば、両者が歩み寄れる妥当なあんを出すべきだ、という立場をとっている。

 このような野党のコメントに見られるように、労働組合が提出した対案には支持が少ない。しかも、この労働組合代表による対案は、企業家からは全く相手にされず、結局、企業家代表側は、「2025年からのAOW受給年齢67歳までの一斉引上げ」案で応じた。この案であれば、現在50歳以上の労働者に、67歳引き上げは適用されないことになる。
 だが、労働組合側は、重労働就職者の早期退職の可能性を残すべきであるとして応じなかった。

 結局、政労使が『ポルダーモデル』によって対案を生み出すはずのSERでの話し合いは物別れに終わり、約束の10月1日までの対案提出は実現しなかった。

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 物別れに終わった協議を受けて、バルケンエンデ首相、ボス副首相・財務相、ドナー社会事象・労働機会相らは、次々に、「遺憾」を表明。代案提出のチャンスが生かされなかったのなら、当初の約束通りに、政府案の法制化と実施に取り組む以外にはない、という結論となった。
 労使交渉に対する時間的猶予の提供、不成功への遺憾表明、などは、強行議決を避けるためにとるプロセスであると言っても過言ではない。

 政府案によれば、向こう24か月の間、毎月、AOW受給年齢を1カ月ずつ引き上げて、最終的に、2年後には、年金受給年齢が、全体として67歳にまで引き上げられる、というものだ。

 労働組合側が出した「フレキシブルAOW制度」に比べても、企業者側が出した「2025年67歳一斉引上げ」に比べても、もっとも早急で厳しい対策だ。
 

 バルケンエンデ首相が、『ポルダーの嵐』を予想したのは、いずれにしても、政府案の実施に対しては、前述の野党らが、反対議論をしようと手ぐすね引いて待っている、というものだ。

 労使交渉も決裂、議会でも与野党が対立すれば、この国は、ポルダーの連帯どころか、国内の分極の相を増していく。それを「嵐」と呼んだのであり、どの首相も、声をそろえて、「遺憾だ」と顔をしかめて見せたというわけだ。

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 物別れとなった労使交渉で不快な屈辱感を味わった組合側は、さっそく、今週水曜日のストライキの実施を決めた。7日水曜日の午前中のラッシュアワー時に、公共交通機関が運行を停止する予定だ。

 オランダは、『ポルダーモデル』があるおかげで、ストライキが比較的少ない国だ、といわれてきた。それだけに、「ストの実施」は、ポルダーの危機そのものを象徴している。

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 ところで、このAOW(一般老齢年金)だが、これは、日本の国民年金に相当するもので、満65歳になるすべての人が、同額の年金を支給されるものだ。その意味で、現在日本でもよく議論されているベーシック・インカムの一つの型であるといわれている。

 だが普通、多くの労働者は、雇用者との契約によって、企業ごと、あるいは、業種別に、年金基金に積み立てていく方式で、独自に年金受給を準備している。したがって、こうして積み立てた年金を利用したり、貯金や投資収益を利用すれば、国民年金の受給年齢まで待っていなくても退職して暮らしていける、というケースがかなりある。
 ましてや、ワークシェアリングの導入で、「会社で働くことだけが人生じゃあない」と堂々と言ってのけることのできるオランダだ。実際、55-65歳の就業率は半数ほどにしか満たない、という。」
 今回のAOW67歳引き上げ議論とともに問題になっていたのは、高齢化社会の中で、どうしたら労働者の退職年齢を長く引き延ばせるか、つまり、どれだけ多くの労働者をAOW受給年齢まで職場に引きとめるか、ということでもあった。

 日本の企業のように年功序列や終身雇用という慣行がなく、しかも、「差別廃止」原則によって、男女、性指向性(同性愛者など)、人種などによる差別とともに、年齢による差別をも禁じているオランダだ。年功が長いとか、経験年数が長いというようなことは、職務について、ほとんど積極的評価として受け止められることはない。むしろ、高年齢の労働者は、さまざまの面で、職務効率が劣るという評価もあり、企業や組織でも高年齢者の勤続にはあまり積極的ではない、というのが実態だ。早期退職者が多いのには、そういう背景もある。

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 現代の多くの先進諸国では、高齢化のために、人々の勤続年数を引き上げて、退職者を減らすべきだという議論がある一方、金融危機で効率化を図らざるを得ず、生産効率の悪い高齢労働者をあまり歓迎しない、という相反する状況もある。

 企業グロバリゼーションの時代は、高齢化社会と高度福祉制度の両立をどう図るか、という各国内の社会政策上の問題を越えて、大企業の多国籍化とそれによる貧富の差の拡大を生んだ。程度の差こそあれ、それは、多くの先進諸国で共通の問題だった。
 しかし、金融危機によって、市場原理一辺倒の制度が持つ大きな限界がだれの目にも明らかとなり、一方では、金融機関をはじめとする企業の無制限の暴走を監督する必要性に迫られ、他方では、生み出された貧富の格差を、福祉によって是正しなくてはならない、という課題が新たに生まれている。

 高齢化社会における就業の形、年金などの福祉制度をめぐっては、もっと広い視野で、市民のライフスタイル、育児やNPO活動など<金銭的な支払い>がなくても、安定した社会の維持のために必要な人々の活動を、どう社会全体の仕組みとして組み込んでいくか、ということまでを含む議論が必要になっているのではないのか?

 これまで、高度福祉社会と自由市場原理経済の二つを両立させながら、さまざまの斬新な施策を生んで、なんとか幸福度の高い社会を築いてきたのがオランダの『ポルダーモデル』だった。

 今回の労使間の物別れに象徴される『ポルダーモデル』の行き詰まりは、なにか、福祉国家と市場経済に、大きな転換を迫るものとなるような気がする。

2009年9月5日土曜日

オランダの政党政治 その3 有権者の政治参加意識を高める仕組み

 オランダの選挙運動にカネがかからない理由を、仮説的に、いくつかあげることができる。これは、選挙に対する関心の高さの理由と置き換えてもいいと思う。実際、オランダの衆院選は、ほぼ一貫して、80%に達している。政治に対するこれだけ高い関心は、個々の立候補者の選挙キャンペーンによって生まれているのではない。

1.マスメディアの公平さ

2.若年有権者に対する積極的な政治教育活動

3.1票の価値を等価とする多党連立政権への信頼

 すでに、この「オランダ通信」(バックナンバー)のほか、さまざまのところで触れているが、オランダのマスメディアには多元主義的な公平さがある。

 もともと、19世紀から1960年代初頭までのオランダ社会は、「縦割り(柱状)社会」と呼ばれてきた。
 主として、(ローマ法王を頂点に国内でも中央集権的な組織が固い)カトリック集団、(細かくいえばさらにさまざまの宗派に分かれる)プロテスタント集団、(キリスト教宗派主義に対抗してきた、古くは、啓蒙主義、ひいてはフランス革命に端を発する)リベラリスト集団、そして、(19世紀末にリベラリストから派生してきた)社会主義者集団の4つだ。どれ一つをとっても過半数を得られないマイノリティ集団である。
 これらのグループは、それぞれ、新聞社を持ち、その系統の学校や病院、学生クラブを持ち、オランダ人のほとんどは、生まれた時にいずれかの集団に属し、その中で成長していく傾向がとても強かった。
 つまり、オランダ人は、生まれた家庭がカトリックの家庭であれば、その系統の新聞を購読している親のもとで、カトリック系の保育園から小学校、中学へと進み、大学に進学したら、その系統の学生クラブに入る、という一つのパターンがあった。

 だから、1950年代にテレビが普及し始めた時、オランダの公営放送は、こうした、マイノリティ集団の系統ごとに作られたNPO放送協会に、電波を利用して、おのおのの立場から作られた番組を発信することを認めたのだった(これらのNPO団体は、いずれも、それに先立つ、ラジオ放送協会が母体にあった)。

 オランダの政党もまた、伝統的な大政党は皆、もとはと言えば、この系統に基づいて結党されている。

 CDA(キリスト教民主連盟)は、プロテスタント系のARP(反革命主義政党)とCHU(キリスト教歴史主義党)、そして、長くこれらのプロテスタントとは対立していたカトリック系のKVP が、1980年、人々の教会離れと柱状社会の崩壊の中で、キリスト教民主主義をもとにやむなく合併して生まれた政党だ。
 そして非宗派系政党は、リベラル派のVVD(自由民主党)と社会主義系のPvdA(労働党)に分かれている。

 会員数が多く、したがって、電波利用の時間数の長い大きな放送協会には、いまも、カトリック系、プロテスタント系、リベラル系、労働党系のものがある。

 こうした、もとはと言えば柱状社会の系列に従って作られた公営放送の仕組みのために、オランダのテレビは、マイノリティの声を公平に伝えるものになっている。公営放送の資金は、各放送団体の会員が支払う会費と、国の補助金、また、STERという独立の組織が獲得するスポンサー資金を公平に配分して行われる。

 こういう仕組みがあるため(そして、小国であるために公営放送の資金そのものがあまり多額ではないためもあって)、オランダの公営放送で放送される番組は、予算が余りかからない、政治討論番組、ドキュメンタリーなどが非常に多い。そして、それを通じて、それぞれの団体は、おのおのの立場で、社会問題を分析し、公に伝えることができる。

 日本では、選挙公示とともに、各地で立候補者らがマイクとスピーカーを持って街頭演説を始めるが、オランダには街頭演説の光景はほとんど見られない。街頭で見られる選挙キャンペーンといえば、青年部の党員か、おそらくはアルバイト要員であろうと思われる学生たちが、政党のロゴとスローガンが刷られた葉書大のビラを通行人に配っているくらいのものだ。

 つまり、オランダでは、わざわざ選挙だからと言って街頭で大声を上げなくても、日ごろから、公営放送で、十二分な政治議論が展開されているというわけなのだ。

 同じことは、政党に義務付けられた、政治問題研究や青少年を対象とした政治教育にも言える。政党交付金の使途目的に指定されたこれらの活動は、有権者が、各政党の政治的立場の違いに、明確なデータを持って触れられる機会を提供している。

 青少年の政治意識、投票率の低さは、どの国でも悩みの種だ。オランダの若者たちも、中高年に比べると政治意識が低いといわれる。(もっとも、現在のオランダの60才台70才台の人たちは、1960年代に若者の政治意識が高揚した時に20才台30才台だった人たちだ)そういう若者に対しての働きかけは積極的だ。大きな政党はどこも、12歳から30歳くらいの年代を対象にした、青年部を作り、政治参加意欲の向上を目指した活動をしている。


 もっとも、街頭演説がないのには、もう一つの理由がある。
 それは、選挙区制がないからだ(その1、その2に詳しく説明)。
 日本やアメリカにある選挙区制は、立候補者の一騎打ちだから、縄張り争いの原因となる。立候補者が地元有権者にどれだけ人気があるかが決め手だ。そのためには、立候補者が有権者と直接に対面し、生の声を聞かせる機会を設けた方がずっと有利になる。立候補者個人のイメージ作り、大衆的な人気が票数の決め手になりやすい。
 比例代表制の決め手は、政党の立場一つだから、個人候補者のイメージ作りはしてもあまり意味がない。イメージ作りが有効なのは、際立った社会問題に切り込んで大衆の人気を集め、新生小政党が乗り込んでいく場合だけだ。

 また、比例代表制に基づく多党連立制は、2大政党交代制に比べて、政策の継続性が大変高い。
 それは、アメリカやイギリスに代表される2大政党交代制と、ヨーロッパ大陸側に多くみられる多党連立制の違いにはっきり見られる。

 2大政党制は、政権が交代するたびに、前政権が取り組み始めた政策が挫折する可能性が非常に高いのだ。アメリカなどでは、そのたびに大使や外交官などまでを含む官僚がごっそり入れ替わる。それは、長い時間をかけ値ければできない改革がやりにくいと同時に、有権者の間に分極を生みやすい。また、こうした無駄と挫折が続けば、有権者自身の政治参加意識も低下すると予測される。

 連立多党制の場合、政権が代わっても、いずれかの政党がパートナーを変えて政権に残る場合が多いので、一定の政策の維持が期待できる。また、政策は、常に、一党の立場が推し進められるのではなく、他党の協議の結果として生まれるものなので、基本的に、微調整をしながら、継続していく可能性が高い。そういう経過を、新聞やテレビなどのマスメディアが、オープンに、また、詳細に伝えておくことで、有権者の政治意識もある程度の高さを維持できる。


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 3回にわたって、オランダの比例代表制に基づく多党連立政権の政党政治の姿を伝えてきた。

 オランダが完全な比例代表制を使えるのは、国の規模が小さいからだ。地方の利害が、中央政府からそれほど遠くない。また、さまざまの機能を首都に集権化させていないというオランダ特有の事情もある。

 だから、日本を比例代表制にせよ、との議論は、非現実的であるのはわかる。
 けれども、今のように、細分化された小選挙区制が本当に必要なのか。衆議院の480議席のうちに、300議席もの多数を選挙区多数決制で決める仕組みが、本当に、有権者の意思を正確に反映しているものなのかどうか、はもっと議論されていいと思う。

 今回の衆院選は、諸外国のニュースに見られる反応、日本通といわれる外国人の反応を見ていても、日本人が自覚しているのと同じように、あるいは、それ以上に、明治以後の日本の政治史の中で特記すべき事態だとの評価が高い。
 一党支配の多いアジアの中で、今回の日本政治の前進が、今後世界に対してどんな波及効果を与えるものか、先進諸国は固唾を飲んで見守っている、ともいえる。
 そして、それは、世界中に前例のない、日本が初めて取り組む近代化の形でもある。

 これからの行方を決めるのは、日本のわたしたち有権者らが、ひとりひとり積極的に参加する政治議論である、そう思う。




 

オランダの政党政治 その2 政治資金について

 ところで、オランダの選挙運動は世界で最も安い選挙運動に属しているのだそうだ。

 2003年の選挙運動支出として報告された額は、政権の最大与党CDA(キリスト教民主連盟)が85万ユーロ(日本円にして約1億1300万円)、野党最大のSP(社会党)でも100万ユーロ(約1億3400万円)だった。

 政治資金の使途表示を義務付けられていない日本の政党の場合、各政党がどれほど選挙運動に支出しているのかについてのデータを取得するのは容易ではない。
 だが、政党収入は、2002年、最大与党であった「自民党」の場合、約230億円に上っており、満期4年で換算すれば、およそ1兆円だ。支出の内訳はわからないが、政党資金の大半が選挙キャンペーンに使われること、を考えると、確かに、オランダの選挙運動支出は、日本の政党が扱う資金額に比べて「桁はずれ」に小さい。日本の衆院の議席数480とオランダの第2院の議席数150との違い、また、人口比8対1を考慮に入れたとしても、だ。

 政党の収入減は、ふつう、党員会費、議員給与からの拠出、献金・協賛金、政党内部の留保資金、パーティやバザーなどによるファンドレイジング、国庫からの政党交付金などがある。そして、これらの収入内訳を見てみると、オランダと日本の政党活動の中身の違いが、さらに詳しく見えてくる。

 まず党員会費。
 オランダは、政治資金に占める党員会費の率が約半分で、欧州地域では一般に4分の1といわれていることと比べても際立って高い。日本の場合は、党員会費が政党資金に占める割合は、およそ3-7%の間だ。オランダの方が日本に比べて党員への依存度が高いのは確かだと思われる。それは、一般有権者の、日ごろからの政治意識の高さとも関係があるだろう。
 また、オランダの場合、党員の会費(寄付金)は、慣行として、所得別に会費を決めるようだ。つまり、低所得者の場合は低い会費で党員になれる。

 次に、議員給与からの拠出だが、これは、一般に「政党税」という名でよばれ、議員給与の約10%が徴収されている。ただし、社会党の場合は例外で、議員も党員も、非営利の活動であるということを原則としている社会党は、議員はいったん給与の全額を党に納入し、その後、手当として再配分される仕組みをとっている。また、保守政党であるCDA(キリスト教民主連盟)とVVD(自由民主党)では、「政党税」の制度を取らない代わりに、「献金(寄付)」を認めている。両党の献金資金が占める割合は、それぞれ1%と6%。企業との密着度が高く最も献金収入が多い日本の自民党の15.6%に比べると、大きな差がある。

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 さて、興味深いのは政党交付金だ。

 オランダは、長く政党交付金の支給がなく、政府からの補助は、公営放送の電波利用などに限られていた。しかし、現在では、年間総額およそ1500万ユーロ(約20億円)の政党交付金が支払われている。日本では、国民一人当たり250円が政党交付金として支出されており、年間総額はおよそ320億円、オランダの15倍に上る。

 日本の政党交付金は、50%ずつが、議員数比例配分、得票数比例配分で分けられる。また、使途制限はない。

 他方、オランダの政党交付金は、活動の具体的な内容は問わないが、使途を明示することが義務付けられている。交付金の目的として、①.政治問題研究活動資金、②青少年の政治教育・研修活動、③党員への情報提供、④外国の姉妹政党とのコンタクト維持などで、選挙運動資金へのしようは、最近の改正で認められるようになった。
 また、政党が(憲法で禁止された)「差別」をしている場合には、政党交付金は停止される。(実際に、非常に原理主義的なキリスト教の理念を立場としているSGPの場合、女性党員の被選挙権を認めていないために、交付金が停止されている。)

 また、オランダの政党交付金には、議席の有無にかかわらず、すべての政党に同額に認められた「一般交付金」がある。これは、現在、党当たり年額18万ユーロ(約2400万円)だ。各党に配分される「一般交付金」を差し引いた残額が、「特別交付金」として、議席数比例と党員数(得票数ではない!!!)比例で各党に配分される。

 さらに、この政党交付金は、国が決めた最低額を政治問題研究資金として支出することが義務付けられている。その額は、「一般交付金」のおよそ70%、議席当たりの「特別交付金」のおよそ25%に当たる。現在の額は、前者が約1600万円、校舎1議席当たりの額約170万円に相当する。すなわち、1議席しか持たない政党でも、毎年、1800万円程度の資金が、政治問題研究の資金として受給されていることになる。

(この項続く:有権者の政治参加意識を高める仕組み)