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2009年9月5日土曜日

オランダの政党政治 その3 有権者の政治参加意識を高める仕組み

 オランダの選挙運動にカネがかからない理由を、仮説的に、いくつかあげることができる。これは、選挙に対する関心の高さの理由と置き換えてもいいと思う。実際、オランダの衆院選は、ほぼ一貫して、80%に達している。政治に対するこれだけ高い関心は、個々の立候補者の選挙キャンペーンによって生まれているのではない。

1.マスメディアの公平さ

2.若年有権者に対する積極的な政治教育活動

3.1票の価値を等価とする多党連立政権への信頼

 すでに、この「オランダ通信」(バックナンバー)のほか、さまざまのところで触れているが、オランダのマスメディアには多元主義的な公平さがある。

 もともと、19世紀から1960年代初頭までのオランダ社会は、「縦割り(柱状)社会」と呼ばれてきた。
 主として、(ローマ法王を頂点に国内でも中央集権的な組織が固い)カトリック集団、(細かくいえばさらにさまざまの宗派に分かれる)プロテスタント集団、(キリスト教宗派主義に対抗してきた、古くは、啓蒙主義、ひいてはフランス革命に端を発する)リベラリスト集団、そして、(19世紀末にリベラリストから派生してきた)社会主義者集団の4つだ。どれ一つをとっても過半数を得られないマイノリティ集団である。
 これらのグループは、それぞれ、新聞社を持ち、その系統の学校や病院、学生クラブを持ち、オランダ人のほとんどは、生まれた時にいずれかの集団に属し、その中で成長していく傾向がとても強かった。
 つまり、オランダ人は、生まれた家庭がカトリックの家庭であれば、その系統の新聞を購読している親のもとで、カトリック系の保育園から小学校、中学へと進み、大学に進学したら、その系統の学生クラブに入る、という一つのパターンがあった。

 だから、1950年代にテレビが普及し始めた時、オランダの公営放送は、こうした、マイノリティ集団の系統ごとに作られたNPO放送協会に、電波を利用して、おのおのの立場から作られた番組を発信することを認めたのだった(これらのNPO団体は、いずれも、それに先立つ、ラジオ放送協会が母体にあった)。

 オランダの政党もまた、伝統的な大政党は皆、もとはと言えば、この系統に基づいて結党されている。

 CDA(キリスト教民主連盟)は、プロテスタント系のARP(反革命主義政党)とCHU(キリスト教歴史主義党)、そして、長くこれらのプロテスタントとは対立していたカトリック系のKVP が、1980年、人々の教会離れと柱状社会の崩壊の中で、キリスト教民主主義をもとにやむなく合併して生まれた政党だ。
 そして非宗派系政党は、リベラル派のVVD(自由民主党)と社会主義系のPvdA(労働党)に分かれている。

 会員数が多く、したがって、電波利用の時間数の長い大きな放送協会には、いまも、カトリック系、プロテスタント系、リベラル系、労働党系のものがある。

 こうした、もとはと言えば柱状社会の系列に従って作られた公営放送の仕組みのために、オランダのテレビは、マイノリティの声を公平に伝えるものになっている。公営放送の資金は、各放送団体の会員が支払う会費と、国の補助金、また、STERという独立の組織が獲得するスポンサー資金を公平に配分して行われる。

 こういう仕組みがあるため(そして、小国であるために公営放送の資金そのものがあまり多額ではないためもあって)、オランダの公営放送で放送される番組は、予算が余りかからない、政治討論番組、ドキュメンタリーなどが非常に多い。そして、それを通じて、それぞれの団体は、おのおのの立場で、社会問題を分析し、公に伝えることができる。

 日本では、選挙公示とともに、各地で立候補者らがマイクとスピーカーを持って街頭演説を始めるが、オランダには街頭演説の光景はほとんど見られない。街頭で見られる選挙キャンペーンといえば、青年部の党員か、おそらくはアルバイト要員であろうと思われる学生たちが、政党のロゴとスローガンが刷られた葉書大のビラを通行人に配っているくらいのものだ。

 つまり、オランダでは、わざわざ選挙だからと言って街頭で大声を上げなくても、日ごろから、公営放送で、十二分な政治議論が展開されているというわけなのだ。

 同じことは、政党に義務付けられた、政治問題研究や青少年を対象とした政治教育にも言える。政党交付金の使途目的に指定されたこれらの活動は、有権者が、各政党の政治的立場の違いに、明確なデータを持って触れられる機会を提供している。

 青少年の政治意識、投票率の低さは、どの国でも悩みの種だ。オランダの若者たちも、中高年に比べると政治意識が低いといわれる。(もっとも、現在のオランダの60才台70才台の人たちは、1960年代に若者の政治意識が高揚した時に20才台30才台だった人たちだ)そういう若者に対しての働きかけは積極的だ。大きな政党はどこも、12歳から30歳くらいの年代を対象にした、青年部を作り、政治参加意欲の向上を目指した活動をしている。


 もっとも、街頭演説がないのには、もう一つの理由がある。
 それは、選挙区制がないからだ(その1、その2に詳しく説明)。
 日本やアメリカにある選挙区制は、立候補者の一騎打ちだから、縄張り争いの原因となる。立候補者が地元有権者にどれだけ人気があるかが決め手だ。そのためには、立候補者が有権者と直接に対面し、生の声を聞かせる機会を設けた方がずっと有利になる。立候補者個人のイメージ作り、大衆的な人気が票数の決め手になりやすい。
 比例代表制の決め手は、政党の立場一つだから、個人候補者のイメージ作りはしてもあまり意味がない。イメージ作りが有効なのは、際立った社会問題に切り込んで大衆の人気を集め、新生小政党が乗り込んでいく場合だけだ。

 また、比例代表制に基づく多党連立制は、2大政党交代制に比べて、政策の継続性が大変高い。
 それは、アメリカやイギリスに代表される2大政党交代制と、ヨーロッパ大陸側に多くみられる多党連立制の違いにはっきり見られる。

 2大政党制は、政権が交代するたびに、前政権が取り組み始めた政策が挫折する可能性が非常に高いのだ。アメリカなどでは、そのたびに大使や外交官などまでを含む官僚がごっそり入れ替わる。それは、長い時間をかけ値ければできない改革がやりにくいと同時に、有権者の間に分極を生みやすい。また、こうした無駄と挫折が続けば、有権者自身の政治参加意識も低下すると予測される。

 連立多党制の場合、政権が代わっても、いずれかの政党がパートナーを変えて政権に残る場合が多いので、一定の政策の維持が期待できる。また、政策は、常に、一党の立場が推し進められるのではなく、他党の協議の結果として生まれるものなので、基本的に、微調整をしながら、継続していく可能性が高い。そういう経過を、新聞やテレビなどのマスメディアが、オープンに、また、詳細に伝えておくことで、有権者の政治意識もある程度の高さを維持できる。


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 3回にわたって、オランダの比例代表制に基づく多党連立政権の政党政治の姿を伝えてきた。

 オランダが完全な比例代表制を使えるのは、国の規模が小さいからだ。地方の利害が、中央政府からそれほど遠くない。また、さまざまの機能を首都に集権化させていないというオランダ特有の事情もある。

 だから、日本を比例代表制にせよ、との議論は、非現実的であるのはわかる。
 けれども、今のように、細分化された小選挙区制が本当に必要なのか。衆議院の480議席のうちに、300議席もの多数を選挙区多数決制で決める仕組みが、本当に、有権者の意思を正確に反映しているものなのかどうか、はもっと議論されていいと思う。

 今回の衆院選は、諸外国のニュースに見られる反応、日本通といわれる外国人の反応を見ていても、日本人が自覚しているのと同じように、あるいは、それ以上に、明治以後の日本の政治史の中で特記すべき事態だとの評価が高い。
 一党支配の多いアジアの中で、今回の日本政治の前進が、今後世界に対してどんな波及効果を与えるものか、先進諸国は固唾を飲んで見守っている、ともいえる。
 そして、それは、世界中に前例のない、日本が初めて取り組む近代化の形でもある。

 これからの行方を決めるのは、日本のわたしたち有権者らが、ひとりひとり積極的に参加する政治議論である、そう思う。




 

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