「教育先進国リポートDVD オランダ入門編」発売

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2012年12月24日月曜日

宣誓と汗かき部屋

 12月21日、マヤ文明によると世界が崩壊するという予定だった日、娘の大学の卒業式だった。クリスマス前の気忙しい時ではある。どうしてこんな時に???と日本でならいぶかられるに違いない。オランダの大学はこんな風に、卒業式がバラバラ。なぜなら、学生が卒業要件に必要な単位を取得した時点で、申請して、卒業証書の授与が行われるという習わしだからだ。どの大学にもアカデミー館というような建物があり、年中卒業式をやっている。学部の規模にもよるが、大体10~20人程度を一グループにまとめてやるようだ。
娘の場合は15人ぐらいのグループだった。

卒業要件を満たして事務に卒業式の申請を済ませると、今度は、式をつかさどる教授との面談があった。個人面談で、どうしてこの学部を選んだのか、在学中にはどんな活動をしていたか、卒業後のプランは、などなどと話し合う。何を隠そう、卒業証書の授与の際に、卒業生一人の10分程度の紹介をするためだ。

さて、卒業式当日、その昔から、デカルトやブールハーベなど、世界的に有名な学者らが居を構えた ラーペンブルグ通りにあるライデン大学のアカデミー館(1516年設立された、元はドミニカ派の修道院のチャペルだった建物)に、卒業生たちは、招待された家族、親族、友人らと集まってくる。tトガと呼ばれる黒いマントと帽子をかぶった教授が二人、そして、式を補佐する事務官の女性たちとともに入場、卒業生たちは、会場より一段高い右手の席に一列に並ぶ。

医学部の場合は、卒業証書の授与は、医師免許の授与の意味を持つので、まず、これから医師になる卒業生たちに、オランダ医師会が作成した宣誓文が読み上げられ、一人ずつ、名前の呼ばれた卒業生が、「誓います」と宣誓しなくてはならない。

その宣誓文とは、以下のようなもの。(もとは、古代ギリシャのヒポクラテスの宣誓文に由来する。)
「Ik zweer/beloof dat ik de geneeskunst zo goed als ik kan, zal uitoefenen ten dienste van mijn medemens.
私は、私の隣人に奉仕するために、医学を可能な限りよく実践することを誓い(約束)します。

Ik zal zorgen voor zieken, gezondheid bevorderen en lijden verlichten.
私は、病にある人たちのために、健康を促進し、苦しみを軽減するべく治療に当たります。

Ik stel het belang van de patient voorop en eerbiedig zijn opvattingen.
私は、その患者の利害を前提とし、患者の見解を尊重します。

Ik zal aan de patient geen schade doen. Ik luister en zal hem goed inlichten. Ik zal geheimhouden wat mij is toevertrouwd.
私はその患者に対して危害を加えることをしません。患者の言葉によく耳を傾け、十分に情報を提供します。私は、私を信頼して委託されることについて秘密を守ります。

Ik zal de geneeskundige kennis van mijzelf en anderen bevorderen.
私は、自分自身の医学上の知識及び他者の医学上の知識を促進させます。

Ik erken de grenzen van mijn mogelijkheden. Ik zal mij open en toetsbaar opstellen, en ik ken mijn verantwoordelijkheid voor de samenleving.
私は、私の能力の限界を認めます。私は、自分自身を他に対してオープンにし、検証可能なものとして提示し、社会に対する私の責任を認めます。

Ik zal de beschikbaarheid en toegankelijkheid van de gezondheidszorg bevorderen.
私は健康管理の可能性を広げ、それへのアクセスを高めます。

Ik maak geen misbruik van mijn medische kennis, ok niet onder druk.
私は私の医学知識を、たとえなんかかの圧力の下でも濫用しません。

Ik zal zo het beroep van arts in ere houden.
私は、医師としての職業を栄誉あるものとして守ります。

Dat beloof ik.
これを約束します。
of:
または、

Zo waarlijk helpe mij God* almachtig.
真にこうあるべく、全能の神よ、われを助けたまえ。

*Gekozen is voor de algemene formulering 'God', waarbij studenten afhankelijk van hun geloofsovertuiging de naam van hun God in gedachten kunnen invullen.
一般的な表現としてGodが用いられているが、学生はそれぞれの信条に従って、自らの「神」とするところを独自の考えで内容として補うことができる。

(De nieuwe Nederlandse artseneed(2003))

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宣誓文の内容もさることながら、宗教心のあるものと、自由主義者との、言葉の違いが選択肢としてあることも注意を引く。また、最後の注意書きは、キリスト教者だけではなく、イスラム教やヒンズー教など、他の宗教の信者を想定していることは言うまでもない。

こうして、二つの宣誓の言葉のいずれかを選びながら、卒業生は一人ずつ宣言をするというわけだ。

DSCF7085.JPG

 先生がすむと、今度は、一人ずつ名前を呼ばれて、卒業証書に署名をする。無事署名が終わると、今度は、式を司る教授から、その卒業生の人となり、これからの計画などが披露される。
 


中学の時に、医学部に行こうと決意したときのこと、大学に入ってから印象を受けた授業、留学経験、ボランティア経験、進路への迷い、などなどが、時折ユーモアも交えて語られる。そして、卒業後、病院に勤めるもの、さらに研究を続ける予定のことなども紹介される。
アメリカで博士課程を取得してきた学生、初めは生物学をやっていたがのちに転学してきた子、「国境なき医師団」に参加することが人生の目的であるという女学生、老人医療に取り組みたいと考えている学生、両親の生まれ故郷スリナムで研修をして学んだという子、などなど、ここで一人一人が、どれほど個性のある選択として医学の道を歩み始めたのかが実に多様にうかがえるのである。


こうしてすべての学生の紹介が終わると、一人ひとりに、先の「宣誓文」と証書(ラテン語とオランダ語との両方で記載)とが手渡され、式は終了。15人ほどの学生のために、優に2時間は費やされていた。

その後、学生たちは、聴衆として会場にいた親族や家族から祝福の言葉を受けながら、ホールのカクテルパーティへ。ホールは、花束や祝辞で満たされ、カメラのシャーッターが切られ続ける。

半時間ほどして、学生たちは、三三五五に、らせん階段を上って2回の小部屋へと進む。この部屋は、ライデン大学の名物の一つで「汗かき部屋」といわれる部屋だ。この部屋は、その昔、博士号を無事授与される前に行われる最後の口答試験のための待合室だったもので、受験者は、どんな難しい質問をされることか、とひやひやしながら汗をかいて待っていたというのでこの名前がある。誰が始めたものかわからないが、合格した人が記念に自分の名を鉛筆で壁に書き残し、以来、卒業生が自分の名を書き残していく部屋となった。というわけで、ライデン大学の学生の落書き特権のある部屋だ。
床から天井まで隙間もなく書かれた名前の中には、オランダ王室のベアトリクス女王の名や、名誉博士号を授与されたネルソン・マンデラやウィンストン・チャーチルの名なども残っている。

http://www.leidenuniv.nl/nieuwsarchief2/1230.html

宣誓といい証書の授与といい、一人ひとりの個性を尊重して、卒業の儀式をしてくれるオランダの大学。工場生産物が出来上がったように、一斉に同じ服を着て、国旗を掲揚し、君が代を歌って、しかめっ面で証書を授与されても、社会に責任を持つ主体的な社会人は送り出せないと、改めて思う。大事なのは、そういうことではない。特に、グローバル社会に生きるグローバル市民の旅立ちとは、そんなものでは絶対にない。

2012年5月5日土曜日

親と何でも話せ、学校が好きで、生活に満足しているオランダの子どもたち

世界保健機構WHOのヨーロッパ支部が5年ごとに発表している、学童生徒の健康調査HBSCが発表された。調査ごとに参加国の数が増えるが、今年は、43か国。主としてヨーロッパの国々だが、アメリカ合衆国とカナダ、ロシアも含まれる。11歳、13歳、15歳の子どもたちを対象にした調査だ。

 かつて、ユニセフのイノチェンティ研究所が行った「ウェルビーング」の調査も、基礎データの一つとして、このWHOの調査結果が使われている。

 その中で、オランダの子どもたちのデータはどうだったか。目立った結果をまとめておこう。

 まず、圧倒的に目覚ましかったのは、Life Satisfaction(生活への満足度)だ。
11歳では第2位(女子94%、男子96%)だったものの、13歳(女子92%、男子97%)、と15歳(女子90%、男子96%)でともに調査対象国中トップだった。

 こうした生活への満足度は、当然、家庭や学校での生活状況が反映しているものだろう。

 現に、「母親と何でも話せる」子どもの比率は、11歳(女子92%、男子96%)で第4位、13歳(女子91%、男子91%)で第2位、15歳(女子90%、男子90%)で第1位。他国に比較すると、11歳までは、どの国もほぼ同じように母親と何でも話すが、年齢が上がるにつれて比率が下がっていくのに対して、オランダでは、それが高く維持されている。

 同じ傾向は父親との関係についてもいえる。「父親と何でも話せる」こどもの比率は、11歳(女子82%、男子90%)で第4位、13歳(女子74%、男子84)で第3位、15歳(女子71%、男子87%)で第1位だ。特に、男の子が思春期を通じて父親との良好な関係を維持しているのが興味深い。

 このような親との良好な関係は、友人と夜遊びをする立が、他国に比べてかなり低いことにも象徴されている。

 それでは、学校についてはどうだろうか。
学校が好き」と答えた子供の比率は、11歳で第9位、13歳で第4位、15歳で第15位と、全体としては、平均を上回るがそれほど目立った比率ではなく、かなり変動もある。しかし、「学校の課題をプレッシャーと感じるか」という質問に関しては、例年通り、プレッシャーを感じている子供の数が圧倒的に低く、顕著な結果を示していた。11歳では、39か国中38位(39位はスウェーデン)、13歳では、39か国中37位(38位、ギリシャ、39位スウェーデン)、15歳では、35位(さらに低いのは、フランス、ギリシャ、ハンガリー、スロヴェニア)だった。

クラスメートをKindでhelpfulだ」と答えている子供の数もかなり大きい。11歳で第4位(女子83%、男子78%)、13歳で第3位(女子83%、男子78%)、15歳で第4位(84%、77%)だ。夜遊びはしないが、学校の友人たちとの関係は良好なようだ。

 そのほかに、健康行動として目立っていたのは「朝食を毎日取っている」と答えた子供の数だ。11歳では女子93%、男子95%、13歳では、女子82%、男子87%、15歳では、女子75%、79%で、いずれも、調査国中トップというから驚く。

 また、インターネットや携帯電話の使用率が、調査国でも最低に近かったのが目立っていた。38jか国中、11歳では最下位、13歳で36位、15歳で33位だった。

 そのほか、気になるのは、たばこやアルコール、そして、オランダでは自由化されていることで有名な(ソフト)ドラッグの使用率だ。以外にも、どれもあまり高くない。5年前の前回の調査で、オランダ人の子どもたちのアルコール消費量が多いことが問題になっていた。オランダでは、ソフトアルコールの消費が、法律上16歳から認められているため、10代前半になると消費傾向が高かった。しかし、前回の調査後、全国的にキャンペーンが行われ、また、脳科学の専門家らが、アルコールの使用が脳の発達に悪影響を及ぼすという調査などが出たため、家庭でも、子どものアルコール使用を厳しく抑える傾向が増えていた模様だ。

 特に麻薬に関して言えば、とかく、麻薬取り締まりに躍起となるアメリカ合衆国、また、スイス、フランス、ベルギーなどの国の方が、オランダの子どもたちよりも使用率が高い。

 それでは、性教育が進んだオランダのセックス体験はどうか。これは、15歳の子どもたちだけが対象になっているが、女子で22%、男子で19%で、調査データが可能だった36か国中30位と、意外にも低かった。

 また、いじめについては、「過去1か月以内に2回以上いじめられたことがあるか」という質問に対して、「はい」と答えた子供の比率は、11歳で、38か国中26位、13歳で38か国中29位、15歳で、38か国中33位と、平均をかなり下回っていた。

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 以上が、オランダの子どもたちに関する目立った結果だ。他国についても、国ごとに詳細に検討してみれば、子どもたちのいろいろな姿が見えてきてなかなか面白い。

報告書は、英語で読めるし、ネットからだれでも無料でダウンロードできる。関心のある向きは、ぜひ見て見られるとよい。

http://www.euro.who.int/__data/assets/pdf_file/0003/163857/Social-determinants-of-health-and-well-being-among-young-people.pdf




2012年5月2日水曜日

G500:新しい形の若者たちの政治参加

2009年に、高校の授業必須時間の規則に抗議して、全国から2万人の高校生を集めてストライキを実施し、国会にまで行って、議員たちにスピーチをしたシウェルト・ヴァン・リンデン君。当時17歳だった彼の卓抜した行動力と弁舌の力に圧倒され、私は、わざわざ彼に会ってインタビューしたことすらある。(拙著「オランダの共生教育」でも取り上げた)

それから3年、21歳の大学生になったシウェルト君が、仲間たちとまたまた世間をにぎわす話題となるアクションを起こしている。G500という運動だ。

彼らの言い分を要約すると、「現在の政治は、戦後の団塊の世代の人々によって決められる政治で、若者たちの利害を反映していない。しかし、団塊の世代の老後を支えるのは、自分たち若者の世代だ。若者の政治議論をオランダの政治に反映させるために、18~35歳の若者を500人集め、彼らが皆一緒に、これまでオランダの政治を中心になって支えてきた3大政党の党大会に出席し、党内の議論の中に、若者の声を反映させる仕組みを作りたい」というようなことになるかと思う。

4月に発足したG500は、シウェルト君が、知識人や政治家なら絶対に見逃さない「バウテンホフ」という、日曜正午過ぎの政治討論番組に招かれて公表したことにより、わずか5日以内に500人の登録達成。35歳以上の市民からも、熱いメッセージが送られてきて、ついに、シニアの支持者団体G500+まで作られた。G500は500人の制限枠をやめて、さらに登録を受け付けている、という。

実にオランダらしい柔軟な若者たちの運動だ。

まず、若い世代の人々が、政治議論をするだけの情報を受け取っていること、それについて自分の立場できちんと議論できることだ。シウェルト君は、かつて、17歳で運動した時、LAKSという、全国の高校生組織の議長だった。LAKSは、80年代にできた組織だが、もともと、60年代の終わりにおこった大学生をはじめとする若者たちの民主化運動が母体にある。当時、高校終了時に受ける全国統一試験の試験問題の不備に対して苦情を受ける団体として始まった。この試験不備の苦情を受け付ける電話を、教育監督局が部屋もろとも提供したというのだから、驚く。その後LAKSは、ネイメーヘン大学の社会学の教授に依頼して、アンケート調査の仕方のアドバイスを受け、全国の高校生に「理想の学校」のあり方のアンケートをした。その結果は、深刻に受け止められ、教育監督局は、学校評価の一つとして、高校生自身による「評価」の試みも取り入れている。

こういうLAKSの動きは、現在では、政府も支持し、高校生の発言権、つまり、「教育を受ける側」の発言の権利を守るために、政府が予算をつけて、活動を保障している。おそらく、学生運動の時代を経て、こうした時代を経た指導者らが、80年代に制度整備を行った結果なのだろう。

LAKSは毎年、希望する生徒たちを集めて合宿研修を行い、そこで、法学者を招いて、教育を受けるものの発言権に関する、法規則の勉強会までやっている。LAKSの運営には、かつて高校生として運動していた先輩らが、NPO団体としてかかわっているともいう。もちろん、施設・運営費は国の予算からだ。

もちろん、若者たちの政治意識が高いのは、LAKSのような組織があるから、というばかりではない。オランダでは小学校から「時事」を取り入れているかが、国の監視基準に含まれている。だから、小学生でも、今話題の「時事」は一通り知っている。しかも、教室で、生徒たちが意見を交わす機会は、学校が意図的に用意する。「死刑制度」「同性愛の権利」「イスラム問題」「環境保存」などなど、われわれ市民を取り巻く時事を、子どもたちが、子どもたちなりに考える時間を尊重している。こうした時事問題への取り組みは、数年前に義務化された『シチズンシップ教育』によってさらに強化されている。『シチズンシップ教育』では、自分の意見を持つこと、他の人の異なる意見に耳を傾けること、文化や考え方の違う他者を尊重し、違いを乗り越えて、ともに意欲的に協力すること、コンフリクトの際には、暴力を使って強制したり、また逆に、譲歩して相手の言いなりになるのではなく、まず、自分の立場を明確にして、『議論』をすることによってウィンウィンの解決策を見いだす努力をすること、などが教えられる。

こうしてみていると、まことに、シウェルト君のような若者が出てくるのも当たり前のことだな、とうなずける。もちろん、彼個人の卓抜した才能があることも事実ではあるが、、、

ところで、G500の議論を見ていると、程度の差はあるにせよ、問題の本質は、オランダも日本も変わりないことが見えてくるのではないか。急速に進む高齢化社会の中で、縮小する若者世代の利害は共通だ。ただ、それを取り上げ、未来の世代として、責任を持った政治行動を起こしている、、、それができると彼らに思わせる、民主的で柔軟な社会環境があることが、日本とは大きく違うのではないか。日本の若者も、積極的に時事問題を考え、世界の動きを追い、G500のような動きにつながってほしい。

G500の運動は、すでに、ヨーロッパの諸外国でも注目され、サイトには、早くも英語版、フランス語版なども登場しているようだ。ヨーロッパに、G500の種がまかれるのかもしれない。広がるに値する状況はどこにでもある。まずは、サイトの英語版を見てほしい。

http://www.g500.nl/english/

時間のない方のために、下記、英語版の要約を翻訳したものを提示しておく。


G500 in Englishからの翻訳

G5002012年にオランダに設立されたばかりの若者の運動。G500の目的は、18歳から35歳までの若者を少なくとも500人集め、共同で3大政党、自由民主党、労働党、キリスト教民主連盟の党員登録をすることだ。これら3つの政党の党大会に出席することで、政党を若返らせ、私たちが緊急を要すると考える10の議題を提供していきたい。究極の目的は、政治の中核において幅広い連合を生み出すことにある。それは未来の政府にとっての基礎となり、それを通じて、オランダは来る未来に備えることができるだろう。
G500が発足してわずか5日以内に、500人の若者が登録。予想を超える関心の高さに応じるために、発起人たちはさらに多くの登録ができるようにした。35歳以上の市民からも多くの反響があり、G500+が作られた。彼らは、持続可能性の高い改革を推し進める意欲に満ちた若者たちの運動を支え、社会に広い支持があることを示していく。

なぜこういう方法なのか?
オランダでは、8つほどの政党から成る150の民主的に選挙された議員が政府をコントロールしている。法は多数決制に基づいて制定・施行される。しかし、政党の政策方針は、党大会において決議され、そこでは、その党の議事日程、つまり間接的には、国会の議事日程に従って比較的小さなグループの人々が決議を行っている。これらの党大会に出席している党員の年齢は比較的高く、若い政党の代表性は比較的低い。G500はこの均衡を修正し、世代間のコンタクトを促進し、我が国を、世代を超えて持続可能性の高い国にするために必要な改革を推進したいと考える。

なぜそれが必要なのか?
2次世界大戦後、ベビーブーマー(団塊の世代)が生まれた。オランダでもそうだ。彼らは、親の世代が戦災から国を立て直す間に成長した。速い速度での経済復興のおかげで、政府は、確固とした社会福祉ネットを実施することができた。また、誰もが健全なヘルスケアを享受するため、また、老後の(国家)年金を受け取るための保険料を支払うこともできるはずだった。しかしながら、個々人がヘルスケアを必要としたり、年金年齢に至るまでこれらの年金掛け金が貯蓄されるよりも、今日支払われている掛け金は、ヘルスケアがすでに必要だった他の人々、あるいは、明日の年金を支払うために使われているという状況だ。このシステムは、明日以降の未来には通用しない。
しかし今、この団塊の世代が退職し始め、寿命は延びている。何十年にもわたって保険料を支払ってきた、よいヘルスケアや年金をを当然受け取るべき大きな世代が、今、彼らよりもずっと規模の小さい若者世代の支払う掛け金で支援されなければならない状況となっている。これが問題なのだ。高齢者世代が急速に大きくなり、保険料を支払う働いている世代が縮小していることが! オランダ政府はこのことを何十年にもわたって知っていたにもかかわらず、その付けを先送りしてきた。

幅広い改革のための10原則
G500
は、イデオロギーを超えた幅広い改革のために10の原則を採択した。
1.    オランダは、例えば、ポーランドやエストニアなどの国々に比べて、教育に対して割くGDPあたりの予算比率が小さい。私たちは、子どもや学生に対して、質の高い教育を与えること、また、研究と技術革新に投資することでのみ、競争力のある、経済的に強力な国を維持することができる。教育及び研究・技術革新に対して投資すべきGDPあたりの予算をさらに2.5%増加させるべきである。
2.    ヘルスケアコストの大半は、しばしば高齢期、人生の最終段階の5年間に費やされる。私たちは、ヘルスケアのコストを支払うことのできる人々は自分でそれを支払うべきであると考える。そうすることによって、それを支払えない人々が、よいヘルスケアを享受できる。
3.    年金システムは新しい現実、すなわち、人々が職業を頻繁に変える状況に適応される必要がある。私たちは、人が、自分自身の年金基金を選択できる可能性を持つべきであると信じる。そうすることによって、人々は、年金資金として取られるカネの投資リスクに基づいて自分でどの年金を選択するか決定することができる。
4.    以前に比べてより多くの人々が、自営業を営むようになっている。それは、部分的には、起業精神の成長によるものだが、部分的には、経済危機のためでもある。私たちは、自営業者たちが、企業に雇用されて働いている人たちと同様の社会保障を変えることができるようにすべきであると考える。
5.    雇用規則は大半が、ある労働者が同じ企業に何十年もとどまるという時代に作られたものだ。これらの規則は更新の要がある。被雇用者に対して、短期契約を与えたり、数回の更新を繰り返すよりも、3年あるいは5年の契約を交わすことを、雇用者側にも被雇用者側にも認めるべきである。
6.    住宅市場は凍結状態にある。若い新規参入者は、低所得者向けの住宅が不足し、自由市場での賃貸価格が高騰する中、高い住宅価格と厳しい金融規則のために、ほとんど住宅を購入できない。住宅市場は、若い労働者にとって、仕事場に近い場所に、支払い可能な住宅を見つけることができるような改革を必要としている。
7.    外国産の石油への我々の依存度は高い。政治不安の高い地域から、不足土の高い石油に依存することを避けるためにも、我々は、2030年までに、少なくとも50%を、持続可能性の高いエネルギー源に依存するよう目的を定める必要がある。
8.   1960年代以来、オランダは、天然ガス資源からの重要な収入を享受してきた。この収入の大半を、政府は、ヘルスケア、社会保障、および国債利子の支払いのために使っている。我々は、この歳入の一部を、ノルウェーのように、国家『レイニーデー(低迷期救済)基金』として貯蓄することを求める。
9.  国家が責任のある国債を負うことには何の問題もない。それが借用されたのち10年以内に1ユーロたりとも不足なく返金するという約束を果たしてくれるのなら、私たちは低利子(コスト)を低く保つことができ、公債が世代を超えて継承されることを防ぐことができる
10. 我々の憲法は、政府は、富が、人々の間で公平に分配されることに責任を持つものであると明記している。私たちは、この責任は、単に、現今の世代に対してだけ通用するものではなく、来る世代に対しても負わされたものであると付け加えることが重要だと考える。こうすることによって、われわれは、政府が、請求書を未来の世代に先送りすることを避けることとなる。

2012年4月26日木曜日

ポルダーモデル加熱中~~~ユーロ危機下の政権解散

ぬいぐるみの『クマ』を連想させる小太りで、驕りのない人懐こい黒い瞳のヤン・ケース・ファン・ヤーハー財務相が、連日、与野党の党首や財務専門家の間を早朝から深夜まで駆け回っている。4月30日までに2013年の予算案を確定し、来年度の予算赤字を3%に抑える案を提出しなくてはならないからだ。ところが、幸か不幸か4月30日は「女王誕生日」で休日。週末・祭日に働かないつもりなら、何とか今日中に緊縮予算を確定しなければならない。

実は、こんなことがバタバタ起きることになろうとは、先週土曜日までは誰も予想していなかった。政権与党である、自由民主党(VVD)のマルク・ルッテ首相とキリスト教民主連合(CDA)のマキシム・フェルハーヘン副首相とは、すでに7週間にわたり、野党自由党(PVV)の党首ヘールト・ウィルダーズとの間で、予算案交渉を続けており、欧州連合への予算案提出締め切りを控え、先週末には合意が成立するというのが大方の見方であったからだ。


背景

なぜ、政権与党は、野党自由党との交渉を続けていたのか。その理由は、この政権が、史上稀に見る「少数政権」であったことによる。
2010年6月9日に行われた総選挙では、保守リベラル派の「自由民主党」(VVD)が、伝統的に多数を獲得してきたキリスト教民主連合(CDA)や労働党(PvdA)を抑えて躍進してトップの座に(150議席中31議席)。同時に、国粋派保守のポピュリズム政党「自由党」(PVV)も、選挙出馬2回目であるにもかかわらず24議席を取るという躍進ぶりだった。 おおざっぱに言えば、左派勢力が票数を圧倒的に落とし、右派および極右的な勢力が勢力を伸ばす、という格好だった。

とはいえ、連合交渉は難航。
もともと、オランダの政治は、キリスト教民主連合(CDA)が、右派の自由民主党(VVD)、左派の労働党(PvdA)と連合を組み、右に左に揺れながら政権を支えてきた。90年代に3期、キリスト教民主連合(CDA)が野党となった時期があるが、その時も「紫政権」と呼ばれるように、リベラル派(青)と革新社会主義派(赤)とが連合した、まさに「中道」そのものの政権だった。
だが、2010年の選挙結果は、左右両派の分極があまりに目立ち、連合交渉が試みられたものの、左派勢力が「自由民主党」(VVD)指導下で、厳しい緊縮財政を受ける用意はなく、決裂。結局、もともと「自由民主党」(VVD)の出身で、反ヨーロッパと反移民政策を唱えるヘールト・ウィルダーズの一人芝居に支えられた「自由党」(PVV)が、「一定の政策については、政権の法案を支持する」という条件で、野党に居ながら「政権パートナー」となる形の「少数政権」が10月に設立された。

極右政党を野党パートナーに取り込んだ少数政権設立後、緊縮政策が徐々に進められたものの、ヨーロッパの経済は2011年夏以降急速に悪化。ギリシャ、イタリアなど、南部諸国の経済不況を回復させ、ユーロ通貨を健全化させるために、欧州連合は、域内の財政政策に厳しい条件を付けざるを得なくなる。中でも、最も重要なのは、財政赤字3%以内・国債60%以内という条件の強化だ。

とはいえ、ヨーロッパ諸国では、ユーロ危機が始まる前のおよそ10年ほどの間、どこも、反移民・国境強化を求めるポピュリズムが蔓延。これらのポピュリズム政党は、元来、外国人の移入を嫌い、多国籍協働を嫌う保守派であるから、ユーロ危機によって、欧州連合の引き締めが強まることに対して反発する。

他方、オランダは、欧州連合の前身【石炭鉄鋼共同体】のスタートメンバーであることからもわかる通り、ヨーロッパの中でも、常に、積極的に多国籍協働を推進してきたことで知られる国だ。もともとオランダは移民が多い国ともいわれるし、諸外国との通商で経済を支えてきた国でもある。財政赤字3%制限も、昔から積極的に厳守に努めてきたし、対外的に、欧州連合の「優等生」というイメージがあった。そして、その好イメージは傷つけたくない。

少数政権与党のVVDとVDAは「親ヨーロッパ」であるのに対し、野党で政権パートナーであるPPVは「反ヨーロッパ」。7週間もの間交渉を続けながら、いつまでも合意に至らなかったのは、この立場の違いにもあったと思われる。


  3月20日、「経済政策分析局[CPB]]が試算したところによると、現行の予算案のままだと、来年度の予算赤字は4.6%で、当初の計算よりさらに0.1%上昇の見込み。欧州連合内の合意では、各国の予算赤字は3%以内に抑えるべきとなっており、そのためには、さらに96億ユーロの削減が必要だ、との勧告となった。

3政党の予算案交渉では、いくつかの点では合意ができていたらしい。公務員給与の引き上げ見送り、消費税の引き上げ(一般消費税19%から21%へ、減額消費税6%から7%へ)、住宅金融に基づく非課税措置の改正などだ。

しかし、先週土曜日4月21日、PVVのウィルダーズは、交渉参加を中止。「政権の緊縮案は年金生活者の生活を苦境に陥れる」「欧州連合の指示に言いなりになる必要はない」という言葉を、ジャーナリストらが突きつけるマイクで連発した。最近、相次いで党内の問題が起こり、有権者からの指示を落とし始めていた。このあたりで目立つ発言をする必要があると判断したのかもしれない。しかし、状況は逆で、交渉をやめて以来、与野党両派から批判の矢を受けている。


ポルダーモデル、元気に再開


 改正予算案提出締め切りぎりぎりで交渉決裂となれば、パニックになりそうなところだが、どうやら、テレビや新聞から伝えられるオランダ政治の状況は、むしろ逆で、政治家は、にわかに元気を取り戻しているように見える。交渉決裂で、政策実行不能となった与党は、政権解散を宣言したものの、与党の党首らも、野党の党首らも、まるで、「これでやっとPVV抜きでオープンに予算案を議論できる」と、腕まくりをして構え始めた感じなのだ。

7週間の間、首相官邸という密室で交渉が続けられて折り、インタビューが不可能だったマスメディアも、これでオープンに取材でき、その背景の掘り起こしに躍起になり始めた。

とはいえ、4月30日の締め切りは迫る。

というわけで、次期政権のための選挙を9月12日と定める一方、財務大臣ヤン・ケース・ファン・ヤーハーが、イニシアチブを取り、国会議論に備えて、野党の党首と、現在すでにほぼ完成している予算案に基づいて、調整交渉が始まった。今週に入って、連日、大臣は、各党の党首と会談し、譲歩を取り付け、財務専門家のアドバイスを受けている、という。党首らとの会談の合間に部屋から出てくる大臣をテレビカメラがとらえる。汗をぬぐいつつ、カメラに向かってにこっと笑って見せる。

結果はまだ出ていない。今日の審議で決まるのか、それとも、週末まで持ち込むのか、、、

いずれにせよ、欧州連合に対して財政赤字を3%に抑えた予算案を提出しなければ、欧州連合からは12億ユーロの罰金支払いが求められるという。そうなれば、国民の負担はなお一層大きくなる。しかも、国内の購買力がさらに下がり不況が長引けば、オランダ国債のランクも落ち、国際的にオランダ経済への信頼度が下がってしまう。政権が解散されたとなれば、国会が一段となって最善策を生み出すよりない、というわけだ。

「ポルダーモデル」について、かつて何度も紹介した。

「ポルダー」とは、海面よりも低い干拓地のことで、オランダの国土の4割がポルダーである。海面下の干拓地が水浸しにならないように、ポルダーの周りには、ダイクと呼ばれる堤防が築かれ、土地の周りに何重にも水路をめぐらせ、昔は風車で、現在は電力で中の土地の水をダイクの外に汲み上げ、人々の暮らしが水浸しにならないように守っている。

「みんなで一緒に協力して、私たちの足が水にぬれないようにしなくては」というのが、ポルダーを守ってきたオランダ人のメンタリティだ。このポルダーモデルが、かつて、80年代に、オランダにワークシェアリングを生む背景にあった。企業に対して、労働者は、企業投資のための余裕を残すために賃金引き上げを抑制して求め、逆に、企業は、購買力を維持するために労働者に「パートタイム就業の正規化」を認めた。そして、この政策は、人々に、勤労だけではなく、家庭生活や社会参加をしながら暮らすというゆとりのある生活の実現を可能にした。オランダ人の「幸福度」の高さの基盤となっているのは、このライフ・ワーク・社会参加の三つにバランスのある生活が保障されていることだ。

今回もまた、彼らの「ポルダーモデル」が動き始めている。政権が解散され、執政力を失ったのなら、指をくわえ手をこまねいているわけにはいかない。与野党の別なく、みんなで、何とか「合意」できる案を生み出さなくては、、、というわけだ。

ニコニコしているのは、財務大臣だけではない。交渉を決裂に導いたPVVの党首ウィルダーズを除いて、どの政党の党首もやる気満々だ。
もともと、オランダの政治家たちは、議論・討論能力に凄まじく長けた人たちばかり。主張のしどころ、妥協のしどころを心得ている。

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オランダの政治が面白くなってきた。
少なくとも、2000年ごろからオランダに淀んでいたポピュリズムの影が、少しだけ一掃された。これを機に、うまくこの危機を乗り越えられれば、そして、PVVの存在が、どれほどオランダの政治を停滞させたかということがマスメディアでオープンに見直されていけば、オランダ社会は、ポピュリズムの時代を少し脱皮できるのかもしれない。

経済を回復させる最も大きな要因の一つは、未来への『楽観』だ。政治家らが、どれだけ、柔軟に、そして、ニコニコと「大丈夫、私たちが責任を持って最善策を選ぶから」といってくれるだけで、消費者の財布のひもは緩むし、購買力は上がる。政治家は、この消費者(有権者)の信頼を取り付けて、パラダイムを覆すような斬新な政策を打ち出していくことで、不況を打開できる。
オランダは、かつて、何度も、そうして、苦境を乗り切ってきた。小さい国だが、人を大切にする国。小さいが、人の力を信用し、ありとあらゆる人材の知恵を使って国を支えようとしてきた。

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同じような状況にあったデンマークでも、昨年、革新勢力がポピュリズム政治を打開した。
他方、先週末行われたフランスの大統領選(1期)では、保守はサルコジが26%台に指示を落とし、革新派のオランドが28%でトップに立ったものの、オランダのPVVを同じく、反移民・反ヨーロッパを唱えるマリーヌ・ル・パンが、なんと20%で3位につき、フランス社会におけるポピュリズム拡張の姿を露呈させた。第2次大統領選では、ル・パンの支持票は、第1位の革新派オランドよりも、保守派サルコジに回る可能性の方が圧倒的に大きい。フランスも、今、大衆政治に振り回され始めている。




2012年3月21日水曜日

経済危機の中で山積する学校への課題と教員たちの不満の増長

オランダの教育がマスメディアで紹介されることも増え、日本からの視察や研修が今年になって殺到している。もとはと言えば、2007年に発表されたユニセフの調査報告で「オランダの子どもたちが、先進21か国中最も幸せ」という結果が出されたことに起因している。私は、世の中が、OECDの学力調査PISAで大騒ぎしていた時に、こちらの報告書を公の場で繰り返し繰り返し伝えていた。特に、「時々、またはいつも孤独を感じる」という子どもの比率が、先進諸国では、普通5=10%であるのに、日本では、29.8%にも達していること、他方、オランダでは、その数がわずか2.9%であることを、あちこちの講演で取り上げ、書物にも書いてきた。

 しかし、そういうことに、やっと日本のマスメディアが関心を向けるようになったのは、昨年末から今年になってからだ。多分、東日本大震災後、人々が、これまでの社会のあり方に疑問を抱くようになってきたことが背景にあるのだろうと思う。また、そんな中で、ブータン国王が訪れるなどして、「幸福」への関心が高まったからなのだろう。

 だが、2007年から5年を経た今、ヨーロッパは、世界金融危機を経て、さらに、ユーロ危機のさなかでもある。いずれの危機もうまく切り抜けてきたオランダではあるが、それでも、人々の生活、学校、子どもたちの育ちには、経済危機が大きな影を落とすようになっている。

 そういう意味では、「子どもが世界一幸せなんだってね」と聞いてオランダを訪れる日本人と、現実のオランダが抱えている状況との間には、かなりのタイムラグが存在する。

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 今月6日、オランダでは、各種の教員組合が中心となり、教員5万人参加のストライキが行われた。経済危機下で、ありとあらゆる社会問題が、学校という場に、縮図の様に浮き彫りになりつつあるからだ。

 オランダでは、1994年、インクルージョン教育の基本原則を示した「サラマンカ宣言」の年に、「もう一度一緒に政策」によって、学習困難児の普通校での受け入れ態勢が整えられた。オランダのインクルージョン教育の第1ステップだ。その後、2000年代に入って、さらに「リュックサック政策」が導入され、<軽度の>心身障害を持つ子どもたちが、特殊教育校から、普通校に通えるための制度が整備された。全国統一の基準で障害の査定を行い、一人ひとりの子どもが、普通児の教育費以上に必要とする資金が計上され、それを背中に背負って、自分が生きたい普通校を選べるようになったのだ。
 すでに、1994年から、普通校には、特別支援教師[IB教師]が置かれ、普通児も含め、すべての子どもの発達記録が義務付けられるようになっていた。マルチプルインテリジェンスの考え方が、全国の学校に敷衍していった背景でもある。すべての子どもには得意な面と不得意な面がある。それを、特別支援教師が記録し、どの子どもも、どの発達領域でも、右肩上がりの発達を維持できるように、という考えに基づいている。学級担任の先生は、半年ごとに行われる生徒発達モニターのデータを使って、生徒指導を工夫し、学級経営を改善し、必要であれば、外部の専門家のアドバイスを受けるシステムが作られた。
 そういうシステムづくりの上に導入されたのが「リュックサック政策」だった。
 そして、その延長上に、今年2012年には、「適応する教育」という名のもとに、すべての障がい児は、本人が希望すれば、普通校に入学できることになるはずだった。当然、学校側は、新制度の導入のために、新たな資金が支給されるものと期待していた。
 しかし、世界同時金融危機とユーロ危機は、国の国際また財政赤字を増大させ、挙句に、移民排斥傾向で右傾化してしまった政権は、これまでの教育改革は、「カネばかりかかった割には効果が上がっていないのではないか」という議論まで持ち出して、教育費緊縮に乗り出した。

 教員らのストの背景はそんなところにある。

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 実際、この10数年のオランダの教育改革を見てみると、1994年以来継続して強化されて来たインクルージョンの流れの他に、2000年代、ヨーロッパに蔓延した「イスラム教排斥」を背景とした、シチズンシップ教育の義務化もあった。先住のオランダ人も、移民として入国してきた外国籍の子どもたちも、お互いに、互いの違いを受け入れ、尊重し合い、なおかつ、民主的な社会にアクティブに参加し、社会貢献する市民として育ってもらわなくてはならない、というわけだ。その後ろには、少子化で高齢化社会するオランダを将来にない支える人材・積極的に社会参加し働く労働者の育成、という目的も当然ある。「個」としての個性を認められ、自律して行動でき、しかもなお、尊重された子として社会参加できる市民、それが、シチズンシップ教育の目的だ。

 そういう個別の能力、個性、考え方を尊重する教育は、点数で測れる学力だけに注目した学校からは生み出せない。

 だが、グロバリゼーションは、オランダはじめ、ヨーロッパの先進諸国に「失業」という大問題ももたらしている。中国やインドなどの安い労働力が、これらの先進国から、職を奪っているのだ。しかも、中国でもインドでも、国際的な経済市場で活躍できる、英語ができる、しかも、学力面では選りすぐられたエリートが毎年何千人という単位で社会に進出してきている。潤沢な社会福祉で、貧富の差を抑制してきたヨーロッパ諸国が生き残るには、知識・技術で勝負し、世界水準で引けを取らない企業活動を維持していかなくてはならない。何億という人口を抱える中国やインドの国々から、選りすぐられたエリートが送られてくる中、それに負けない学力の子どもたちを育成しているのかどうか、、、、為政者としては、学校を叱咤激励せざるを得ない、というわけだ。

 その結果、オランダでも、来年から、小学校最上学年での全国統一試験が「義務化」されることが決まった。しかも、その結果は、教育監督局のサイトで、学校単位に公表される。保護者は、大半は、学力という目に見える数値化された尺度に動かされやすい。「参加する市民」だの「社会性」だの「情緒の安定」だのと言った、人間として大切な資質は、多くは、数値化できないものであるのだが。

 というわけで、学校は、①学力試験導入、②シチズンシップ教育、③障がい児への「適応する教育」と一度に取り組まならなくてはならないという状況に陥っている。子供はと言えば、一方で、競争するな、お互い尊重せよ、と言われつつ、日々、体験型のアクティビティをやる一方、学力向上のためにも叱咤激励される。

 本当に優れた校長や教員チームがいる学校では、子どもたち一人ひとりに「自分の学習の仕方」を見出させ、できる子にもできない子にも、それぞれが継続して学力向上につながる刺激と場を与えている。だが、そんな学校は、少数派だ。誰にでもできるものではない。

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 学校の教師たちの中には、社会の要請によってさまざまの能力を求められ、自分らしく自分のテンポで、ゆっくりと能力を開花させることができない子どもたちを「守り」「代弁」しようとする人は多い。教員のストライキは、そんな教師たちの思いの表れでもある。

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 来年度からは「性教育」も義務付けられるのだそうだ。かつて、70年代ごろ、オランダの学校では「性教育」が当たり前だった。また、オランダ人の過程では、「性」についてオープンに語るのはごく普通のことだ。女性の人権は認められ、同性愛者の人権は、結婚が合法化されるまで認められるようになった。だが、そこに、再び、同性愛を「病気」扱いにしたり、同性愛者を差別罵倒するような、異なる文化背景の人々が社会問題化するようになった。異文化理解とはいえ、「人権」に関する問題は、法にまつわる問題であり、文化差のためだから、と受け入れるわけには、当然いかない。「性教育」再開、義務化の背景は、そんなところにある。

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 「学力偏重」「競争」で疲弊し、幸福感を失った日本からは、今、オランダの70年代以降の「一人ひとりの子どもの人権を尊重した個別教育」への関心が高まっている。しかし、そういうオランダでは、政権が率先して「競争」「学力向上」を声高に叫んでいる。

 日本からの視察・研修参加者には、そのあたりのからくりを、どうか見間違えないでほしい、と思う。いつの時代も、どの社会にも、為政者と教育者の間には、子どもの人権を介して、大きな軋轢がある。

2012年2月22日水曜日

「意見の違いを尊重する」のがシチズンシップ

2010年に平凡社から出した「オランダの共生教育」には、その後あちこちから反響があった。多分、日本の教室でも応用できそうな具体例が多かったこと、それらが、「なんだこんなことなのか」というような目からうろこのようなものが多かったからではないかと思う。

そんな中で、特に紙数を割いて紹介したのが、この10年余りオランダで成功を収めてきたシチズンシップ教育プログラム『ピースフルスクール・プログラム』だ。ユトレヒトの教育サポート会社が市の補助金を得、ユトレヒト大学の研究も兼ねて開発したもので、現在、全国に600校余りの学校が採用している。ユトレヒト大学の研究者とは、2008年に、駐日オランダ大使館の主催で私が開催の準備をしたシンポジウムに招かれたミシャ・デ・ウィンター教授だ。この分野では世界的に知られた研究者だ。

この『ピースフル・プログラム』については、日本の読者からも関心が高く、ある組織が日本版を作りたいと全編翻訳を依頼してきた。プライバシーの保護のため、組織名は挙げないが、賢明な判断だし、私自身、この種のシチズンシップ教育を日本社会に取り入れることは急を要する課題であると考えて、拙著の中でも紹介していた。

いずれにしても、翻訳事業が始まったことで、オランダ語の堪能な日本人女性6名に下訳を依頼し、私自身が監訳作業を行う、という作業が、今年前半の課題となった。下訳をしてくれる女性たちからは、
「自分が小学校でこういう授業を受けていたら苦労しなかっただろうに」
「小学生のわが子に対する言葉のかけ方がわかるようになりました」
などと、訳の作業そのものが楽しくて仕方がない様子だ。
そうして、書くいう私も、プログラム全編をくまなく読む機会を得られて、またしても、ため息・吐息、日本との格差をどうすれば縮められるだろう、と正直言って途方に暮れる。

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こういう私たちの気持ちを少しでも多くの方に共有していただくために、「オランダの共生教育」の中ではあげていなかった授業の例、その一端を紹介してみたい。

これは、小学校4年生(オランダではグループ6)の第6回目の『ピースフルスクール」の授業の様子だ。


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子どもたちは、いつものようにサークルになって短い協働ゲーム[勝ち負けのないゲーム]をして授業に入る。

先生は、「さあ、今日はみんなで何を学ぶのでしょうか」と言いながら、40分程度の授業の流れを説明する。そうすることで、子どもたちが、受け身にではなく自立的に授業に参加できるというわけだ。

今日の授業のテーマは『意見の違いを尊重する』

ははーん、日本人だって、教科書に書かれた「字面」だけなら、わかっているさ、というだろう。とりわけ、有名大学の入試をすり抜けてきたエリートなんぞは、「ふん」と鼻にもかけないのかもしれない。でも、この授業は、それを、体感させるための授業だ。

教室には、先生が用意しておいた「賛成」「反対」「わからない」という3枚の大きなカードが教室の3か所に貼られている。

そして、まず、子どもたちに、何かの「意見表明」をグループを作って考えさせる。

「学校にはケータイを持ってきてはいけない」
「体育は男の子が得意な科目だ」

などといった、身近で他愛のないものでいい。

こういう、子供たちの意見が分かれそうないくつかの「意見表明」をリストに並べ、一つ一つ、子どもたちに「賛成」「反対」「わからない」のいずれかを選んで、そのボードがかかった場所に移動する。

もちろん、それまでの4歳からの授業の中で、「意見が違うこと」は「どちらが正しいとか正しくないということではない」ということを子どもたちは学んできている。ここでの授業は、そんなことより、自分自身が持っている意見が何かに気づくこと、その理由を自分の言葉で説明できることだ。だから、先生は、それぞれのボードに移動する子どもたちのうち、進んで手を上げる子供たちに「論拠は何か」と聞くことになっている。

また、これには唸るのだが、、、指導書の中には、先生に対して、多くの生徒が別の場所に行っているにもかかわらず、一人ででも自分の意見に従って多数に逆らって自分のボードを選ぶ子を「ほめよ」と言っていることだ。

こんな授業を、いったい、日本のどこの小学校がやっているだろう?
日本の、せめて「公立」小学校が、すべての日本の子どもたちに、こうしていてくれていたら、今頃日本のマスメディアの脆弱さに絶望することはなかっただろう、、政治家の議論が感情的な怒声のやり取りになるという醜悪さは避けられたことだろう。

「論拠」を子どもたち自身に発言させ、それに他の子どもたちが耳を傾ける。授業では、他の人の「論拠」を聞いて『意見を変えることは可能である』ことを子どもたちが徐々に学ぶことを目指しているという。
相当に意識の高い日本人ですら、他人が自分の意見に意義を差し挟んでくると「凝り固まったように」感情的になり、独善的な態度を取り始める人は少なくない。そして、それは、異なる意見の交換から、さらに次のレベルの新しい見解が生まれるという議論をすることによって得られる合意形成ダイナミズムの障害になる。

このわずか40分の授業の中で、わずか9歳の子どもたちは『意見の違い』は、育ちや信条、観点の違いなどからくるもので、違いがあることこそが大切、違いによって自分を外から見直すことができる、と学んでいる。


指導書は、教員たちに、機会をとらえて色々なことについての子どもたちの意見を尋ねよ、意見に違いがあることのプラス面を強調せよ、と教えている。

子どもたちへの授業のまとめは、下記の様に至極単純で明快だ。


  • 意見は違うことがあります。
  • 誰でも自分の意見を持つ権利があります。
  • 自分の意見は変えることができます。
  • 私たちは、一人ひとりの意見を尊重します。


と。

何でもかんでも教科書の字面だけで勉強させ、その結果を多肢選択や「線でつなぐ」いとも安易なテストで「できた」「わかっている」と済ませてしまう日本の学校。

そういう学校で、長年タテマエを頭に詰め込まされてきたエリートたちは、こういう文章を見ても驚かず、「当たり前」のことではないか、というのかもしれない。「できない子」とレッテルを貼られてきた子供や大人は、もとより『意見』を持つことさえしない。

だが、実は、そういう、教科書至上主義の文化が、子どもたちと大人とを現実の世界から遠ざけてきたのだ。社会に対して、熱くなれない人々を生んできたのではないのか。

学校は、「社会に出る前に、そこで生きていくための練習をする場だ」とミシャ・デ・ウィンター教授は言う。

これも、さもありなん、、、と日本人もうなづくことだろう。

けれど、日本の多くの人が「社会」と考えているのは、産業化時代の「企業社会のことでしかない。そこには、労働運動の権利もなければ、働けない人の権利もない。差別のない社会、環境との共生、仕事と家庭生活のバランスのある生き方、などは、日本の学校がこれまでイメージしてきたものではない。

最近、オランダを訪れた日本の教育学者がこういった。
「やっとよくわかりました。日本の学校は社会人として企業人の姿しか目にない。でも、オランダの学校は、社会人とは、『市民』になることなんですね」と。

ことあるごとに「立場」「らしさ」が前面に来る日本の社会。一市民であるより、OO会社の社員であることが家庭生活にも地域社会でもすべてに重くのしかかってくる社会。人間はまず、何よりも平等な「市民」であること、それを教えなければ、やがて、大人社会は「立場」と「らしさ」で責任をすり抜ける人たちばかりになる。


2004年以来伝え続けてきたオランダの教育に対する関心がようやく広がり始めている。そして、何が日本の教育にかけていたのか、それに気づき、皆、驚愕している。たった一人で、驚愕・狼狽しなくてもよくなっただけ、状況は好転してきた。

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『維新の会』とやらが、いかに「新しくない」かということだ。世の中の人気取りの「甘言」を振りまき、外国に目を向けず(グローバル時代のユニバーサルな価値観、異文化共生などに関心はなく)、日本の未来へのビジョン完璧にたたきつぶす勢力だということに、いったいどれだけの人が気付いていることだろう。







2012年2月6日月曜日

新時代の教育を垣間見る

いやあ、かなり興奮しています。
 先週、ある団体の視察の一環で、久しぶりにハーグ市の教育サポートセンターを訪れました。全国でも指折りの優れたサポート機関です。何かと日本からの視察があるたびにお話を聞かせていただいているので、専門家の方たちとも顔なじみになり、私の活動にも理解を示してくださっています。

 二つ、大変印象的な最近の動きです。

1.CITOによる「学力」発達モニターに加え、子どもの発達段階をスケールにした『観察』型の発達アセスメントが、ネット上の入力で、しかも、かなり細かい分析をしてくれ、さらには、安価で市販され始めています。これは、0歳から、つまり、乳幼児期からの、個々の子どもの発達を、6か月ごとのマイルストーンに書かれた指標を基にして、観察を通して記録・入力し、子どもの発達特性を可視化する、その結果、指導法を発達段階に対して適合させる、子どもの能力のプロフィールを知ることで、発達に対する刺激の与え方を分化させる、などのために使えるもののようです。
 確かに、これまでCITOが行ってきたモニターは、かなり努力はされているものの、やはり、学力的な能力に傾いていましたが、この観察型のアセスメントを補完的に使うことにより、より子供の適正に寄り添った指導ができるようにしているのではないか、と思います。

2.IPC(国際初等カリキュラム)という、実に時代を先取りした、、、しかし、よく見ると、イエナプランのワールドオリエンテーションの理念と全く同じ考え方に基づく新しい総合的な学習のためのカリキュラムが、広く普及し始めていることです。もともと、IPCは、オランダのシェル石油会社が、海外に散らばる職員の子弟のために考案し始めたものとか。つまり、国際人として育つ子どもたちのために、国境の枠を書けない、地理・歴史、そして、理科一般などの総合的な学習のための教材を作ろうとしたことがきっかけだったようです。その後、イギリスの大学などの協力を得、中身を見てみると、イエナプランもそうですが、かなり、MITのセンゲ教授らのシステム理論の考え方、ひいては、「学習する組織(学校)」の5つの原則などもふんだん自在に取り入れられている感じがします。もともと、イエナプランのワールド織えんてしょんと、センゲらのシステム理論は、ほぼオーバーラップするくらいに相性のいいものなのですが。IPCがすごいのは、それを、年齢別、他教科との接続、なども含め、従来型の学校教育に接続させ、しかも、デジタル化を含み、次世代教育の形で、今可能なツールを最大限に利用して、未来の総合教育として教材化していることです。
 もともとインターナショナルスクールをベースに開発されてきたものなので、世界中のインターナショナルスクール500カ所以上に普及しているとのこと。HCOでは、ハーグ市にあるインターナショナルスクールでの普及もサポートしています。
 同時に、オランダ国内の小学校でも、新時代の「グローバル教育」を目指して、ワールドオリエンテーションやシチズンシップ教育の教材として普及が始まっている模様。

 もともと、オランダには「教育の自由」があるので、先駆的な教材を導入しやすいという素地があります。イエナプラン、フレネ教育などの影響のもと、サークル対話、コーナー学習、共同学習は、ほぼどの学校でもやるのが当たり前。これは、IPCのようなグローバル教育を導入するのに最適状況です。

 すでに、オランダの小学校の教室には、ほぼ完全にデジタルボードが黒板ないしはホワイトボードに入れ替わって設置されていますし、先生たちも、ウィキペディア方式で集められた、ありとあらゆるデジタル教材へのアクセスを難なくこなすようになってきています。もともと、学校を対象に作られた「教材」は、教科書ではなく、「指導の仕方」をまとめたもので、先生たちの自由裁量によって、中身を豊かに膨らませていくことを奨励したものが多い。また、HCOをはじめとするサポート季刊は、教員たちが新しい教育法に取り組む際に、1~2年の期間をかけて、ワークショップやコーチングによって後ろからしっかり支えてくれます。

 こういう指導の仕方が、そもそも、システマチックだし、教科書教育的ではない。

 産業型社会の一斉画一授業から、脱産業時代の、個別の発達保障と事件尊重の教育への移行は、「グローバル教育」の名の下で、一気に、また、急速に進んでいくことでしょう。気になるのは、こうした動きに対して、下手に、過去に産業化に成功した日本よりも、ネット文化の普及によって先進諸国の実態を手に取るようにしることができるようになったAALAの新興発展国・開発途上国の方が敏感であることです。なぜなら、こういう国には、国のリーダーたるべき人は欧米でエリート教育を受けるのが当たり前という伝統があり、国内のエリート教育でも、英語などの外国語が大変重視されてきたため、国内産のエリートたちの間の英語能力が大変高く、同時に、メンタリティでも、「批判力」(自分の頭で物事を相対的・客観的に考えることができる・それを言語化できる)を持った指導者が、絶対数として圧倒的に日本よりも多いからです。