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2010年5月6日木曜日

家庭を理由に政界を引く若手エリート政治家たち

 さる2月20日、アフガニスタンへの平和維持軍の派兵延長をめぐって、第4次バルケンエンデ政権が解散となった。もともと今年末までで撤退することが決まっていたアフガニスタン派兵だったが、アメリカ合衆国の外交圧力もあり、延長の可能性を匂わせていたキリスト教民主連盟(CDA)の首相バルケンエンデにたいして、当時副首相だった労働党(PvdA)のワウター・ボスは、派兵延長に断固として反対し、労働党は政権からの脱退を決めた。ついに、バルケンエンデ首相にとっては、なんと4回目の政権解散となった。

 というわけで、早速、6月9日に次期総選挙が予定され、それに向けて早速選挙戦開始となったのだが、、、。

 3月11日、現政権の最大政党CDAの次期リーダー候補といわれていたカミール・ユーリングス運輸大臣(36歳)が政界からの引退を発表、続いて12日には、なんと副首相で財務大臣のワウター・ボス(46歳)も引退を発表。二人とも、閣僚内の住職にある、しかも、どちらかというと若くて脂の乗り切った政治家たちであっただけに、この発言は国民をあっと驚かせることとなった。
 ユーリングスは今年37歳。若いがヨーロッパ議会議員の経験もある将来有望な政治家だった。
 他方、ボスは有名な石油会社ロイヤル・シェルに10年勤めた後、1998年から国会議員、2000年に37歳で財務省の国務次官という重職に就き、2002年以来労働党の党首として党を率いてきた。特に、2008年の金融危機以後、財務大臣としてマスメディアに登場しない日はない、というほど政治家中の政治家。経済政策運営の手腕については定評があった。突然の引退表明に、政界ばかりでなく、国民もあっと驚きの声を上げることとなったは当然だった。

 ユーリングスもボスも、引退の理由は、プライベートな生活にもっと時間を割きたいから、とのこと。
 特に、ボスの場合、ジャーナリストの奥さんとの間に、6歳を頭に3人の子どもがいる。父親として子どもたちの育児にもっと時間を割きたい、夫婦でバランスよく家事を分担したい、というのが理由だった。

 まあ政治家の世界、深く勘ぐれば政界から引きたくなるさまざまの事情は当然あったことだろう。一般に、国会議員、閣僚の給与は、日本などに比べるとずっと低いとも言われているし、それぞれ、党内でのいろいろな政治抗争が絡んでいないとも限らない。一般の国会議員に比べると、閣僚の仕事は比べ物にならないくらい多忙を極める、ともいわれる。

 それにしても、、、、おそらく、日本などからすると、閣僚ほどの地位にあり、しかも、30台、40台という脂の乗り切った仕事盛りの政治家が、別に、何か失敗をやらかしたとか、賄賂などの腐敗のうわさが立ったわけでもないのに、さっさと政界から身を引く、それも、家庭のために、などとは、想像もつかないことだろう。

 実にオランダらしい、と思う。

 女性たちからは、「ああ、ついに男性たちもかなり解放度が高くなってきたな」などとニンマリされている。確かに、夫婦間の家事や育児の分担は、オランダの夫婦関係の一つのスタンダードになってしまっている。いまどき夫は外で働いて給料を稼ぎ、妻は主婦業に徹するというような家庭はほとんどない。ましてや、政治家や閣僚になるほどの高学歴者の場合、夫も妻もお互いに専門職を持っているケースが多く、両方が、お互いに譲り合いながら、仕事と家庭生活のバランスをどう保っていくかは、夫婦関係の維持にかかわる問題になっている。

 ボスの場合、政界を引いたからと言って家庭にこもるつもりはもちろんないのだろう。家庭生活をほどほどに維持しながら、効率よくできる仕事に就きたい、ということなのかもしれない。いずれ、子どもたちが成長したら、また、政治家としてマス・メディアで話題になる人として復活する日も来るのかもしれない。

 パートタイム就業を正規就業化し、同一労働同一賃金の原則を徹底してきたオランダ。こうした制度が成り立ち、実践されてきた背景には、家事や育児という、賃金を払われることのない仕事に対する尊重、また、一人ひとりの生活の中での賃金獲得のための仕事と家庭生活、あるいは、社会参加活動といった多面的な活動のバランス、また、ひとりの人生における、生活の重点の移動(学習=資格獲得―勤務・キャリア形成―出産・育児―勤務への回帰―退職後の暮らし)といった観点からのいろいろな議論の積み重ねが行われてきた。そういう中で、すべての人が、それぞれに、自分らしい生活のバランス、自分らしい人生設計、デザインの仕方が、できる限り可能なように選択肢の多い制度が作られてきた。

 政治家や閣僚は公僕だ。しかし、公僕もまた、一人の私的人間、市民として、一度限りの人生を自分らしく生きる権利を持っている。そして、その権利をみずから体現してみせることは、自分の政治姿勢を公に示す一つのやり方でもある。

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