数年前に民営化された、ある国際的にも有名な(元)国立機関の職員と話をする機会があった。
この今は「企業」となったこの機関、これまでは、何の変哲もないコンクリート造りの、長い廊下に沿って事務室が並ぶいかにも(元)公営機関らしいオフィスを使っていたが、来年新しい社屋に引っ越しだ、と喜んでいる。
今度の社屋では「ニューワークなんだよ」という。
「なにそれ?」
ときくと、嬉しそうに、楽しみな様子で説明してくれた。
今度の社屋には、共同のスペースが広くあるだけで、個別の事務室はないんだ、という。毎日、会社に言ったら、自分が好きな場所に座って仕事をするのそうだ。もちろん、ちょっとリラックスするための場所、少しひとりになって仕事をするようなニッチェ的な場所、同僚と話をするためのコーナーなどもあるのだそうだ。
「管理職はどうするの?」
といったら、
「管理職も、一部を除いてその形式だよ」
とのこと。
話を聞きながら、オランダの学校の様子を思い起こしていた。
オールタナティブ系の学校がやってきた、オープンスペース、生徒の数よりたくさんある椅子やクッションなどの座る場所、モンテッソーリが好きなニッチェ、他学年の子どもたちが交われる廊下やホールなどがすぐに目に浮かぶ。
ただ、こういう形は、小学校だけではない。中等学校(中高)でもこういう形式がかなり広がってきている。スタディハウスという、大学進学コースの子どもたちの高等学校では、決まった教室がなく、授業ごとに教室を変わるし、ましてや、スタディハウス方式で、自学自習なので、メディア室、ホール、廊下、いたるところで、自分の計画に従って勉強を進めている。
モンテッソーリやダルトンの中学などは、こういうやり方がお得意で、新校舎の学校などには、広々としたランチルームとも休憩所ともつかない場があり、そこで、共同プロジェクトの打ち合わせをしたり、ノートを広げて勉強したり、友達と雑談したりしている。
多分、ニューワークになると、一番早く適応するのは、こういう学校で育ってきた20代30代の若手たちなのだろうな、と思う。
話をしていたその職員によると、
「ニューワークはね、かなりの企業が取り入れていて、その経験からすると、最初は結構嫌がって抵抗する社員がいるらしい。でもね、いったん慣れると、たいていの人が「もう元の形式に戻るのは嫌だ」って、そういうんだそうだ」
なるほど、、そうだろうなと思う。
いつも同じ部屋で仕事をするよりも、流動的に仕事をすれば、同じ会社のいろいろな社員と自然な出会いをすることも増えるだろう。それが、良いアイデアや、生産のための連帯感にもつながろう。
―――
かつて、60年代のヨーロッパ映画シリーズを見たことがある。あるイタリアの映画に、狭い長方形に仕切られた仕事場で、前に座って監督している課長のもとで、一斉授業の教室のように数列に並べられた事務机で、タイプを叩きながら仕事をしている社員の様子が映された。映画監督の意図は、産業化型社会の仕事場の象徴として、すでに、この時代に、それを風刺するつもりであったようだ。
こういう仕事場は、現に、ヨーロッパ社会ではずっと少なくなってきている。70年代に広がった機会均等意識、豊かな人間らしい仕事場を求める意識が、人々の職場環境に彩りを与え、空間的な余裕を与え、灰色のスチール製の事務机からの決別を果たしてきた。
そして、それがまた一歩、ニューワークの形で、職場環境をがらりと変える変革につながってきつつある。
―――
日本では、今でも、市役所だの、一般の(有名)企業だの、みんな、事務机を背中合わせにつきあわせ、社員たちは、まるで自分の砦を守るかのように紙ばさみを積み上げて、机にに向けて顔をうずめるように仕事をしている職場がほとんどだ。
あるかなり有名な教員養成大学ですら、「オープンクラス」と称する壁のない教室でありながら、子どもたちを、黒板に向けて列に並べて授業をしているし、職員室は、相変わらず、所狭しと詰め込まれた事務机で、うっとうしくなるような静寂を強制されて先生たちが座っている。
コンピューターでどこの誰とも交信できる時代。メモリースティック一本あればどこでもたいていの仕事がこなせる時代だ。しかも、仕事は、ますます、共同性、コミュニケーションを求められる。そうでなくては、良いアイデアは生まれず、そうでなくては、良い組織は生まれない。
かつて、西洋の教育者たちが、床に釘付けにされた机を叩き壊して、子どもたちが、自由に動け、サークルになり、床に寝転がって本を読める場を作ったという時代がある。そういうパワーで、日本の学校や会社が変わる日が来るのだろうか。いや、それくらいのパワーがなくては、これからの世界で、日本人が生きていく希望はない。
シャルリー・エブド襲撃事件の衝撃
9 年前
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