「教育先進国リポートDVD オランダ入門編」発売

Translate

2009年8月22日土曜日

校長職と学校共同体に危機?

 最近、オランダの小学校を訪ねていると、校長職の人材不足と、それに関連しているのか否か、共同体としての学校の危機を感じることが多い。原因は、この数年、以前に比べて校長職にマネジメント能力が強く求められるようになったこと、そして、それが、校長と教職員チームの間で摩擦を生むケースが増えている。

 オランダでは、数年前、ラムサム(補助金一括支給)政策がとられるようになった。

 もともと、オランダの小学校は、国からの補助が潤沢だ。しかも、その額は、公立・私立の別なく平等に支給される。毎年、10月に登録されている生徒数を報告し、その年に決められる一人当たりの国庫教育補助金が、頭数で支給されるという制度がある。(校舎や施設は、これも、公私立共々、市町村負担だ。)
 以前は、支給額がプールされ、学校は、使途別に申請して受給されていた。しかし、それでは、国(教育文化科学省)の事務管理が煩雑であると、グロバリゼーションの時代、すなわち、新自由主義的傾向の強い時代に、規制緩和という名のもとで、ラムサム政策が導入された。
 その結果、すべての小学校は、一括して受け取った額の中から、教職員への俸給、教材・設備購入、研修費などを、自校の運営管理活動の一環として、自己管理しなくてはならなくなった。毎年、会計監査も受けなくてはならない。

 言うまでもなく、この自由化には、「無駄を省く」という意図があったわけで、学校の校長たちは、カネの使途を自由に決められるようになったことよりも、「煩雑な仕事が増えただけで、使える予算は減っている」という不満の方が多かった。

 実際、ラムサム制度導入に伴い、市町村ごとに国と地方の補助金で運営されていた「教育サポート機関」の民営化が進み、これまでは、定期的・ほぼ自動的に受けられた研修も、学校がそれぞれの意思で選ぶようになった。
 教育監督局による評価方法も変わった。これまでは、教育活動に限定されていた評価が、会計監査と組み合わされることになった。
 4年ごとに更新する学校改善計画書と学校要覧の作成が義務付けられたうえ、ラムサム政策による事務手続きの増加で、すっかり不満だらけになった学校の管理職者たち。結局、監督局と学校の教育者たちとの利害すり合わせの中から、評価方法の簡素化が進んだ。

----

 そんな中で、学校のマネジメント能力が問われるようになってきた。

 長く務めた校長が退職して、新任の校長を選ぶ際に、教育者としての高潔さや信念よりも、マネジメント能力を優先する傾向が増えてきた。無論、校長の罷免権は学校自身にある。特に、私立校の理事会や教職員の発言権は、日本に比べるとはるかに大きい。それでも、ラムサム制度とそれにまつわる運営上の改革は、マネジメント能力優先の校長選任を、どの学校にも余儀なくさせてきた。

 比較的若い教員体験者が、自ら手を挙げて、管理職研修を受けて好調になるケースも多い。それならば、同僚の教職員との共同体験もあり問題は比較的少ない。しかし、教員の多くは、子どもの発達には熱心でも、運営には疎い、カネのことは考える余裕がない、という人が多いものだ。そんな中で、企業での経理、人事、総務など、マネジメント経験者が校長職に選ばれるケースが増えてきた。教育哲学より、マネジメントの特異な人材が求められるようになってきた。

 小学校を訪問すると、校長室にこもりっきりでキーボードを叩いている校長によく出会うようになった。視察交渉をしたり、実際に学校を訪れても、視察者に関心はなく、副校長や他の教職員に任せて知らん顔、という校長が多くなった。

------

 こういう傾向がもたらす不幸は、特にオールタナティブ系の学校でも深刻だ。

 モンテッソーリ、イエナプラン、ダルトン、フレネ、などのオールタナティブ系の小学校は、オランダでは特に、国がよい待遇をして尊重してきた。70年代にキノコのように増えたこれらの学校は、どこも、その時代に、教育哲学に燃えた熱心な教員たちが、国の政策に働きかけながら、子どもの個性と社会性をはぐくみ、親と協力して、「共同体」としての学校を育ててきた。その影響は、広く、他の一般校にも浸透している。
 だが、それができたのは、教育理念、教育方法の自由に支えられ、学校が、自律性・自由裁量を保障されていたからだ。教育面での自律性、自由裁量性は、今も、形の上ではきちんと保障されている。だからこそ、学校会計・運営の自由までが保障され、ラムサム制度の導入となった、ということもできる。
 しかし、経営の複雑化、運営の煩雑さが、その自由裁量性の中で、全体をオーケストラのように指揮していく校長の、「教育者」としてのリーダーシップよりも、マネージャーとしてのリーダシップを要求するようになってしまった。

 70年代に、熱気のように高揚したオールタナティブ教育運動だが、第1世代の職員たちは、すでに、退職の年齢になっている。退職の年齢になっても彼らは、マネージャーとしての校長職にはつきたがらない場合が多い。そんなカネの計算などまっぴらごめんだ、という人が多いのだ。
 現場の教員たちのほとんどは、すでに、第2世代。第1世代に比べて、「子どもたちの個性を伸ばし、共同体を作るために」という意気に燃えている職員たちは、オールタナティブ系の学校でもすっかり影をひそめるようになってきた。自分たち自身が、個別化・個人化の進んだ時代の産物で、社会変革への熱気などなくても幸せに生きている世代なのだ。

 






0 件のコメント: