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2009年3月26日木曜日

金融危機緊急経済回復プランの発表をめぐって


 米国のサブプライムローンに始まる世界規模の金融危機は、世界中の国々で、先行き不安を示しています。産業・経済市場のグローバル化によって、相互の依存度が著しく高くなっている中、世界規模の不況は、どこからきっかけをつかむのか、お互いにお互いの動きを察しつつも、先を読むことが難しく、具体的な対策を打ち出しにくい、前例のない状況を迎えています。
 
 そんな中で、日本では、数日前、突如として、「政労使三者が合意、7年ぶりに「日本型」ワークシェアリング」という文字が各新聞紙上に躍りました。それに至る議論もほとんど見られず、その後、発表された内容をめぐって展開される議論もほとんど続かなかったように思います。
 ワークシェアリングの元祖はオランダのポルダーモデルです。しかし、「日本型」ワークシェアリングとして示されている内容は、元祖のオランダのポルダーモデルには似ても似つかず、元来、ポルダーモデルを今採用するならば、苦境の日本経済と労働市場にかなりの効果を上げるのではないか、と思われるこの政策も、市民の議論を巻き込むどころか、なれあい合意に終わった感があり、未来に明るい見通しを開く、何よりも、労働市場で活動する一般市民にが未来に楽観を抱くことのできる、インパクトのある転換にはならなかったようです。

 他方、オランダでは、70年代の長い長い不況をもたらした「オランダ病」に奇跡の回復を与えた「パートタイム就業の正規化と賃上げ要求抑制という「ポルダーモデル」(日本では、オランダモデルとかワークシェアリングの名で知られるが、この用語では英語検索は無理)の切り札は、今回の危機にはもうありません。ただ、危機状況にあって、このポルダーモデルという労使協調の枠組みが、うまくいけば再び功を奏するかもしれない、という期待は若干あります。
(ポルダーモデルについては拙著「残業ゼロ授業料ゼロで豊かな国オランダ」をご参照ください)

 昨日、3週間の協議を経て発表された、現連合政権の「金融危機緊急経済回復プラン」の発表の様子と、それに対する反応について、報告します。金融危機に対するオランダの取り組みは何なのか、また、日本の取り組みとどこがどう違うのか、考えてみたいと思います。


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 今回の金融危機のニュースが伝わった当初(昨年9月)、オランダの経済は、ヨーロッパ内でも優等生(失業率は2.9%で欧州連合内最低)でしたし、経済活動も非常に健全と、ボス財務大臣の落ち着いた、国民を安心させるような態度と、人々のそれに応じた楽観とで、危機感はあまりなかったように思います。その後に続いた、ABN-AMRO銀行のベルギーからの奪還ドラマでも、オランダの選択はなかなかしたたかで賢明であったと思われます。

 しかし、この楽観ムードは、前回述べた、CPB(経済政策分析局)の経済見通しの発表後、急速に変化、楽観は一気に悲観へと変わり、世論にも、ひとびとの先行き不安を示す傾向が著しく上昇しました。いきおい、企業経営者側からも、労働者の側からも、政府はどういう方針で経済回復を推進するのか、一日も早く示せ、と迫る声が日増しに高まってきていました。また、つい先ごろ、2008年にノーベル経済学賞を受章した世界的に名高いアメリカ人経済学者ポール・クルーグマンが、欧州の金融危機対策が消極的であることに落胆している、というコメントを述べたことでも、政府に対する人々の圧力と期待は高まっていたと思われます。

 「キリスト教民主連盟」(CDA)を中心に、「労働党」(PvdA) と少数派の「キリスト教連合」(CU)とからなる元連合政権は、この3週間にわたって、危機対策プランのための話し合いを続けてきました。月曜日(23日)に予定されていた合意達成は難航し、ようやく24日夜遅く合意、昨25日の発表となりました。

 危機対策プランの骨子は、①2009年と2010年は、「持続可能性の高い」「革新的な」企業や生産を優先して、刺激を与えるために国庫投資を続け財政緊縮は2011年からしかやらない、②一般老齢年金AOWの受給年齢を65歳から67歳に引き上げる案に関し、向こう半年以内に、労使間協議で対案を提示できれば、検討する、という二つでした。

 ①の、向こう2年間にわたる経済刺激活性化策のための国庫投資額は、600億ユーロ。この投資により、不景気の終点時点で、「より新しく、清潔で、より効率的な経済が存在していることを目指す」とのことです。不景気回復を予想した2011年には、500億ユーロの財政緊縮が予定されています。
  ②のAOW(一般老齢年金)の受給資格年齢を65歳から67歳に上げるという案は、連合を構成している3政党が、唯一共通して同意できる削減策であったといわれます。財政削減案の中には、住宅ローン課税控除の制限、特別疾病一般法(AWBZ=国民保険制度の一種)の改正、世帯内の無所得者または第2所得者に対する課税控除の廃止などが挙がっていたものの、連合内の3政党の足並みがそろわず、財政削減案としては提示できませんでした。

 さて、3週間にわたる集中的な討議を経て、危機対策プランを発表した政権に対して、野党は一様にブーイング、翌26日から、第2院(衆議院に相当)で、このプランをめぐる国会討議が始まっていますが、すでにさまざまの批判の声が聞かれています。
 革新的な野党の側からは、社会党SPが、危機状況は急進的に新しい選択を迫ることによって「文化変容」をもたらすものと期待していたにもかかわらず、今回のプランにはそういう展望が見られない、とし、民主66党(D66)も、「恐るべきほどに野心に欠ける」とこき下ろし、「緑の左派党」(GL)は、財政削減案として挙がっていた提案に対して、タブーを切り込む意欲が見られない、と批判。他方、保守派の野党側からは、自民党(VVD) が、古い政治慣習ですべての問題を先送りしているだけだ、と述べ、最も右翼的傾向の強い、移民排他で知られるヘールト・ウィルダーズ率いる自由党(PVV)も、何らの緊急感覚も見いだせない、古い体質の政治だ、と頭ごなしに批判しています。

 ただ、今回の、緊急プラン作成の途上で野党各党が不満を抱いていたのは、プランの内容についてだけではなく、それを生み出す過程そのものにもあったようです。
 なぜなら、緊急プラン作成に、野党の意見が反映されるよりも以前に、協議の席上に、組合の代表と企業代表とが参加していたからです。

 組合(代表)と企業(代表)とを、オランダでは、ソーシャル・パートナーと呼びます。つまり、雇用をめぐる、労働市場での、雇用者と被雇用者のことです。

 これは、冒頭に述べた「ポルダー・モデル」にも関係があります。
 オランダでは、1982年、長い経済低迷期を打開するために、政労使の間で「ワッセナーの合意」という、合意書が署名されました。それは、「失業対策の諸側面に関する中央諮問書」という正式名称の文書ですが、これにより、労働者は、企業側が、十分な賃上げの余裕を持っているにもかかわらず、賃上げ要求を低く抑えることで、インフレを抑制し、対外競争力が維持できることを優先したのです。その代わりに、企業側は、フルタイムとパートタイム就業の区別をなくすことを受け入れ、それによって、フルタイムと同じように、同一労働同一賃金、男女平等待遇の原則に基づくワークシェアリングが実現し、雇用機会の拡大と失業率の低下につながったという背景を持っています。

 この、普通、日本などでは非常に考えにくい雇用者と被雇用者の間の協調的な協働関係の基礎づくりをしてきたのは、1950年に設立されていた「社会経済評議会(SER)」という組織でした。SERは、以来、労使間の協議の場を提供してきたからです。

 つまり、SERは、ポルダーモデルの基礎としてなくてはならぬ団体だったのです。

 今回、経済回復プランを作成するにあたって、協議に加わっていたというのは、まさに、このSERで、野党が批判したのは、プランを立てるという政治政策設定の場に、野党よりも先に、SERが優先されていたことです。

 もっとも、今日、国会討議が始まるまえの昨日の新聞NRC(自由主義系)には、下記のように書かれています。
「当然、、野党は、明日、討議に際して、<ヤジの鍋釜騒動>を展開するだろう。また、それが、当然野党の役割でもある」と。

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 というようなわけで、今後しばらく、危機対策の経済回復プランに対しては、さまざまの議論が展開されることと予想されます。また、その議論を新聞やテレビが並行して追いかけることによって、徐々に世論が形成されていくと思われます。ポルダーモデルとは、そう言う、政策決定においても、その後においても、ずっと世の中に議論が継続していて、何らかの契機によって、進行、停滞、修正、逆行を小刻みに繰り返すシステムなのです。一見して効率は悪いように見える、しかし、そのおかげで、市民と政治家の極端な乖離を防ぎ、国に対する信頼感を維持し、市民が参加意識を感じられるシステムです。

 現に、この数日間、ハーグ市にある首相官邸で、協議が行われている間、ずっと、テレビでは、政治討論番組に、野党の党首らが招かれて、懸案の議論を同時進行で討論していました。また、首相のリーダーシップ、政権第2党である労働党党首のボス財務大臣(副首相)についても、危機対策における、首相との関係の取り方、発言の仕方などについて、大学の専門家など、識者が招かれ、さまざまに批判・助言が、公のメディアの上で続けられていました。

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 さて、1930年代以来の最大の経済危機を迎えている世界。1980年代に、政労使の協調「ポルダー・モデル」で危機を乗り越えたオランダは、ワークシェアリングへの転換という切り札はもう使えません。ただし、今も、この時の、労使協調をベースにした合意形成の記憶は新しく、それが、今でも、この国の、危機状況における「連帯意識」の基礎になっていることがはっきりと見て取れます。

 今回の危機を乗り越えるための方程式は、世界のどこを探しても見当たらない。また、お互いがお互いの動きに依存し合っているという意味では、今後の世界規模の経済の動きは、アメーバのように形を変えながら決まっていくのではないか、と思います。

 戦後間もなくの時期から、早、60年余りにわたって、強調的な多元主義・機会均等をベースとしたヨーロッパ連合のつながりと協力体制を生んできた欧州諸国ですが、金融危機を迎えて、各国の経済立て直し策のために、国ごとの「保護主義」に反動している傾向もごく若干ですが見え隠れし始めています。(自動車会社ルノーの工場閉鎖をめぐるフランスの政策など)多国間の平等な立場に基づく協調、開かれた共同に対する反動の動きです。こうした保護主義に対して当然批判があるとはいうものの、それでは、各国の自律的な体制と、ヨーロッパ全体の世界に向けての安定成長や権益との間の関係はどうなるのか。金融危機への対策は、このことを再考するための、「ヨーロッパ連合」にとっての大きな試練であるのかもしれません。

 そういう中で、果たして、ポルダーモデルに基づくオランダの選択は、成功するのか失敗するのか、当分の間、予断が許せません。

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 ただ、こういう場面をこの国にいて観察しながら、日本の状況に比べてみて、常に感じていることがいくつかあります。

 それは、危機の中にあって、①オランダ人が、左右どちらの意見を見ても、「連帯」による解決を求めようという前提だけは、共有の意識として持っていること、②野党からの批判はあったにせよ、ポルダーモデルが確立していることによって、労使間協調の形で、労働者の意見が反映される場があるということを、国民が確信し信頼していること、さらに③こういう「連帯」の意識や国の政策決定のプロセスへの「参加意識」をマスメディアが同時進行の議論を提示することで確実に一般市民の目に見える形で補強していることです。
 
 政策決定のプロセスが、国民の目にはっきりと見えること、また、そこに国民が影響を与えるパイプが残されていると感じられることは、社会に対する参加意識だけではなく、その政策の結果が見えてきたときに、帰結に対する責任意識を醸成すること、すなわち「連帯感」の強化に役立つものです。

 先週末、私は、もう一つのブログ「地球を渡る風に吹かれて」http://naokonet.blogspot.com/の中で、日本における「日本型ワークシェアリング」について、その決定過程をめぐる状況についてのコメントを書きました。

 施策が功を奏するか否か、また、その施策が「持続性」の高いものであるかは、その策定に対して参加意識を持っている人の数がどれだけいるか、世論がどれだけ政治家の議論に密着して作り上げられ、政治家の無責任を防止するものとして機能しているか、にかかっていると思います。これこそが、まさに民主主義の姿なのです。

 モンスターのごとき大恐慌の怒涛を、人間社会を襲う、一つの大きな病気とたとえるならば、オランダは、十分にコンディションの良い体を病気がおそって来た状態、日本は、コンディションが最悪の上に厄介な病気がさらに襲ってきた状態、という風に見えます。

 マイナス成長と急激に広がった格差のある日本を、再び活力のある社会へと変える重要な鍵の一つは、政治家の堕落と腐敗だけではなく、それを表から批判しきれない民度の低さ、とりわけ、エリートと呼ばれる人々が批判の言論を忌憚なく展開できない、その受け皿になるべきはずのマスメディアの脆弱さを、アメリカやヨーロッパ並みの確固としたものに立て直すことであると思います。もしも、そのマスメディアを言いように牛耳っているのが、政治家自身と官僚なのであれば、その近視眼的で個人の私利私欲に傾く卑劣と、それによって民主主義の基礎を自ら瓦解させようとしている態度とは、厳しく追及されるべきです。しかし、その追求を誰がするのでしょうか。マスメディアが、民主社会の第3の権力として機能していないことの問題は、ここにあります。

 もしかすると、今の日本は、本当に抜け道を持たない閉塞の中にあるのかもしれません。しかし、エリートの質と民度とを高めるために考えられる唯一の方法は、学校で家庭で、現実の社会で起こっていることを忌憚なく話し合う場を設けることにほかなりません。それは、誰かの意見が、他のものよりも優れているだろう、と識者を探し出すためにではなく、それぞれが、全く平等な立場で、「自分はどう思うか」を考える場を設けるためです。それが作り出せないのであれば、日本の未来はなきに等しいものと思います。

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 戦後日本の最大の失敗は、日本に住むさまざまの層と背景の人々を、彼らの生活条件と未来の幸福を決める政治に、みずから意欲的に参加させることに失敗したことであると思います。



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