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2013年5月15日水曜日

デモクラシーの擁護者としての君主~~~ウィレム・アレキサンダー新国王の即位と解放記念日


メールマガジン「オルタ」2013年5月掲載分より転載


 

“自由は受け渡していくもの Vrijheid geef je door

 55日は日本では「こどもの日(端午の節句)」。他方、オランダではこの日は「解放記念日」です。第2次世界大戦終結間近、オランダはこの日にドイツの占領から解放されています。その前日4日は「戦没者追悼の日」で、アムステルダムのダム広場には2万人近くの市民が集まり、君主が戦没者追悼碑に大きな花輪を捧げ、20時ちょうどに2分間の黙祷が行われます。サマータイムでまだ昼間の明るさが続くダム広場には、老若男女、まさに、小学生や中学生も集まって追悼の黙祷をささげます。テレビを通してその様子を見ている全国の視聴者たちも、大半が、それぞれの場で、2分間の黙祷をします。

 戦争の痛みと占領軍ナチスによる思想統制。その暗い過去を記憶として思い出し、その上で5日「解放記念日Bevrijdingsdag」が「自由Vrijheid」の祝祭として祝われます。

 今年の「解放記念日」のキャッチフレーズは、「自由は受け渡していくもの」でした。5日の晩、これも恒例行事となった、アムステルダムの運河に設営されたステージの上での水上コンサートには、市民らが、徒歩で、また、ボートに乗って続々と集まってきます。開幕を間近にして、どこからともなく集まった人々が「自由は受け渡していくものVrijheid geef je door」と書かれた横幕を、次から次へと手渡しています。自由を享受していることの喜びを、歴史を通して世代を超えて受け渡していくという意味と、もう一つ、世界に対して、自由のない地域の人々、隣人らに受け渡していくもの、という意味との二つがあるのだと気づかされます。17世紀のオランダは、ヨーロッパの中でも比較的早い時期に、近代につながる啓蒙思想の揺籃となった土地です。自由・平等・博愛という近代市民社会の3原理につながる思想です。一旦、近代市民として自由を享受することを知り、議会制民主主義や法治国家の制度を持っていた国が、ドイツの支配によって自由を奪われた後、戦災の瓦礫と二度と帰らぬ隣人たちの記憶の中で、もう一度その「自由」を取り戻した時に人々が知った「自由」の重さ。それは、ただ漫然としたタテマエだけの美辞麗句ではなく、居なくなった同胞の命を守れなかった自身への罪悪感でもあったといえます。それは、本当の意味で近代的市民としての「良心の自由」を行使することを一度も経験したことがなかった戦時中の日本人、その後の日本とは、明らかに一線を画した人々の感情であったとも私には思えます。

 ところで、今年の「解放記念日」の水上コンサートは、例年に比べ、一層華やかさに包まれていました。それは、その数日前、430日にウィレム・アレキサンダー新国王の王位就任式が行われたばかりだったからです。ステージの真正面に設営された席には、ウィレム・アレキサンダー新国王とマキシマ王妃、そして、退位して再びプリンセスとなり、あたかも君主としての任務から解放されて、心なしかリラックスしているように見えるベアトリクス元女王が出席していました。コンサートでは、様々な層の国民を意識して、クラシック音楽だけではなく、ポップソングやモダンダンスも取り混ぜて行われます。注目の新国王夫妻は、時々、ステージ上の歌手とともに唄を口ずさみつつ、観衆の声に笑顔で応えていました。 

国会の会合として行われる、戴冠無き国王就任式

 さて、430日に行われた新国王即位式の様子は、日本でも放映され、おそらくご覧になった方も多いことと思います。しかし、この儀式がオランダ国会両議院の連合会合として行われたことは、日本ではどれぐらい知られているでしょうか。

 この日の午前、アムステルダムの王宮では、ベアトリクス女王が「退位」の署名をし、君主の地位がウィレム・アレキサンダー皇太子に譲られたことが宣言されました。ちょうど33年前、ユリアナ前女王が「退位」してベアトリクス皇女に王位継承された時に、公衆らが、ヤジを飛ばし、ユリアナ女王の声が聞こえないくらいに騒然としていたのとは打って変わり、今回の新国王の即位は、広場に集まった公衆からの暖かい歓声と喜びの表情に包まれていました。人々の間にまだ強い反独感情があった時代にドイツ人の夫を持っていたベアトリクス。33年間にわたる在位中、市民との距離を縮め、人権問題では積極的に擁護発言することを辞さない女王でした。

 ベアトリクス女王の「退位」と同日、午後に行われたウィレム・アレキサンダー新国王の就任式は、王宮に隣接した新教会で行われました。しかし、このセレモニーは、先にも述べた通り、オランダ国会(第一、第二院両院の連合)の会合として行われたものです。オランダの国王は、即位の時、誰からも戴冠しません。国民から選ばれた議員たちとの誓約を交わすという形で、両院を代表する第一院議会の議長の指揮のもとに「就任式」が行われます。オランダの王位は、あくまでも、議会制民主主義の制度にのっとって、国民の代表が王位にあるものと約束を交わして確約される地位なのです。

 これは、オランダという国が、もともと、市民国家としてスペインの支配から独立し、その後長く「共和国」だったこと、独立国家オランダの王制は、フランス革命以後、ナポレオンの支配を経て1814年になって初めて始まったもの、という歴史的背景と深いかかわりがあります。つまり、オランダの君主は、始めから、国家の支配者であったわけではなく、国づくりをしてきたのは市民たちであり、ヨーロッパが国家主義になった時代に、国の結束を象徴するシンボルとして国民によって召喚されて成立した地位であったということです。その地位に就いたのは、かつて世界的な覇権をほしいままにしていたカトリック国スペインからの自治権を獲得すべく、ネーデルランド共和国の独立運動を指導したオラニエ公ウィレムの血を引く子孫でした。

* セレモニーの模様は、日本でも多くの方がテレビを通して視聴されていたことと思います。(もし視聴されていなかったらwww.uitzendinggemist.nl/afleveringen/1340245をご覧になってみてください)

 以下は、新国王が就任式で行った演説と宣誓です。僭越ですが、拙訳をしてみました。日本の購読者の皆さんの理解の役に立つために、解説に代えて、パラグラフごとに括弧で小見出しをつけ、必要最小限の範囲内で註(*)を入れています。

ウィレム・アレキサンダー新国王の就任演説

オランダ国会両院議員の皆さん、
(立憲議会制民主主義王国の擁護者としての君主)
きょう、私は、オランダ国会両院による連合会議に、あなたがたの王となる宣誓をし、就任するためにここにいます。皆さんは、人々から選ばれた代表者として、ここ首都に集まってきています。このことは、私たちの立憲体制を象徴しています。
オランダ王制は2世紀間にわたって、議会制民主主義と切っても切れない関係を結んできました。のちに私が行う就任と宣誓とはこの関係を確認するものであり、それは「王国規約」と「憲法」とにのっとったものです。
(デモクラシーにおける市民と政府の役割・相互信頼)
デモクラシーは相互の信頼に根差します。市民が政府に対してもつ信頼。それは法に準じパースペクティブを示す政府です。しかし、政府が市民に対して持つ信頼も必要です。公共の利益に対して共同責任を持っていることを自覚し、お互いを擁護し合う市民たちです。公務を担うすべての者は、選挙によって選ばれた者であれ、指名・任命された者であれ、この信頼に対して貢献します。デモクラシーとは、このようにして維持されていくものです。
(君主が持つ責任)
「相互の信頼を獲得するということにおいては、小さい意味においても、また、大きな意味においても常に変わることなく存在する任務があります」そう母君は、彼女の、女王としての最後のクリスマススピーチで述べています。33年間にわたって、彼女は人々を信頼し、また、自らに与えられた信頼を裏切ることがありませんでした。それが彼女の権威の礎であります。彼女は、憲法に根差し、また、1980430日に即位によって厳粛に約束した諸々の価値を擁護してきました。彼女は、そのために、必要と思われる場では、自らの意見を述べてきました。なぜならば、君主がなんらの政治的責任を持たないという事実は、君主が自らの責任を負わなくてもよいということを意味するものではないからです。そうでなければ、私が、これから、このオランダ国会両院連合の会合の場で行う宣誓は、無意味なものとなるでありましょう。
(ベアトリクス前女王への感謝)
 貴方は自らが誓いを立てて約束した責任について完璧な意識をもって女王を務められました。貴方はみずからの公務義務に対して、完璧なまでにひたむきに尽くしてこられました。しかし、貴方は、同時に、人の娘であり、妻であり、家族の中心であり、母でもありました。そして、これらの責任のどの一つに対しても、全く同じように誠意を尽くすように勤められました。それは、時として、心の緊張を迫るものともなりました。しかし、あなたは、これらすべての義務が、皆一度に生き生きと結合されるものであることもご存知でした。あなたは、決して無駄に他の人の助けに縋り付くようなことがありませんでした。私生活において深い悲しみの底にあった日々においても、貴方は、最も愛に満ちた態度で、私たち皆に対して、深い信頼に根差した支えを与えてくださいました。
(大衆人気に拠らない君主)                              
 貴方は、父君による支えを得て、女王として、自分なりのスタイルを作ってこられました。上辺だけの人気は、貴方の航行の指針(コンパス)ではありませんでした。あなたは、一つの長い伝統の上に立っていることをご存じであったので、安定した混ざり気のない針路を維持してこられました。激しい荒波の只中にあっても静かに揺るぐことなく。
 私は、あなたの足跡を継いでいきます。私の公務に関して、私は、明確な像を抱いています。「未来が何をもたらすことになるのか」それは誰一人として知るものはいません。しかし、その道がどこにつながるものであろうとも、また、それが、どんなに長い道であろうとも、あなたの叡智とあなたの温かさを、私は、受け継いでいきたいと思います。私は、次のように言う時、それが、オランダとカリブ海の王国領に住まう多くの人々の感情を代表していることを知っています。私たちが、あなたを私たちの女王として戴くことが出来た何年間もの美しい年月を、あなたに感謝します。
(君主の個性)
どの君主も、その公務に対して、独自の貢献をするものです。どの君主も一人ひとり異なる人間であり、異なる時代の君主であるからです。王位は静的なものではありません。私たちの国法的規則の範囲内で、王位は、変化しつつある環境に対して、常に適応するものであります。こういう余裕は、閣僚も、オランダ両議院も、君主に対して認めています。
(君主の歴史的役割)
同時に、王位は、継続と共同性の象徴でもあります。それは、我が国の、国家としての過去に直接結びついたものであり、その過去は、今日もなお社会が全体として、今後さらに織りなしていく歴史の織物です。歴史の中に、私たちは、私たちが共有する諸々の価値の根拠を見いだします。これらの価値の中の一つは、君主が務める役割に関わるものです。君主は、共同体に奉仕すべくその公務を負うものであります。この土深く根を張った意識は、すでに1581年に、後にネーデルランドとなることになる国の出生証明ともいえるものとなった「放棄布告(het Plakkaat van Verlatinghe)」(*事実上のオランダ独立宣言にあたるもの)の中で両議院によって示されています。
(不確実性の時代における即位の意味)
私は、王国に住む多くの人々がみずから脆弱で不確実であると感じている時代に、王位に就きます。仕事において、あるいは、健康において脆弱であり、収入について、あるいは、生活環境において不確実な時代です。子どもたちが、自分の親たちよりもより良いものを得るようになるということが、以前に比べると必ずしも当然なことであるとは言えない状況と思われます。
(世界規模の多元社会に生きる市民)
誰にとっても、私たちは、私たちの人生に影響を与えるものごとの変化に対してわずかしか把握できていないように見えています。しかし、私たちの強さは、社会から引きこもって隠遁することにではなく、協働することの中に見出されるものです。家族・親族として、同朋として、通りや近隣に共に住む住民として、私たちの王国の市民として。そしてまた、国際的結束をもってしてのみ解決することが可能な、山積した課題に直面している、この地球の住民として。
(オランダ人のアイデンティティ)
結束と多様性。独自性と適応力。伝統が持つ価値への意識と未来がもたらすものに対する好奇心。このような特性が、私たちを、私たちの歴史の中で、今ある私たち自身の在り様として形成してきたのです。
(市民が持つ可能性)
 自らの可能性の限界を知るとともに、この限界を可能な限り拡げていこうとする衝動が、私たちをここまで大きく成長させてきました。今ここに立っている5人の卓越した同朋(*)は、その象徴的存在であるといえます。彼らは今日、ここで、一つの伝統的な役割を担っていますが、彼らは同時に、私たちが目指していこうとしているものの生きた証しでもあります。
*ウィレム・アレキサンダー新国王は、国王就任式にあたって、式後「就任」の事実を公衆に宣言する役割を持つ5名を、前例にない斬新なやり方で選んだ。ユリアナ女王とベアトリクス女王の場合には、ドイツ占領のレジスタンスや戦争の英雄を選んだが、新国王は、科学者、軍人、宇宙飛行士、スポーツマン、官僚を、「それぞれの分野で世界的に卓越したレベルに到達した人」として選任している。科学者はロバート・デイクグラーフ(プリンストン大学の高等研究所の所長を務める理論物議学者・数理物理学者)、軍人はペーター・ファンウーム(実の息子をアフガニスタンの平和部隊活動で亡くした軍総指揮官)、宇宙飛行士はアンドレ・カウパー、スポーツマンはアンキ・ファングルンスヴェン(オリンピックの馬上馬術で3度金メダルと5度銀メダルを受賞)、そして、官僚は、ルネ・ジョーンズボス(翻訳・通訳家から対米大使の任を経てきた外務省長官)である。
(個性ある市民が共同で作る社会)
 
そして彼らの後ろには、さらに何十万人ものその他の人々が、それぞれ自分なりに、一人ひとり他とは区別される存在として立っています。彼らの専心努力も欠くことのできないものです。私たちの国の希望は、一人ひとりそれぞれ独自の能力を持った人々すべての、小さな、そして大きな共同の中に見出されます。豊かな探究心、勤勉、そしてオープンさは何世紀もの年月にわたって私たちの強さの源でした。この強さをもって、わたしたちは世界に対しても多くの貢献ができます。
(市民の社会参加と関与の鼓舞)
王として私は、人々に自らが持っている可能性を積極的に利用するように鼓舞したいと思います。多様性が大きければ大きいほど、私たちの確信するところや夢も大きく異なるでしょう。たとえどこに生まれようとも(*)、オランダ王国においては、すべての人が自らの声を他者に聞かれるためにあげ、対等な関係に立って共に社会を築いていくのです。
*オランダは、昔から、移民を受け入れてきた国といわれる。特に、2000年ごろから、オランダでは、外国生まれの移民に対する排斥傾向が、社会に目立ってきていた。ここでの現地は、それが意識されていると思われる。
(デモクラシーの擁護者としての君主の公務)
 誇りを持って、私はこの国を代表し、新しい好機発見の助けとなりたいと思います。私は結束を固め、つながりを示し、私たちオランダ人が大きな喜びの時も深い悲しみの折りにも、一つになるよう務めます。そのようにして、わたしは国王として市民と政府の間の関係を強化し、デモクラシーを維持し、公共の利益のために尽くします。私はこの公務を感謝の気持ちを持って遂行していきます。私の両親が私に与えてくれた養育と、私がこの公務につくための準備としての時間を与えてくれたことに感謝して。これまで多くの人たちが助言や行為をもって私を助けてくれました。この方達すべてに感謝の辞を述べます。
(オランダ国王になるための準備)
 これまで何期かにわたる内閣が、オランダ国会の支持を得て、私が様々の異なる分野で独自の役割を担う機会を与えてくれました。それを通して私はオランダにおいて、またオランダのために多くのことを成し遂げることができました。この仕事を通じて、私は、自分が自分の立場において何を意味することができるかを意識できるようになりました。それはまた、例えば、水に対してどのように責任を持ったか変わり方をすべきか、ということなど、私たちの国にとって根本的なテーマについてどう関わっていくべきかの理解を深めるチャンスを与えてくれるものでもありました。
(マキシマ王妃の立場)
国内及び国際的な場での経験が、今の私を形成してくれました。私は、信頼に根差して、自分自身と世界に対してこう言います。私はこの公務を、確信をもって遂行する、と。このことについて、私は妻マキシマの援助にたいして、どれほど幸いを感じているかを意識しています。 彼女は自らの立場が時として彼女に要求してくる個人的な制約を理解しています。彼女は私たちの国を心より愛し、オランダ人の中のオランダ人となりました。彼女は、その多くの能力を持って私の王位としての公務と、私たちすべての王国に尽くす準備ができています。
(誓約宣誓)
オランダ国会両院議員の皆さん、
今日、私たちはお互いに私たちの相互の責任と義務を確認するものであります。
王国規約と憲法とは私たちの共通の基盤です。良き年月も、またそれほど良からぬ年月においても、私たちは頭を垂れることなく、きたる未来に向かって、共に完全なる信頼を持ってさらに建設を進めて行こうではありませんか。この確信を持って、私は、私に与えられた全ての力を持ってして、王として誠意努力していきます。
王国の人々に対して、私は王国規約と憲法を維持し遵守することを誓います。
私はわが全力をもって王国の独立と領土を守り維持して行くこと、すべてのオランダ人とすべての住民の自由と権利を守ること、これらの法律が私に対して良き信頼できる王として課するすべての手段を持ってこの国の繁栄を維持しまた向上して行くことを誓います。
心からの真意を持って、全能の神よ、われを助け給え。

 この宣誓の後、即位式では、両議院の議員一人ひとりが名前を呼ばれ、宣誓を行いました。信仰のあるものは、王と同じ「心からの真意を持って、全能の神よ、われを助けたまえ」という言葉で、また、信仰のないものは「これを誓います」という言葉で、王に対して契約を交わしました。

 

おわりに

 日本もまた立憲君主国です。日本の天皇も「象徴的存在」と言われます。日本国憲法の第1章第1条には『天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく』とあります。

 しかし、日本の天皇が象徴しているのが何であるのか、国や国民統合を象徴するとはどういうことであるのか、主権の存在する日本国民の<総意>とはなんなのか。明治維新になって近代国家の制度を作っていった日本に、本当に近代市民を創るという意識はあったのでしょうか。それがなかったことは、教育勅語とそれが生んだ全体主義思想が証明しています。日本人は、近代市民としての「自由」も、また、その自由を基盤とした「デモクラシー(民主主義)」のしくみも知らずに、戦侵略争に加担していきました。戦争が終わった時に、日本人に、「取り返した」自由などはなく、自由も民主体制も、実体も経験もないまま、あたかも、棚から落ちてきたものであるかのように、空気のように当然のものと受け止めてしまったのではないでしょうか。

 それは、この国の「主権ある国民の総意」が単なる「多数決による多数派意見」にすぎず、マイノリティの声は、公的な場でも、また、私的な場でも聞かれることがなく、多様な個性が共同で協力して社会を建設することなど、学校教育制度のしくみや理念としてどこにも存在しないものであることが明らかに証明しています。

 

 

 

 

 

2012年12月24日月曜日

宣誓と汗かき部屋

 12月21日、マヤ文明によると世界が崩壊するという予定だった日、娘の大学の卒業式だった。クリスマス前の気忙しい時ではある。どうしてこんな時に???と日本でならいぶかられるに違いない。オランダの大学はこんな風に、卒業式がバラバラ。なぜなら、学生が卒業要件に必要な単位を取得した時点で、申請して、卒業証書の授与が行われるという習わしだからだ。どの大学にもアカデミー館というような建物があり、年中卒業式をやっている。学部の規模にもよるが、大体10~20人程度を一グループにまとめてやるようだ。
娘の場合は15人ぐらいのグループだった。

卒業要件を満たして事務に卒業式の申請を済ませると、今度は、式をつかさどる教授との面談があった。個人面談で、どうしてこの学部を選んだのか、在学中にはどんな活動をしていたか、卒業後のプランは、などなどと話し合う。何を隠そう、卒業証書の授与の際に、卒業生一人の10分程度の紹介をするためだ。

さて、卒業式当日、その昔から、デカルトやブールハーベなど、世界的に有名な学者らが居を構えた ラーペンブルグ通りにあるライデン大学のアカデミー館(1516年設立された、元はドミニカ派の修道院のチャペルだった建物)に、卒業生たちは、招待された家族、親族、友人らと集まってくる。tトガと呼ばれる黒いマントと帽子をかぶった教授が二人、そして、式を補佐する事務官の女性たちとともに入場、卒業生たちは、会場より一段高い右手の席に一列に並ぶ。

医学部の場合は、卒業証書の授与は、医師免許の授与の意味を持つので、まず、これから医師になる卒業生たちに、オランダ医師会が作成した宣誓文が読み上げられ、一人ずつ、名前の呼ばれた卒業生が、「誓います」と宣誓しなくてはならない。

その宣誓文とは、以下のようなもの。(もとは、古代ギリシャのヒポクラテスの宣誓文に由来する。)
「Ik zweer/beloof dat ik de geneeskunst zo goed als ik kan, zal uitoefenen ten dienste van mijn medemens.
私は、私の隣人に奉仕するために、医学を可能な限りよく実践することを誓い(約束)します。

Ik zal zorgen voor zieken, gezondheid bevorderen en lijden verlichten.
私は、病にある人たちのために、健康を促進し、苦しみを軽減するべく治療に当たります。

Ik stel het belang van de patient voorop en eerbiedig zijn opvattingen.
私は、その患者の利害を前提とし、患者の見解を尊重します。

Ik zal aan de patient geen schade doen. Ik luister en zal hem goed inlichten. Ik zal geheimhouden wat mij is toevertrouwd.
私はその患者に対して危害を加えることをしません。患者の言葉によく耳を傾け、十分に情報を提供します。私は、私を信頼して委託されることについて秘密を守ります。

Ik zal de geneeskundige kennis van mijzelf en anderen bevorderen.
私は、自分自身の医学上の知識及び他者の医学上の知識を促進させます。

Ik erken de grenzen van mijn mogelijkheden. Ik zal mij open en toetsbaar opstellen, en ik ken mijn verantwoordelijkheid voor de samenleving.
私は、私の能力の限界を認めます。私は、自分自身を他に対してオープンにし、検証可能なものとして提示し、社会に対する私の責任を認めます。

Ik zal de beschikbaarheid en toegankelijkheid van de gezondheidszorg bevorderen.
私は健康管理の可能性を広げ、それへのアクセスを高めます。

Ik maak geen misbruik van mijn medische kennis, ok niet onder druk.
私は私の医学知識を、たとえなんかかの圧力の下でも濫用しません。

Ik zal zo het beroep van arts in ere houden.
私は、医師としての職業を栄誉あるものとして守ります。

Dat beloof ik.
これを約束します。
of:
または、

Zo waarlijk helpe mij God* almachtig.
真にこうあるべく、全能の神よ、われを助けたまえ。

*Gekozen is voor de algemene formulering 'God', waarbij studenten afhankelijk van hun geloofsovertuiging de naam van hun God in gedachten kunnen invullen.
一般的な表現としてGodが用いられているが、学生はそれぞれの信条に従って、自らの「神」とするところを独自の考えで内容として補うことができる。

(De nieuwe Nederlandse artseneed(2003))

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宣誓文の内容もさることながら、宗教心のあるものと、自由主義者との、言葉の違いが選択肢としてあることも注意を引く。また、最後の注意書きは、キリスト教者だけではなく、イスラム教やヒンズー教など、他の宗教の信者を想定していることは言うまでもない。

こうして、二つの宣誓の言葉のいずれかを選びながら、卒業生は一人ずつ宣言をするというわけだ。

DSCF7085.JPG

 先生がすむと、今度は、一人ずつ名前を呼ばれて、卒業証書に署名をする。無事署名が終わると、今度は、式を司る教授から、その卒業生の人となり、これからの計画などが披露される。
 


中学の時に、医学部に行こうと決意したときのこと、大学に入ってから印象を受けた授業、留学経験、ボランティア経験、進路への迷い、などなどが、時折ユーモアも交えて語られる。そして、卒業後、病院に勤めるもの、さらに研究を続ける予定のことなども紹介される。
アメリカで博士課程を取得してきた学生、初めは生物学をやっていたがのちに転学してきた子、「国境なき医師団」に参加することが人生の目的であるという女学生、老人医療に取り組みたいと考えている学生、両親の生まれ故郷スリナムで研修をして学んだという子、などなど、ここで一人一人が、どれほど個性のある選択として医学の道を歩み始めたのかが実に多様にうかがえるのである。


こうしてすべての学生の紹介が終わると、一人ひとりに、先の「宣誓文」と証書(ラテン語とオランダ語との両方で記載)とが手渡され、式は終了。15人ほどの学生のために、優に2時間は費やされていた。

その後、学生たちは、聴衆として会場にいた親族や家族から祝福の言葉を受けながら、ホールのカクテルパーティへ。ホールは、花束や祝辞で満たされ、カメラのシャーッターが切られ続ける。

半時間ほどして、学生たちは、三三五五に、らせん階段を上って2回の小部屋へと進む。この部屋は、ライデン大学の名物の一つで「汗かき部屋」といわれる部屋だ。この部屋は、その昔、博士号を無事授与される前に行われる最後の口答試験のための待合室だったもので、受験者は、どんな難しい質問をされることか、とひやひやしながら汗をかいて待っていたというのでこの名前がある。誰が始めたものかわからないが、合格した人が記念に自分の名を鉛筆で壁に書き残し、以来、卒業生が自分の名を書き残していく部屋となった。というわけで、ライデン大学の学生の落書き特権のある部屋だ。
床から天井まで隙間もなく書かれた名前の中には、オランダ王室のベアトリクス女王の名や、名誉博士号を授与されたネルソン・マンデラやウィンストン・チャーチルの名なども残っている。

http://www.leidenuniv.nl/nieuwsarchief2/1230.html

宣誓といい証書の授与といい、一人ひとりの個性を尊重して、卒業の儀式をしてくれるオランダの大学。工場生産物が出来上がったように、一斉に同じ服を着て、国旗を掲揚し、君が代を歌って、しかめっ面で証書を授与されても、社会に責任を持つ主体的な社会人は送り出せないと、改めて思う。大事なのは、そういうことではない。特に、グローバル社会に生きるグローバル市民の旅立ちとは、そんなものでは絶対にない。

2012年5月5日土曜日

親と何でも話せ、学校が好きで、生活に満足しているオランダの子どもたち

世界保健機構WHOのヨーロッパ支部が5年ごとに発表している、学童生徒の健康調査HBSCが発表された。調査ごとに参加国の数が増えるが、今年は、43か国。主としてヨーロッパの国々だが、アメリカ合衆国とカナダ、ロシアも含まれる。11歳、13歳、15歳の子どもたちを対象にした調査だ。

 かつて、ユニセフのイノチェンティ研究所が行った「ウェルビーング」の調査も、基礎データの一つとして、このWHOの調査結果が使われている。

 その中で、オランダの子どもたちのデータはどうだったか。目立った結果をまとめておこう。

 まず、圧倒的に目覚ましかったのは、Life Satisfaction(生活への満足度)だ。
11歳では第2位(女子94%、男子96%)だったものの、13歳(女子92%、男子97%)、と15歳(女子90%、男子96%)でともに調査対象国中トップだった。

 こうした生活への満足度は、当然、家庭や学校での生活状況が反映しているものだろう。

 現に、「母親と何でも話せる」子どもの比率は、11歳(女子92%、男子96%)で第4位、13歳(女子91%、男子91%)で第2位、15歳(女子90%、男子90%)で第1位。他国に比較すると、11歳までは、どの国もほぼ同じように母親と何でも話すが、年齢が上がるにつれて比率が下がっていくのに対して、オランダでは、それが高く維持されている。

 同じ傾向は父親との関係についてもいえる。「父親と何でも話せる」こどもの比率は、11歳(女子82%、男子90%)で第4位、13歳(女子74%、男子84)で第3位、15歳(女子71%、男子87%)で第1位だ。特に、男の子が思春期を通じて父親との良好な関係を維持しているのが興味深い。

 このような親との良好な関係は、友人と夜遊びをする立が、他国に比べてかなり低いことにも象徴されている。

 それでは、学校についてはどうだろうか。
学校が好き」と答えた子供の比率は、11歳で第9位、13歳で第4位、15歳で第15位と、全体としては、平均を上回るがそれほど目立った比率ではなく、かなり変動もある。しかし、「学校の課題をプレッシャーと感じるか」という質問に関しては、例年通り、プレッシャーを感じている子供の数が圧倒的に低く、顕著な結果を示していた。11歳では、39か国中38位(39位はスウェーデン)、13歳では、39か国中37位(38位、ギリシャ、39位スウェーデン)、15歳では、35位(さらに低いのは、フランス、ギリシャ、ハンガリー、スロヴェニア)だった。

クラスメートをKindでhelpfulだ」と答えている子供の数もかなり大きい。11歳で第4位(女子83%、男子78%)、13歳で第3位(女子83%、男子78%)、15歳で第4位(84%、77%)だ。夜遊びはしないが、学校の友人たちとの関係は良好なようだ。

 そのほかに、健康行動として目立っていたのは「朝食を毎日取っている」と答えた子供の数だ。11歳では女子93%、男子95%、13歳では、女子82%、男子87%、15歳では、女子75%、79%で、いずれも、調査国中トップというから驚く。

 また、インターネットや携帯電話の使用率が、調査国でも最低に近かったのが目立っていた。38jか国中、11歳では最下位、13歳で36位、15歳で33位だった。

 そのほか、気になるのは、たばこやアルコール、そして、オランダでは自由化されていることで有名な(ソフト)ドラッグの使用率だ。以外にも、どれもあまり高くない。5年前の前回の調査で、オランダ人の子どもたちのアルコール消費量が多いことが問題になっていた。オランダでは、ソフトアルコールの消費が、法律上16歳から認められているため、10代前半になると消費傾向が高かった。しかし、前回の調査後、全国的にキャンペーンが行われ、また、脳科学の専門家らが、アルコールの使用が脳の発達に悪影響を及ぼすという調査などが出たため、家庭でも、子どものアルコール使用を厳しく抑える傾向が増えていた模様だ。

 特に麻薬に関して言えば、とかく、麻薬取り締まりに躍起となるアメリカ合衆国、また、スイス、フランス、ベルギーなどの国の方が、オランダの子どもたちよりも使用率が高い。

 それでは、性教育が進んだオランダのセックス体験はどうか。これは、15歳の子どもたちだけが対象になっているが、女子で22%、男子で19%で、調査データが可能だった36か国中30位と、意外にも低かった。

 また、いじめについては、「過去1か月以内に2回以上いじめられたことがあるか」という質問に対して、「はい」と答えた子供の比率は、11歳で、38か国中26位、13歳で38か国中29位、15歳で、38か国中33位と、平均をかなり下回っていた。

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 以上が、オランダの子どもたちに関する目立った結果だ。他国についても、国ごとに詳細に検討してみれば、子どもたちのいろいろな姿が見えてきてなかなか面白い。

報告書は、英語で読めるし、ネットからだれでも無料でダウンロードできる。関心のある向きは、ぜひ見て見られるとよい。

http://www.euro.who.int/__data/assets/pdf_file/0003/163857/Social-determinants-of-health-and-well-being-among-young-people.pdf




2012年5月2日水曜日

G500:新しい形の若者たちの政治参加

2009年に、高校の授業必須時間の規則に抗議して、全国から2万人の高校生を集めてストライキを実施し、国会にまで行って、議員たちにスピーチをしたシウェルト・ヴァン・リンデン君。当時17歳だった彼の卓抜した行動力と弁舌の力に圧倒され、私は、わざわざ彼に会ってインタビューしたことすらある。(拙著「オランダの共生教育」でも取り上げた)

それから3年、21歳の大学生になったシウェルト君が、仲間たちとまたまた世間をにぎわす話題となるアクションを起こしている。G500という運動だ。

彼らの言い分を要約すると、「現在の政治は、戦後の団塊の世代の人々によって決められる政治で、若者たちの利害を反映していない。しかし、団塊の世代の老後を支えるのは、自分たち若者の世代だ。若者の政治議論をオランダの政治に反映させるために、18~35歳の若者を500人集め、彼らが皆一緒に、これまでオランダの政治を中心になって支えてきた3大政党の党大会に出席し、党内の議論の中に、若者の声を反映させる仕組みを作りたい」というようなことになるかと思う。

4月に発足したG500は、シウェルト君が、知識人や政治家なら絶対に見逃さない「バウテンホフ」という、日曜正午過ぎの政治討論番組に招かれて公表したことにより、わずか5日以内に500人の登録達成。35歳以上の市民からも、熱いメッセージが送られてきて、ついに、シニアの支持者団体G500+まで作られた。G500は500人の制限枠をやめて、さらに登録を受け付けている、という。

実にオランダらしい柔軟な若者たちの運動だ。

まず、若い世代の人々が、政治議論をするだけの情報を受け取っていること、それについて自分の立場できちんと議論できることだ。シウェルト君は、かつて、17歳で運動した時、LAKSという、全国の高校生組織の議長だった。LAKSは、80年代にできた組織だが、もともと、60年代の終わりにおこった大学生をはじめとする若者たちの民主化運動が母体にある。当時、高校終了時に受ける全国統一試験の試験問題の不備に対して苦情を受ける団体として始まった。この試験不備の苦情を受け付ける電話を、教育監督局が部屋もろとも提供したというのだから、驚く。その後LAKSは、ネイメーヘン大学の社会学の教授に依頼して、アンケート調査の仕方のアドバイスを受け、全国の高校生に「理想の学校」のあり方のアンケートをした。その結果は、深刻に受け止められ、教育監督局は、学校評価の一つとして、高校生自身による「評価」の試みも取り入れている。

こういうLAKSの動きは、現在では、政府も支持し、高校生の発言権、つまり、「教育を受ける側」の発言の権利を守るために、政府が予算をつけて、活動を保障している。おそらく、学生運動の時代を経て、こうした時代を経た指導者らが、80年代に制度整備を行った結果なのだろう。

LAKSは毎年、希望する生徒たちを集めて合宿研修を行い、そこで、法学者を招いて、教育を受けるものの発言権に関する、法規則の勉強会までやっている。LAKSの運営には、かつて高校生として運動していた先輩らが、NPO団体としてかかわっているともいう。もちろん、施設・運営費は国の予算からだ。

もちろん、若者たちの政治意識が高いのは、LAKSのような組織があるから、というばかりではない。オランダでは小学校から「時事」を取り入れているかが、国の監視基準に含まれている。だから、小学生でも、今話題の「時事」は一通り知っている。しかも、教室で、生徒たちが意見を交わす機会は、学校が意図的に用意する。「死刑制度」「同性愛の権利」「イスラム問題」「環境保存」などなど、われわれ市民を取り巻く時事を、子どもたちが、子どもたちなりに考える時間を尊重している。こうした時事問題への取り組みは、数年前に義務化された『シチズンシップ教育』によってさらに強化されている。『シチズンシップ教育』では、自分の意見を持つこと、他の人の異なる意見に耳を傾けること、文化や考え方の違う他者を尊重し、違いを乗り越えて、ともに意欲的に協力すること、コンフリクトの際には、暴力を使って強制したり、また逆に、譲歩して相手の言いなりになるのではなく、まず、自分の立場を明確にして、『議論』をすることによってウィンウィンの解決策を見いだす努力をすること、などが教えられる。

こうしてみていると、まことに、シウェルト君のような若者が出てくるのも当たり前のことだな、とうなずける。もちろん、彼個人の卓抜した才能があることも事実ではあるが、、、

ところで、G500の議論を見ていると、程度の差はあるにせよ、問題の本質は、オランダも日本も変わりないことが見えてくるのではないか。急速に進む高齢化社会の中で、縮小する若者世代の利害は共通だ。ただ、それを取り上げ、未来の世代として、責任を持った政治行動を起こしている、、、それができると彼らに思わせる、民主的で柔軟な社会環境があることが、日本とは大きく違うのではないか。日本の若者も、積極的に時事問題を考え、世界の動きを追い、G500のような動きにつながってほしい。

G500の運動は、すでに、ヨーロッパの諸外国でも注目され、サイトには、早くも英語版、フランス語版なども登場しているようだ。ヨーロッパに、G500の種がまかれるのかもしれない。広がるに値する状況はどこにでもある。まずは、サイトの英語版を見てほしい。

http://www.g500.nl/english/

時間のない方のために、下記、英語版の要約を翻訳したものを提示しておく。


G500 in Englishからの翻訳

G5002012年にオランダに設立されたばかりの若者の運動。G500の目的は、18歳から35歳までの若者を少なくとも500人集め、共同で3大政党、自由民主党、労働党、キリスト教民主連盟の党員登録をすることだ。これら3つの政党の党大会に出席することで、政党を若返らせ、私たちが緊急を要すると考える10の議題を提供していきたい。究極の目的は、政治の中核において幅広い連合を生み出すことにある。それは未来の政府にとっての基礎となり、それを通じて、オランダは来る未来に備えることができるだろう。
G500が発足してわずか5日以内に、500人の若者が登録。予想を超える関心の高さに応じるために、発起人たちはさらに多くの登録ができるようにした。35歳以上の市民からも多くの反響があり、G500+が作られた。彼らは、持続可能性の高い改革を推し進める意欲に満ちた若者たちの運動を支え、社会に広い支持があることを示していく。

なぜこういう方法なのか?
オランダでは、8つほどの政党から成る150の民主的に選挙された議員が政府をコントロールしている。法は多数決制に基づいて制定・施行される。しかし、政党の政策方針は、党大会において決議され、そこでは、その党の議事日程、つまり間接的には、国会の議事日程に従って比較的小さなグループの人々が決議を行っている。これらの党大会に出席している党員の年齢は比較的高く、若い政党の代表性は比較的低い。G500はこの均衡を修正し、世代間のコンタクトを促進し、我が国を、世代を超えて持続可能性の高い国にするために必要な改革を推進したいと考える。

なぜそれが必要なのか?
2次世界大戦後、ベビーブーマー(団塊の世代)が生まれた。オランダでもそうだ。彼らは、親の世代が戦災から国を立て直す間に成長した。速い速度での経済復興のおかげで、政府は、確固とした社会福祉ネットを実施することができた。また、誰もが健全なヘルスケアを享受するため、また、老後の(国家)年金を受け取るための保険料を支払うこともできるはずだった。しかしながら、個々人がヘルスケアを必要としたり、年金年齢に至るまでこれらの年金掛け金が貯蓄されるよりも、今日支払われている掛け金は、ヘルスケアがすでに必要だった他の人々、あるいは、明日の年金を支払うために使われているという状況だ。このシステムは、明日以降の未来には通用しない。
しかし今、この団塊の世代が退職し始め、寿命は延びている。何十年にもわたって保険料を支払ってきた、よいヘルスケアや年金をを当然受け取るべき大きな世代が、今、彼らよりもずっと規模の小さい若者世代の支払う掛け金で支援されなければならない状況となっている。これが問題なのだ。高齢者世代が急速に大きくなり、保険料を支払う働いている世代が縮小していることが! オランダ政府はこのことを何十年にもわたって知っていたにもかかわらず、その付けを先送りしてきた。

幅広い改革のための10原則
G500
は、イデオロギーを超えた幅広い改革のために10の原則を採択した。
1.    オランダは、例えば、ポーランドやエストニアなどの国々に比べて、教育に対して割くGDPあたりの予算比率が小さい。私たちは、子どもや学生に対して、質の高い教育を与えること、また、研究と技術革新に投資することでのみ、競争力のある、経済的に強力な国を維持することができる。教育及び研究・技術革新に対して投資すべきGDPあたりの予算をさらに2.5%増加させるべきである。
2.    ヘルスケアコストの大半は、しばしば高齢期、人生の最終段階の5年間に費やされる。私たちは、ヘルスケアのコストを支払うことのできる人々は自分でそれを支払うべきであると考える。そうすることによって、それを支払えない人々が、よいヘルスケアを享受できる。
3.    年金システムは新しい現実、すなわち、人々が職業を頻繁に変える状況に適応される必要がある。私たちは、人が、自分自身の年金基金を選択できる可能性を持つべきであると信じる。そうすることによって、人々は、年金資金として取られるカネの投資リスクに基づいて自分でどの年金を選択するか決定することができる。
4.    以前に比べてより多くの人々が、自営業を営むようになっている。それは、部分的には、起業精神の成長によるものだが、部分的には、経済危機のためでもある。私たちは、自営業者たちが、企業に雇用されて働いている人たちと同様の社会保障を変えることができるようにすべきであると考える。
5.    雇用規則は大半が、ある労働者が同じ企業に何十年もとどまるという時代に作られたものだ。これらの規則は更新の要がある。被雇用者に対して、短期契約を与えたり、数回の更新を繰り返すよりも、3年あるいは5年の契約を交わすことを、雇用者側にも被雇用者側にも認めるべきである。
6.    住宅市場は凍結状態にある。若い新規参入者は、低所得者向けの住宅が不足し、自由市場での賃貸価格が高騰する中、高い住宅価格と厳しい金融規則のために、ほとんど住宅を購入できない。住宅市場は、若い労働者にとって、仕事場に近い場所に、支払い可能な住宅を見つけることができるような改革を必要としている。
7.    外国産の石油への我々の依存度は高い。政治不安の高い地域から、不足土の高い石油に依存することを避けるためにも、我々は、2030年までに、少なくとも50%を、持続可能性の高いエネルギー源に依存するよう目的を定める必要がある。
8.   1960年代以来、オランダは、天然ガス資源からの重要な収入を享受してきた。この収入の大半を、政府は、ヘルスケア、社会保障、および国債利子の支払いのために使っている。我々は、この歳入の一部を、ノルウェーのように、国家『レイニーデー(低迷期救済)基金』として貯蓄することを求める。
9.  国家が責任のある国債を負うことには何の問題もない。それが借用されたのち10年以内に1ユーロたりとも不足なく返金するという約束を果たしてくれるのなら、私たちは低利子(コスト)を低く保つことができ、公債が世代を超えて継承されることを防ぐことができる
10. 我々の憲法は、政府は、富が、人々の間で公平に分配されることに責任を持つものであると明記している。私たちは、この責任は、単に、現今の世代に対してだけ通用するものではなく、来る世代に対しても負わされたものであると付け加えることが重要だと考える。こうすることによって、われわれは、政府が、請求書を未来の世代に先送りすることを避けることとなる。

2012年4月26日木曜日

ポルダーモデル加熱中~~~ユーロ危機下の政権解散

ぬいぐるみの『クマ』を連想させる小太りで、驕りのない人懐こい黒い瞳のヤン・ケース・ファン・ヤーハー財務相が、連日、与野党の党首や財務専門家の間を早朝から深夜まで駆け回っている。4月30日までに2013年の予算案を確定し、来年度の予算赤字を3%に抑える案を提出しなくてはならないからだ。ところが、幸か不幸か4月30日は「女王誕生日」で休日。週末・祭日に働かないつもりなら、何とか今日中に緊縮予算を確定しなければならない。

実は、こんなことがバタバタ起きることになろうとは、先週土曜日までは誰も予想していなかった。政権与党である、自由民主党(VVD)のマルク・ルッテ首相とキリスト教民主連合(CDA)のマキシム・フェルハーヘン副首相とは、すでに7週間にわたり、野党自由党(PVV)の党首ヘールト・ウィルダーズとの間で、予算案交渉を続けており、欧州連合への予算案提出締め切りを控え、先週末には合意が成立するというのが大方の見方であったからだ。


背景

なぜ、政権与党は、野党自由党との交渉を続けていたのか。その理由は、この政権が、史上稀に見る「少数政権」であったことによる。
2010年6月9日に行われた総選挙では、保守リベラル派の「自由民主党」(VVD)が、伝統的に多数を獲得してきたキリスト教民主連合(CDA)や労働党(PvdA)を抑えて躍進してトップの座に(150議席中31議席)。同時に、国粋派保守のポピュリズム政党「自由党」(PVV)も、選挙出馬2回目であるにもかかわらず24議席を取るという躍進ぶりだった。 おおざっぱに言えば、左派勢力が票数を圧倒的に落とし、右派および極右的な勢力が勢力を伸ばす、という格好だった。

とはいえ、連合交渉は難航。
もともと、オランダの政治は、キリスト教民主連合(CDA)が、右派の自由民主党(VVD)、左派の労働党(PvdA)と連合を組み、右に左に揺れながら政権を支えてきた。90年代に3期、キリスト教民主連合(CDA)が野党となった時期があるが、その時も「紫政権」と呼ばれるように、リベラル派(青)と革新社会主義派(赤)とが連合した、まさに「中道」そのものの政権だった。
だが、2010年の選挙結果は、左右両派の分極があまりに目立ち、連合交渉が試みられたものの、左派勢力が「自由民主党」(VVD)指導下で、厳しい緊縮財政を受ける用意はなく、決裂。結局、もともと「自由民主党」(VVD)の出身で、反ヨーロッパと反移民政策を唱えるヘールト・ウィルダーズの一人芝居に支えられた「自由党」(PVV)が、「一定の政策については、政権の法案を支持する」という条件で、野党に居ながら「政権パートナー」となる形の「少数政権」が10月に設立された。

極右政党を野党パートナーに取り込んだ少数政権設立後、緊縮政策が徐々に進められたものの、ヨーロッパの経済は2011年夏以降急速に悪化。ギリシャ、イタリアなど、南部諸国の経済不況を回復させ、ユーロ通貨を健全化させるために、欧州連合は、域内の財政政策に厳しい条件を付けざるを得なくなる。中でも、最も重要なのは、財政赤字3%以内・国債60%以内という条件の強化だ。

とはいえ、ヨーロッパ諸国では、ユーロ危機が始まる前のおよそ10年ほどの間、どこも、反移民・国境強化を求めるポピュリズムが蔓延。これらのポピュリズム政党は、元来、外国人の移入を嫌い、多国籍協働を嫌う保守派であるから、ユーロ危機によって、欧州連合の引き締めが強まることに対して反発する。

他方、オランダは、欧州連合の前身【石炭鉄鋼共同体】のスタートメンバーであることからもわかる通り、ヨーロッパの中でも、常に、積極的に多国籍協働を推進してきたことで知られる国だ。もともとオランダは移民が多い国ともいわれるし、諸外国との通商で経済を支えてきた国でもある。財政赤字3%制限も、昔から積極的に厳守に努めてきたし、対外的に、欧州連合の「優等生」というイメージがあった。そして、その好イメージは傷つけたくない。

少数政権与党のVVDとVDAは「親ヨーロッパ」であるのに対し、野党で政権パートナーであるPPVは「反ヨーロッパ」。7週間もの間交渉を続けながら、いつまでも合意に至らなかったのは、この立場の違いにもあったと思われる。


  3月20日、「経済政策分析局[CPB]]が試算したところによると、現行の予算案のままだと、来年度の予算赤字は4.6%で、当初の計算よりさらに0.1%上昇の見込み。欧州連合内の合意では、各国の予算赤字は3%以内に抑えるべきとなっており、そのためには、さらに96億ユーロの削減が必要だ、との勧告となった。

3政党の予算案交渉では、いくつかの点では合意ができていたらしい。公務員給与の引き上げ見送り、消費税の引き上げ(一般消費税19%から21%へ、減額消費税6%から7%へ)、住宅金融に基づく非課税措置の改正などだ。

しかし、先週土曜日4月21日、PVVのウィルダーズは、交渉参加を中止。「政権の緊縮案は年金生活者の生活を苦境に陥れる」「欧州連合の指示に言いなりになる必要はない」という言葉を、ジャーナリストらが突きつけるマイクで連発した。最近、相次いで党内の問題が起こり、有権者からの指示を落とし始めていた。このあたりで目立つ発言をする必要があると判断したのかもしれない。しかし、状況は逆で、交渉をやめて以来、与野党両派から批判の矢を受けている。


ポルダーモデル、元気に再開


 改正予算案提出締め切りぎりぎりで交渉決裂となれば、パニックになりそうなところだが、どうやら、テレビや新聞から伝えられるオランダ政治の状況は、むしろ逆で、政治家は、にわかに元気を取り戻しているように見える。交渉決裂で、政策実行不能となった与党は、政権解散を宣言したものの、与党の党首らも、野党の党首らも、まるで、「これでやっとPVV抜きでオープンに予算案を議論できる」と、腕まくりをして構え始めた感じなのだ。

7週間の間、首相官邸という密室で交渉が続けられて折り、インタビューが不可能だったマスメディアも、これでオープンに取材でき、その背景の掘り起こしに躍起になり始めた。

とはいえ、4月30日の締め切りは迫る。

というわけで、次期政権のための選挙を9月12日と定める一方、財務大臣ヤン・ケース・ファン・ヤーハーが、イニシアチブを取り、国会議論に備えて、野党の党首と、現在すでにほぼ完成している予算案に基づいて、調整交渉が始まった。今週に入って、連日、大臣は、各党の党首と会談し、譲歩を取り付け、財務専門家のアドバイスを受けている、という。党首らとの会談の合間に部屋から出てくる大臣をテレビカメラがとらえる。汗をぬぐいつつ、カメラに向かってにこっと笑って見せる。

結果はまだ出ていない。今日の審議で決まるのか、それとも、週末まで持ち込むのか、、、

いずれにせよ、欧州連合に対して財政赤字を3%に抑えた予算案を提出しなければ、欧州連合からは12億ユーロの罰金支払いが求められるという。そうなれば、国民の負担はなお一層大きくなる。しかも、国内の購買力がさらに下がり不況が長引けば、オランダ国債のランクも落ち、国際的にオランダ経済への信頼度が下がってしまう。政権が解散されたとなれば、国会が一段となって最善策を生み出すよりない、というわけだ。

「ポルダーモデル」について、かつて何度も紹介した。

「ポルダー」とは、海面よりも低い干拓地のことで、オランダの国土の4割がポルダーである。海面下の干拓地が水浸しにならないように、ポルダーの周りには、ダイクと呼ばれる堤防が築かれ、土地の周りに何重にも水路をめぐらせ、昔は風車で、現在は電力で中の土地の水をダイクの外に汲み上げ、人々の暮らしが水浸しにならないように守っている。

「みんなで一緒に協力して、私たちの足が水にぬれないようにしなくては」というのが、ポルダーを守ってきたオランダ人のメンタリティだ。このポルダーモデルが、かつて、80年代に、オランダにワークシェアリングを生む背景にあった。企業に対して、労働者は、企業投資のための余裕を残すために賃金引き上げを抑制して求め、逆に、企業は、購買力を維持するために労働者に「パートタイム就業の正規化」を認めた。そして、この政策は、人々に、勤労だけではなく、家庭生活や社会参加をしながら暮らすというゆとりのある生活の実現を可能にした。オランダ人の「幸福度」の高さの基盤となっているのは、このライフ・ワーク・社会参加の三つにバランスのある生活が保障されていることだ。

今回もまた、彼らの「ポルダーモデル」が動き始めている。政権が解散され、執政力を失ったのなら、指をくわえ手をこまねいているわけにはいかない。与野党の別なく、みんなで、何とか「合意」できる案を生み出さなくては、、、というわけだ。

ニコニコしているのは、財務大臣だけではない。交渉を決裂に導いたPVVの党首ウィルダーズを除いて、どの政党の党首もやる気満々だ。
もともと、オランダの政治家たちは、議論・討論能力に凄まじく長けた人たちばかり。主張のしどころ、妥協のしどころを心得ている。

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オランダの政治が面白くなってきた。
少なくとも、2000年ごろからオランダに淀んでいたポピュリズムの影が、少しだけ一掃された。これを機に、うまくこの危機を乗り越えられれば、そして、PVVの存在が、どれほどオランダの政治を停滞させたかということがマスメディアでオープンに見直されていけば、オランダ社会は、ポピュリズムの時代を少し脱皮できるのかもしれない。

経済を回復させる最も大きな要因の一つは、未来への『楽観』だ。政治家らが、どれだけ、柔軟に、そして、ニコニコと「大丈夫、私たちが責任を持って最善策を選ぶから」といってくれるだけで、消費者の財布のひもは緩むし、購買力は上がる。政治家は、この消費者(有権者)の信頼を取り付けて、パラダイムを覆すような斬新な政策を打ち出していくことで、不況を打開できる。
オランダは、かつて、何度も、そうして、苦境を乗り切ってきた。小さい国だが、人を大切にする国。小さいが、人の力を信用し、ありとあらゆる人材の知恵を使って国を支えようとしてきた。

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同じような状況にあったデンマークでも、昨年、革新勢力がポピュリズム政治を打開した。
他方、先週末行われたフランスの大統領選(1期)では、保守はサルコジが26%台に指示を落とし、革新派のオランドが28%でトップに立ったものの、オランダのPVVを同じく、反移民・反ヨーロッパを唱えるマリーヌ・ル・パンが、なんと20%で3位につき、フランス社会におけるポピュリズム拡張の姿を露呈させた。第2次大統領選では、ル・パンの支持票は、第1位の革新派オランドよりも、保守派サルコジに回る可能性の方が圧倒的に大きい。フランスも、今、大衆政治に振り回され始めている。