<?xml version='1.0' encoding='UTF-8'?><?xml-stylesheet href="http://www.blogger.com/styles/atom.css" type="text/css"?><feed xmlns='http://www.w3.org/2005/Atom' xmlns:openSearch='http://a9.com/-/spec/opensearchrss/1.0/' xmlns:georss='http://www.georss.org/georss' xmlns:gd='http://schemas.google.com/g/2005' xmlns:thr='http://purl.org/syndication/thread/1.0'><id>tag:blogger.com,1999:blog-4889188775624583220</id><updated>2012-02-06T20:29:32.446+09:00</updated><category term='人権問題'/><category term='教育'/><category term='経済'/><category term='政治'/><category term='ジャーナリズム'/><category term='労働'/><category term='人権'/><category term='経済、労働'/><title type='text'>オランダ　人と社会と教育と</title><subtitle type='html'>1999年に開始して続けてきた「リヒテルズ直子のオランダ通信」。2008年12月よりこちらに引越ししました。
オランダは民主主義的な市民社会の先進国。16世紀以来の近代化、市民社会作りの長い歴史を持っています。この国に暮らしながら見聞きする人々の姿、社会の在り方、そして、未来の社会作りとしての教育についての考え方や制度・政策などについて、現地での体験とオランダ語による情報をもとに、これからも報告していきます。</subtitle><link rel='http://schemas.google.com/g/2005#feed' type='application/atom+xml' href='http://hollandvannaoko.blogspot.com/feeds/posts/default'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/4889188775624583220/posts/default?max-results=100'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://hollandvannaoko.blogspot.com/'/><link rel='hub' href='http://pubsubhubbub.appspot.com/'/><author><name>リヒテルズ直子</name><uri>http://www.blogger.com/profile/09548745030915743508</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='21' height='32' src='http://3.bp.blogspot.com/-CQvXkgFX0x8/TyFsI_Pc0WI/AAAAAAAADbE/VXgdHo9mUoQ/s220/IMG_4798.JPG'/></author><generator version='7.00' uri='http://www.blogger.com'>Blogger</generator><openSearch:totalResults>35</openSearch:totalResults><openSearch:startIndex>1</openSearch:startIndex><openSearch:itemsPerPage>100</openSearch:itemsPerPage><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-4889188775624583220.post-4879174434842145874</id><published>2012-02-06T20:29:00.000+09:00</published><updated>2012-02-06T20:29:32.452+09:00</updated><title type='text'>新時代の教育を垣間見る</title><content type='html'>いやあ、かなり興奮しています。&lt;br /&gt;　先週、ある団体の視察の一環で、久しぶりにハーグ市の教育サポートセンターを訪れました。全国でも指折りの優れたサポート機関です。何かと日本からの視察があるたびにお話を聞かせていただいているので、専門家の方たちとも顔なじみになり、私の活動にも理解を示してくださっています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　二つ、大変印象的な最近の動きです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;１．CITOによる「学力」発達モニターに加え、子どもの発達段階をスケールにした『観察』型の発達アセスメントが、ネット上の入力で、しかも、かなり細かい分析をしてくれ、さらには、安価で市販され始めています。これは、0歳から、つまり、乳幼児期からの、個々の子どもの発達を、6か月ごとのマイルストーンに書かれた指標を基にして、観察を通して記録・入力し、子どもの発達特性を可視化する、その結果、指導法を発達段階に対して適合させる、子どもの能力のプロフィールを知ることで、発達に対する刺激の与え方を分化させる、などのために使えるもののようです。&lt;br /&gt;　確かに、これまでCITOが行ってきたモニターは、かなり努力はされているものの、やはり、学力的な能力に傾いていましたが、この観察型のアセスメントを補完的に使うことにより、より子供の適正に寄り添った指導ができるようにしているのではないか、と思います。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;２．IPC(国際初等カリキュラム)という、実に時代を先取りした、、、しかし、よく見ると、イエナプランのワールドオリエンテーションの理念と全く同じ考え方に基づく新しい総合的な学習のためのカリキュラムが、広く普及し始めていることです。もともと、IPCは、オランダのシェル石油会社が、海外に散らばる職員の子弟のために考案し始めたものとか。つまり、国際人として育つ子どもたちのために、国境の枠を書けない、地理・歴史、そして、理科一般などの総合的な学習のための教材を作ろうとしたことがきっかけだったようです。その後、イギリスの大学などの協力を得、中身を見てみると、イエナプランもそうですが、かなり、MITのセンゲ教授らのシステム理論の考え方、ひいては、「学習する組織(学校)」の5つの原則などもふんだん自在に取り入れられている感じがします。もともと、イエナプランのワールド織えんてしょんと、センゲらのシステム理論は、ほぼオーバーラップするくらいに相性のいいものなのですが。IPCがすごいのは、それを、年齢別、他教科との接続、なども含め、従来型の学校教育に接続させ、しかも、デジタル化を含み、次世代教育の形で、今可能なツールを最大限に利用して、未来の総合教育として教材化していることです。&lt;br /&gt;　もともとインターナショナルスクールをベースに開発されてきたものなので、世界中のインターナショナルスクール500カ所以上に普及しているとのこと。HCOでは、ハーグ市にあるインターナショナルスクールでの普及もサポートしています。&lt;br /&gt;　同時に、オランダ国内の小学校でも、新時代の「グローバル教育」を目指して、ワールドオリエンテーションやシチズンシップ教育の教材として普及が始まっている模様。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　もともと、オランダには「教育の自由」があるので、先駆的な教材を導入しやすいという素地があります。イエナプラン、フレネ教育などの影響のもと、サークル対話、コーナー学習、共同学習は、ほぼどの学校でもやるのが当たり前。これは、IPCのようなグローバル教育を導入するのに最適状況です。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　すでに、オランダの小学校の教室には、ほぼ完全にデジタルボードが黒板ないしはホワイトボードに入れ替わって設置されていますし、先生たちも、ウィキペディア方式で集められた、ありとあらゆるデジタル教材へのアクセスを難なくこなすようになってきています。もともと、学校を対象に作られた「教材」は、教科書ではなく、「指導の仕方」をまとめたもので、先生たちの自由裁量によって、中身を豊かに膨らませていくことを奨励したものが多い。また、HCOをはじめとするサポート季刊は、教員たちが新しい教育法に取り組む際に、1～2年の期間をかけて、ワークショップやコーチングによって後ろからしっかり支えてくれます。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　こういう指導の仕方が、そもそも、システマチックだし、教科書教育的ではない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　産業型社会の一斉画一授業から、脱産業時代の、個別の発達保障と事件尊重の教育への移行は、「グローバル教育」の名の下で、一気に、また、急速に進んでいくことでしょう。気になるのは、こうした動きに対して、下手に、過去に産業化に成功した日本よりも、ネット文化の普及によって先進諸国の実態を手に取るようにしることができるようになったAALAの新興発展国・開発途上国の方が敏感であることです。なぜなら、こういう国には、国のリーダーたるべき人は欧米でエリート教育を受けるのが当たり前という伝統があり、国内のエリート教育でも、英語などの外国語が大変重視されてきたため、国内産のエリートたちの間の英語能力が大変高く、同時に、メンタリティでも、「批判力」(自分の頭で物事を相対的・客観的に考えることができる・それを言語化できる)を持った指導者が、絶対数として圧倒的に日本よりも多いからです。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' 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/&gt;&lt;br /&gt;まずはじめに出てきたスキャンダルは、昨年3月に解散した前政権の副首相ワウター・ボスをめぐる、オランダの政治家たちとアメリカ合衆国政府とのやりとりだった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;労働党の党首だったボス氏は、オランダ軍のアフガニスタン派兵延長に反対し、これが原因で、連立政権を脱退していた。解散前からすでに、連立政権の両翼だったCDA（キリスト教民主連盟）とPvdA（労働党）の間には、かなり深い亀裂があり、CDAのバルケンエンデ首相とPvdAのボス副首相との関係は犬猿の仲らしい、という噂もあった。ウィキリークスによって漏れてきた外交文書の内容は、どうやらそのことを裏付けし、具体的な内容も教えてくれるものだった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;1月20日付のNRC紙は、漏洩された文書から、CDAの政治家に近いトップ官僚らが、アメリカ合衆国経由で、ボスに圧力を掛けるよう働きかけていた、という事実が浮かび上がった、とつたえた。「ボスは、副手層を引退したあと、国際的なキャリアをつもうと野望を燃やしているから」と示唆して、NATOのオランダ対しやアメリカからの対しらを通して、アメリカ合衆国が「ボスの国際的な信用はアフガニスタンからの撤退を頑強に主張することで失われるだろう、国債キャリアへのチャンスはなくなるぞ」とか「オランダはアフガニスタン戦争に参加しているからG20にも招待されているのだ」ということを、ボスに伝えて、圧力をかけて欲しいと繰り返し頼んでいたらしいことが、明らかになった、という。これは、この後、テレビでも話題となり、新聞紙上でも議論がかわされた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;もっとも、アメリカに圧力をかけていたCDAは、すでに、解散後の選挙で議席数が半減している。もともと、CDAが、伝統的に親米的な政党であることは、だれでも知っている。だから、今回のスキャンダルは、天地をひっくり返すような大騒ぎにはならなかったし、国民は「ああ、その程度のものか」と思ったのかもしれない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;それからおよそ20日ほど経過したわけだが、今も、夕方8時のプライムタイムのニュースでは、「今日のウィキリークスの話題は、、、」という感じで、定番のスポットになってきている。たいていは、それほど大きな話題ではないが、それでも、出てきた情報を処理するのはマスメディアの仕事だ。何しろ、外交機密文書とあっては、官僚や政治家に任せられる仕事ではない。さりとて、何もしなければ、国民は自国の政治形のやりとりに無知蒙昧な状態に放置されることになる。面倒でも、今、世界中の誰にでもアクセスできる情報の中に、オランダの交換たちのどんなやりとりが漏れ伝わっているのかを把握しておくのは当然だ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;アメリカの覇権にゆらぎが見え、中国やインドなどが台頭し、北朝鮮という爆弾を抱え、ロシアの陰も見え隠れしているアジア・極東状況。そんな中で、日本の交換とアメリカ合衆国政府筋との間でどんなやりとりが交わされているかは、多分、日本に関心のある外国の交換ならすぐにでもウィキリークスに接近して情報をつかむことだろう。そうして、それをもとに、日本に働きかけてくるのではないのか？&lt;br /&gt;そんな折に、日本国内の住民が、そういう情報を知らされていなければ、政治家や官僚たちは、いったい、どういう対応を取るつもりだろう？どうやってつじつまを合わせるつもりだろう？&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ウィキリークスに対する、オランダのマスメディアの対応は、マスメディアの役割とは何かを鮮やかに見せてくれている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;－－－－&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;そんな中で、チュニジアに端を発し、アラブ世界の民主化運動が始まった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;民主運動をやる民衆らは、ネット情報でもかなり繋がっているらしい。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;どうやら、世界がいよいよ民主化運動に向けて動き始めたのかな、とも思える。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;政治を、独裁者や馬鹿な官僚に任せているわけにはいかない、と一般民衆が怒りの声を上げ始めている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;アメリカなど西側の報道に対抗する、アルジャジーラの活躍も目覚しい。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;－－－－&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;そういう世界のメディア状況の中で、日本では、ウィキリークスの漏洩情報を伝える媒体が少ない。日本の主流のメディアは、まだ平和ボケから冷めずに、眠りこけているのではないのか。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;そんな中で、やっと今日、こんなサイトを見つけた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://wikileaks-japan.blogspot.com/search/label/%E6%97%A5%E6%9C%AC"&gt;http://wikileaks-japan.blogspot.com/search/label/%E6%97%A5%E6%9C%AC&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-family: 'ＭＳ 明朝', serif;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-family: 'ＭＳ 明朝', serif;"&gt;　&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;div class="MsoNormal"&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-family: 'ＭＳ 明朝', serif;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="MsoNormal"&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-family: 'ＭＳ 明朝', serif;"&gt;　&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="MsoNormal"&gt;&lt;span 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/&gt;&lt;br /&gt;話を聞きながら、オランダの学校の様子を思い起こしていた。&lt;br /&gt;オールタナティブ系の学校がやってきた、オープンスペース、生徒の数よりたくさんある椅子やクッションなどの座る場所、モンテッソーリが好きなニッチェ、他学年の子どもたちが交われる廊下やホールなどがすぐに目に浮かぶ。&lt;br /&gt;ただ、こういう形は、小学校だけではない。中等学校（中高）でもこういう形式がかなり広がってきている。スタディハウスという、大学進学コースの子どもたちの高等学校では、決まった教室がなく、授業ごとに教室を変わるし、ましてや、スタディハウス方式で、自学自習なので、メディア室、ホール、廊下、いたるところで、自分の計画に従って勉強を進めている。&lt;br /&gt;モンテッソーリやダルトンの中学などは、こういうやり方がお得意で、新校舎の学校などには、広々としたランチルームとも休憩所ともつかない場があり、そこで、共同プロジェクトの打ち合わせをしたり、ノートを広げて勉強したり、友達と雑談したりしている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;多分、ニューワークになると、一番早く適応するのは、こういう学校で育ってきた20代30代の若手たちなのだろうな、と思う。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;話をしていたその職員によると、&lt;br /&gt;「ニューワークはね、かなりの企業が取り入れていて、その経験からすると、最初は結構嫌がって抵抗する社員がいるらしい。でもね、いったん慣れると、たいていの人が「もう元の形式に戻るのは嫌だ」って、そういうんだそうだ」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;なるほど、、そうだろうなと思う。&lt;br /&gt;いつも同じ部屋で仕事をするよりも、流動的に仕事をすれば、同じ会社のいろいろな社員と自然な出会いをすることも増えるだろう。それが、良いアイデアや、生産のための連帯感にもつながろう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;―――&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;かつて、60年代のヨーロッパ映画シリーズを見たことがある。あるイタリアの映画に、狭い長方形に仕切られた仕事場で、前に座って監督している課長のもとで、一斉授業の教室のように数列に並べられた事務机で、タイプを叩きながら仕事をしている社員の様子が映された。映画監督の意図は、産業化型社会の仕事場の象徴として、すでに、この時代に、それを風刺するつもりであったようだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;こういう仕事場は、現に、ヨーロッパ社会ではずっと少なくなってきている。70年代に広がった機会均等意識、豊かな人間らしい仕事場を求める意識が、人々の職場環境に彩りを与え、空間的な余裕を与え、灰色のスチール製の事務机からの決別を果たしてきた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;そして、それがまた一歩、ニューワークの形で、職場環境をがらりと変える変革につながってきつつある。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;―――&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;日本では、今でも、市役所だの、一般の（有名）企業だの、みんな、事務机を背中合わせにつきあわせ、社員たちは、まるで自分の砦を守るかのように紙ばさみを積み上げて、机にに向けて顔をうずめるように仕事をしている職場がほとんどだ。&lt;br /&gt;あるかなり有名な教員養成大学ですら、「オープンクラス」と称する壁のない教室でありながら、子どもたちを、黒板に向けて列に並べて授業をしているし、職員室は、相変わらず、所狭しと詰め込まれた事務机で、うっとうしくなるような静寂を強制されて先生たちが座っている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;コンピューターでどこの誰とも交信できる時代。メモリースティック一本あればどこでもたいていの仕事がこなせる時代だ。しかも、仕事は、ますます、共同性、コミュニケーションを求められる。そうでなくては、良いアイデアは生まれず、そうでなくては、良い組織は生まれない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;かつて、西洋の教育者たちが、床に釘付けにされた机を叩き壊して、子どもたちが、自由に動け、サークルになり、床に寝転がって本を読める場を作ったという時代がある。そういうパワーで、日本の学校や会社が変わる日が来るのだろうか。いや、それくらいのパワーがなくては、これからの世界で、日本人が生きていく希望はない。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/4889188775624583220-2107867085268248893?l=hollandvannaoko.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://hollandvannaoko.blogspot.com/feeds/2107867085268248893/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=4889188775624583220&amp;postID=2107867085268248893' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/4889188775624583220/posts/default/2107867085268248893'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/4889188775624583220/posts/default/2107867085268248893'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://hollandvannaoko.blogspot.com/2010/11/blog-post_25.html' title='ニューワークの時代'/><author><name>リヒテルズ直子</name><uri>http://www.blogger.com/profile/09548745030915743508</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='21' height='32' src='http://3.bp.blogspot.com/-CQvXkgFX0x8/TyFsI_Pc0WI/AAAAAAAADbE/VXgdHo9mUoQ/s220/IMG_4798.JPG'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-4889188775624583220.post-6976904633372146175</id><published>2010-11-01T19:36:00.000+09:00</published><updated>2010-11-01T19:36:02.021+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='政治'/><title type='text'>あらゆる意味で史上初のルッテ政権樹立~~経済危機は乗り越えられるか~~</title><content type='html'>１０月１４日、６月９日の第２院選挙以来１２７日目にして、ようやくルッテ第１期新政権が発足した。過去の記録では、選挙から政権樹立までの連立交渉は平均８２日。これに比べても分かるように相当に長く、しかも、紆余曲折の多い、困難なお産だった。もっとも史上最長記録は２０８日だというから、経済危機の只中で、財政緊縮と政治方針の確立が急がれる中、政治家らが、夏季休暇期間を返上して一日も早い政権樹立を目指した成果だったことも否めない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;自由民主党（VVD）の党首マルク・ルッテが率いるルッテ政権には、いろいろな意味でこれまでの政権には見られなかった特徴がある。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;まず、自由民主党（VVD）という非宗教的な自由主義者の政党が第１党となって政権をとったことだ。オランダの政党政治はこれまでキリスト教保守主義と労働党の社会主義が政治の両翼を成してきた。宗教的保守主義を否定して生まれた自由主義者たちの政党は、そういう文脈の中では、第３の政党にとどまり、連立政権で他党に協力して与党になることはあっても自ら第１党に躍り出ることはこれまでなかった。（１９１３－１９１８年に自由主義者が首相になったことはあるが、この首相は政党的な背景を持っておらず、以来一度も自由主義者が首相になったことはない。）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;第２に、この政権は、選挙で最大議席（１５０議席中３１議席）をとった自由民主党（VVD）が主導しているものの、今回の選挙で大幅に敗退したキリスト教民主連盟CDA（４１議席から２１議席へ）と連立している。言うまでもなく政治姿勢において、かなり右寄りであるVVDにとって連立政権を打ち立てるためのパートナーの選択肢が限られていたことが理由だ。しかし、その結果、与党は２政党の議席を合わせてもわずか５２議席しかなく、第２院の１５０議席の過半数にあたる７６議席を大幅に下回る。こういう、少数派政権という状況はオランダの政党政治史上初めてのことだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;そのため、今政権樹立のためには、オランダでも前例のない新しい方策がとられた。それは、前回の９議席から２４議席まで躍進して第２党に躍り出ていたヘールト・ウィルダーズ率いるPVV（自由党）との間で「許容合意」というものが結ばれていることだ。この「許容合意」とは、PVVは、政権には入らず野党として残るが、一定の政治政策項目に関しては、政権与党に協力するというものだ。つまり、VVDとCDAの政権与党は、PVVとの「許容合意」を用いることによって、７６議席つまり、１５０議席中のぎりぎり過半数を確保できることになる。ウィルダーズのPVVは、これまで｢宗教の自由｣を国家存立の基盤に据えてきたオランダにとっても、また、その主張が持つ民族排他性のにおいに関してもた政党が一線を画してきた政党だ。しかし、PVVが選挙で大躍進をしたことは、有権者の中に支持が増えていることにほかならず、伝統的な政党も、PVVの存在を真摯に認めざるを得ない、という事態となった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;----&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;前例のない少数政権、また、野党の１党との「許容合意」なるものの付随された政権樹立という結果に至った事情を、時間的な経過を追いつつ、少し詳しく見てみよう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;まず、すでに過去の記事でも報告した通り、６月９日の選挙で、オランダの政党支持の構図がこれまでと大幅に変更し、各党の政治姿勢から言って、連立によって安定政権を築くための条件が極めて難しい状況が作られていた、という前提がある。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;一つは、文頭にも述べたように、自由民主党（VVD）という、これまで第１党に躍り出たことのない政党が最大議席を獲得し、PvdA（労働党）と並んだことだ。また第二は、イスラム教を単に宗教とみなすのではなく、政治的イデオロギー集団とみなして、イスラム教徒排斥を政治綱領の中心に据えた新勢力自由党（PVV)が、９議席から２４議席に躍進して、なんと、キリスト教国オランダの伝統政党であるキリスト教民主連盟(CDA) を抑えて第３政党になったことである。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;もともとプロテスタントやカトリックのキリスト教民主主義の伝統があるオランダでは、１９９０年代半ば以降の一時期、労働党がCDAを退け、自由党（VVD）と民主６６党（D66）と連立して、社会主義(赤)と自由主義(青)の連合｢紫政権｣を作った時期を除いては、常に、CDAが政権与党の一翼を担いながら、自由党または労働党と組んで政権を樹立させるという形式が主流であった。元来、キリスト教主義は、一方で、宗教的倫理の尊重や中央集権的な教会制度などに象徴される保守的な面を強く持ちつつ、他方では救貧院の伝統に象徴されるようなキリスト教社会主義的な側面を持っている。それが、左右両翼との連合を可能にしてきたものであると思われる。CDAはある意味で、左右両翼の調性的立場に立つ政党であると同時に、CDAが中心にいることで、オランダの政治は、右にも左にも極端に揺れることなく、中道を保ちつつ、右と左へのアクセントを交互に強調してきたとも言える。しかし、それは同時に、CDA自身のイデオロギーの揺らぎを前提としており、同時に、CDAの支持基盤であるキリスト教者が教会離れをしていった７０年代以降のオランダでは、確実な支持層が必ずしも得られない要因であったともいえる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;そのCDAが２１議席にまで敗退した今回の選挙結果。政治姿勢が明確に対立する政党が林立する、政権交渉の見通しがすぐにも困難となると見通せる結果だったわけだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;－－－－&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;総選挙後さっそく、第１党となった自由民主党(VVD)と、今回の選挙で躍進したイスラム教排斥の自由党（PVV)とが連立の可能性を主導すべき、との見方がどの政党からも認められ、この２党にCDAを加えた三党連立の可能性が議論された。しかし、CDAは、イスラム教排斥のPVVと共に政権を作ることには乗り気ではなかった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;短時日のうちにこの第１の可能性は薄いとの結論となり、連立交渉は、自由民主党(VVD)が労働党（PvdA)と協力して、これに、中道の民主６６党（D66)と環境擁護派の｢緑の左派党」（GL)を加えた｢紫大連合｣の可能性を探る方向で進められた。労働党は前回に比べるとやや後退したもののVVDに迫る第２の政党である。しかも、民主６６党も緑の左派党も、今回の選挙では前回よりも躍進し、支持者層を広げた政党だ。&lt;br /&gt;しかし、この連合交渉も２週間後には座礁に乗り上げた。基本的に、自由主義で企業や高所得者層の支持を持つVVDの財政緊縮政策と、労働者の利益を代表する労働党の財政緊縮政策は真っ向から対立する。妥協の余地はなかった。また、もしもこの｢紫大連合｣を成立させれば、野党勢力の中に、連合内でVVDのパートナーになっている政党よりもイデオロギー的にVVDに近いPVVやCDAが残り、これらの政党からVVDの政治方針と政権での姿勢の矛盾が起こることに対して、批判の矢は避けられない。次回の選挙までにVVDが支持を落とすかもしれない、というリスクは非常に大きい。せっかく第１党に立ったVVDとしては、左派勢力と連合することに乗り気にはなれなかった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;連合交渉は、次に、自由民主党(VVD)と労働党（PvdA)に加えてキリスト教民主連盟(CDA)を含め、伝統的な政党による中道政権樹立の可能性を話し合った。経済不況を乗り越えるためには、イデオロギーの違いを乗り越え、連帯してかかわるべき、という意見も散見された。しかし、前政権解散の理由は労働党とCDAの対立が原因だ。両政党の間には深い亀裂が入っている。労働党（PvdA)の党首ヨブ・コーヘンは、民主６６党や緑の左派政党などの左翼小政党が参加しない中で、VVDやCDAとの連立には関心がない、と突っぱねた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;労働党を含む政権樹立の可能性がなくなった今、連合交渉は振り出しに戻る。結局、７月２３日、総選挙から２カ月足らずの後、再度、VVDがCDAやPVVとの連合可能性を検討するという、総選挙直後の状態に戻った。むろん、すでに、さまざまの連立可能性を議論したのちのことだし、世論は、経済危機の中で、早く政権を樹立して安定政治を始めるべきであると、早い決着を待っている。そこで、連立交渉調停人の立場に立ったCDAのベテラン政治家、元首相ルベルスの提案で、VVDとCDAの連立に野党PVVとの｢許容合意｣を組み合わせて政権を発足させるという枠組みが始めて提示された。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;３政党はこの案に積極的で、これまで、連立交渉にかかわった他の勢力にも言い分はなかった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;この時点で、VVDとCDAは、以下のように共同声明を発表している。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「VVD,PVV,CDAの３政党はイスラム教の性質や性格について互いに意見に相違を持っている。この相違はイスラム教の性質が、宗教的なものであるとするのか、あるいは(政治上の)イデオロギーによるものであるとするのかという点にある。各政党は、この点についての理解の相違をお互いに受容するものであり、各政党のそれぞれの立場を基本に据えて交渉に入る。にもかかわらず、この３政党を結び付けているものは多い。３政党が共通の目標にし出発点としているのは、オランダをより強力で安全かつ繁栄した国にすることだ。だからこそ、意見の相違を互いに受け入れ、それぞれの立場の間に存在する相違について、意見表明の自由を全く尊重したうえで、PVVは政権連立合意の一部を、許容的に合意する立場という観点から支持するという合意に達した。また、VVDとCDAとはPVVが許容合意を認めるという姿勢を尊重し、それに応えられるように望んでいる。この許容合意においては、いずれにしても、財政削減の施策を進めると共に、移民、同化と難民、治安、高齢者の社会保障向上の点について、PVVが財政削減策を支持することに対して、譲歩する方針である｣&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;つまり、簡潔に言うなら、財政削減策として、VVDとCDAの合意に基づく、２０１５年までに１８０億ユーロを削減するという目標をPVVは受け入れ合意するが、それと引き換えに、移民、同化、難民、治安政策などで、これまでよりも対イスラムの態度を強化すると共に、高齢者に対する社会保障を向上させる、というPVVの意向を、VVDとCDAとは尊重する、という関係構図だ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;－－－－&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;一旦は、この枠組みで連立樹立は間近か、とも思われた。しかし、ここで、また新たな問題が浮上した。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;VVDやCDAに協力を約束したPVVの党首、イスラム教排斥主義の旗手であるヘールト・ウィルダースが、こともあろうに、９月１１日に、ニューヨークでかつてイスラム教テロリストの手で爆破されたと言われる世界貿易センターの跡地付近に作られるモスク建設反対集会に参加し、そこでスピーチを行うことにした、と発表したのだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;連立交渉が始まったばかりのVVDやCDAにとっては当然嬉しくないニュースだ。特にあわてたのは、前政権から引き続き外務大臣を続けているCDA党首のフェルハーヘンだ。政権交渉に参加している政党の党首が、国際的な場で、｢イスラム教排斥｣を明言すればオランダという国の国際的な名声を傷つけるリスクは大きい、と忠言した。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ニューヨークでのモスク設置反対運動出ウィルダーズがスピーチをするということが、PVVと政権交渉を続けるCDAの内部でもよほど緊張感を高めたのか、この頃から、CDA内では、かつて閣僚や党内の重職についていたようなベテラン政治家らが、PVVとの交渉を取りやめるように、との発言を公表するようになった。６０人にも及ぶ政治家らが名前を連ねて、公開の書状を全国紙に掲載したりした。&lt;br /&gt;そのうち、連合交渉にあたっていたCDAの重要な政治家、かつて党の科学研究所所長や大臣を歴任し、CDAのイデオローグであり次期党首候補とまで言われていたアブ・クリンクが、｢連立交渉人｣辞任を発表するという事態にまでエスカレートした。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;こういうCDA内部の対立に対して、PVVのウィルダースは「CDAの内部対立は、連立政権に許容合意の形で協力するという姿勢を揺るがすものである。交渉相手としてCDAに対する信頼は地に落ちた｣として、交渉から撤退を表明。結局、アブ・クリンクがCDAを脱党することとなり、それによって、PVVはかろうじて、VVD-CDAの連立交渉に参加して、｢許容合意｣交渉を続けることに同意した。明らかに、政権交渉の行方に対してカギを握っているのは、連立交渉をしている自由民主党(VVD)やキリスト教民主連盟（CDA）ではなく、PVVの方だ、という様相が強まってきた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;－－－－&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;オランダがどうなることかと心配して見守っていたニューヨークでのウィルダースのスピーチは、意外にも、(あるいは国内議論を受けてウィルダーズ自身が自生したものか、真意は分からないが)多くの人の予想に反して、極めてマイルドなものに終わり、民主主義国家オランダの名声が世界の舞台で傷つけられる、という事態は何とか避けられたようだった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;そして、９月に入り、自由民主党とキリスト教民主連盟との２党による少数政権樹立のための連立交渉と、政権の政策に対して許容合意を取り付け、議会多数派を確保するというPVV との話し合いは、その後比較的順調に進み、月末には、政権樹立がほぼ現実的なものとなった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;-------&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;以上のようないきさつを経ているだけに、今政権の基盤がかなり不安定なものであることは否めない。また、大政党労働党、さらに、社会党、緑の左派党、中道知識人政党の民主６６党までを含めると、多数の左派勢力が野党に残り、『自由民主党党首のルッテは、選挙結果に見られる民意を反映する努力をしたのか』という批判も残る。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;VVD-CDAの連立だけでは政治的安定は見込めず、そのために｢許容合意｣を結んでいるPVVには、すでに、政権樹立過程に見られたように、大きな政治影響力が残されている。&lt;br /&gt;連立樹立の前には、どの政党も、連立合意に同意するかどうか、党内の協議にかけられ、投票が行われる。VVDとPVVは連立合意(と許容合意)に絶対多数で賛意を示した。しかし、CDAは４０００人余りの党員の投票結果、３分の１が反対していることが明らかになった。この潜在的な不安定要因が、今後のルッテ政権の安定にどんな障害をもたらすかが気になるところでもある。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;－－－－&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;先週、いよいよルッテ政権発足ごはじめての国会討議が始まった。予想通り、早速、野党左派勢力がこぞってルッテ政権の政治方針に対して大きな批判の矢を投げ始めた。他方、これまで、｢イスラム排斥党｣として、右派勢力からも左派勢力からも忌避されてきたPVVが、以前に比べてずっとマイルドな姿勢で、政権に協力の態度を見せている。｢許容合意｣に基づく約束通りの姿勢であるとはいえ、イスラム教排斥問題が、単なる宗教(集団)に対する批判から、｢オランダへの同化を拒否する人々｣への批判という形で、問題の所在を正確に指摘する努力が始まっていることは、また一歩、この国の政治過程の進歩でもあるのだろう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;これらのオランダの政治過程の背景には、経済不況、特に福祉国家がどこも直面している高齢化社会の問題が厳然と存在していることは言うまでもない。移民労働者の流入は、ある時期には高齢化社会の国庫を支える若手労働者の基盤として奨励される意見もあった。しかし、１９２９年の世界大恐慌以来の大恐慌といわれる２００８年のリーマンショック以後、先進各国で問題化しているのは、若年労働者の失業問題だ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;政治的独善に陥りやすい宗教上の原理主義は、イスラム教の場合も例外ではない。１６世紀の、スペインからの独立戦争以来、オランダ建国の歴史を貫いてきたのは｢宗教の自由｣であり｢寛容｣の国民性だった。｢宗教の自由｣と｢原理主義的独善｣との間の栓をどこに引くのか、、、それは、対イスラム問題であると同時に、イスラムを排斥する側の、たとえて言うならキリスト教原理主義の持つ問題でもあるかもしれないし、西洋の民主主義に対するアイデンティティについての言えることであるのかもしれない。オランダ人らがアイデンティティの支柱にしてきた｢宗教の自由｣には、そういうパラドックスも潜んでいる。今後オランダの政治がどういうプロセスをたどっていくのか、、、、実は、最も大きな試練を受けているのは、オランダ政治の中心を担ってきたキリスト教民主連盟（CDA）なのではないか。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;そして、オランダがこの問題をどう政治的に議論し解決していくのかを見極めることは、キリスト教を基盤として生まれた｢民主主義｣を、世界がどう共有できるか、｢自由｣や｢人権意識｣を、非西洋の文化的な背景を持つ私たちは、どう、自身ものとして｢普遍的価値｣に結び付け、世界を舞台にした市民意識として内面化させていくことができるのか、という問いに示唆を得ることでもあると思う。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/4889188775624583220-6976904633372146175?l=hollandvannaoko.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://hollandvannaoko.blogspot.com/feeds/6976904633372146175/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=4889188775624583220&amp;postID=6976904633372146175' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/4889188775624583220/posts/default/6976904633372146175'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/4889188775624583220/posts/default/6976904633372146175'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://hollandvannaoko.blogspot.com/2010/11/blog-post.html' title='あらゆる意味で史上初のルッテ政権樹立~~経済危機は乗り越えられるか~~'/><author><name>リヒテルズ直子</name><uri>http://www.blogger.com/profile/09548745030915743508</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='21' height='32' 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height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/4889188775624583220-2942142455033693943?l=hollandvannaoko.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://hollandvannaoko.blogspot.com/feeds/2942142455033693943/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=4889188775624583220&amp;postID=2942142455033693943' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/4889188775624583220/posts/default/2942142455033693943'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/4889188775624583220/posts/default/2942142455033693943'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://hollandvannaoko.blogspot.com/2010/08/blog-post_29.html' title='お知らせ：政権樹立ウォッチング中'/><author><name>リヒテルズ直子</name><uri>http://www.blogger.com/profile/09548745030915743508</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='21' height='32' src='http://3.bp.blogspot.com/-CQvXkgFX0x8/TyFsI_Pc0WI/AAAAAAAADbE/VXgdHo9mUoQ/s220/IMG_4798.JPG'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-4889188775624583220.post-3345731838061052909</id><published>2010-08-16T00:12:00.005+09:00</published><updated>2010-08-26T18:22:41.593+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='人権'/><title type='text'>一年中で最も心が塞ぐ日</title><content type='html'>今年も八月一五日がやってきた。&lt;br /&gt;&lt;div&gt;私が住むハーグ市にある、蘭印日本軍捕虜収容所犠牲者追悼碑（Indische monument）で、追悼式が行われる日だからだ。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;終戦から六五年目を迎える今年、追悼式にはベアトリクス女王も出席し、追悼碑に花輪を捧げられた。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;戦時中、蘭印（現在のインドネシア）で日本軍の捕虜になって四年近くもの捕虜生活を余儀なくされた、一般市民だった（軍人ではなかった）オランダ人たちが、この日全国から集まってくる。夫や妻や親や兄弟・姉妹を、日本人の手によって奪い取られた人たちだ。当時乳飲み子、幼児で、捕虜生活の中で親兄弟を失った人も少なくない。　&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;追悼式の前に、付近の国際会議場に集まってくる人たちに、テレビのジャーナリストがインタビューをする。一人ひとりに苦い、辛い、生きている間、決して消えない思い出がある。毎年出席し、毎年花を添えていく人たちの心は、その日、何がしか癒されるのかもしれない。しかし、消えない過去の思い出と、それを抱えて生きなければならなかった人生のつらさはなくならない。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;なぜ、自分と同じ人間が、ここまで、人の「尊厳」を無視した行為ができるのだろうか、というのが、当時被害者だったオランダ人たちの、日本人の行為についての反応の一つだ。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;「戦争だったから」と片付けられるものなのかどうか、、、&lt;/div&gt;&lt;div&gt;「戦争をしていない」今も、日本人は、みずからの「尊厳」を守れない生き方を余儀なくされているのではないのか、戦前と同じように。そういう、上から、外からの強制をはねのけられない日本人とは一体何なのだろう。民主主義の時代に、跳ねのけることを遮っている力は、いったい何なのだろう、、、、日本人が「ものいえば、唇寒し」と感じさせられてしまう、その背後にある力は何なのか、こういう式典の度にそれを思う。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;――――&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;「なぜきょうここに？」&lt;/div&gt;&lt;div&gt;というインタビューワーの質問に、&lt;/div&gt;&lt;div&gt;「ビルマ鉄道敷設の強制労働に駆り出されて死んだ父親の追悼のため」&lt;/div&gt;&lt;div&gt;「捕虜収容所で亡くなった母の追悼のため」&lt;/div&gt;&lt;div&gt;「失った兄弟のため」&lt;/div&gt;&lt;div&gt;と次々に応える参会者たちは、答えながら、顔が急に曇り、思い余って涙を流す人たちが後を絶たない。あの日、あの時からの人生の苦しさが一気に溢れてくるのだろう。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;式には、首相、国会両院の議長、厚生大臣も参加する。国家行事だ。国営放送がその様子をつぶさに伝える。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;ヨーロッパのある国で、国家行事として戦時中の日本軍がテーマになった追悼式が行われているという事実を、日本人のほとんどは知らない。それを誰も報道しない。右翼も左翼もなく、この式典の事実は伝えられ、知られるべきではないのか。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;－－－&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;かつて外務大臣だったハーグ市の現市長ファン・アルツェン氏は、自身も二人の叔母を日本占領期に亡くした、という。そして、&lt;/div&gt;&lt;div&gt;「オランダ人ならほとんどの人が、親せきに、日本軍の犠牲者がいるはずだ」と彼はいう。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;今年の式典では、六〇年代の人気シンガーが、生まれて間もなく、日本占領軍によって母親を失ったこと、その後の人生を、多くの人々が、沈黙の中に押し込めて生きなければならなかったことを伝えるスピーチを行った。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;牙を向け続けても、日本から得られるものは何もない。日本の公的な賠償は確かに終わり、期限も切れている。日本人は、「謝った」ところで、またぞろ、国内で政治議論が起こるだけ、靖国参拝は続くだけ、もう仕方がない、と諦められているのか、日本政府への怒りの言葉は、今、もう誰からも聞かれない。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;日本人の引揚者の中にも、戦時中、そして、戦後に、捕虜として辛酸をなめた人は多いはずだ。その人たちと、このオランダ人犠牲者との間には、共有できる心境があるのではないか、と思う。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;また、こういう戦時中の日本軍の悪口にまつわるテーマが出てくるたびに、日本の保守的な人々からは、「戦争がいけないのだから」「オランダだって帝国支配によって現地人を強制労働に駆り立て、差別していたではないか」という議論が起こってくる。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;だが、それは水かけ論というものだ。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;人間は、追い詰められ、武器を持たされたら、自分の生存のために何をやらかすかわからない。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;その一点で、私たちは、オランダ人の犠牲者たちと、対話の道を開くべきなのだ。しかし、それを遮る力が、対話をさせない嫌な力が、日本社会にはある。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;―――――&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;式典の後には、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドの大使らも花輪を添えた。しかし、日本から公式な参会者はいない。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;人知れず、８月１５日の午後は、オランダの通りを歩くことすら気が引ける。誰も何とも思っていないのかもしれないが、せめて、日本が、オランダとの不幸な過去について、オープンにかかわる態度、日本人の誰もが忌憚なく意見を言える環境を作ってくれていさえしたら、と思う。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;――――&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;オランダでの追悼式典には、高齢者ばかりでなく、子どもの世代、孫の世代のオランダ人がたくさん参加している。スピーチには、毎年、高校生が一人選ばれる。小学生くらいの子どもたちも、おじいちゃんやおばあちゃんに手をひかれて、式に参加し、記念碑に花をささげて帰っている。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;――――&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;追悼式典の後、一時間にわたって、インドネシアで日本軍兵士らの「慰安婦」として、若い身体をもぎ取られた女性たちを、オランダ人の人類学者とカメラマンとがインタビューしたドキュメンタリー映画が放映された。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;「どうせ私たちのような子供を相手にやってみたかったんでしょう」とけらけら笑う老婆。恥ずかしさに、どんな顔をすればいいのかわからなかったのだろう。笑っている顔が、その日の情景を思い出してか俄かに曇り、いいようのないほどの悔しさと苦々しさを顔面に表わして、涙を流した。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;「尊厳」を無視され、身体を侮辱された彼女たちの心が、どんなに、ズタズタに切り裂かれていたことか。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;女ならば、「身体」だけを求めて、性欲の吐き捨て場として体を使われることが、人間としてどんなに辛い侮辱であるか、誰でもわかるはずだ。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;「いったいいつまでこんなところに閉じ込められ、こんなことをさせられ続けるのだろう、とひとりで考えたわ。何か罪深いことをしているから、神様が罰を与えているのかしら、ひとりっきりでそんなことを考えていた」と、ほかの女性はつぶやいた。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;一〇歳、一二歳で、兵士らの性行為の相手をさせられた女性たち。彼女らは、いったい、その後、どんなふうにして、「人を信じられるように」なったのだろう。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;「あんなことをしたことは誰にも言えない。神様が許して下さるのかどうかわからない」&lt;/div&gt;&lt;div&gt;と彼女らはいう。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;インタビューワーのオランダ人人類学者の女性が&lt;/div&gt;&lt;div&gt;「あなたはほかにどこにも行けない状態で、強制的にそういう行為をさせられたのでしょう。それは罪ではないでしょう」&lt;/div&gt;&lt;div&gt;といわれ、&lt;/div&gt;&lt;div&gt;「はずかしいのよ、罪なのよ」&lt;/div&gt;&lt;div&gt;と答える彼女たち。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;「罪なんかではないわ、あなたのせいではないのだから」&lt;/div&gt;&lt;div&gt;と静かな口調で穏やかに諭すオランダ人に、その女性は、やっと理解者を得たかのように、流れてくる涙を静かに拭いた。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;終戦直後、日本人兵士が去って行ったあとに、彼女たちは、何日間もの道のりを歩いて自分の村に帰ったという。そして、その語の人生を、「過去を隠して」か、村人からの「罵倒」を浴びながら暮らしたという。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;――――&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;自分が生まれたその土地に、ある日、外国から兵士がやってきて、銃剣を突き付け、セックスを強制される。なんという哀しみであろう。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;でも、彼女たちは、この深い深い哀しみを心の奥深く抱えて生き延びてきた。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;愛のない、肉欲だけの男たちからからだを汚されたこの女性たちよりも、多分、そういう行為をした兵士たちの方が、みすぼらしい心を引きずった人生を余儀なくされたのではないのか。その兵士たちに本当に「選択の余地」はなかったのか。たった一度きりの人生で。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;そういう環境の中で、自分らしい「選択」をすることなど、容易なことではなかったのだろう。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;しかし、ではなぜ、戦後、そのことを日本人として語る場が得られなかったのだろう。語りたい人、自分の犯した行為に苦しんだ人は多かったはずだ。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;そうした、良心の呵責を、皆で語る場がなかったこと、公に話をする場を奪われてしまったこと、それについて、日本人はもっと考えてみなくても良いのだろうか。なぜ、歴史は、そういう経過をたどったのか、と。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;―――――&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;イエ社会・タテ社会の日本。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;多くの人々が誇る日本の「家系」に、女たちの名前はほとんど残されていない。みな「女」と記される存在でしかなかった。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;性を売り、性を買う日本人が、知っておくべき歴史だ。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/4889188775624583220-3345731838061052909?l=hollandvannaoko.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://hollandvannaoko.blogspot.com/feeds/3345731838061052909/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=4889188775624583220&amp;postID=3345731838061052909' title='2 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/4889188775624583220/posts/default/3345731838061052909'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/4889188775624583220/posts/default/3345731838061052909'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://hollandvannaoko.blogspot.com/2010/08/blog-post.html' title='一年中で最も心が塞ぐ日'/><author><name>リヒテルズ直子</name><uri>http://www.blogger.com/profile/09548745030915743508</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='21' height='32' src='http://3.bp.blogspot.com/-CQvXkgFX0x8/TyFsI_Pc0WI/AAAAAAAADbE/VXgdHo9mUoQ/s220/IMG_4798.JPG'/></author><thr:total>2</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-4889188775624583220.post-8907941351708413068</id><published>2010-06-10T20:49:00.005+09:00</published><updated>2010-07-09T19:17:18.856+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='政治'/><title type='text'>連立交渉の難航が予想される選挙結果</title><content type='html'>&lt;b&gt;保守・革新に分極するオランダ&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-weight: normal;"&gt;　昨６月９日、オランダでは、衆議院議員にあたる「第２院」の１５０議席を決める選挙が行われ、その結果、２００２年以来４期続いた中道右派のキリスト教民主連盟（CDA）の議席は４１議席から２１議席へとほぼ半減し、代表のバルケンエンデ首相は退陣を発表した。&lt;/span&gt;&lt;/b&gt;&lt;div&gt;&lt;b&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-weight: normal;"&gt;&lt;/span&gt;&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;div&gt;&lt;b&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-weight: normal;"&gt;　この日、２１時に投票が締め切られると、早速出口投票の結果がはじまった。&lt;/span&gt;&lt;/b&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;b&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-weight: normal;"&gt;　いきなり、自由民主党（VVD）と労働党（PvdA)が３１議席ずつで並び、キリスト教民主連盟（CDA)が大幅に議席を落としたことが明らかに。他方、ヘールト・ウィルダーズに率いられるイスラム排斥を辞さない極右政党（PVV）が、前回の９議席からなんと２１議席まで躍進したことが伝えられた。&lt;/span&gt;&lt;/b&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;b&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-weight: normal;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/span&gt;&lt;/b&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;b&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-weight: normal;"&gt;　スタジオで開票速報を伝える報道関係者も、各政党の会場の政治家らも、CDAの予想以上に大きな敗退と、PVVの予想以上に大きな躍進とに、どよめきの声が上がり、来る政権樹立交渉が、困難を極めるであろう、との予想が飛び交うことになった。&lt;/span&gt;&lt;/b&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;b&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-weight: normal;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/span&gt;&lt;/b&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;b&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-weight: normal;"&gt;　結局、通常ならば、選挙当日の夜中の１２時には、開票結果が明らかとなり、連立の予想もたって、党首らの最後の討論会が放映されるのだが、今回は、で口投票だけでは、確実な結果はわからないと、翌朝の今朝になるまで、落ち着かない選挙戦となった。&lt;/span&gt;&lt;/b&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;b&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-weight: normal;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/span&gt;&lt;/b&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;b&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-weight: normal;"&gt;　そして、最終的には、キリスト教民主連盟CDA２１議席（前回４１議席）、キリスト教連合CU５議席（前回６議席）、グリーン左派党GL１０議席（前回７議席）、動物愛護党PvdD２議席（前回２議席）、労働党PvdA３１議席（前回３３議席）、国家プロテスタント党SGP２議席（２議席）、社会党SP１５議席（前回２５議席）、自由民主党VVD３１議席（前回２２議席）、自由党PVV２４議席（前回９議席）、民主６６党D66１９議席（前回３議席）という結果で、VVDが１議席差で、労働党を抑え第１党、前夜すでに躍進に沸いたPVVは、さらに３議席多い２４議席という結果だった。&lt;/span&gt;&lt;/b&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;b&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-weight: normal;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/span&gt;&lt;/b&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;b&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-weight: normal;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/span&gt;&lt;/b&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;b&gt;経済危機下の選挙&lt;/b&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;b&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-weight: normal;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/span&gt;&lt;/b&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;b&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-weight: normal;"&gt;　２００８年秋のリーマンショック以後、世界に広がった金融危機、今年初めから顕著になったギリシャを初めとする南欧諸国の経済不況の影響など、ヨーロッパ諸国の景気後退が著しい中、果たして、この難しい時期に、政策を担当するのは、企業の市場原理を優先する自由主義者なのか、はたまた、低所得層の保護を優先する社会主義者なのか、という問いが、どこの国にもある。先月のイギリスの選挙では、右派の保守党が勝利したものの、リブ・デム党との連立がなければ政権が樹立できなかったというのも、実を言えば、左右、どちらにも決められない事態が襲っていることを示している。&lt;/span&gt;&lt;/b&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;b&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-weight: normal;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/span&gt;&lt;/b&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;b&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-weight: normal;"&gt;　オランダの経済は、この数年、ヨーロッパ諸国の中でも優等生だった。しかし、ギリシャ問題以後、国債の増加や財政赤字の増加のスピードは、他国よりも加速的な傾向がある。&lt;/span&gt;&lt;/b&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;b&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-weight: normal;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/span&gt;&lt;/b&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;b&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-weight: normal;"&gt;　そんな中で、労働党と連立してきた中道右派のCDAは、この２月に労働党と決別。しかも、４期とも、政権満期を果たさずに中途で解散、バルケンエンデのリーダーシップに失望する声も多かった。右にもつかず、左にもつかず、中道で政策を決めてきたCDAは、残念ながら、首相のリーダーシップの不明さ、やや悪い言葉になるかもしれないが、日和見的な態度が、有権者の支持を失う結果になったようだ。&lt;/span&gt;&lt;/b&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;b&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-weight: normal;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/span&gt;&lt;/b&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;b&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-weight: normal;"&gt;　明確な政策を求める有権者、それは明らかなようだ。しかし、それは、右であるべきなのか、左であるべきなのか。&lt;/span&gt;&lt;/b&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;b&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-weight: normal;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/span&gt;&lt;/b&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;b&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-weight: normal;"&gt;　独立シンクタンク『経済政策分析局』CPBのさまざまの分析では、オランダは、２０１５年までに、２９０億ユーロを削減しなければ、経済の安定は回復できない、と計算されている。これは、今年の予算の２０％にあたる額で、毎年４-５％の節約が迫られるということだ。&lt;/span&gt;&lt;/b&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;b&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-weight: normal;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/span&gt;&lt;/b&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;b&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-weight: normal;"&gt;　リベラル派の自由民主党（VVD）と、ナショナリストで保守派の自由党（PVV）とは、右寄りの政党で近似性が高い。もともとヘールト・ウィルダーズは、自由民主党から分かれて自党を作った政治家だ。しかし、移民に寛容な伝統を持つオランダの中で、VVDは、あからさまなイスラム排斥は回避する。また、明らかに企業家層に支持を持つVVDに対して、PVVは、オランダ人低所得者層や低学歴層に支持が多い。少なくとも、VVDの側は、これまで、国粋主義的で、公然とイスラム排斥をするPVVに対しては、一線を画そうとしてきたかに見える。&lt;/span&gt;&lt;/b&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;b&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-weight: normal;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/span&gt;&lt;/b&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;b&gt;&lt;span class="Apple-style-span" style="font-weight: normal;"&gt;　他方、左派革新小政党も躍進した。知識人中道リベラル派の民主６６党（D66)は前回の３議席から１０議席に増え、環境派のグリーン左派党（GL）は前回の７議席から１１議席に増えた。両党合わせれば、２１議席、さらに、議席数を減らしたとはいえ１５議席を獲得した社会党（SP）を加えれば、３５議席で、PVVの勢力を上回る。しかし、小政党に分かれた左派政党は、個々に、微妙なイデオロギーの差がある。また、選挙の最終結果で、VVDの勝利が確定、PVVの大躍進が厳然となった今、連立政権樹立の主導権は、とりあえず、左派勢力にはない。&lt;/span&gt;&lt;/b&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;div&gt;&lt;b&gt;&lt;br /&gt;&lt;/b&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;b&gt;イスラム排斥党の躍進と「寛容」の伝統&lt;/b&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;b&gt;&lt;br /&gt;&lt;/b&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;b&gt;　&lt;/b&gt;オランダの社会は、昔から、移民に寛容で、しかも、資源のない小国は、対外通商のために、外国との関係に開かれた政策をとってきた。ヨーロッパ連合の発端であるヨーロッパ石炭鉄鋼共同体の創始メンバーでもあるし、長く、ヨーロッパ連合の最も大きな推進国の一つという名前を享受してきた国でもある。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　しかし、そんな国に、今、イスラム排斥党の躍進が起こり、周辺諸国に対して、異なるイメージが作られつつある。そのことを危ぶむ声は、労働党を初めとする左翼政治家たちだけではなく、国内の評論家たちの口からも次々に聞こえてくる。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　なぜ、こんなことが起きてしまったのか。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　一つには、高齢化社会の進展による、社会保障制度の行き詰まりがある。好況期ですら危ぶまれていた高齢化の問題に加えて、経済が不況になった。不況の影響を一気に被るのは、低所得者層だ。この層の中で、共に先行き不安を感じている先住オランダ人と移民との間の対立につながっている。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;b&gt;&lt;br /&gt;&lt;/b&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;b&gt;オープン社会の公正選挙・CPBの経済政策分析とマスメディア&lt;/b&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;b&gt;&lt;br /&gt;&lt;/b&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　誰にとっても、予想を上回った結果、しかも、連立交渉の難航を明らかに予測させるため行きのでるような分極化の事態。だが、それでも、誰一人として、選挙の不公正を指摘する声は上がってこない。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　オランダの選挙の公正さは、群を抜いている。有権者が、みなで、公正さを監視している。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　今回の選挙は、そういう中でも、特に、オープン社会の本質を見せつけてくれるようないくつかの特記すべき選挙戦が行われた。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　オランダでは、８０年代以来、『経済政策分析局』CPBという機関が、各政党の選挙プログラム（マニフェスト）の実現可能性と経済効果を科学的に分析している。政党プログラムの経済政策の分析は、政党にとっては義務ではなく、自主的な依頼によることを原則にしている。だから、分析を依頼せずに、選挙運動をしても別に違反ではない。しかし、分析があれば、その政党が来る政権で実行しようと思っている政策が、どれほど実現の可能性があり、その効果がどうなるのかがわかるわけであるから、大政党は、堂々と選挙プログラムを提出せざるを得ない、という結果になっている。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　今回の選挙では、その重要性は、これまでのどの選挙にも増して大きかった。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　なぜなら、２０１５年までに２９０億ユーロの削減ができるのか、どんな政策でそれを実現するのか、が課題だったからだ。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　選挙に先立つこと２０日足らず、５月２０日に、CPBは８政党の選挙プログラムの経済政策を分析して発表した。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;「CPBがやるのは、お墨付きを与えることではない。どこでどんな削減が図られるのか、選択肢を明確にすることだ。選ぶのは有権者だ。選択肢はこんなにある。」と発表されたのが興味深い。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　現に、歳出削減のために、住宅政策、移民政策、医療保険制度、障害保障、失業政策、慢性病者保障、各種の手当、教育政策、エネルギー政策、開発途上国援助、環境政策、公務員制度や公共行政、防衛政策、などなどの面で、各政党が、どのような施策によって、国庫を節減しようとしているかが、一目瞭然となるグラフで国民に公開された。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　テレビやラジオでは、早速党首討論会が始まる。討論の内容は、このCPBの分析に基づき、実に細かい制度改革に及び、それぞれの政策の背景にあるイデオロギーが問われる。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　選挙の数日前には、大新聞が、インターネットのサイト上で、読者が、８政党の政策を、項目ごとに選びながら、２９０億ユーロの削減を実現できるかを試すシミュレーションプログラムまで登場した。削減は有無を言わさぬ課題だ。国民が決めるのは、「どんな削減法を望んでいるのか」ということだった。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　その結果が、昨日の選挙結果だった。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　オランダは、先月のイギリスと同様、左右両派に分極した。そして、左右、どちらも、中道派や小政党の参画なくして、政治を担当することはできない。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　経済大不況という、混沌とした社会不安が、世界中の政治を襲っている。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　少なくとも、オランダでは、選挙が、可能な限り公正に行われ、その結果が、こうなったのだ、という、その確信だけは、イデオロギーの相違にかかわらず、ほぼすべての有権者が自覚しているらしい。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　民主主義の目的はそこにしかなく、民主主義社会の政治は、そこからしかはじまらない。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;div&gt;&lt;span style="font-weight:bold;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;/div&gt;&lt;/div&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/4889188775624583220-8907941351708413068?l=hollandvannaoko.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://hollandvannaoko.blogspot.com/feeds/8907941351708413068/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=4889188775624583220&amp;postID=8907941351708413068' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/4889188775624583220/posts/default/8907941351708413068'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/4889188775624583220/posts/default/8907941351708413068'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://hollandvannaoko.blogspot.com/2010/06/blog-post.html' title='連立交渉の難航が予想される選挙結果'/><author><name>リヒテルズ直子</name><uri>http://www.blogger.com/profile/09548745030915743508</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='21' height='32' src='http://3.bp.blogspot.com/-CQvXkgFX0x8/TyFsI_Pc0WI/AAAAAAAADbE/VXgdHo9mUoQ/s220/IMG_4798.JPG'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-4889188775624583220.post-5424993249739222706</id><published>2010-05-18T17:52:00.003+09:00</published><updated>2010-05-19T00:33:37.369+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='ジャーナリズム'/><title type='text'>ゴミ箱あさりジャーナリズム</title><content type='html'>&lt;div&gt;　「他人の家のゴミ箱をあさってマスメディアにさらけ出すような国に私はすむ気はない」&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　最近出たばかりの「ビネンホフ」という雑誌の内容にかみついたのは民主66党の党首ぺヒトルドだ。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　「ビネンホフ」とは字義どおりには「内廷」という意味。しかし実際には国会議事堂と議員室のある周辺を指す語で、今回発刊されたこの雑誌は、もともと有名人のスキャンダルを描く一般週刊誌「ウィークエンド」と、ややリベラルな知識人向けとはいえ、政治家や有名人の裏話にも立ち入る感が皆無とはいえないオピニオン誌HP/デ・テイト誌の両紙を出している出版社が、両誌の編集長の共同で発刊したものだ。来る6月9日に予定されている第二院（衆議院）議員選挙に先立って、政治家らのプライバシーを少し暴き、政治家らの人物像を描くことが目的であったものらしい。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　しかし、その内容はかなりひどい。148ページにわたるグラビア入りの雑誌には、多くの現職政治家や元政治家たちの私生活が取り上げられており、どんな家に住んでいるのか？住宅ローンは？アルコール使用料は？食生活の傾向や喫煙行動は？夫婦関係や不倫の経歴は？どんな申告をしているのか？などなど、しかも子どもたちの写真まで隠し撮りして掲載しているという。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　「ゴミ箱あさり」とかみついたぺヒトルド自身も、回収のために自宅前に出していたゴミ箱が取り去られ、そのゴミの内容がこまごまとこの雑誌に掲載されたという。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　日本やイギリスやアメリカのように、すでに長くグラビア・スキャンダル誌やスポーツ紙、一般週刊誌で、政治家や芸能人・知識人の私生活を暴き立てることに読者が慣れ切っている国では、今回の「ビネンホフ」という雑誌の中身など、驚くに当たらないかもしれない。「公に顔を出している人間なんだよ、それくらいされても当たり前、へこむなよ」というくらいの感覚、反応しかでてこないだろう。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　しかし、オランダは、ついこの頃まで芸能人や政治家、ましてや王室メンバーでさえもが、一般道路を普通に歩ける社会だった。私がすむハーグ市は、政府所在地であり王宮もあるので、本屋にいっていたら、どこかの政党の党首と出くわしたとか、スーパーマーケットの入り口で、自転車で乗り付ける政治家にあった、などということが、ごく普通にある。レストランに行けば、たまたまポップシンガーと隣り合わせ、でも、客は取り立てて大騒ぎもせず普通にしている、そんな国なのだ。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　王室のメンバーだって、イギリスの王室のようにパパラッチに追いかけられて写真の盗み撮りでもされれば、皇太子がみずからクレームをつけて来て、それが受け入れられるような国だ。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　だから、オランダのジャーナリズムには、かなりの大衆紙であっても、下世話なことはやらない、というような良識があった。確かに、今回の「ビネンホフ」誌のやり方というのは、どうも、ある種の『境界線』を越えてしまった感がある。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　ちょうどこれに合わせるように、ジャーナリズムの言論の自由をめぐって先週二つの事件があった。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　リビア・トリポリでの飛行機墜落の唯一の生存者だったオランダ人の少年ルーベン君（9歳）の病院でのインタビュー（テレグラフ紙）と、現政権の最大政党「キリスト教民主連盟（CDA）」の首相バルケンエンデの片腕と言われ防衛省の国務次官だったジャック・デ・フリース氏が不倫の事実を暴かれ政界から引退を余儀なくされたことだ。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　飛行機事故で家族を一度に失った9歳の少年を、まだ、回復してもいないのに訪ねていってインタビューをしメディアにそれをさらしたことについては、少年の心理的な痛みを思い測る余裕とプライバシーの保護感覚の欠如が指摘されている。また、政治家の不倫という、極めて私的な事柄が、ジャーナリズムのエスカレーションによって、政治生命の終焉にまで至ることについての疑問も議論されている。後者に関していえば、かつて、フランスの大統領だったミッテランの不倫が話題になったことが思い出されるが、ヨーロッパ（大陸）の元西側社会には、もともと政治家や有名人の不倫などには口をさしはさまない、また、それが、公的な立場での機能に障害を生むのでは云々、というような議論にはあまり発展させたがらないものだった。私生活、特に男女関係をとやかく追及するのは「無粋」、とでも言いたげな感覚があった。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　先週のこの二つの事件は、確かに、オランダのジャーナリズムが変容し始めていることを感じさせる。それだけに、「ビネンホフ」誌にごみ箱を漁られたぺヒトルドは、あたかも、「もう我慢ならない」「こんなジャーナリズムが民主主義を壊すのだ」と言わんばかりの論争を、フォルクスクラントという全国誌に発表し、「この件で、私は、ビネンホフを発刊した編集者たちと議論をしたい」と挑戦状を突きつけた。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　民主66党という政党は、もともと、1966年という、価値意識激動の時代に、元新聞記者だったハンス・ファン・ミールロが呼び掛けて作った知識人政党だ。イデオロギー的には中道左派、マイノリティの権利保護、インクルージョンの意識が高く、民主主義の制度維持に高い関心を示して、さまざまの法案を提議してきた政党だ。同性愛者の婚姻合法化や安楽死合法化などには、この政党が大きな貢献をしてきた。同時に、結党の中心だったファン・ミールロが新聞記者であったことからも図りしれる通り、市民の権利としての「自由」を擁護する意識は極めて高く、とりわけ、言論の自由の監視者・実践者としてのジャーナリズムの自由については、その擁護者としての立場をはばからない政党だった。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　そんな政党の党首ぺヒトルドが、それでは、なぜ、こうして政治家の背景をかきたてるマスメディアを批判しているのか？&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　それは、フォルクスクラント誌に掲載された彼の言い分、そのものを読んでみた方が手っ取り早い。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;「人にいわれるまでもなく、私は、自分が公人としてガラス張りの家に住まなくてはならないということについては覚悟を決めている。また、現在の政治体制の中で、政治家という名の背後にいる人物そのものがますます重要な要因となってもきている。だから、人々がその人物そのものについて、もっと知りたいと思うのは仕方のないことだと思う。、、、、、、（中略）ジャーナリストたちは、私をコントロールするという役割を担っている。私が仕事の中あるいは外で何か大きな間違いを犯せば、警察や司法が私を捕まえるという役割を持っている。そして、ジャーナリストらの仕事は、その誤りを裸にしてさらし、あるいは批判することが役割だろう。また、政治家には、法律や施策を策定するほかに、期待されることがまだある。政治家は、人々に対して模範として行動する機能を負わされている。ジャーナリズムは、この点で、ユニークな役割を持っており、その役割とは、政治家らがすることを評価し、政治家たちの権威主義的な行動を打ち破り、彼らの責任意識と人間としての尊厳さとを試すことにある。そして、民主主義が生きたものであるならば、そのためにジャーナリストの言論の自由の境界線が、ぎりぎりのところまで追及されるのは当然のことだ。、、、」&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;しかし、、、とぺヒトルドは続ける。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　ジャーナリズムの言論の自由が、飛行機事故墜落で唯一の生存者だった少年へのインタビューや不倫スキャンダルで政界を追放された有望実力政治家などの事件について議論されていたごく数日前、「ビネンホフ」の編集者たちは、それらの議論の中で、自分たちがやっていることが、「やや行き過ぎ」であるという自覚はあったらしい、という。そして、それに対して、「判断を下すのは司法だ」という発言をしたというのだ。トリポリの病院でのルーベン君のインタビューについては、それを許した現地のオランダ大使館、ひいては外務省に責任がある、といったという。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　彼らは、「裁断するならすればよい、おれたちは、ぎりぎりまで言論の自由を追求するのだから」と言わんばかりの、あたかも「自由の擁護者」をふるまう勢いだ。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　こういう彼らにぺヒトルドはこういう。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;「前政権期、メディアコード（マスメディアの規則）を制定するという案が出た時、私はそれに激しく反対した。私は、ジャーナリストたちの仕事を国が管理することを望まない。ジャーナリズムは自由と多様性の中で、そのコントロールの役割を実施できるものでなければならない。、、、、（中略）（ジャーナリストらが司法に判断をゆだねたり外務省を引き合いに出すことについて）彼らは実はこういうことを言っているのだ。『私たちを制限してください。なぜなら私たちは自分ではそれはやりませんから』と。彼ら自身自分たちが行き過ぎた行為をしていることを感じているのだ。しかし、それでもそうすると言っている。つまり、責任が、それによって他の人に転嫁されている。政治家を守るのは司法官たちで、病院のベットにいる犠牲者は外務省が守るものだと。しかし私は別の道を選びたい。私は、ジャーナリズムに対する政府の監視に抵抗する。私は、ジャーナリズムが行き過ぎであるかどうかを判断するのは司法官だ、とするようなメディア状況には抵抗したい。私がほしいのは、政府だとか司法権だとかがジャーナリズムの自由の境界線を規定するのではなく、ジャーナリズム自身が、自分で自分の境界を決めるような国だ、、、、、（中略）、、、私たちは、自分がゴミ箱に捨てたはずのものが、翌日の新聞に載るような、そんな社会を求めているのだろうか。私たちは、必要もないのにずかずかとプライバシーに立ち入ってくることに、寛容でなければならないのだろうか。私たちは、娯楽やセンセーションのために責任を投げ捨ててしまうような国に住みたいのだろうか。、、、、、、（中略）、、、民主主義においては、公で討論をすることこそが、やってよいこととやってはいけないこととの境界線を定めるものである」&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　硬派のジャーナリズム、新聞の論説などでは、ぺヒトルドの議論はおおむね支持されているように見える。しかし、新聞もラジオも、昨日は、この話題が飛び交っていた。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　民主主義が行き着いた先、それは、宗教も、また、科学的な研究や調査の結果といえども、どれ一つとして、絶対的な「真理」はない、そういう社会である。オランダ社会はそれにかなり近い状態にある。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　では、だれにとっても「共通」の真理がない社会では、私たちは、どういう風に生きていかなくてはならないのか。お互いの選択の自由、生き方の自由、価値観の自由、つまりは、それぞれの善悪の判断のもとになる良心の自由を、お互いに認め合って生きる社会にならなければならない。だからこそ、娯楽とセンセーションに走るジャーナリストたちが、「おれたちは表現の自由を追求している」と言わんばかりの顔で、実は、瑣末なスキャンダルを追いかけることが、ひいては、人々の大衆（自分の頭では物を考えない群衆心理に従って動く人々）化と、一時期の政治家や責任転嫁をしやすい官僚らの支配を生む結果になるのだ、とぺヒトルドは警告している。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　だが、オランダほど民主主義を追求してきた国ですら、今、ジャーナリズムがこんな風に頽廃の中に追い込まれているのは、いったい何故なのか。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　情報の価値が、インターネットによってほとんど無料化してしまったからだ。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　新聞・雑誌・書籍などの出版によるマスメディアが、それに携わる人々の収益を生むために、良識を捨ててカネの亡者にならなければ、生業が成り立たなくなっているのではないのか。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　そして、スキャンダル写真し、ポルノまがいの漫画、物質文化の退廃を象徴するファッション誌などで巨富を得ることに何の疑問も抱かずにきた日本の出版界と、それによって、広告だらけの雑誌に、政治家や芸能人のプライバシーが書き立てられても、それが、自らの社会の民主主義の崩壊であるなどとは、露にも思えない読者たちがマジョリティを占めている日本という国では、たとえ、どこかの政治家が、ぺヒトルドがやったような議論を始めても、だれも振り向かず、ただひたすら牛馬のように、仕事場と家庭の間の往復を繰り返し続けるだけなのではないのか。いつの間にか、日本のジャーナリズムは、その質を取り返しがつかないまでに劣化させてしまっているのではないか、と思うことがしばしばある。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　変わり、気づかなくてはならないのは、一人ひとりの市民だ。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/4889188775624583220-5424993249739222706?l=hollandvannaoko.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://hollandvannaoko.blogspot.com/feeds/5424993249739222706/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=4889188775624583220&amp;postID=5424993249739222706' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/4889188775624583220/posts/default/5424993249739222706'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/4889188775624583220/posts/default/5424993249739222706'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://hollandvannaoko.blogspot.com/2010/05/blog-post_18.html' title='ゴミ箱あさりジャーナリズム'/><author><name>リヒテルズ直子</name><uri>http://www.blogger.com/profile/09548745030915743508</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='21' height='32' src='http://3.bp.blogspot.com/-CQvXkgFX0x8/TyFsI_Pc0WI/AAAAAAAADbE/VXgdHo9mUoQ/s220/IMG_4798.JPG'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-4889188775624583220.post-6947187209784316725</id><published>2010-05-06T21:32:00.003+09:00</published><updated>2010-05-06T22:35:27.643+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='政治'/><title type='text'>家庭を理由に政界を引く若手エリート政治家たち</title><content type='html'>　さる2月20日、アフガニスタンへの平和維持軍の派兵延長をめぐって、第4次バルケンエンデ政権が解散となった。もともと今年末までで撤退することが決まっていたアフガニスタン派兵だったが、アメリカ合衆国の外交圧力もあり、延長の可能性を匂わせていたキリスト教民主連盟（CDA）の首相バルケンエンデにたいして、当時副首相だった労働党（PvdA)のワウター・ボスは、派兵延長に断固として反対し、労働党は政権からの脱退を決めた。ついに、バルケンエンデ首相にとっては、なんと4回目の政権解散となった。&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　というわけで、早速、6月9日に次期総選挙が予定され、それに向けて早速選挙戦開始となったのだが、、、。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　3月11日、現政権の最大政党CDAの次期リーダー候補といわれていたカミール・ユーリングス運輸大臣（36歳）が政界からの引退を発表、続いて12日には、なんと副首相で財務大臣のワウター・ボス（46歳）も引退を発表。二人とも、閣僚内の住職にある、しかも、どちらかというと若くて脂の乗り切った政治家たちであっただけに、この発言は国民をあっと驚かせることとなった。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　ユーリングスは今年37歳。若いがヨーロッパ議会議員の経験もある将来有望な政治家だった。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　他方、ボスは有名な石油会社ロイヤル・シェルに10年勤めた後、1998年から国会議員、2000年に37歳で財務省の国務次官という重職に就き、2002年以来労働党の党首として党を率いてきた。特に、2008年の金融危機以後、財務大臣としてマスメディアに登場しない日はない、というほど政治家中の政治家。経済政策運営の手腕については定評があった。突然の引退表明に、政界ばかりでなく、国民もあっと驚きの声を上げることとなったは当然だった。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　ユーリングスもボスも、引退の理由は、プライベートな生活にもっと時間を割きたいから、とのこと。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　特に、ボスの場合、ジャーナリストの奥さんとの間に、6歳を頭に3人の子どもがいる。父親として子どもたちの育児にもっと時間を割きたい、夫婦でバランスよく家事を分担したい、というのが理由だった。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　まあ政治家の世界、深く勘ぐれば政界から引きたくなるさまざまの事情は当然あったことだろう。一般に、国会議員、閣僚の給与は、日本などに比べるとずっと低いとも言われているし、それぞれ、党内でのいろいろな政治抗争が絡んでいないとも限らない。一般の国会議員に比べると、閣僚の仕事は比べ物にならないくらい多忙を極める、ともいわれる。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　それにしても、、、、おそらく、日本などからすると、閣僚ほどの地位にあり、しかも、30台、40台という脂の乗り切った仕事盛りの政治家が、別に、何か失敗をやらかしたとか、賄賂などの腐敗のうわさが立ったわけでもないのに、さっさと政界から身を引く、それも、家庭のために、などとは、想像もつかないことだろう。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　実にオランダらしい、と思う。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　女性たちからは、「ああ、ついに男性たちもかなり解放度が高くなってきたな」などとニンマリされている。確かに、夫婦間の家事や育児の分担は、オランダの夫婦関係の一つのスタンダードになってしまっている。いまどき夫は外で働いて給料を稼ぎ、妻は主婦業に徹するというような家庭はほとんどない。ましてや、政治家や閣僚になるほどの高学歴者の場合、夫も妻もお互いに専門職を持っているケースが多く、両方が、お互いに譲り合いながら、仕事と家庭生活のバランスをどう保っていくかは、夫婦関係の維持にかかわる問題になっている。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　ボスの場合、政界を引いたからと言って家庭にこもるつもりはもちろんないのだろう。家庭生活をほどほどに維持しながら、効率よくできる仕事に就きたい、ということなのかもしれない。いずれ、子どもたちが成長したら、また、政治家としてマス・メディアで話題になる人として復活する日も来るのかもしれない。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　パートタイム就業を正規就業化し、同一労働同一賃金の原則を徹底してきたオランダ。こうした制度が成り立ち、実践されてきた背景には、家事や育児という、賃金を払われることのない仕事に対する尊重、また、一人ひとりの生活の中での賃金獲得のための仕事と家庭生活、あるいは、社会参加活動といった多面的な活動のバランス、また、ひとりの人生における、生活の重点の移動（学習＝資格獲得―勤務・キャリア形成―出産・育児―勤務への回帰―退職後の暮らし）といった観点からのいろいろな議論の積み重ねが行われてきた。そういう中で、すべての人が、それぞれに、自分らしい生活のバランス、自分らしい人生設計、デザインの仕方が、できる限り可能なように選択肢の多い制度が作られてきた。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　政治家や閣僚は公僕だ。しかし、公僕もまた、一人の私的人間、市民として、一度限りの人生を自分らしく生きる権利を持っている。そして、その権利をみずから体現してみせることは、自分の政治姿勢を公に示す一つのやり方でもある。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/4889188775624583220-6947187209784316725?l=hollandvannaoko.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://hollandvannaoko.blogspot.com/feeds/6947187209784316725/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=4889188775624583220&amp;postID=6947187209784316725' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/4889188775624583220/posts/default/6947187209784316725'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/4889188775624583220/posts/default/6947187209784316725'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://hollandvannaoko.blogspot.com/2010/05/blog-post.html' title='家庭を理由に政界を引く若手エリート政治家たち'/><author><name>リヒテルズ直子</name><uri>http://www.blogger.com/profile/09548745030915743508</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='21' height='32' src='http://3.bp.blogspot.com/-CQvXkgFX0x8/TyFsI_Pc0WI/AAAAAAAADbE/VXgdHo9mUoQ/s220/IMG_4798.JPG'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-4889188775624583220.post-6789304812147293455</id><published>2010-01-15T01:25:00.003+09:00</published><updated>2010-01-15T02:20:57.849+09:00</updated><title type='text'>ヨーロッパの中のオランダ：最大多数の最大幸福に高い税は欠かせない??　（その３）</title><content type='html'>　さて、CPBの調査結果を全体として眺めてみると、報告書それ自身が結論付けているように、オランダの『文明度』は、スカンジナビアモデルと大陸モデルとの中間、場合によっては、最も高いスカンジナビアモデルを上回る好成績を示していた。&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　初めの問題提議にある、『課税圧力は高い文明の実現に必要か』という問いに関して言えば、スカンジナビアの成績をみると、明らかに肯定的な答えを引き出さざるを得ない、ということになる。しかも、経済繁栄の面でも、スカンジナビア諸国はアングロサクソンモデルの国に大きく遅れておらず、ならば、課税が高くても、繁栄ありで、幸福度も高いではないか、ということが言える。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　興味深いのは、課税圧力の点では３９％と、スカンジナビアモデル平均の46%に比べても、また、周辺の大陸モデル平均の42%に比べても低いオランダが、経済繁栄や幸福度の点で、スカンジナビアにも遜色ない結果を達成していることだ。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　その秘密は何なのだろう。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　これは、私の勘で、仮説にすぎないが、たぶん、オランダ人特有の節約観によるものではないか、と思う。平たく言えば、けちで有名なオランダ人は、無駄を出さない、とでも言えばいいのだろうか。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　たとえば、日本でもよく知られたワークシェアリング。こちらでは、パートタイム就業の正規化、といった方が分かりやすいが、これなどは、考えようによっては、無駄のない雇用形式だ、と言っていいのではないか。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　多くの労働を必要としない職に対して、フルタイムの職を用意する必要はない。資格や経験のある能力のある人材を、必要な時間だけパートタイムで雇い、正規のフルタイム雇用と同じ安定した保証をすることで、無駄な時間が生まれにくい就業形式が作り出される。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　他方、子育てなど、家庭にも時間を割きたいライフステージにある若い労働者たちは、育児や家事をする以外の余った時間をパートタイム就業でカネを稼ぎながら埋められる。ついでに、子どもたちは、両親共々フルタイムの両親にほったらかしにされる必要もなく、ほどほどに、親の関心と保護の中で成長できる。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　一挙両得どころか、三得も四得もありそうな、働き方であり生き方だ。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　経済効率の高さ、子どもたちの幸福度の高さなどには、こういう、節約的な制度を生んできたオランダの賢さが反映しているといえないか。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　女性たちの労働への進出度が低いことについては、オランダ国内でもしばしば議論されている。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　しかし、労働市場への進出、産業社会の中での活躍だけが、本当に女性の解放のあかしなのだろうか、と私は疑問に思う。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　高い能力は、労働でも有効だが、子育てにも欠かせない。市民運動といった余暇を利用した社会参加でも有効だ。女性に限らず、人々が、働いてカネを稼ぐという活動のほかに、家事や子育て、市民運動にバランスよくかかわることは、むしろ、新しい時代の生き方といってもいいくらいだ。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　技術革新の発展のおかげで、家庭にいながら行えるテレワークの可能性も増えてきた。人間がかかわらずとも、機械（ロボット）を使ってやれる生産技術も、日々向上している。少ない人的能力で、十分な生産が可能であるのなら、それに越したことはない。人間の作業がかかわらない生産様式は、今後飛躍的に増えていくだろう。そこで生み出される利潤を、大企業だけが享受するのはおかしい。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　休暇がたっぷりとれるオランダ人の生産効率が、スカンジナビアモデルの国はもとより、どの国に比べても、圧倒的に高いことは有名だ。休むことは、生活を保障するだけの金銭の受領を阻む理由であってはならない、と考えられる時代は、もうすぐ目の前まで来ている。うまくやれば、高齢化社会や少子化を無条件に危ぶむ必要はないのかもしれない。少なくとも、一国の少子化を考えるのではなく、世界全体の人口圧力を大きく解決する道を、国境を越えて考える時代だ。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　オランダ人の生き方は、人と人とのかかわり方が、世界に共通の課題をみんなで考えなくてはならない時代に、未来の人々の労働の仕方、ライフ・ワーク・バランス、ワーク以外の部分についての生についての意味付け、の仕方を考えさせてくれる。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;------&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　同時に、ありすぎる余暇をよりよく使いきれないオランダ人も多いのかもしれない。労働という紐帯によって、組織で共に働くという考えから解放されすぎてしまい、行き過ぎた個人主義が利己主義になってしまっている例もオランダには多い。なおのこと、社会参加を促す制度作りが重要だ。NPO団体やボランティアは、公的資金を使って常勤職員を雇ってでも活性化していくべきではないのか。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　短所や問題点をも含め、オランダは、生産一本やりの産業社会型世界が、環境問題という地球規模の障壁の前でスローダウンさせられている中、考えさせてくれる選択肢や課題をたくさん提供してくれるように見えるのだが、、、。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/4889188775624583220-6789304812147293455?l=hollandvannaoko.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://hollandvannaoko.blogspot.com/feeds/6789304812147293455/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=4889188775624583220&amp;postID=6789304812147293455' title='2 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/4889188775624583220/posts/default/6789304812147293455'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/4889188775624583220/posts/default/6789304812147293455'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://hollandvannaoko.blogspot.com/2010/01/blog-post_15.html' title='ヨーロッパの中のオランダ：最大多数の最大幸福に高い税は欠かせない??　（その３）'/><author><name>リヒテルズ直子</name><uri>http://www.blogger.com/profile/09548745030915743508</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='21' height='32' 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/&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　結論から言うと、繁栄度は、一人当たり国民総生産についてみる限り、アングロサクソンモデルの国が最も高いが、スカンジナビア諸国もほぼそれに変わらないレベルにあり、オランダは、比較的低い大陸モデルや地中海モデルの国よりもずっと高いレベルを達成していた。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　つまり、税金の圧力が高いスカンジナビアモデルの国々は、税金圧力が低く、したがって、公共政策や幸福度などの福祉面にに明らかな遅れがみられるアングロサクソンモデルの国に比べて、決して、経済繁栄の面で劣っていない、ということだ。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　オランダに限って言えば、就業参加率（就業人口に対する就業者の率）がどのモデルよりも高い76.1%を達成していたこと、中でも、この就業者の中に占めるパートタイム就業者の率が、ずば抜けて高かったことが注目される。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　とはいえ、パートタイム就業を正規雇用化しているオランダについて、この点は、広く知られてきた事実でもある。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　失業率に至っては、これまた、オランダは、全体として最も低いグループであるスカンジナビアの4.6%（平均）に比べても、2.8%と最も低い。この値は、2008年の金融危機以前のものではあるが、それから1年後の2009年代4四半期の失業率は、前にも報告した通り3.6%（OECD基準）で、世界のどの国に比べても低かった。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　さらに、労働生産性に至っては、オランダは実に顕著な結果を示している。時間当たりの国民総生産は、スカンジナビアモデル35.0、大陸モデル35.2、地中海モデル24.5、アングロサクソンモデル35.4であるのに対し、オランダは、38.0と抜きんでている。これを年収に換算するならば、オランダ人の場合、スカンジナビア諸国の人々と比べ、年間、200時間短い時間で同じ給与を受けているという計算になるという。（アメリカよりも400時間短い）&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　気になるのは、女性の就業形態だ。パートタイム就業が高率を占めるオランダでは、スカンジナビアモデルや周辺の大陸モデルの国に比べて、女性がフルタイムで働く率は低く、いわゆる『女性解放度』日本でいわれる「男女平等参画」の度合いは低い。また、管理職に占める女性の割合も、相対的に低い。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　これは、女性が、今でも、家庭の中で主導的な役割を占めていること、就学前の子育てにおいて、保育所などの施設に依存する割合が低く、そこに支出されている公共資金が低いことなどとも呼応する。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　果たして、その傾向が、良いことなのか、悪いことなのか、の判断については、次項であらためて考察してみたい。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;b&gt;社会的結合度&lt;/b&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;b&gt;&lt;br /&gt;&lt;/b&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;b&gt;　&lt;/b&gt;さてそれでは、各国の社会的結合の度合いはどうか。社会的結合度は、人々の生活の豊かさの基準でもある。結合が高いということは、人々に社会に対する関心と参加意識が高く、したがって、満足度や社会の成り行きに対して影響を与えられるという気分が高い、といえるだろう。結合度の高い社会は、より多くの市民を関与させた政策決定ができるという意味で、政策に持続性や耐性が生まれ、安定度が高まる。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　社会の他の成員に対する信頼という点で、スカンジナビアモデルの平均は67.0と、大陸モデルの27.8、地中海モデルの24.6、アングロサクソンモデルの30.5に比べて非常に高かった。オランダは、45.0とスカンジナビアにははるかに及ばないものの、他の地域に比べれば好成績だ。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　同法に対する協力活動としてのフィランソロピーへの参加は、アングロサクソンモデルが最も高い（寄付72.6%、ボランティア31.9%）が、オランダは、さらにそれを上回り、世界一だ（寄付74.9%、ボランティア37.1%。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　ウェルビーング、良好な状態、とでも訳すこの言葉は、砕いていえば、幸福度・満足度と訳せると思う。欧米諸国が、物質主義社会から、非物質主義社会への移行を果たした70年代以降、ずっと行われてきている調査がある。物質主義の時代は、人々は、『生存』が生と労働の目的だった。しかし、一定程度の物質に満たされ、経済的な安定が確保された後、人々は、『より良いあり方、生き方』を求め、心の豊かさを求める価値観を持つようになった。ポスト・マテリアリズムとはこのことを言っている。ポスト・モダニズム（脱近代主義）とは異なり、もっと狭いものだ。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　オランダは、ウェルビーングの点でも、スカンジナビア諸国とともに相対的に高いレベルのグループにいつも入れられてきた。ウェルビーングの判断は、主観的なものが多く、プロテスタンティズムとの関連も指摘されている。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　さて、CPBの調査では、経済的安定性、労働に対する満足度、生活に対する満足度、幸福感、自由感のいずれにおいても、オランダは、最も高いスカンジナビア諸国に続く位置を占めた。大陸モデル、地中海モデル、アングロサクソンモデルに対しては、全体として水をあけている。（自由感についてのみ、自由市場原理のアングロサクソンモデルがオランダよりも高い位置を占めている）&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　そのほか、不正（汚職）の少なさ、犯罪への不安、自殺率、などでもオランダは好成績だ。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　なぜか、10万人当たりの殺人率がスカンジナビアは大きく、拘留者の比率がオランダは高い。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　文明生活の先進性を測る一つの尺度として、国連開発計画（UNDP）が毎年公表しているHDI （Human Development Index)というものがある。経済指標のほか、教育の程度、健康生活の程度、などが考慮される。それによると、オランダは、世界で第6位、スカンジナビア諸国はノルウェーが1位であるほかは、皆オランダよりランクが低い。アングロサクソンモデルの中では、アイルランドが5位と健闘し、オランダのレベルを上回っているが、その他の国は皆、オランダよりも下位にある。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;（この項続く）　　&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/4889188775624583220-959423987973874689?l=hollandvannaoko.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://hollandvannaoko.blogspot.com/feeds/959423987973874689/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=4889188775624583220&amp;postID=959423987973874689' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/4889188775624583220/posts/default/959423987973874689'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/4889188775624583220/posts/default/959423987973874689'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://hollandvannaoko.blogspot.com/2010/01/blog-post.html' title='ヨーロッパの中のオランダ：最大多数の最大幸福に高い税は欠かせない??　（その２）'/><author><name>リヒテルズ直子</name><uri>http://www.blogger.com/profile/09548745030915743508</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='21' height='32' src='http://3.bp.blogspot.com/-CQvXkgFX0x8/TyFsI_Pc0WI/AAAAAAAADbE/VXgdHo9mUoQ/s220/IMG_4798.JPG'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-4889188775624583220.post-992591524530418024</id><published>2009-12-24T00:55:00.003+09:00</published><updated>2009-12-24T01:20:15.746+09:00</updated><title type='text'>ヨーロッパの中のオランダ：最大多数の最大幸福に高い税は欠かせない??　（その1）</title><content type='html'>　高い税金は高い文明を実現するために必要なもの、そして、それを実現しているのはスカンジナビアの国々と、オランダ、そういう興味深い結果を示すレポートが今月、オランダのシンクタンク『経済政策分析局〈CPB〉』から出されている。（Hoe beschaafd is Nederland? Een fiscale kosten-batenanalyse, Sijbren Cnossen, CPB2009)&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　この調査研究のきっかけは、次のような問いにある。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;ul&gt;&lt;li&gt;高い税金圧力は、文明を押し上げるために必要なものなのか、つまり、ベンサムに代表される功利主義者の言うところの、＜最大多数の最大幸福＞にとって必要なものなのか?&lt;/li&gt;&lt;li&gt;高い税金圧力のある国の人々の幸福は、低い税金圧力の国よりも大きいのか?&lt;/li&gt;&lt;li&gt;人々の幸福のレベルは経済的な繁栄を犠牲にするのではないのか？&lt;/li&gt;&lt;li&gt;比較的高い福祉のレベルと比較的高い繁栄のレベルとを組み合わせることは、どの程度持続性のあるものなのか?&lt;/li&gt;&lt;/ul&gt;&lt;div&gt;　実に時代にかなった、しかも、おそらく今、多くの日本人にとっても興味の尽きない、わくわくする問いかけではある。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　この問いに答えを求めるために、この調査では、調査者の国であるオランダを中心に据えながら、ヨーロッパの国々を、4つの社会経済モデルに分類している。この分類もまた、ヨーロッパの国々を理解する枠組みとしてはなかなかに面白い。分類の基準は、&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;ol&gt;&lt;li&gt;ひとりで生活することができない人の面倒をみるのは誰か?&lt;/li&gt;&lt;li&gt;雇用慣行と企業の制度は?&lt;/li&gt;&lt;li&gt;市場での所得は税によってどれほど調整されているか?　&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;4つのモデルとは以下のものだ。&lt;/li&gt;&lt;/ol&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;ol&gt;&lt;li&gt;&lt;b&gt;スカンジナヴィア・モデル（政府主導型モデル）&lt;/b&gt;：スウェーデン、ノルウェイ、フィンランド、デンマーク&lt;br /&gt;平等の概念を強調し、集団的な決定様式とユニバーサルな社会的施設・設備に特徴づけられる。&lt;/li&gt;&lt;li&gt;&lt;b&gt;大陸・モデル&lt;/b&gt;&lt;b&gt;（コーポラティズムあるいはライン諸国モデル）&lt;/b&gt;：ドイツ、フランス、オーストリア、ベルギー&lt;br /&gt;業種集団を基礎として、それぞれ独自が供給する施設・設備によって組織される。達成された生活水準の維持を目指す&lt;/li&gt;&lt;li&gt;&lt;b&gt;地中海・モデル（家族志向型モデル）&lt;/b&gt;：イタリア、スペイン、ギリシャ、ポルトガル&lt;br /&gt;いまだに、古い、農耕社会的、温情主義的な、庇護と隷属の文化の後をたどることができ、家族以外には、ほとんど明確な社会的なセーフティネットがない。&lt;/li&gt;&lt;li&gt;&lt;b&gt;アングロサクソン・モデル（市場モデル）&lt;/b&gt;：イギリス、アイルランド&lt;br /&gt;市場依存、集団的な施設・設備には限界があり、主として、貧困撲滅に力を入れる&lt;/li&gt;&lt;/ol&gt;&lt;/div&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　この分類を見ただけでも、ああ、なるほど、とヨーロッパの地域的な特徴が顕著に見えてくる。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　4つのグループの税金圧力、すなわち、国民総所得に占める税金の割合は、スカンジナヴィアモデルの平均が46%、大陸モデルの平均が42%、地中海モデルの平均が37%、アングロサクソンモデルの平均が34%で、オランダは、39%だった。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　調査結果のサマリーとしてまとめられた点は、以下の通りだ。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;b&gt;不平等について&lt;/b&gt;&lt;span class="Apple-tab-span" style="white-space: pre; "&gt; &lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;span class="Apple-tab-span" style="white-space: pre; "&gt;&lt;/span&gt;　まず、3年以上所得が貧困ラインを割る継続する頑迷な貧困は、オランダは全人口中わずかに1.3%で、4つのモデルで一番低かったスカンジナヴィアモデルの平均2.3%を大きく下回り最低。（最も高かったのはアングロサクソンモデルの6.8%）、65歳以上の高齢者の中に占める割合も1，3%で最低だった（スカンジナビアモデル7.2%、大陸モデル7.0%、地中海モデル11.7%、アングロサクソンモデル15.1%）。ただし、子どもの貧困の割合が９％とスカンジナビアの4%に比べるとやや高い。これは、主として、片親世帯で、しかも親が働いていないケースが多いことによる（地中海モデル14%、アングロサクソンモデル12%）。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　不平等への意識を測る指標は、国内だけではなく、国外の貧困に対する態度からも得られる。オランダは、昔から、開発援助協力への拠出額が高いことで知られる。国連が目標額として定めている、国民一人当たり国内総生産の0.7%を達成している数少ない国だ。常に、0.8%を超えている。この調査でも、開発コミット目っと院でクスで、オランダは、10点満点の6.7点と、最高点を示した。これに続く高い得点は、フィンランドを除く北欧3国（スウェーデン、ノルウェイ、デンマーク）にみられた。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　不平等を測るもう一つの指標は、女性の解放度だが、グローバル・ジェンダー・インデックスによると、オランダは、ジェンダー間の平等に関しては、11位で、スカンジナビアの国々に比べるとやや劣る。しかしながら、他の3つのモデルの平均に比べるといずれよりも解放度は高い。これは、オランダの場合、ワークシェアリングの浸透によって、労働市場にパートタイムとして就労している女性の数は比較的多いが、男性と肩を並べて、管理職等の指導的な地位に就く女性の割合が比較的少ないことに起因している。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;b&gt;健康管理と教育&lt;/b&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　オランダの健康管理ケアはよく組織されており、しかもそれほど高額ではない。収入の約1割が健康管理のために支払われる。ヨーロッパ全体として、平均寿命に大きな差はないが、オランダでは、出生時における子供の死亡率がかなり高いことが目立つ。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　教育については、オランダは、スカンジナビアの国々次いで、高い成績を示している。特に、PISA学力調査では、ヨーロッパでは、フィンランドに次いで、高い水準を達成した。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　しかし、就学前保育や子どもに対するケアに対する公的資金の支出は、スカンジナビアの国々に比べると劣っている。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;（この項続く）&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/4889188775624583220-992591524530418024?l=hollandvannaoko.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://hollandvannaoko.blogspot.com/feeds/992591524530418024/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=4889188775624583220&amp;postID=992591524530418024' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/4889188775624583220/posts/default/992591524530418024'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/4889188775624583220/posts/default/992591524530418024'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://hollandvannaoko.blogspot.com/2009/12/1.html' title='ヨーロッパの中のオランダ：最大多数の最大幸福に高い税は欠かせない??　（その1）'/><author><name>リヒテルズ直子</name><uri>http://www.blogger.com/profile/09548745030915743508</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='21' height='32' src='http://3.bp.blogspot.com/-CQvXkgFX0x8/TyFsI_Pc0WI/AAAAAAAADbE/VXgdHo9mUoQ/s220/IMG_4798.JPG'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-4889188775624583220.post-9035117869985972046</id><published>2009-12-23T19:30:00.003+09:00</published><updated>2009-12-23T21:00:55.074+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='教育'/><title type='text'>14才のセイラー：親権と子どもの自立</title><content type='html'>　今年の夏以来、オランダのニュースに時々登場しては社会に議論を醸し出しているラウラ・デッカー。両親の船の上で生まれ、生来のセイラー（ウー）マンとして育った14才のオランダ人少女だ。&lt;div&gt;　昨夏、１３歳だったラウラは、単独で世界一周航海をすると決め、本人も熟練した航海経験のある父親は、彼女に同意して、学校に長期欠席の申し出を入れた。もちろん、就学義務の履行に厳しい学校はこの依頼を受け入れられなかった。いずれにせよ、ラウラの野望は、史上初の最年少世界一周航行を果たすことだ。訓練は十分、スポンサー初め、支援グループの準備も怠りなく、というところであったらしい。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　しかし、オランダの裁判所は、未成年のラウラが単独で公開することに対して、不許可の結論を出した。理由は、成長期にあるラウラにとって、精神的にも肉体的にも極限の状況に一人で立ち向かわなくてはならない可能性のある単独航海は、将来、取り返しのつかない危害をもたらす可能性がある、というものだ。その結果、ラウラの行動は、以後、ユトレヒトの青少年保護組織の管理下に置かれることになった。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　ラウラの単独航海に、宣伝効果を期待して申し出たスポンサーは少なくない。そんな中で出されたオランダの司法権の決定は、基本的に、未成年者に対する公的保護の立場からのものだった。宣伝収入をもくろんでいたスポンサーには落胆の結果であったことだろう。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;－－－－－－－－－&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　子どもの教育（成長）の第1義的責任は親権者にある。しかし、その親権者が、子どもの健全な発育を保護しない、あるいはできない状況にある場合には、公的機関が子どもの発達の権利を守らなくてはならない。この原則が、ラウラをめぐる一連の議論に流れる考え方であった。そして、この原則自身には何の誤りもない。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　しかし、親の判断をどこまで認めるか、それに対して、公的機関が、いつ踏み込むべきか、その境界線を引くことは難しい。いずれの判断も、最終的には、現行の法に照らすしかないわけであるが、それでも、法の適用基準は、司法官や関係の専門家に任されることで、今回のような例では、議論が噴出しかねない。議論の行方によっては、将来、法が修正される可能性だってある。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;－－－－－－－－&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　スポンサーや野次馬の大きな期待をよそに、16歳までは、単独航海は認められないとの結論を受けたラウラと父親。これで事態は一件落着だったはずが、先週になって、今度は、ラウラが行方不明となり、父親が警察に届け出て、数日後、カリブ海のオランダ領シント・マーティンで見つかるというニュースが流れた。ラウラがどうやってその島まで来ていたのかについては、詳しいことは報道されていない。しかし、8月以来、青少年保護機関の監督下にあったはずのラウラが行方不明になったことで、ラウラの両親よりも、公的な機関の方が、いくらか慌てふためいている感じはある。ラウラの保護責任を持っていたはずが、保護できていなかったからだ。結局、担当機関であるユトレヒトの青少年保護ビューローは、来年の7月まで、ラウラを、現在同居している父親から引き離し、しかるべき保護機関のもとで監督する、という結論をだした。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　もちろん、この結果にはまたもや議論がおこり始めている。ラウラはもとより、父親も納得しない。昨日の新聞には、今回の結論にラウラは「打ちのめされている」と告げる手紙が、ラウラの祖父母から送られてきた、とも報道されている。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;－－－－－－－－&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　世の中には、中毒患者、犯罪人、児童虐待など、子どもの健全な成長を見守ることができない親が実際に存在する。そういう親に代わって、子どもの発育を保護するのは、国や社会の役割であることには間違いはない。だが、今回の場合、父親は、ラウラの航海技術を育て、見守り、そして、本人の野心を果たしてやろうと支援したまでだ。それが、子どもの成長の障害になるという判断をつけるのは難しい。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　確かに、子どもの就学を義務付けられているのは父親だ。世界航海のために、学校に長期欠席届けを出した父親には、この義務に対する不履行という問題がある。これとても、果たして、学校が子どもの成長に最善の場であるのか、と議論する親がいないわけではなく、ここでも、親権と社会の保護義務の間には軋みがある。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　オランダの教育や子育てを、外から眺めている私の目には、さらに、もう一つ、気になることがある。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　現在のオランダ社会の子育ては、とにかく、子どもたちを一日も早く『自立』させることにある。それは、親の意識としても、社会の制度としてもそうだ。ラウラの場合、その意味では、オランダ社会の子育ての、突出した典型例であったとも言えなくもない。本人も、親も、ともに、ラウラの自立に向けて今日まで来たのだろうし、それをとやかく言う人も、おそらくいなかったのではないか。それが、突然にして、『成長に対する身体的、精神的な危害』などと理由づけられ、これまで、知らん顔だった公的な組織が、自身ではもうすっかり精神的には自立を遂げたと思っているラウラに、『保護』を申し出てくる、というのもどんなものか。ラウラにも父親にも、何か、偽善的で取ってつけた温情に見えるのではないか。そもそも、自立などというものは、18歳という年齢がくれば、みんな同様に果たされるというものなのか、、&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;―――――&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　ラウラをめぐる一連の議論は、親権と、未成年者に対する社会（国家）の責任の関係、さらには、子どもの自立とそれを見守る社会の関係、など、日本においても議論されるべきいろいろなものを問いかけているように思う。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　（公立）学校という場が、いじめや校内暴力という、それこそ、子どもの発育にとって危害にあふれた場になってしまった日本。また、子どもに『自立』することよりも、ひたすら社会への同調を強い、子どもや親たちの繰り言、主張を抑え込んできた日本という社会。そんな日本に、『親権とは何か』『自立とは何か』という議論は、今まで、公に真剣に論じられたことがあっただろうか。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　日本だったら、ラウラの事件のような問題が起きたとしたら、いったい、どんな議論になっていたことだろう。ふと、イラクでの日本人人質事件とその後の議論が脳裏に浮かぶ。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/4889188775624583220-9035117869985972046?l=hollandvannaoko.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://hollandvannaoko.blogspot.com/feeds/9035117869985972046/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=4889188775624583220&amp;postID=9035117869985972046' title='1 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/4889188775624583220/posts/default/9035117869985972046'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/4889188775624583220/posts/default/9035117869985972046'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://hollandvannaoko.blogspot.com/2009/12/14.html' title='14才のセイラー：親権と子どもの自立'/><author><name>リヒテルズ直子</name><uri>http://www.blogger.com/profile/09548745030915743508</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='21' height='32' src='http://3.bp.blogspot.com/-CQvXkgFX0x8/TyFsI_Pc0WI/AAAAAAAADbE/VXgdHo9mUoQ/s220/IMG_4798.JPG'/></author><thr:total>1</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-4889188775624583220.post-8537114941296884276</id><published>2009-12-08T21:32:00.002+09:00</published><updated>2009-12-08T22:29:29.198+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='労働'/><title type='text'>金融危機後も低い失業率を保つオランダ</title><content type='html'>　今月5・6日（週末版）のＮＲＣハンデルズブラッド紙の経済面では、昨年の金融危機以後のヨーロッパの労働市場をの実情を伝えるシリーズ記事の第一回目として、オランダの失業の実情が伝えられた。&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　その冒頭にくっきりと描かれたグラフには、世界の先進国の失業率〈今年第３四半期分〉が比較されている。それによると、ベルギー7.9％、デンマーク6，2％、ドイツ7.6％、フランス9.8％、アイルランド12.6％、日本5.5％、ポーランド8.1％、ポルトガル9.9％、スペイン18.7％、イギリス7.7％、アメリカ合衆国9.6％、スウェーデン8.6％、そして、欧州連合平均は7.9％だ。オランダは3.6％で、世界の先進国のどこに比べても、目立って低い。（このグラフは、ＯＥＣＤの統計で、そのため、オランダの統計局ＣＢＳが独自の『失業』の定義によって出している5％に比べると低くなっている。）　&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　2008年秋の世界同時金融危機発生直前の統計でも、オランダの失業率は、ヨーロッパでもっとも低かった。確か、当時、オランダと最低失業率を争っていたのはデンマークだったが、その後、オランダがほぼ同じレベルの失業率を保ってきたのに対し、デンマークでは倍増しているのが興味深い。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　オランダの失業を抑制している理由は、このシリーズで以前報告したように、パートタイム失業制度がいち早く取り入れられ、大変、功を奏したことがあげられる。また、労働機会の現象をいち早く見てとった若年者が、大学や職業訓練校に長くとどまっていること、また、高等教育機関への入学者が増加していることなど、就職活動を遅らせ、教育を選んだために、失業率が増大していない、という面もある。前者は、オランダ特有の政労使の話し合いによる政策上の効果であり、後者は、授業料が比較的安く、また、高校卒業資格を持つものすべてに開かれた教育機会という制度上の利点であるともいえよう。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　しかし、オランダの失業率の低さには、まだ、もっと根本的な理由があるというのが、この記事の趣旨でもあった。それは、オランダのパートタイム就業文化の浸透である。すなわち、他のほとんどの諸国では、パートタイムによる就業が、フルタイム就業の職種に比べて、いわばランク付けの低い、言い換えれば、専門的な職種には向けられていないのに対し、オランダでは、専門職であれ、パートタイムの就業で、しかも、フルタイムと同じ条件の正規就業として取り扱われることが、今や、当たり前になっているということだ。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　実際、医者でも、校長でも、研究者でも、オランダでは、専門職者が、週に4日しか働いていない、という例を探すのに、まったく苦労することはない。まさに、一つの仕事を2人で分けあう、つまり、フルタイムならば一人分の仕事にしかならないものを、時間で分け合うことによって2人に仕事の機会を与えることになる、という例が掃いて捨てるほとある。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　「いやあ、でも、それでは、パートタイムでしか働けない人は収入が足りないのでは？」と思われるかもしれない。しかし、そうでもなくて、とりわけ、小さい子どものいる夫婦などは、むしろ、自宅にいて育児にかかわれる時間を望んでいる場合が多く、夫婦でお互いにパートタイムで働けることは、家庭生活にかける時間を生み出す歓迎すべき条件なのだ。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　そのうえ、パートタイム就業者が、時間を増減することを解雇の条件にしてはならない、という規則もあるから、労働者が、もっと長い時間働きたいとか、少し短くしたいというような場合、雇用者は、できるだけ柔軟にそれに応じなくてはならない。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　だから、労働者には子どもが大きくなって時間が増えるなど、労働時間を延長したい場合には、そうする可能性が比較的容易に用意されている。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　もっとも、オランダの失業率の低さの背景には、オランダの経済は、金融危機で最も大きな打撃を受けたといわれる製造業への依存度が低く、フォワーディング業に代表されるサービス部門の産業比率が大きいことも理由としてあげられる。また、社会保障制度が、北欧並みに整っているといわれたオランダは、今でも、景気変動の影響を受けにくい、医療、介護、教育など、公共政策部門でのサービス職を多く労働機会として持っていることも理由に挙げられている。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/4889188775624583220-8537114941296884276?l=hollandvannaoko.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://hollandvannaoko.blogspot.com/feeds/8537114941296884276/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=4889188775624583220&amp;postID=8537114941296884276' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/4889188775624583220/posts/default/8537114941296884276'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/4889188775624583220/posts/default/8537114941296884276'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://hollandvannaoko.blogspot.com/2009/12/blog-post.html' title='金融危機後も低い失業率を保つオランダ'/><author><name>リヒテルズ直子</name><uri>http://www.blogger.com/profile/09548745030915743508</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='21' height='32' src='http://3.bp.blogspot.com/-CQvXkgFX0x8/TyFsI_Pc0WI/AAAAAAAADbE/VXgdHo9mUoQ/s220/IMG_4798.JPG'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-4889188775624583220.post-1656258980222902190</id><published>2009-10-05T21:30:00.004+09:00</published><updated>2009-10-05T23:12:57.721+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='経済、労働'/><title type='text'>ポルダーモデルの危機?　ポストグロバリゼーションの時代</title><content type='html'>　「どうやら、『ポルダーの嵐』が吹き荒れることになりそうだ」&lt;div&gt;　先月末、オランダのバルケンエンデ首相はこう述べた。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　これは、オランダの社会経済政策策定プロセスとしてよく知られた『ポルダー・モデル』が機能せず、交渉が暗礁に乗り上げた、ということを意味している。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　『ポルダー・モデル』とは、政府・労働者・企業家（政労使）の三者が、お互いの利害を出し合って話し合い、それによって、立場の違うものが、問題状況を広く受け入れ、それぞれが歩み寄って納得できる形で対策を生み出すという独特の仕組みのことを言っている。そのため、オランダの「ポルダー・モデル」は「協議（overleg)経済」とも呼ばれる。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　『ポルダーモデル』は、戦災からの早い復帰を目指して、労使が歩み寄り、ともに解決策に乗り出そうとした、第2次世界大戦後まもなく生まれたものである。はじめに、労働者組合の代表と企業代表から成る民間の組織STARができ、それから、これに、政府が第3者として加わって話し合いを進める公的機関ＳＥＲができて、制度的な形を整えた。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　『ポルダーモデル』の成功例として有名なのが、1982年の「ワッセナーの合意」であり、それは、このオランダ通信でも何回も触れてきた、パートタイム就業の正規化、すなわち、ワークシェアリングを実現させた施策だった。また、その後に再び起きた経済危機に対抗して、90年代の政策返還を生んだのも、この『ポルダーモデル』の仕組みがあったからといわれる。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;－－－－－－－－－－－－－－－－－&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　さて、今回『ポルダーの嵐』といわれている事態とは、具体的に何のことか?&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　それは、ＡＯＷ（国民年金受給年齢）の引き上げ、に関するものだ。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　昨年秋の金融危機を受けて、今年の3月、オランダ政府は、金融危機緊急経済回復プランを話し合った。（本ブログで報告：&lt;a href="http://hollandvannaoko.blogspot.com/2009/03/blog-post.html"&gt;http://hollandvannaoko.blogspot.com/2009/03/blog-post.html&lt;/a&gt;）&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　政府のプランは具体性や効果の見通しを欠くとして、野党からは強い批判を受けたが、その際に、現政府は、ＡＯＷの受給年齢を、現行の65歳から67歳に引き上げることによって、４０億ユーロ（日本円にしておよそ５２００億円）の国庫削減を生み出すとの案を提示した。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　これに対して、労働組合側は強い反対を示し、その結果、今月１日を最終締め切り日として、労使間の話し合いによって、対案を出すということで決着していた。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　このように、オランダでは、政府の案に対して、企業や労働者からの反対がある場合、国会の議員たちが、その意向を代表して協議するのではなく、その前に、企業家代表と労働者の代表とが、国が指定した独立の立場の参加者とともに直接に協議し、３者の相互理解を深め（「浮揚面」を生み出す、という表現が使われる）、その上で、対案を出す機会が設けられる。これが、『ポルダーモデル』なのだ。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　そうすることによって、社会内で広く問題を共有することができ、政府がその話し合いの結果をうけて、無理のない政策を実行できるので、政策に対する有権者の関与、特に、立場や利害の異なる、労使相互が責任と自覚をもって政策に関与できるという仕組みになっている。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　労働者代表と企業代表とは「社会パートナー」という言葉で呼ばれることもある。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　『ポルダーモデル』＝「協議経済」は、政労使の協議による社会経済政策策定プロセスであると言われる所以だ。一方では、経済発展・維持モデルであるとともに、そのために、労働者が満足のできる形を求めるという点では、社会（福祉）政策モデルでもある。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;－－－－－－－－－－－－－－&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　ＡＯＷについてのポルダーモデルによる協議はなぜ決裂したのか?&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　労働組合代表は、企業家代表との話し合いにおいて、「フレキシブルＡＯＷ制度」の導入という対案を提案した。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　これは、現行の６５歳からのＡＯＷ受給に対して、労働者一人一人が、退職年齢を６５歳から７０歳までの間、自分で選択でき、長く勤務して退職するほど、ＡＯＷの額も増える、という制度である。この制度を導入することで、労働者は、退職年齢を自分で決められ、また、それによって、政府案と同じおよそ４０億ユーロの節減が可能になる、との案だった。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　この案に対して、実を言うと、労働組合代表は、与野党のいずれからもあまり大きな支持を得ることができなかった。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　まず、野党のうち、組合運動とは対極にある極右政党ＰＶＶは、移民労働者の福祉資金への国庫支出が莫大であることを理由に、移民排斥を唱えている立場なので、本来オランダ人労働者が受けるべき福祉として、６５歳というラインを維持したいという立場である。また、左派の社会党（ＳＰ）は、労働組合の、政府案への歩み寄りを批判して、６５歳ラインの維持を訴えている。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　また、社民派リベラル政党である「民主６６党」は、フレキシブルＡＯＷ制度は、あいまいで煩雑な制度だとして、対案として有効ではない、政府案の実施を好まないのであれば、両者が歩み寄れる妥当なあんを出すべきだ、という立場をとっている。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　このような野党のコメントに見られるように、労働組合が提出した対案には支持が少ない。しかも、この労働組合代表による対案は、企業家からは全く相手にされず、結局、企業家代表側は、「２０２５年からのＡＯＷ受給年齢６７歳までの一斉引上げ」案で応じた。この案であれば、現在５０歳以上の労働者に、６７歳引き上げは適用されないことになる。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　だが、労働組合側は、重労働就職者の早期退職の可能性を残すべきであるとして応じなかった。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　結局、政労使が『ポルダーモデル』によって対案を生み出すはずのＳＥＲでの話し合いは物別れに終わり、約束の１０月１日までの対案提出は実現しなかった。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;－－－－－－－－－－－－－－－－&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　物別れに終わった協議を受けて、バルケンエンデ首相、ボス副首相・財務相、ドナー社会事象・労働機会相らは、次々に、「遺憾」を表明。代案提出のチャンスが生かされなかったのなら、当初の約束通りに、政府案の法制化と実施に取り組む以外にはない、という結論となった。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　労使交渉に対する時間的猶予の提供、不成功への遺憾表明、などは、強行議決を避けるためにとるプロセスであると言っても過言ではない。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　政府案によれば、向こう２４か月の間、毎月、ＡＯＷ受給年齢を１カ月ずつ引き上げて、最終的に、２年後には、年金受給年齢が、全体として６７歳にまで引き上げられる、というものだ。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　労働組合側が出した「フレキシブルＡＯＷ制度」に比べても、企業者側が出した「２０２５年６７歳一斉引上げ」に比べても、もっとも早急で厳しい対策だ。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　バルケンエンデ首相が、『ポルダーの嵐』を予想したのは、いずれにしても、政府案の実施に対しては、前述の野党らが、反対議論をしようと手ぐすね引いて待っている、というものだ。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　労使交渉も決裂、議会でも与野党が対立すれば、この国は、ポルダーの連帯どころか、国内の分極の相を増していく。それを「嵐」と呼んだのであり、どの首相も、声をそろえて、「遺憾だ」と顔をしかめて見せたというわけだ。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;－－－－－－－－－－&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　物別れとなった労使交渉で不快な屈辱感を味わった組合側は、さっそく、今週水曜日のストライキの実施を決めた。７日水曜日の午前中のラッシュアワー時に、公共交通機関が運行を停止する予定だ。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　オランダは、『ポルダーモデル』があるおかげで、ストライキが比較的少ない国だ、といわれてきた。それだけに、「ストの実施」は、ポルダーの危機そのものを象徴している。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;－－－－－－－－－－&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　ところで、このＡＯＷ（一般老齢年金）だが、これは、日本の国民年金に相当するもので、満６５歳になるすべての人が、同額の年金を支給されるものだ。その意味で、現在日本でもよく議論されているベーシック・インカムの一つの型であるといわれている。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　だが普通、多くの労働者は、雇用者との契約によって、企業ごと、あるいは、業種別に、年金基金に積み立てていく方式で、独自に年金受給を準備している。したがって、こうして積み立てた年金を利用したり、貯金や投資収益を利用すれば、国民年金の受給年齢まで待っていなくても退職して暮らしていける、というケースがかなりある。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　ましてや、ワークシェアリングの導入で、「会社で働くことだけが人生じゃあない」と堂々と言ってのけることのできるオランダだ。実際、５５－６５歳の就業率は半数ほどにしか満たない、という。」&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　今回のＡＯＷ６７歳引き上げ議論とともに問題になっていたのは、高齢化社会の中で、どうしたら労働者の退職年齢を長く引き延ばせるか、つまり、どれだけ多くの労働者をＡＯＷ受給年齢まで職場に引きとめるか、ということでもあった。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　日本の企業のように年功序列や終身雇用という慣行がなく、しかも、「差別廃止」原則によって、男女、性指向性（同性愛者など）、人種などによる差別とともに、年齢による差別をも禁じているオランダだ。年功が長いとか、経験年数が長いというようなことは、職務について、ほとんど積極的評価として受け止められることはない。むしろ、高年齢の労働者は、さまざまの面で、職務効率が劣るという評価もあり、企業や組織でも高年齢者の勤続にはあまり積極的ではない、というのが実態だ。早期退職者が多いのには、そういう背景もある。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;－－－－－－－－－－－－－&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　現代の多くの先進諸国では、高齢化のために、人々の勤続年数を引き上げて、退職者を減らすべきだという議論がある一方、金融危機で効率化を図らざるを得ず、生産効率の悪い高齢労働者をあまり歓迎しない、という相反する状況もある。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　企業グロバリゼーションの時代は、高齢化社会と高度福祉制度の両立をどう図るか、という各国内の社会政策上の問題を越えて、大企業の多国籍化とそれによる貧富の差の拡大を生んだ。程度の差こそあれ、それは、多くの先進諸国で共通の問題だった。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　しかし、金融危機によって、市場原理一辺倒の制度が持つ大きな限界がだれの目にも明らかとなり、一方では、金融機関をはじめとする企業の無制限の暴走を監督する必要性に迫られ、他方では、生み出された貧富の格差を、福祉によって是正しなくてはならない、という課題が新たに生まれている。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　高齢化社会における就業の形、年金などの福祉制度をめぐっては、もっと広い視野で、市民のライフスタイル、育児やＮＰＯ活動など＜金銭的な支払い＞がなくても、安定した社会の維持のために必要な人々の活動を、どう社会全体の仕組みとして組み込んでいくか、ということまでを含む議論が必要になっているのではないのか?&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　これまで、高度福祉社会と自由市場原理経済の二つを両立させながら、さまざまの斬新な施策を生んで、なんとか幸福度の高い社会を築いてきたのがオランダの『ポルダーモデル』だった。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　今回の労使間の物別れに象徴される『ポルダーモデル』の行き詰まりは、なにか、福祉国家と市場経済に、大きな転換を迫るものとなるような気がする。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/4889188775624583220-1656258980222902190?l=hollandvannaoko.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://hollandvannaoko.blogspot.com/feeds/1656258980222902190/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=4889188775624583220&amp;postID=1656258980222902190' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/4889188775624583220/posts/default/1656258980222902190'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/4889188775624583220/posts/default/1656258980222902190'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://hollandvannaoko.blogspot.com/2009/10/blog-post.html' title='ポルダーモデルの危機?　ポストグロバリゼーションの時代'/><author><name>リヒテルズ直子</name><uri>http://www.blogger.com/profile/09548745030915743508</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='21' height='32' src='http://3.bp.blogspot.com/-CQvXkgFX0x8/TyFsI_Pc0WI/AAAAAAAADbE/VXgdHo9mUoQ/s220/IMG_4798.JPG'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-4889188775624583220.post-138469388188613773</id><published>2009-09-05T01:14:00.002+09:00</published><updated>2009-09-05T21:35:29.793+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='政治'/><title type='text'>オランダの政党政治　その３　有権者の政治参加意識を高める仕組み</title><content type='html'>　オランダの選挙運動にカネがかからない理由を、仮説的に、いくつかあげることができる。これは、選挙に対する関心の高さの理由と置き換えてもいいと思う。実際、オランダの衆院選は、ほぼ一貫して、80％に達している。政治に対するこれだけ高い関心は、個々の立候補者の選挙キャンペーンによって生まれているのではない。&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;１．マスメディアの公平さ&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;２．若年有権者に対する積極的な政治教育活動&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;３．1票の価値を等価とする多党連立政権への信頼&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　すでに、この｢オランダ通信｣(バックナンバー)のほか、さまざまのところで触れているが、オランダのマスメディアには多元主義的な公平さがある。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　もともと、19世紀から1960年代初頭までのオランダ社会は、｢縦割り(柱状)社会｣と呼ばれてきた。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　主として、(ローマ法王を頂点に国内でも中央集権的な組織が固い)カトリック集団、(細かくいえばさらにさまざまの宗派に分かれる）プロテスタント集団、(キリスト教宗派主義に対抗してきた、古くは、啓蒙主義、ひいてはフランス革命に端を発する)リベラリスト集団、そして、(19世紀末にリベラリストから派生してきた)社会主義者集団の4つだ。どれ一つをとっても過半数を得られないマイノリティ集団である。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　これらのグループは、それぞれ、新聞社を持ち、その系統の学校や病院、学生クラブを持ち、オランダ人のほとんどは、生まれた時にいずれかの集団に属し、その中で成長していく傾向がとても強かった。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　つまり、オランダ人は、生まれた家庭がカトリックの家庭であれば、その系統の新聞を購読している親のもとで、カトリック系の保育園から小学校、中学へと進み、大学に進学したら、その系統の学生クラブに入る、という一つのパターンがあった。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　だから、1950年代にテレビが普及し始めた時、オランダの公営放送は、こうした、マイノリティ集団の系統ごとに作られたNPO放送協会に、電波を利用して、おのおのの立場から作られた番組を発信することを認めたのだった(これらのNPO団体は、いずれも、それに先立つ、ラジオ放送協会が母体にあった)。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　オランダの政党もまた、伝統的な大政党は皆、もとはと言えば、この系統に基づいて結党されている。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　CDA(キリスト教民主連盟)は、プロテスタント系のARP(反革命主義政党)とCHU(キリスト教歴史主義党)、そして、長くこれらのプロテスタントとは対立していたカトリック系のKVP が、1980年、人々の教会離れと柱状社会の崩壊の中で、キリスト教民主主義をもとにやむなく合併して生まれた政党だ。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　そして非宗派系政党は、リベラル派のVVD(自由民主党)と社会主義系のPvdA(労働党)に分かれている。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　会員数が多く、したがって、電波利用の時間数の長い大きな放送協会には、いまも、カトリック系、プロテスタント系、リベラル系、労働党系のものがある。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　こうした、もとはと言えば柱状社会の系列に従って作られた公営放送の仕組みのために、オランダのテレビは、マイノリティの声を公平に伝えるものになっている。公営放送の資金は、各放送団体の会員が支払う会費と、国の補助金、また、STERという独立の組織が獲得するスポンサー資金を公平に配分して行われる。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　こういう仕組みがあるため(そして、小国であるために公営放送の資金そのものがあまり多額ではないためもあって)、オランダの公営放送で放送される番組は、予算が余りかからない、政治討論番組、ドキュメンタリーなどが非常に多い。そして、それを通じて、それぞれの団体は、おのおのの立場で、社会問題を分析し、公に伝えることができる。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　日本では、選挙公示とともに、各地で立候補者らがマイクとスピーカーを持って街頭演説を始めるが、オランダには街頭演説の光景はほとんど見られない。街頭で見られる選挙キャンペーンといえば、青年部の党員か、おそらくはアルバイト要員であろうと思われる学生たちが、政党のロゴとスローガンが刷られた葉書大のビラを通行人に配っているくらいのものだ。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　つまり、オランダでは、わざわざ選挙だからと言って街頭で大声を上げなくても、日ごろから、公営放送で、十二分な政治議論が展開されているというわけなのだ。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　同じことは、政党に義務付けられた、政治問題研究や青少年を対象とした政治教育にも言える。政党交付金の使途目的に指定されたこれらの活動は、有権者が、各政党の政治的立場の違いに、明確なデータを持って触れられる機会を提供している。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　青少年の政治意識、投票率の低さは、どの国でも悩みの種だ。オランダの若者たちも、中高年に比べると政治意識が低いといわれる。(もっとも、現在のオランダの60才台70才台の人たちは、1960年代に若者の政治意識が高揚した時に20才台30才台だった人たちだ)そういう若者に対しての働きかけは積極的だ。大きな政党はどこも、12歳から30歳くらいの年代を対象にした、青年部を作り、政治参加意欲の向上を目指した活動をしている。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　もっとも、街頭演説がないのには、もう一つの理由がある。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　それは、選挙区制がないからだ(その1、その2に詳しく説明)。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　日本やアメリカにある選挙区制は、立候補者の一騎打ちだから、縄張り争いの原因となる。立候補者が地元有権者にどれだけ人気があるかが決め手だ。そのためには、立候補者が有権者と直接に対面し、生の声を聞かせる機会を設けた方がずっと有利になる。立候補者個人のイメージ作り、大衆的な人気が票数の決め手になりやすい。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　比例代表制の決め手は、政党の立場一つだから、個人候補者のイメージ作りはしてもあまり意味がない。イメージ作りが有効なのは、際立った社会問題に切り込んで大衆の人気を集め、新生小政党が乗り込んでいく場合だけだ。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　また、比例代表制に基づく多党連立制は、2大政党交代制に比べて、政策の継続性が大変高い。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　それは、アメリカやイギリスに代表される2大政党交代制と、ヨーロッパ大陸側に多くみられる多党連立制の違いにはっきり見られる。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　2大政党制は、政権が交代するたびに、前政権が取り組み始めた政策が挫折する可能性が非常に高いのだ。アメリカなどでは、そのたびに大使や外交官などまでを含む官僚がごっそり入れ替わる。それは、長い時間をかけ値ければできない改革がやりにくいと同時に、有権者の間に分極を生みやすい。また、こうした無駄と挫折が続けば、有権者自身の政治参加意識も低下すると予測される。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　連立多党制の場合、政権が代わっても、いずれかの政党がパートナーを変えて政権に残る場合が多いので、一定の政策の維持が期待できる。また、政策は、常に、一党の立場が推し進められるのではなく、他党の協議の結果として生まれるものなので、基本的に、微調整をしながら、継続していく可能性が高い。そういう経過を、新聞やテレビなどのマスメディアが、オープンに、また、詳細に伝えておくことで、有権者の政治意識もある程度の高さを維持できる。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;-------&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　3回にわたって、オランダの比例代表制に基づく多党連立政権の政党政治の姿を伝えてきた。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　オランダが完全な比例代表制を使えるのは、国の規模が小さいからだ。地方の利害が、中央政府からそれほど遠くない。また、さまざまの機能を首都に集権化させていないというオランダ特有の事情もある。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　だから、日本を比例代表制にせよ、との議論は、非現実的であるのはわかる。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　けれども、今のように、細分化された小選挙区制が本当に必要なのか。衆議院の480議席のうちに、300議席もの多数を選挙区多数決制で決める仕組みが、本当に、有権者の意思を正確に反映しているものなのかどうか、はもっと議論されていいと思う。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　今回の衆院選は、諸外国のニュースに見られる反応、日本通といわれる外国人の反応を見ていても、日本人が自覚しているのと同じように、あるいは、それ以上に、明治以後の日本の政治史の中で特記すべき事態だとの評価が高い。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　一党支配の多いアジアの中で、今回の日本政治の前進が、今後世界に対してどんな波及効果を与えるものか、先進諸国は固唾を飲んで見守っている、ともいえる。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　そして、それは、世界中に前例のない、日本が初めて取り組む近代化の形でもある。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　これからの行方を決めるのは、日本のわたしたち有権者らが、ひとりひとり積極的に参加する政治議論である、そう思う。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/4889188775624583220-138469388188613773?l=hollandvannaoko.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://hollandvannaoko.blogspot.com/feeds/138469388188613773/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=4889188775624583220&amp;postID=138469388188613773' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/4889188775624583220/posts/default/138469388188613773'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/4889188775624583220/posts/default/138469388188613773'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://hollandvannaoko.blogspot.com/2009/09/blog-post_05.html' title='オランダの政党政治　その３　有権者の政治参加意識を高める仕組み'/><author><name>リヒテルズ直子</name><uri>http://www.blogger.com/profile/09548745030915743508</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='21' height='32' src='http://3.bp.blogspot.com/-CQvXkgFX0x8/TyFsI_Pc0WI/AAAAAAAADbE/VXgdHo9mUoQ/s220/IMG_4798.JPG'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-4889188775624583220.post-8766892311378970005</id><published>2009-09-05T00:29:00.003+09:00</published><updated>2009-09-05T01:14:17.488+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='政治'/><title type='text'>オランダの政党政治　その2　政治資金について</title><content type='html'>　ところで、オランダの選挙運動は世界で最も安い選挙運動に属しているのだそうだ。&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　2003年の選挙運動支出として報告された額は、政権の最大与党CDA(キリスト教民主連盟)が85万ユーロ(日本円にして約1億1300万円)、野党最大のSP(社会党)でも100万ユーロ(約1億3400万円)だった。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　政治資金の使途表示を義務付けられていない日本の政党の場合、各政党がどれほど選挙運動に支出しているのかについてのデータを取得するのは容易ではない。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　だが、政党収入は、2002年、最大与党であった｢自民党｣の場合、約230億円に上っており、満期4年で換算すれば、およそ1兆円だ。支出の内訳はわからないが、政党資金の大半が選挙キャンペーンに使われること、を考えると、確かに、オランダの選挙運動支出は、日本の政党が扱う資金額に比べて｢桁はずれ｣に小さい。日本の衆院の議席数480とオランダの第2院の議席数150との違い、また、人口比8対1を考慮に入れたとしても、だ。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　政党の収入減は、ふつう、党員会費、議員給与からの拠出、献金・協賛金、政党内部の留保資金、パーティやバザーなどによるファンドレイジング、国庫からの政党交付金などがある。そして、これらの収入内訳を見てみると、オランダと日本の政党活動の中身の違いが、さらに詳しく見えてくる。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　まず党員会費。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　オランダは、政治資金に占める党員会費の率が約半分で、欧州地域では一般に4分の1といわれていることと比べても際立って高い。日本の場合は、党員会費が政党資金に占める割合は、およそ3-7％の間だ。オランダの方が日本に比べて党員への依存度が高いのは確かだと思われる。それは、一般有権者の、日ごろからの政治意識の高さとも関係があるだろう。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　また、オランダの場合、党員の会費(寄付金)は、慣行として、所得別に会費を決めるようだ。つまり、低所得者の場合は低い会費で党員になれる。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　次に、議員給与からの拠出だが、これは、一般に｢政党税｣という名でよばれ、議員給与の約10％が徴収されている。ただし、社会党の場合は例外で、議員も党員も、非営利の活動であるということを原則としている社会党は、議員はいったん給与の全額を党に納入し、その後、手当として再配分される仕組みをとっている。また、保守政党であるCDA(キリスト教民主連盟)とVVD(自由民主党)では、｢政党税｣の制度を取らない代わりに、｢献金(寄付)｣を認めている。両党の献金資金が占める割合は、それぞれ1％と6％。企業との密着度が高く最も献金収入が多い日本の自民党の15.6％に比べると、大きな差がある。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;---------　&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　さて、興味深いのは政党交付金だ。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　オランダは、長く政党交付金の支給がなく、政府からの補助は、公営放送の電波利用などに限られていた。しかし、現在では、年間総額およそ1500万ユーロ(約20億円)の政党交付金が支払われている。日本では、国民一人当たり250円が政党交付金として支出されており、年間総額はおよそ320億円、オランダの15倍に上る。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　日本の政党交付金は、50％ずつが、議員数比例配分、得票数比例配分で分けられる。また、使途制限はない。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　他方、オランダの政党交付金は、活動の具体的な内容は問わないが、使途を明示することが義務付けられている。交付金の目的として、①．政治問題研究活動資金、②青少年の政治教育・研修活動、③党員への情報提供、④外国の姉妹政党とのコンタクト維持などで、選挙運動資金へのしようは、最近の改正で認められるようになった。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　また、政党が(憲法で禁止された)｢差別｣をしている場合には、政党交付金は停止される。(実際に、非常に原理主義的なキリスト教の理念を立場としているSGPの場合、女性党員の被選挙権を認めていないために、交付金が停止されている。)&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　また、オランダの政党交付金には、議席の有無にかかわらず、すべての政党に同額に認められた｢一般交付金｣がある。これは、現在、党当たり年額18万ユーロ(約2400万円)だ。各党に配分される｢一般交付金｣を差し引いた残額が、｢特別交付金｣として、議席数比例と党員数(得票数ではない!!!)比例で各党に配分される。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　さらに、この政党交付金は、国が決めた最低額を政治問題研究資金として支出することが義務付けられている。その額は、｢一般交付金｣のおよそ70％、議席当たりの｢特別交付金｣のおよそ25％に当たる。現在の額は、前者が約1600万円、校舎1議席当たりの額約170万円に相当する。すなわち、１議席しか持たない政党でも、毎年、1800万円程度の資金が、政治問題研究の資金として受給されていることになる。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;(この項続く：有権者の政治参加意識を高める仕組み)&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/4889188775624583220-8766892311378970005?l=hollandvannaoko.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://hollandvannaoko.blogspot.com/feeds/8766892311378970005/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=4889188775624583220&amp;postID=8766892311378970005' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/4889188775624583220/posts/default/8766892311378970005'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/4889188775624583220/posts/default/8766892311378970005'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://hollandvannaoko.blogspot.com/2009/09/2.html' title='オランダの政党政治　その2　政治資金について'/><author><name>リヒテルズ直子</name><uri>http://www.blogger.com/profile/09548745030915743508</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='21' height='32' src='http://3.bp.blogspot.com/-CQvXkgFX0x8/TyFsI_Pc0WI/AAAAAAAADbE/VXgdHo9mUoQ/s220/IMG_4798.JPG'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-4889188775624583220.post-5188872060447753342</id><published>2009-09-01T05:36:00.005+09:00</published><updated>2009-09-05T00:28:20.767+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='政治'/><title type='text'>オランダの政党政治制度　その１</title><content type='html'>　オランダの選挙は、１９１７年の憲法改正以来、選挙区多数決制を廃して、比例代表制一本で行われてきた。（＊奇しくも「教育の自由」を実現した憲法改正と同時）&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;div&gt;　日本の衆議院に相当するオランダの「第二院」（１５０議席）は、全国１区の完全比例代表制で選挙される。ドイツにおける「阻止条項」のような、得票数５％未満の足切りがないので、一票の価値は全国津々浦々まったく等価となる。&lt;div&gt;　参議院に当たる「第１院」の議員は、州議会選挙で選ばれた衆議院の数に比例して、政党が選出するので、＜階段＞選挙とも呼ばれる。基になる州議会選挙は、これも州ごとの比例代表制だ。参議院議員は、時勢に流されないためにも、閣僚経験者や党指導部経験者など、経験のある各党のベテラン政治家が選出される場合が多い。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　同様に、地方議会（市町村に相当）選挙も、その地方自治体地区ごとの比例代表制で、ついでながら、この場合、その地方に在留する欧州市民にはオランダ市民と同等の選挙権、また、欧州外諸国の市民の場合は、５年間の継続在留歴があれば、選挙権が与えられる。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　さて、オランダが１９１７年に廃止した、選挙区ごとに多数決で代表者を選ぶ選挙区多数決制には、民主主義の基本である｢有権者の意思をよりよく反映しているか｣という点で、たしかに問題がいろいろとある。もっとも、選挙区制の利点は、地方の利害を中央政府で論じられる、つまり、議員と地方とのつながりにあるのは否定できない。そうかんがえると、オランダが、あえて選挙区制を完全にに廃止できたのは、小国の利点であった、という点は否めない。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　だが、基本的に、候補者が一騎打ちをする小選挙区多数決制は、大政党には有利だが、少数派の利害を代表する少数政党が当選の機会を得るのには大変障害が多い。平等意識・機会均等意識の高いヨーロッパでは、こうした選挙区制の持つ問題を補う形で、比例代表制を取り入れているケースが多い。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　そんな中でもオランダの制度は最も典型的で純粋な比例代表制である。それは、オランダの議会に、PVV(自由党)、PvdD(動物愛護党)、GL(グリーン左派党）、SGP（国家プロテスタント党）、D66（民主66党）、CU(キリスト教連合)など、小選挙区制であれば、まず、議席獲得は無理、あるいは、非常に少数にとどまったであろうと思われる政党が、国会での議論に参加できることにも関係している。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　かつて、60年代から70年代にかけて若者や知識人らの指導で市民意識や政治意識が高揚した時には、｢農民党｣や｢高齢者等｣など、いわゆるワン・イッシュー政党（広範多岐の分野で政治的立場を示すのではなく、特定の政治問題を取り上げて政治議論を展開する政党)が林立し、また、議員を送った時代があった。それは、ほとんど、市民運動が｢政党｣の冠をかぶったようなものだった。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;------　&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　さて、オランダが1917年に廃止した選挙区多数決制には、どんな問題があったのか。　&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　ライデン大学の政治学研究者たちが作っているサイト&lt;政治と議会&gt;は、オランダの政治体制について詳しく記述した、学術的で情報豊富なサイトだ。オランダの選挙制度の歴史的な変遷とともに、選挙区多数決制と比例代表制の長所と問題点が列記されている。今サイトの情報をもとにしながら、オランダの比例代表制、日本の選挙区多数決制の持つ問題点なども挙げつつ、両方の制度の違いを下記にまとめてみたい。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;１．小政党の場合、たとえ全国的に知名度があって、ある程度の数の支持者がいても、議席獲得の機会が非常に少なくなる。なぜなら、選挙区ごとに少ない数の議席をめぐって争うので、どの選挙区でも、小政党の勢力は小さくなるからだ。日本の衆議院選挙の小選挙区は、全国３００区の小選挙区に分かれており、各区に１議席ずつの割り当てだから、このことは特に顕著に表れる。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;２．１の問題の結果、小政党に投票する意味がほとんどなくなり、小政党を支持している有権者の無力感が増大し、その結果政治への関心が低くなる。それは、たとえば、今回の日本の衆議院議員選挙でもみられた通りで、協力する政党間で、勝率の高い選挙区を分け合うというような事態が起きた場合には特に問題がはっきりする。投票率を下げる原因でもあろう。また、こうした有権者の関心の低さが、さらに、世襲議員など、コネのある議員の蔓延を引き起こす。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;３．その結果、大政党が小政党を支配する、また、多数派が少数派を支配するものであるという状況が起こりやすくなる。議会に多数を占める政党は、立案の際に、同意を得るために妥協をする必要がなくなる。施策の決定は早くなるが、より良い法案のために議論をしてすり合わせるというようなプロセスは少なくなり、そのため、社会内の分極化、連立政権内の亀裂も起こりやすい。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;４．選挙区の多数決の結果選ばれた議員たちは、選挙後、急激な変革に取り組む可能性が高くなる。しかも、この変革は、次の選挙で政権が交代すると再び撤回される可能性も大きい。ｌそのため、常に、政治の軌道が大きく変わり、継続性のある施策が実行しにくい。たとえば、ある政権で、企業の国営化が行われても、次の政権で、元に戻されるというようなことが起こりやすく、社会が安定性を欠く結果となる。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;５．選挙区の多数決制は、また、立候補者と有権者の間の利害の癒着を生みやすい。立候補者にとって「自分の」選挙区、「自分の」有権者という感情が起こりやすく、有権者である個人や地元有力者、地場産業などとの結びつきが強くなりやすい。それが、世襲問題を含み、コネや不正の原因ともなる。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;６．選挙区の住民数に合わせて、選挙区を平等に分けることは容易ではない。つまり、一票の価値が選挙区によって大きく異なる結果となる。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;７．さらに、選挙区の境界線の引き方によって、ある政党の議席獲得確率を比較的容易に操作できる。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;などなどと問題は尽きない。これらの問題は、日本の小選挙区制の選挙の問題とほぼ重なっていることが分かる。比例代表制には、こういう問題は起こりにくい。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;もっとも、選挙区多数決制が、比例代表制に比べて優れている点も否めない。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;１．多数決選挙制の選挙は、選挙後だれが支配するかがすぐに明らかになる。これは、国政選挙の場合、政権樹立が非常に早く決まる、という利点がある。これに対して、比例代表制の場合には、過半数を取る政党が出ることはほとんどなく、連立交渉のために、相当な時間を要することになる。選挙区分けがないので、事前に連立協定が結ばれることは少なく、政権樹立までに、数カ月かかることも珍しくない。ベルギーの最近の例では、１年近い期間、交渉が続いた。その間、前政権が暫定政権を維持することになるが、この期間は新しい法案はできないため、事実上、国会は氷結状態になる。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;２．多数決選挙制では、有権者が選んだ、政策が実行される可能性が高い。なぜなら、自分が投票する政党が勝てば、その政党が直接に支配する可能性が大きいからである。比例代表制による連立政権では、各政党のマニフェストがそのまま実行されるというよりも、連立を構成している政党間のすり合わせが必要となり、各党の重点項目をめぐって取引が行われる。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;３．１と２に関連しているが、多数決選挙制では、政権をとる政党の数は普通少ない。そのために、議会内のプロセスはより明確となる。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;（この項、続く。その２：政党資金について、その３：有権者の政治参加意識を高める仕組み）&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;/div&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/4889188775624583220-5188872060447753342?l=hollandvannaoko.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://hollandvannaoko.blogspot.com/feeds/5188872060447753342/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=4889188775624583220&amp;postID=5188872060447753342' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/4889188775624583220/posts/default/5188872060447753342'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/4889188775624583220/posts/default/5188872060447753342'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://hollandvannaoko.blogspot.com/2009/09/blog-post.html' title='オランダの政党政治制度　その１'/><author><name>リヒテルズ直子</name><uri>http://www.blogger.com/profile/09548745030915743508</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='21' height='32' src='http://3.bp.blogspot.com/-CQvXkgFX0x8/TyFsI_Pc0WI/AAAAAAAADbE/VXgdHo9mUoQ/s220/IMG_4798.JPG'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-4889188775624583220.post-3060864789623699591</id><published>2009-08-28T00:32:00.001+09:00</published><updated>2009-08-28T00:35:49.995+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='労働'/><title type='text'>パートタイムの方が効率がいいのは当たり前???</title><content type='html'>　某会社の部局で、局長をしている義妹がこういう。数人の部下を使っている。&lt;div&gt;「そりゃあ、パートタイムの方がずっと仕事効率がいいのは当たり前よ。パートタイムで働く人は、一週間単位で、今日は会社、明日は家事、と計画的に過ごすわけでしょ。今週の仕事はここまでやっておかなくては、という計画性がすごく高い。それに比べてフルタイムは区切りがないから、いつまでたっても予定の仕事が終わらなかったり、翌週回しにしたりということはよくあることよ」&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　彼女自身、学校を卒業して以来、ずっと同じ企業の中で、勤務時間数を調整しながらこれまで務めてきた。子どもが生まれると、ゆりかごを抱えて子どもを連れて出勤し、授乳しながら仕事をした。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　子どもたちが小学生の間は、週に三日、手が離れるにつれて仕事量を増やしたが、決してフルタイムでは仕事をしなかった。局長職に就いてからも、週に四日が続いている。家事に以前ほどには手がかからなくなった今は、週末を過ごすテニスクラブの世話をしたり、隣近所の集まりに積極的に出かけたりと、言うならば非営利活動に精を出している。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　管理職になってもフルタイムで働かないオランダ人は多い。私がよくいく小学校でも、校長が週五日まるまる働いているケースはむしろ少数派だ。たいていは、週４日で、週のうちの一日は家事担当、孫の子守、あるいはセカンドジョブとして若手養成のための研修事業団体を自営業で経営している、などだ。どの学校でも、そういう校長不在を埋める校長代行者がいる。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　残業は慣行としてやりたがらないのがオランダ人だ。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　よほど人手不足の企業ならともかく、本当に残業をやらなくてはならないほどの仕事がある会社は新しい人材を雇うだろう。なぜなら、皆、残業をせずに早く家に帰りたいし、仕事だけで疲れ切ってしまうのはごめんだからだ。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　天気の良い夏の昼過ぎなど、我が家のあるハーグ市の路面電車は、どこも、海浜行きの電車が満員になる。一体全体、こんな働き盛りのいい大人たちがどうしてこんなに時間があるのだろう、と感心するほどだ。多分、週一日の休みの日を利用して、家事をさっさと片付け、日ごろありつけない太陽光線を浴びに海浜に行くのだろう。休むこと、くつろぐことに何の罪悪感も感じないこの人たちには感心する。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　ひょっとすると、、、&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　日本人が感じなくてはいけないのは、効率を上げているわけでもなく、はたまた家庭を顧みるでもなく、ただだらだらと仕事場にい続けることへの罪悪感なのではないのか、とさえ感じてしまう。&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/4889188775624583220-3060864789623699591?l=hollandvannaoko.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://hollandvannaoko.blogspot.com/feeds/3060864789623699591/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=4889188775624583220&amp;postID=3060864789623699591' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/4889188775624583220/posts/default/3060864789623699591'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/4889188775624583220/posts/default/3060864789623699591'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://hollandvannaoko.blogspot.com/2009/08/blog-post_28.html' title='パートタイムの方が効率がいいのは当たり前???'/><author><name>リヒテルズ直子</name><uri>http://www.blogger.com/profile/09548745030915743508</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='21' height='32' src='http://3.bp.blogspot.com/-CQvXkgFX0x8/TyFsI_Pc0WI/AAAAAAAADbE/VXgdHo9mUoQ/s220/IMG_4798.JPG'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-4889188775624583220.post-1424662814950859403</id><published>2009-08-22T21:46:00.003+09:00</published><updated>2009-08-23T00:32:11.465+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='教育'/><title type='text'>校長職と学校共同体に危機？</title><content type='html'>　最近、オランダの小学校を訪ねていると、校長職の人材不足と、それに関連しているのか否か、共同体としての学校の危機を感じることが多い。原因は、この数年、以前に比べて校長職にマネジメント能力が強く求められるようになったこと、そして、それが、校長と教職員チームの間で摩擦を生むケースが増えている。&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　オランダでは、数年前、ラムサム（補助金一括支給）政策がとられるようになった。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　もともと、オランダの小学校は、国からの補助が潤沢だ。しかも、その額は、公立・私立の別なく平等に支給される。毎年、１０月に登録されている生徒数を報告し、その年に決められる一人当たりの国庫教育補助金が、頭数で支給されるという制度がある。（校舎や施設は、これも、公私立共々、市町村負担だ。）&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　以前は、支給額がプールされ、学校は、使途別に申請して受給されていた。しかし、それでは、国（教育文化科学省）の事務管理が煩雑であると、グロバリゼーションの時代、すなわち、新自由主義的傾向の強い時代に、規制緩和という名のもとで、ラムサム政策が導入された。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　その結果、すべての小学校は、一括して受け取った額の中から、教職員への俸給、教材・設備購入、研修費などを、自校の運営管理活動の一環として、自己管理しなくてはならなくなった。毎年、会計監査も受けなくてはならない。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　言うまでもなく、この自由化には、「無駄を省く」という意図があったわけで、学校の校長たちは、カネの使途を自由に決められるようになったことよりも、「煩雑な仕事が増えただけで、使える予算は減っている」という不満の方が多かった。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　実際、ラムサム制度導入に伴い、市町村ごとに国と地方の補助金で運営されていた「教育サポート機関」の民営化が進み、これまでは、定期的・ほぼ自動的に受けられた研修も、学校がそれぞれの意思で選ぶようになった。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　教育監督局による評価方法も変わった。これまでは、教育活動に限定されていた評価が、会計監査と組み合わされることになった。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　４年ごとに更新する学校改善計画書と学校要覧の作成が義務付けられたうえ、ラムサム政策による事務手続きの増加で、すっかり不満だらけになった学校の管理職者たち。結局、監督局と学校の教育者たちとの利害すり合わせの中から、評価方法の簡素化が進んだ。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;－－－－&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　そんな中で、学校のマネジメント能力が問われるようになってきた。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　長く務めた校長が退職して、新任の校長を選ぶ際に、教育者としての高潔さや信念よりも、マネジメント能力を優先する傾向が増えてきた。無論、校長の罷免権は学校自身にある。特に、私立校の理事会や教職員の発言権は、日本に比べるとはるかに大きい。それでも、ラムサム制度とそれにまつわる運営上の改革は、マネジメント能力優先の校長選任を、どの学校にも余儀なくさせてきた。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　比較的若い教員体験者が、自ら手を挙げて、管理職研修を受けて好調になるケースも多い。それならば、同僚の教職員との共同体験もあり問題は比較的少ない。しかし、教員の多くは、子どもの発達には熱心でも、運営には疎い、カネのことは考える余裕がない、という人が多いものだ。そんな中で、企業での経理、人事、総務など、マネジメント経験者が校長職に選ばれるケースが増えてきた。教育哲学より、マネジメントの特異な人材が求められるようになってきた。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　小学校を訪問すると、校長室にこもりっきりでキーボードを叩いている校長によく出会うようになった。視察交渉をしたり、実際に学校を訪れても、視察者に関心はなく、副校長や他の教職員に任せて知らん顔、という校長が多くなった。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;－－－－－－&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　こういう傾向がもたらす不幸は、特にオールタナティブ系の学校でも深刻だ。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　モンテッソーリ、イエナプラン、ダルトン、フレネ、などのオールタナティブ系の小学校は、オランダでは特に、国がよい待遇をして尊重してきた。７０年代にキノコのように増えたこれらの学校は、どこも、その時代に、教育哲学に燃えた熱心な教員たちが、国の政策に働きかけながら、子どもの個性と社会性をはぐくみ、親と協力して、「共同体」としての学校を育ててきた。その影響は、広く、他の一般校にも浸透している。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　だが、それができたのは、教育理念、教育方法の自由に支えられ、学校が、自律性・自由裁量を保障されていたからだ。教育面での自律性、自由裁量性は、今も、形の上ではきちんと保障されている。だからこそ、学校会計・運営の自由までが保障され、ラムサム制度の導入となった、ということもできる。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　しかし、経営の複雑化、運営の煩雑さが、その自由裁量性の中で、全体をオーケストラのように指揮していく校長の、「教育者」としてのリーダーシップよりも、マネージャーとしてのリーダシップを要求するようになってしまった。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　７０年代に、熱気のように高揚したオールタナティブ教育運動だが、第１世代の職員たちは、すでに、退職の年齢になっている。退職の年齢になっても彼らは、マネージャーとしての校長職にはつきたがらない場合が多い。そんなカネの計算などまっぴらごめんだ、という人が多いのだ。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　現場の教員たちのほとんどは、すでに、第２世代。第１世代に比べて、「子どもたちの個性を伸ばし、共同体を作るために」という意気に燃えている職員たちは、オールタナティブ系の学校でもすっかり影をひそめるようになってきた。自分たち自身が、個別化・個人化の進んだ時代の産物で、社会変革への熱気などなくても幸せに生きている世代なのだ。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/4889188775624583220-1424662814950859403?l=hollandvannaoko.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://hollandvannaoko.blogspot.com/feeds/1424662814950859403/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=4889188775624583220&amp;postID=1424662814950859403' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/4889188775624583220/posts/default/1424662814950859403'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/4889188775624583220/posts/default/1424662814950859403'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://hollandvannaoko.blogspot.com/2009/08/blog-post.html' title='校長職と学校共同体に危機？'/><author><name>リヒテルズ直子</name><uri>http://www.blogger.com/profile/09548745030915743508</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='21' height='32' src='http://3.bp.blogspot.com/-CQvXkgFX0x8/TyFsI_Pc0WI/AAAAAAAADbE/VXgdHo9mUoQ/s220/IMG_4798.JPG'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-4889188775624583220.post-5969723785048549526</id><published>2009-06-26T01:55:00.002+09:00</published><updated>2009-06-26T02:36:07.223+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='労働'/><title type='text'>パートタイム失業制度延長、ただし、条件を厳しく</title><content type='html'>　一昨日に社会事象・労働省のドナー大臣が、パートタイム失業制度の資金使用終了による停止発表（http://hollandvannaoko.blogspot.com/2009/06/blog-post_23.html）は、かなりの動揺を呼んだようだ。すぐさま、労使双方から継続の声が聞こえ、ドナー大臣もこれに応じて、小予算からさらに資金をねん出することを決め、早くも、第2院(衆議院)での国会討議が行われた。わずか2日の間の出来事だ。&lt;div&gt;　この間、労使間交渉にかかわる労働法人の調査が発表され、｢パートタイム失業制度がなかったら、完全解雇にせざるを得なかったという会社が多いこと、また、部分雇用であれ、雇用が続けば、所得税の納入が続くので、国庫収入の一部を負担し続けることにもなる｣という理由が出され、制度の継続への強い希望が示された。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　今回の危機では、製造業、鉄鋼・金属関係やテクノロジー部門の企業が大きな痛手を受けている。中には、売り上げが一気に70％減となった企業もあり、このパートタイム失業制度がなかったら、熟練の専門職者を失う上、到底危機を乗り越えられなかったと言う企業もある。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　国会では、与野党相互から、延長支持の声が圧倒的に強かったようだ。ただし、わずか3カ月余りで資金が底をついてしまった、という事態に対しては批判の声もある。｢パートタイム失業制度｣を申請する企業に対して、基本的に、健全な経営状態にあることを条件とした、厳しい規則を設けるべきだ、との声だ。こうした議論に基づき、政府は、近日中に、労使とともに、同制度適用の条件を話し合うことになっているという。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　OECDは、経済回復基調が確実になるまで、政府による経済活性のための資金注入はやめるべきではない、という。欧州連合の加盟国は、お互いの足並みをそろえて回復基調に戻っていかなければならない、という事情もある。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　けれども、いまのところ、まだ、安心には程遠いようだ。2010年の失業率は倍になる予定だし、財政赤字は、毎日１億ユーロずつ増えていくという。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　そんな中で、経済学者の中には、不況は、劣悪経営企業の淘汰なのだから、要らぬてこ入れはすべきではない、という意見もなくはない。しかし、全体の傾向を見ているとこういう声は小さく、やはり、オランダの場合は、企業優先というよりも、労働者の保護に非常に厚い国である、と思う。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　&lt;br /&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/4889188775624583220-5969723785048549526?l=hollandvannaoko.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://hollandvannaoko.blogspot.com/feeds/5969723785048549526/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=4889188775624583220&amp;postID=5969723785048549526' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/4889188775624583220/posts/default/5969723785048549526'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/4889188775624583220/posts/default/5969723785048549526'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://hollandvannaoko.blogspot.com/2009/06/blog-post_26.html' title='パートタイム失業制度延長、ただし、条件を厳しく'/><author><name>リヒテルズ直子</name><uri>http://www.blogger.com/profile/09548745030915743508</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='21' height='32' src='http://3.bp.blogspot.com/-CQvXkgFX0x8/TyFsI_Pc0WI/AAAAAAAADbE/VXgdHo9mUoQ/s220/IMG_4798.JPG'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-4889188775624583220.post-4258833203281478126</id><published>2009-06-24T17:07:00.005+09:00</published><updated>2009-06-26T02:59:14.515+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='教育'/><title type='text'>犯罪者の社会復帰</title><content type='html'>　よく訪ねるイエナプランの小学校に、最近またある視察団とともに訪れた。&lt;div&gt;　イエナプラン校は、何度も訪ねているのだが、いってみるたびに新しい発見がある。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　いつものように、この日、訪問者とともに職員ホールに通され。若い女の校長先生が、いつものように学校の概要を説明してくれた。そして、それから、彼女は、ちょっとほほ笑んで私の方に目配せをし、&lt;/div&gt;&lt;div&gt;｢それから、今日は、実を言うと、今、学校に特別のゲストを迎えているんです。もうすぐ卒業して中学校に進学する最上級生のこどもたちが今そのゲストを囲んでサークルで話し合いをしています。そのゲストというのは、実は、刑事犯罪を犯した前科のある人で、TBSクリニックから社会復帰訓練で出てきている人なんです。ちょうど、今子どもたちはワールドオリエンテーションで全校一緒に『法律』をテーマに学んでいるところなので、いつものようにホンモノの勉強をするために、こうしてゲストとして招いて、子どもたちと話をしてもらっているんです。」&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　TBSクリニックにいる患者というのは、相当の凶悪犯罪者のはずだ。刑の比較的軽いオランダでも、少なくとも四年間の留置刑が科された犯罪に対して、犯罪を犯した時期に、精神的に異常であったことが証明され、そのために、服役能力がないと考えられると裁判官が認める人が収容される。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　回復の見込みがない精神異常である場合も多く、収容される患者のおよそ六割以上は治療を受けながら一生クリニックで過ごすらしい。クリニックとはいっても、厚生省下の施設ではなく、法務省管轄下にあって、法務省予算で賄われている施設だ。全国に現在１０か所ある。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　TBSクリニックに収容されている犯罪を犯した患者たちは、薬剤投下によって精神異常が抑制され、二年ごとに回復状態を審査される。基本的には、再犯の危険がなくなっているかどうかの審査だ。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　回復が順調に進み、普通に過ごせすようになると、はじめはクリニック周辺を歩くことから始め、徐々に社会復帰の訓練が行われる。犯罪者の社会復帰には、社会も責任を持つもの、という考えがあるのだという。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　ただ、不運なことに、これまで、社会復帰訓練中の患者が、付添い人の見ていない間に逃亡して再犯が起きたことも何回かある。全数に対する比率は少ないものの、当然、社会は敏感に反応するし、厳重な監督が必要にもなる。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　それでも、厳しい監督下で動くだけであれば、復帰訓練にはならない。そこで、最近は、足首にデータをチップで埋め込んだ輪のようなものをつけて、行動や居場所がすぐにわかるようにしているらしい。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　さて、この日、イエナプラン小学校に来ていた、というのは、そういう、凶悪犯罪を犯した精神異常の患者だった。ホールに二〇人ばかりの子どもたちと一緒に、輪になって座り、子どもたちの質問を受けていた。隣には、とても力持ちとは思えない、優しそうな女性が、付き添いで同行してきていた。その様子を、校長先生もほかの先生も監視しているわけではない。いつものように、それぞれのしごとをやっているだけだ。他のクラスの子どもも、いつものように、自分の授業計画に従って、自由に学校の中を動き回っている。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　一〇数人の日本からの訪問者を同行していた私も、取り立てて、じろじろ見たり、近くに行ってみるのもどうかと思い、話をしている子どもたちのそばを通り過ぎる時にちらっと様子を見ただけだった。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　しかし、後になって思い返してみても、どう考えてみても、あれは、ものすごいことだった、と思えるのだ。いったい、日本のどんな学校が、こうして、凶悪犯罪を犯した精神患者の社会復帰中に、学校に呼んで、子どもたちと間近に触れさせて話をさせたりするだろう?&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　無論、こういう学校は、オランダでも例外的なのだろう、と思う。それにしてもだ、この学校に子供を通わせている親たちは、こういうことがあっても苦情を言わないらしい。それが証拠に、これは、今回が初めてではない、という。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　オランダには、犯罪者の社会復帰を助けるためのNPO団体があって、こういうTBSクリニックの復帰訓練中の患者や、前科のある元犯罪者の中から希望者を登録して、学校の授業の中で、子どもたちと交流させる活動をしている団体があるという。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　罪は憎んでも人は憎まず、ということを、建前ではなく本音で子どもたちに教えようとしている人たちがいるということだ。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　オランダという国は、つくづく、市民社会の究極の目標はなんなのか、人はどういう方向を向かっていれば市民社会の理想に近づけるのか、を思い出させてくれる国だ。&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/4889188775624583220-4258833203281478126?l=hollandvannaoko.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://hollandvannaoko.blogspot.com/feeds/4258833203281478126/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=4889188775624583220&amp;postID=4258833203281478126' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/4889188775624583220/posts/default/4258833203281478126'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/4889188775624583220/posts/default/4258833203281478126'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://hollandvannaoko.blogspot.com/2009/06/blog-post_24.html' title='犯罪者の社会復帰'/><author><name>リヒテルズ直子</name><uri>http://www.blogger.com/profile/09548745030915743508</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='21' height='32' src='http://3.bp.blogspot.com/-CQvXkgFX0x8/TyFsI_Pc0WI/AAAAAAAADbE/VXgdHo9mUoQ/s220/IMG_4798.JPG'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-4889188775624583220.post-3159695922347630272</id><published>2009-06-23T19:54:00.004+09:00</published><updated>2009-06-23T20:24:21.093+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='労働'/><title type='text'>パートタイム失業制度の効果とオランダ経済の見通し</title><content type='html'>　前々回４月２２日に報告した「パートタイム失業制度」の効果についての報告が出た。&lt;div&gt;　&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　「パートタイム失業制度」は、金融危機による不況下の失業対策として４月１日から施行されているもの。被雇用者の完全失業を回避し、経済回復後に熟練労働者を早く動員できるための策で、雇用者は、現在雇用している社員の就業時間を最大６ヵ月間、最大５０％減らして、この間、給与の支給を半分にし、その失業部分については、国が、通常の失業手当と同じように７０％の手当を支給する、というものだ。つまり、労働者側は、この制度によって、完全失業を避けることができ、給与減も最大１５％で済む。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　この「パートタイム失業制度」は、非常に人気があったらしい。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　この１８日に中央統計局(CBS)が出した報告によると、５月の失業者数は８０００人にとどまり、４月の２万人に比べて上昇率がぐっと抑制された。この失業抑制は、明らかに、「パートタイム失業制度」の適用の効果であるという。現在、この制度の施行から３カ月目になるが、適用ケースは１万人以上あるという。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　その前々日１６日に発表された経済分析局(CPB)の予測では、２０１０年の予算赤字は６．７％と記録的な大きさになり、また、失業は現在の４．６％を倍増して７３万人、９．５％に膨らむ見込みだという。この計算だと、今後、月当たり２万５千人ずつのテンポで失業が進むということであるから、５月の８０００人は、確かに非常に少ない。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　労働組合側にも、企業側にも歓迎されたこの制度だが、政府の資金がそろそろ底をついてきているらしい。今年の国際通商は１５％以上減少の見込みで、オランダの輸出は１７．２５％減、輸入は１４％減とのこと。最も大きな打撃は、すでに過去のものと見られているが、国家経済がフォワーディング業を始め商取引に経済基盤を持つオランダでは、諸外国の経済回復の見通しが立たなければ、自国の経済の見通しも立ちにくい。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　CPBの発表後、財務大臣は、長期の不況に備えた対策が必要であるとしている。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　現に、今朝の報道では、｢パートタイム失業制度｣の担当省である社会事象・労働省のドナー大臣は、この制度のために準備されていた３億７５００万ユーロの追加資金はすでに使い果たされた、と発表。この制度適用は、今日２３日付の申請までしか受け付けられないと決まった。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　労働組合や企業側には、制度無期限延長の強い要望があり、そのための資金をどうすべきかが来週国会で討議される予定だ。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　被雇用者の失業よりも、個人自営業主の収入減が激しいとの報告もある。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　言うまでもなく、この制度がここで中断となれば、次に来るのは、完全失業者の増大だ。そうなれば、政府の失業手当負担も増える。また、夏以降は、新卒者の就職難による失業者急増も予測されている。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　何らかの手が打たれることになろうとは予想されるが、国庫赤字が先に見えている状態では、資金捻出が困難を極めることであろう。経済不況をどう乗り切るか、いよいよ正念場となってきたようだ。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/4889188775624583220-3159695922347630272?l=hollandvannaoko.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://hollandvannaoko.blogspot.com/feeds/3159695922347630272/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=4889188775624583220&amp;postID=3159695922347630272' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/4889188775624583220/posts/default/3159695922347630272'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/4889188775624583220/posts/default/3159695922347630272'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://hollandvannaoko.blogspot.com/2009/06/blog-post_23.html' title='パートタイム失業制度の効果とオランダ経済の見通し'/><author><name>リヒテルズ直子</name><uri>http://www.blogger.com/profile/09548745030915743508</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='21' height='32' src='http://3.bp.blogspot.com/-CQvXkgFX0x8/TyFsI_Pc0WI/AAAAAAAADbE/VXgdHo9mUoQ/s220/IMG_4798.JPG'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-4889188775624583220.post-7575871835082600943</id><published>2009-06-05T16:28:00.005+09:00</published><updated>2009-06-06T20:10:29.199+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='政治'/><title type='text'>移民排斥派と親ヨーロッパ派の分極明確：ＥＵ議会選挙</title><content type='html'>　昨日５日、２７カ国の先頭を切って、オランダとイギリスで、ヨーロッパ議会選挙が行われた。２００４年以来５年ぶりの選挙の結果を、５億人弱の住民がいて３億７千５００万人の投票が予想されるヨーロッパと世界のひとびとが見守っている。&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　オランダでの選挙は、７３６議席中２５議席の分配をめぐって行われる。即日開票されたオランダでの選挙結果は、第１党は、キリスト教民主連盟（ＣＤＡ）で、以前と変わりはなかったものの、得票数は減り、現在の７議席から５議席へと後退した。最も注目されたのは、へールト・ウィルダーズ率いる自由党（ＰＶＶ）だ。この政党は、もともと自由民主党（ＶＶＤ）にいたウィルダーズ氏が、独立して作った政党だ。２００７年の第２院（衆議院）選挙では、１５０議席の中でいきなり９議席を獲得。この時も衆目を引いたが、今回は、それにも増す電撃的なショックを国内に広げている。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　というのも、このＰＶＶは、非常に国粋性の高い政党だからだ。ヨーロッパ連合に関しては最も懐疑的、特に、イスラム教徒の国内流入に対して、最も排斥的な立場を示してはばからない。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　ウィルダーズ自身、反イスラムの挑発的な映画を作り、コーランを禁書とすべきだというなど、ボディガードなしでは路上を歩くことができないほど、激しい排斥を繰り返している。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　ヨーロッパには、特に、移民人口の多い国ほど、こういう、反イスラム感情が現在高まっている。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　そんな中で、ウィルダーズも、他国の、反イスラム勢力には、ひそかな支援があるようだ。だが、国会で自作の反イスラム映画を見せるという目的でイギリスに飛んだ時、イギリス政府は、空港で入国を拒否して、一幕を醸したことがあった。ヨーロッパ連合内では、現在、一般市民の国境通過にはほとんど検査がない。それなのに、国会議員でもあるウィルダーズが、イギリス政府から正式に入獄拒否を受けた時には、オランダでも、少々の議論が展開された。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　いずれにしても、そういう、極めて「国粋主義的な」ＰＶＶが、今回のヨーロッパ議会選挙で、なんと、４議席、得票数にして、全体の１６．９％（開票率９２．２％現在）を占めたのだから、驚かないわけにはいかない。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　ＣＮＮはじめ、諸外国のニュースでも、「国粋派極右ＰＶＶの勝利」と報じられた。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　他方、現政権を構成しているキリスト教民主連盟（ＣＤＡ）、労働党（ＰｖｄＡ）、キリスト教連合（ＣＵ）は、得票率が極めて低かった。特にＣＤＡは２議席、ＰｖｄＡは７議席から４議席失って、半分以下の３議席だ。金融危機の先行きが見えない現在、政権として明らかな経済施策が打ち出せない状態が、支持者を失っている原因なのかもしれない。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　もっとも、ＰＶＶのような、国粋主義・ヨーロッパ連合懐疑派の躍進の反面、民主６６党（Ｄ６６）、グリーン左派党（ＧＬ）、社会党（ＳＰ）など、中道から左よりの親ヨーロッパ派の革新的な政党も票を伸ばしている。これらの政党の得票を合わせれば、８議席で、ＰＶＶの４議席に対しては倍の得票だ。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　金融危機で、人々が、自分の身の回りの安定を求める傾向が予想される中、親ヨーロッパの革新政党が、５年前よりも躍進したことについては、彼らの間で、満足の声が聞かれている。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　早い話が、どうやら、今回のオランダの選挙から結論できるのは、オランダ社会が、極右と革新の両方に分極してきているらしい、ということだ。ニュアンスを含んだ中道的な議論をした現政権内の与党各党が、いずれも票を下げたことからもこれは明らかだ。特にハーグやロッテルダムなどの都市部で、両方の支持が強いのが気になる。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　もっとも、投票率が極めて低いことは注意しておくべきだ。今回の投票率は、３６．５％で、前回の３９％をさらに下回る。もともと、ヨーロッパ議会選挙は、一般に、国内選挙に比べると関心が低い。５年前のヨーロッパ議会選挙の、域内全体の投票率は４４％にとどまったことでもそれは明らかだ。オランダの場合、第２院（衆議院）選挙の投票率は、毎回８０％に達するので、これと比べてみても、オランダの人々のヨーロッパに対する関心が低いことが知られる。&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　ヨーロッパ連合はもともと、各国の民主体制の維持の上に成り立ったものだ。地方分権が前提といってもいい。だから、ヨーロッパへの関心が低いことは致し方ない面はある。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　しかし、オバマが国際協調に乗り出し、また、金融危機対策においても経済ブロックとして足並みをそろえた動きをすることが望まれている現在、ヨーロッパ連合に対する関心の低さを危ぶむエリート層の声は強い。もともと、ヨーロッパ連合は「エリートたちの理想主義だ」という感覚でとらえられている面も少なくない。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　そういうわけなので、今回のヨーロッパ議会選挙の結果が、果たして、国内政治の議論に対して、どれほど有効性を持っているかについては、疑問が多い。にもかかわらず、ヘールト・ウィルダーズは、「今回の選挙結果は、国内の人々が、現（オランダ）政権に不満を持っていることのあかしだ」と鼻息が荒い。無論、与党各党、また、親ヨーロッパの革新各党も、国内政治の議題とヨーロッパ議会の議題とでは、問題の質が違う、と取り合わないが、、、。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;（ウィルダーズの言質言動を見ていると、ユーモアがほとんどなく、討論相手の話を聞いている様子も見られない。どうして、極右はというのは、こうもユーモアのない連中なのだろう。）&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　問題は、そもそも、ヨーロッパ懐疑派のＰＶＶがどこまでヨーロッパに影響を与えられるか、だ。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　なにしろヨーロッパ議会には、７３６議席もの議席がある。既存政党は、したがって、ヨーロッパレベルでは、各国の政党が集まって、ヨーロッパの政党を構成して協働することになっている。（そのため、オランダのキリスト教民主連盟は、労働党と連立するほど、かなり中道性、左翼との歩み寄りの性格が高いにもかかわらず、ヨーロッパ議会では、イタリアのベルロスコー二率いるかなり右翼性の高い政党と協働することが、支持者を躊躇させる原因にもなっていたとの見方もある。）&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　当然、２７カ国の代表者と協働しなければ、ヨーロッパ議会での議論には決着がつかないのが当然だ。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　しかし、ＰＶＶは、反ヨーロッパ主義の政党として、独立無所属の議員として参加するという。果たして、７３６議席もの中で、わずか４議席の代表が、全体の動きに対してどれほどの影響を与えられるかは疑問視される。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　－－－－－－－－&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　さて、選挙は、これから、今週末にかけて、２７カ国すべてで実施されるが、興味深いのは、イギリスがまだ開票結果を報告していないことだ。ヨーロッパ連合の姿勢としては、最終開票日まで、結果を報告しないことを望ましい、としているらしい。先に行われた選挙結果が、他国での選挙に影響を与えないため、という。イギリスは、この姿勢を受け、日曜日まで、開票結果報告をしない。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　しかし、何事も「オープン性」を優先するオランダだ。事実は事実としてありのままに、という精神か、昨日の選挙は、投票時間終了とともに、すぐに、即時速報が開始された。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　こういうあたり、各国の政治姿勢にも、ヨーロッパ連合の面白さはある。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　今日は、アイルランドとチェコで投票が行われる。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　日曜日夜には、２７カ国の開票速報が始まることだろう。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　金融危機の中で、果たして、ヨーロッパの人々は、どんな意思表示をするのか、、、&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　ＰＶＶのような、国粋主義的なヨーロッパ懐疑派の動きは各国に存在する。特に、フランス、ドイツ、デンマークなど、これまで、移民労働者の受け入れにどちらかというと寛容だった国で、その反動が見え始め、社会不安が高まっている。高齢化社会に加えて、経済危機が、低所得者層を追い詰め、移民排斥に向かわせている。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　しかし、同時に、国際協調の時代、しかも、オバマ大統領は、昨日カイロで、イスラム教徒との友好関係を表明したばかりだ。そちらの支持に票が動く可能性も非常に高い。&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/4889188775624583220-7575871835082600943?l=hollandvannaoko.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://hollandvannaoko.blogspot.com/feeds/7575871835082600943/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=4889188775624583220&amp;postID=7575871835082600943' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/4889188775624583220/posts/default/7575871835082600943'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/4889188775624583220/posts/default/7575871835082600943'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://hollandvannaoko.blogspot.com/2009/06/blog-post.html' title='移民排斥派と親ヨーロッパ派の分極明確：ＥＵ議会選挙'/><author><name>リヒテルズ直子</name><uri>http://www.blogger.com/profile/09548745030915743508</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='21' height='32' src='http://3.bp.blogspot.com/-CQvXkgFX0x8/TyFsI_Pc0WI/AAAAAAAADbE/VXgdHo9mUoQ/s220/IMG_4798.JPG'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-4889188775624583220.post-5050995354449745423</id><published>2009-04-22T18:41:00.004+09:00</published><updated>2009-04-23T18:05:44.863+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='労働'/><title type='text'>ワーク（就業）シェアリングの国は失業もパートタイムで</title><content type='html'>　世界を襲う前代未聞の経済危機は、いまだに出口が見えません。海外市場に多くを依存している小国オランダの経済も、世界の動向に光が見えないうちは先が見えず思い切った政策がとれないでいるようです。とにもかくにも、この小国オランダの経済がつぶれないためには、政労使が協力して力を合わせるしかない、、、その点だけは、一致団結しているようです。&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　そんな中で、４月１日付けで、オランダ政府は、パートタイム失業保険制度を導入しました。経済危機にあっての緊急対策です。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　もともとワークシェアリングの国。同一労働、同一賃金の原則に従い、同じ職場の同じ仕事であれば、職員の希望によって、週３２時間でもよければ週２０時間でも働けるというオランダです。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　このワークシェアリング、つまり、仕事の機会をお互いに分け合う、という社会で、今度の緊急対策は、「失業」を分け合おうという発想から出てきたものと思われます。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　この制度は、社会事象・労働機会省の説明によると、企業（雇用者）は、職員（被雇用者）を、その職員が現在契約している労働時間に対して、最大５０％まで、３カ月以内の期間部分解雇できるというものです。オランダの失業保険（WW） は失業直前の時点での賃金の７０％を保障しますから、仮に、雇用者が５０％の解雇を要求した場合、実質的には、１５％の賃金減になる、という計算です。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　３カ月の期間は、場合によっては、２回まで最大６カ月まで延長が認められますが、雇用者は、この期間中、また、その後一定の期間以内は、その職員（被雇用者）を解雇してはならない、やむを得ず解雇しなければならない場合には、このパートタイム失業保険として国から支払われる額の５０％を罰金として国に返済しなければならない、というものです。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　つまり、雇用者（企業）は、この経済不況期の苦しい時期を乗り越えるために、職員の労働時間を最大５０％、一人当たり６カ月まで減少させることができるが、その間に、経営の無駄、組織の効率化、市場開発を図るなど企業運営そのものの改善を努力しなければならない、ということです。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　しかし、同時に、この制度は雇用者（企業）にとっても有利な点があることは言うまでもありません。なぜならば、苦しい時期に少しでもコスト減を測ることができれば、倒産の憂き目に会わずに済む企業も多いでしょうし、熟練した経験のある職員を解雇せずに、部分失業の形で保持できることで、やがて将来経済が回復した時に、人材不足に悩まずにすむからです。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　他方、被雇用者にとってはどうでしょうか。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　確かに、現在の時間よりも５０％削減されたのでは、収入は減少します。しかし、世界中が危機に悩む時期、被雇用者が恐れているのは、完全に失業して路頭に迷うことです。今のような時期に失業すれば、次に仕事を見つけるのは大変困難です。それならば、期間限定、しかも、その後には再び前と同じ時間まで働けるこの制度は、将来に対する不安を取り除くことにもなります。しかも、オランダの場合、一般に、失業者やパートタイム就業者、派遣職員に対する研修の機会が充実しています。また、さまざまの教育・訓練期間が、自己開発を望んでいる労働者のために、比較的安価で時間的にも融通の利く研修をたくさん準備しています。ですから、「パートタイム失業」は、将来の転職、自己啓発のための機会を提供することにもなります。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　それでは、パートタイム失業保険制度で失業保険を支払わなくてはならない政府は?　熟練労働者や高齢労働者など、実質的に力のある労働者が「完全失業」となって、失業保険金の負担が増え、公営事業を大量に用意しなければならないことに比べたら、ずっと安価で済むはずです。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　昨日の新聞によると、労使代表の話し合いによって、この「パートタイム失業保険制度」の適用を雇用者側が申請した場合に、労働者はそれを拒否できない、ということを組合側が受け入れた、ということでした。　&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　オランダには、SERといって企業と労働者との代表が共同で話し合う機関があります。ワークシェアリングを実現させたワッセナーの合意でも、この機関があったことが成功の秘訣だったのです。両者が歩み寄れたのは、双方が、双方の権利を主張し、また、双方の問題を知ることで、両者にとって「ウィン・ウィン」の関係を生み出すための知恵を絞るからです。これはときには時間がかかります。政府は、両者のちゅうさい調停的な役割を果たすとともに、両者が歩み寄れない場合に力を貸します。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　今回の「パートタイム失業保険制度」もまさに、この政労使共同での危機対策の典型であると思います。３人寄れば文殊の知恵、といいますが、３人の似たり寄ったりの人間が集まるのではなく、３者それぞれに利害が異なるモノが集まり、お互いの利と害を酌量すれば、予想もしなかった「知恵」が浮かぶもの、どうやら、そういうところにオランダ人たちは、知恵の絞りがいを感じる人たちのようなのです。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　無論、どの施策もどこまでうまくいくものかやってみなくてはわかりません。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　ただ、やってみて、またやり直しや修正ができる。それも、利害の異なる３社が、お互いに、張り合いいがみ合っているのではなく、とにかく、話し合ってみようじゃあないか、という気分を維持しているからできることなのです。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;－－－－－－&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　今年の２月１７日、CPB（経済政策分析局）の発表は、オランダ人を震撼させました。なにしろ、昨年夏まで失業率２．７％で、ヨーロッパの中でも最も優等生だったオランダが、２０１０年には、失業率９％に上るだろう、との発表だったからです。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　確かに、冒頭に述べたように、国外経済への依存率が大変高いオランダの経済には、今のところまだ先行き不安が非常に大きいままです。国内でも、主要紙や野党から、政府の施策が遅いとの批判は多いです。国民老齢年金の開始時期を６５才から６７歳に引き上げるか否か、高額の国庫費がかかる戦闘機を購入するか否かなどの議論が、毎日のように国会で議論されています。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　しかし、そんな中で、４月の初めに出た報告では、CPBの予測していたのよりも、失業率の増加が進んでいない、というほの明るいニュースも伝えられました。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　企業家と労働者の協調、また、そういう社会的な雰囲気が、苦しい時期、問題を共有しようという意識を支えていることがうかがえます。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;－－－－－&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　日本では、「失われた１０年」が、いまや「失われた２０年」になりそうだ、との揶揄が聞こえます。英字週刊誌エコノミストは、１０年失われたのはわかるが、２０年もそれを続けるのは、策がないとしかいようがない、と批判していました。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　危機をチャンスに、という言葉も最近よく聞こえます。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　つまり、危機は、いろいろな意味で、物事を自己批判的に見直し、病巣を取り除くきっかけになるという意味でしょう。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　しかし、日本の失われた１０年は、一見して、経済回復の努力をしていたかに見せ、政権の交代もなければ、企業の体質改善も本質的には行われなかったのではないでしょうか。それが証拠に、今も、日本の政治は未来に展望が描けず、国民は、政治に対して失望しているにもかかわらず、国民自身が、市民として政党を作り政治参加する意欲を持っていません。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　また、企業の収益は一時期上がったものの、その一方で、大量の失業者、派遣職員を生み、経済格差は異常に広がり、若者や一般家庭の貧困まで取りざたされるようになっています。経済大国の日本が、、、、です。それは、オランダなど、人々の人権を尊重する国々で、企業が、経済危機において、その問題を、企業内の組織・運営上の無駄を省き、効率化を図ることで乗り越えようと努力をしているのに対し、全く正反対の姿です。企業家は自己批判を回避して、不況のつけをすべて労働者に押し付けてきたにすぎないのです。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　これは、これからの日本の取り組みに非常に大きな示唆を与えるものではないでしょうか。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　現在の経済不況期に、諸外国は、再び、企業が、さらにより良い経営に向かうべく、さまざまの施策を知恵を絞って生み出そうとしています。それは、政府も国民も、労働者を路頭に迷わすようなことをすれば、社会そのものが連帯感を失い、人々の精神的な健康は失われ、おそらくは幸福度の総量が減少し、ストレスは働けない病人の数を増やし、出生率は下がり、生活に保証のない高齢者が増え、さらには、その社会を支える納税者としての若者がいなくなる、ということを知っているからです。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　同時に、自己批判によって経営や組織の体質改善に取り組んでいる企業は、この経済危機を乗り越えた暁には、新しい時代の新しい技術、新しい効率的な経営方法に取り組める状態に少しでも近付いていることでしょう。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　日本で問題を先送りしているのは政府だけではありません。企業家も、自己批判を避けて、労働者を吐き出し、表向きの数合わせをしているだけに過ぎないのではないでしょうか。そういう企業が、果たして、危機を乗り越えた時に、欧州の国々と競争できる健全で良質な体質を獲得しているのかどうか、、、、私はそこに不安を感じています。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　日本の政治家が本当に企業の再生を望んでいるのであれば、企業自身が内部の組織上・経営上の体質改善に取り組めるような刺激と支援を与える施策をとるべきでしょう。そして、未来社会にとって、健全で良質な企業経営とは、人間の幸福を推進し優先する生産と取引です。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/4889188775624583220-5050995354449745423?l=hollandvannaoko.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://hollandvannaoko.blogspot.com/feeds/5050995354449745423/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=4889188775624583220&amp;postID=5050995354449745423' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/4889188775624583220/posts/default/5050995354449745423'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/4889188775624583220/posts/default/5050995354449745423'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://hollandvannaoko.blogspot.com/2009/04/blog-post.html' title='ワーク（就業）シェアリングの国は失業もパートタイムで'/><author><name>リヒテルズ直子</name><uri>http://www.blogger.com/profile/09548745030915743508</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='21' height='32' src='http://3.bp.blogspot.com/-CQvXkgFX0x8/TyFsI_Pc0WI/AAAAAAAADbE/VXgdHo9mUoQ/s220/IMG_4798.JPG'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-4889188775624583220.post-4600755324586193472</id><published>2009-03-30T00:45:00.004+09:00</published><updated>2009-03-30T06:34:39.914+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='労働'/><title type='text'>連帯と業種別組合：ワークシェアリング(ポルダーモデル)を可能にしたもの</title><content type='html'>　日本でも７年ぶりに再びワークシェアリングに取り組むことが政労使の合意で決まったという。（関連記事：&lt;a href="http://naokonet.blogspot.com/"&gt;http://naokonet.blogspot.com/）&lt;/a&gt;世界規模の金融危機、人件費の高騰、基幹製造業の生産低下と円高の煽りも受けた輸出額の急激な減少などで、日本経済の先行き不安要因は一気に高まり、失業率も今後ますます増えることが予想される。特に、すでに社会問題になって久しいフリーター、ニート、ワーキングプアなど、将来に展望を描けない若者の人口が急増している。一方で、高齢化社会を支える若年就労人口の減少を予測させる少子化問題が取りざたされているというのに、若者の働く権利・生きる権利を尊重する活力のある動きは見られず、巷では、いよいよワークシェアリングを実現する以外に解決策は見当たらないのでは、という声が増えてきている。そんな中での、７年ぶりの政労使の合意というが、果たして、それは、本当に効力のあるものになるのだろうか。&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　ワークシェアリングの考え方は、オランダのポルダーモデルに起因するところが大きい。実際、オランダは、１９８２年、ワークシェアリングを実現することになった「ワッセナーの合意」（政労使合意）によって、低迷していた経済を目覚ましく好転させ、９０年代の経済好調期を迎えることになった。このオランダの例は、当時のオランダに、ある意味で状況が似ていなくもない今の日本に一つの切り札を提供しているように見える。だが、今回の７年ぶりの「政労使」合意によるワークシェアリングへの再度の踏み出しは、本当に、切り札として有効なのだろうか。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　そういう観点から、オランダのワークシェアリングの状況を少し詳細にみてみたい。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;－－－－－－－－－－&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　実をいうと、オランダでは、「ワークシェアリング」と言ってもだれも何のことかわからない、というのが多分現実であろう。この言葉は、オランダではほとんど聞かれることがないからだ。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　日本でワークシェアリングが議論されるとき、その典型例としてオランダの経験がよく引き合いに出される。しかし、日本では、残念なことに、これを「オランダ・モデル」という言葉で表現している。おそらく、英語のわかる人が、この言葉を直訳してHolland ModelとかDutch Modelなどという語にして検索してみても、目的のワークシェアリングについてのオランダの背景情報には、おそらくなかなか行きつかないのではないかと思う。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　オランダでは、ワークシェアリングは「ポルダー・モデル」として知られている。名付け親はイギリス人の経済学者らしい。そして、この語は、オランダのワークシェアリングの本質を実に的確に示した言葉であるといえる。それは、単に、「仕事分け合う」というだけのものではなく、国内における失業率の低下と対外的な経済競争力の維持を目的として、雇用機会の創出と、それに伴う既存の雇用機会における労働時間の削減、また、賃上げ要求の抑制に基づく企業の競争力の維持、そして、これらの施策を促進するための法規的な制度の整備を内容とする、総合的な経済回復プランだった。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　＜ポルダー＞とは、人工の干拓地のことだ。河口のぬかるみの土地の周りをダイク（堤防）で囲み、風車などを使ってポンプで堤防内の水をくみ出して（干拓して）作った土地だ。オランダの全人口の約６割が、このポルダーといわれる海抜０メートル以下の土地に暮らしている。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　このような海抜下の土地ポルダーでは、住居や作物・家畜そして人命を押し流す洪水が最も怖い。そのため、オランダには、地方に分権された一般行政組織とは独立に、全国規模の水管理組織が作られており、共同・連携して、国土の水利事業と維持を行っている。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　オランダのワークシェアリングが＜ポルダー＞モデルと名付けられたのは、国内にいる様々の立場の人々の「連帯」に基づく協働によって、国家経済を対外的に強化するという目的で実施されたからだ。政府・企業・労働者という３者が、お互いの立場や利益を尊重しながら、歩み寄って、自国の経済を健全で競争力の高いものとして維持しようとした。その一部がまさに、日本でいわれるところの「ワークシェアリング」だった。「連帯感」を生むために、企業家や既得権を持つ就業者が自らの利益を譲歩して、低所得労働者や失業者に労働の機会を与え、逆に、労働者は、企業側への賃上げ要求を自主抑制することで、経済低迷期に、企業が新規事業への技術革新への投資力を低下させたり、インフレ・物価高による欧州市場での対外競争力を低下させることのないようにしようとした。無節制な賃上げ要求は、人件費の高騰によって生産物の価格を押し上げ、ひいては欧州や世界で市場競争力の低下につながる。こうして経営者の首を締めればは、最終的には失業率の増大という形で、労働者の解雇につながることが目に見えているからだ。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　また、ポルダーモデルが目指した失業率の低下は、なかでも、新しい知識や技術・情報を学ん出来たばかりの若年労働者や、国家資産によって育成された高学歴であるにもかかわらずその成果を社会に還元できないで家庭にとどまる女性たちの雇用機会を増やすことに焦点が置かれてもいた。未来を担う世代に、また、これまで家庭にこもってしまっていた女性に雇用機会を提供することで、社会参加意識を育て、社会に「連帯感」を醸成することが、ポルダー・モデルの社会的な意義であったともいえよう。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　この「連帯感の醸成」という観点からみて、ポルダーモデルを生んだ「ワッセナーの合意」（１９８２年）という政労使三者の合意は、そこに至るプロセスを、どれだけ、市民が共有しているか、ということが大変重要な眼目にあったと言い換えることもできる。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　政策決定のプロセスを市民が共有するためには、マスメディアの力が非常に期待される。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　この点で、オランダのマスメディアは、ポルダーモデルよりも、さらにずっと以前から、市民の社会参加意識の醸成の役割を、きわめて有効的に果たしてきた。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　前回の記事で書いた、先週の「金融危機対策の経済回復プラン」を巡る政労使合意に至る話し合いが３週間にわたって続けられる間、各新聞や公共放送を使用する各種の放送団体は、この間の動きを独自の視点でつぶさに報道した。それぞれ、議論・討論の場を設け、話し合いに並行して、各政党の意見、労使それぞれの代表者、市民の意見が毎日のように取り上げられた。その合間合間には、政労使の話し合いの当事者である、首相・副首相、企業代表、組合代表らも、生放送でインタビューに応じる。識者らが集まって、首相や財務大臣、各政党の党首などのパフォーマンスを批評する。それは、市民である視聴者の立場からすると、ジャーナリストを通じて様々の立場の意見をリーダーらにぶつけ、反応をうかがう機会であり、政治家や労使代表にとっては、みずからの立場を表明し、視聴者を説得し、自らの選択をフィードバックする重要な機会なのである。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　こうしたマスメディア上のやりとりそのものが、市民に「声が聞かれている」という安心感と、「議論に加わっている」という社会参加意識、そして、政策決定後には、それを成功させようという「自己責任」意識につながる。つまり「連帯感」の醸成そのものだ。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　しかし、日本のワークシェアリングの議論には、こういう、マスメディアの役割が完全に欠落している。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　官僚が用意した「記者クラブ」での公式発表を、経験の少ない新米記者が「受動的に」受け止め筆記し、新聞紙上に転写するだけのメディアでは、市民に参加の機会は生まれない。こういう脆弱なメディアからは「連帯感」は生まれない。「連帯感」のないワークシェアリングは、果たして、オランダのモデルを想起させる、オランダが実績を生んだような経済回復につながるものなのか。２３日に発表された「日本型」ワークシェアリングの復活は、その前後の事情を見ていても、いかにも唐突で、市民参加の議論に基づいたものではなく、単なるなれあい談合の結果、これもまた相も変わらずのトップダウン政策の一つにすぎない、と落胆させられる。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;－－－－－－－－－－－－－－－－－－&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　日本りのワークシェアリングに「日本型」という冠がつけられていることにも、疑問点は多い。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　企業家、政治家、ある種の識者は、日本には独特の伝統的な雇用慣行があり、それがあるために、オランダのようなワークシェアリングの導入には無理がある、という議論を、おそらくはまことしやかにすることだろう。けれども、その日本的な雇用慣行とは、果たして、単なる文化の違いと片付けられるものなのか、それとも、近代化の遅れそのものなのか。後発の近代化を遂げた国は、法制度としては西洋型の近代民主制度を銘打っていながら、内実として、それに矛盾した前近代的な制度を温存していることが多い。そういう意味で、日本はこの、不自然な近代化のゆがみを典型的に表している社会であるし、こうしたゆがみは、中国やインドをはじめ、後発で急速な近代化を実現した国に多かれ少なかれみられるものだ。一方で、西洋的な価値意識に基づく、近代市民社会の理想がありながら、内実として、伝統的に市民意識が育っていないか、抑制され続けてきた国は、非西洋に多い。日本の今の閉塞状況は、まさに、そうした社会的病理の典型例であり、これを日本がどう独自の力で乗り越えられるかは、これらの後発非西洋社会で、近未来に予測される社会問題に、一つの普遍的な解決策をモデルとして提示できるかどうか、という風に置き換えることもできると思う。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;－－－－－－－－－－－－－&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　日本独特の雇用慣行の特徴として、最も顕著なものに、年功序列制度と企業別労働組合があげられる。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　年功序列制度は、労働者の、実力・実質的な意味での資格・経験などに基づかず、単なる勤続年数だけで序列を決めるという点で、前近代的な性質を持っている。昨今、一部で導入が求められているジョブカード制度や、キャリアアップと称する訓練も、実質的な実力よりも年功序列が優先した制度では有効に機能しないのではないか。もともと、学校教育そのものが、確固とした一定の能力達成を条件とした、内実のある卒業資格によってではなく、単なる、相互競争だけで生徒を選別する制度だ。入試制度が幅を利かせ、実力よりも学歴が優先される雇用慣行の中で、ジョブカードや訓練の有効な発展は望めない。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　さらに、雇用機会の創出を確信に据えるワークシェアリングの実現の前に、大きく立ちはだかっているのは、企業別労働組合の慣行だ。これは、オランダの実情と照らし合わせてみると、一目瞭然としてくる。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　オランダでは、業種別労働組合が普通で、各業種（セクター）ごとに、毎年、労使協定（CAO）が更新される。CAOには、次の１０大項目を盛り込むことが法律で義務付けられている。これが、ワークシェアリングの推進において非常に大きな役割を果たしている。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;span class="Apple-tab-span" style="white-space:pre"&gt; &lt;/span&gt;１．労働時間&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;span class="Apple-tab-span" style="white-space:pre"&gt; &lt;/span&gt;２．俸給体系&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;span class="Apple-tab-span" style="white-space:pre"&gt; &lt;/span&gt;３．職務評価基準&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;span class="Apple-tab-span" style="white-space:pre"&gt; &lt;/span&gt;４．休暇規則及び労働時間短縮規則&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;span class="Apple-tab-span" style="white-space:pre"&gt; &lt;/span&gt;５．残業規則&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;span class="Apple-tab-span" style="white-space:pre"&gt; &lt;/span&gt;６．疾病時対応規則&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;span class="Apple-tab-span" style="white-space:pre"&gt; &lt;/span&gt;７．労働環境と安全についての規則&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;span class="Apple-tab-span" style="white-space:pre"&gt; &lt;/span&gt;８．（早期）退職規則&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;span class="Apple-tab-span" style="white-space:pre"&gt; &lt;/span&gt;９．解雇規則&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;span class="Apple-tab-span" style="white-space:pre"&gt; &lt;/span&gt;１０．専門職権&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　つまり、業種別に決められた、すなわち、企業の壁を越えたCAOが存在することで、労働者は、同一条件のもとで、同じ業種の企業間を自由にジョブハンティングしながら移動できる。同じ業種の企業は、少なくとも、CAOの１０原則に関する限り、全く同じ条件で、雇用機会を提供しなくてはならないからだ。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　これは、企業の市場ではなく、労働者の雇用市場の公正という、日本の現状からは実現が極めて危ぶまれる事態を意味している。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　日本の、企業内労働組合では、職員に俸給を支払い、仕事の内容を決める経営者と、それに従順に従う以外にない労働者の間には、公正で平等の関係は約束されない。年功序列制が、さらにそれに加わるため、労働者は、たとえ自分には同意できない劣悪な経営であっても、ただじっと我慢して忠実に仕事を続けていさえすれば、やがて経営者の立場になることも期待される。技術革新や経営改革は起こりにくく、社内での不正も生じやすい。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　同業種であっても、同業種組合がないために、労働者の自立を保障する連帯がなく、企業間競争は、生産効率だけをめぐって行われることになり、よりよい労働条件を競い合うことはあり得ない。労働者の権利が生産効率のために犠牲となりやすい状況が容易に生まれる。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　企業（経営者）にとっては、職員を劣悪な条件下で酷使できるわけで、効率化が図りやすい。一見、家族経営に見せかけてはいるが、安くて、思うように動かせる労働者をいくらでも使えるという構図だ。しかし、これは、本当に企業にとって有用な制度なのだろうか。こうした状態が長く続けば、職員の就労意欲は低下し、企業の技術革新や経営の抜本的な改革には取り組みにくくなるのではないか。また、若年労働者が持っている新しい情報や技術・知識は生かされにくく、したがって、対外的な競争には非常に弱い立場とならざるを得ない。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　平たく言えば、労働者は、その企業の上司から、「ぶつぶつ言わずに仕事が終わるまで残業しろ」と言われたら、それに従う以外に選択肢がなく、「休暇などをそんなにとっていたら、B社に負けるぞ。負けていいのか、お前の会社が。それで会社がつぶれたら、元も子もないだろ」と脅されれば、業種別労働者の組合というバックアップがないために、返す言葉もなく、残業手当も、休暇もなく、働きづめに働いて、過労死、うつ病候補にならざるを得ないしくみになっている、ということだ。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　これでは、自主的な社会参加意識や自己責任を涵養し、労働者自らがワーク・ライフ・バランスを選択するワークシェアリングの精神を具体的に実現できるわけがない。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　このように、オランダのポルダーモデルが有効に機能できたのは、業種別労働組合があったからだ。上にあげたように、CAOの中には、同業種の労使間の約束として、共通の休暇規則、残業規則、労働時間短縮規則が盛り込まれている。だから、労働者は、自分が就業している企業がそれらの規則を守っていなければ、いつでも、他の企業に転職していく。CAOがあるからこそ、誰はばかることもなく、安心して、ワーク・ライフ・バランス、男女の役割分担を、自分なりに選択することができる。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　業種別組合を基礎とした労使協定CAO があるおかげで、障害者の自立も促された。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　オランダでは、労働市場に関する限り、＜障害者＞という別のカテゴリーは存在しない。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　障害者は、疾病による、一般の「長期労働不能者」として一般労働者と同じ待遇を受ける。障害者たちは、長期労働不能者と共に、適正業種を想定して、個別に就労能力の判定をうける。これらの長期労働不能者は、通常の健常労働者の就労能力を１とした場合、何％の就労能力を持っているのかと判定される。判定基準は、科学的に証明された共通の基準が全国一律に適用される。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　したがって、障害者を含む長期労働不能者は、ポルダーモデルによって実現した、正規のパートタイム就業を利用することにより、就業による収入と、それを補完する部分的な障害者手当とを組み合わせて、自立的に生活できる。「正規」のパートタイムであるから、俸給は、同一労働同一賃金の原則に従って支払われ、年金積立や保険制度も適用される。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　だから、障害者であっても、就業している職種によって、一般の業種別労働組合の正規会員として登録されている。つまり、CAO協定の対象になっているということだ。&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　教職員組合の例をとってみよう。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　教職員の資格を持つものは、この組合に属することで、教職員組合のCAOの規定の対象になる。CAOは、業種ごとに、俸給体系を規定しているので、この教員が、私立学校に勤めようが、公立学校に勤めようが、いかなる学校に勤めようとも、つまり、雇用者が市であれ私立法人であれ、俸給体系や労働時間、労働条件、休暇規則、解雇規則などには一切何らの違いもない。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　つまり、企業経営者が、質の高い労働者を採用したいと思えば、CAO協定に基づく、業種内に共通の規定を順守したうえで、さらに労働者にとって魅力的な職場を提供しなければ、よい人材を確保できない、ということだ。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　おそらく、日本の企業経営者には溜息がでるような話、こんな不景気にそんなに労働者を甘やかす金はない、と嘯くことだろう。だが、オランダのワークシェアリングは、そういう不景気のどん底であったからこそ実施された英断だった。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　日本企業が国際競争力を弱めている最大の原因は、従順で、革新意欲がなく、新しいアイデアを生み出す思考力もなく、先進の技術や情報を持った若者の発言を認めない日本の雇用慣行をあまりにも温存していることではないのか。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;ーーーーーーーーーーーーーーー&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　ワークシェアリングの導入は、単に雇用創出という意味だけではなく、おそらく、日本社会の行き詰まりを解決し、日本社会の雇用文化を大きく１８０度転回し、活力のある社会を生み出し、人々の幸福感を回復する可能性を持つ、数少ない施策の一つであると思う。それだけに、安易な導入は避けるべきだと思う。名前だけが先行して、元の主旨が伝わらず、政労使の代表者だけで、市民には見えない議論で、あたかも実現努力をしたかに見せかけるのは、眉つばものだ。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　ワークシェアリングは、誰よりも、失業者、あるいは、失業と隣り合わせにいる労働者のためのものだ。これらの人々が、能力に応じた適切な雇用機会を与えられることで、格差が是正されなければ、「連帯」感のある社会は創出できない。日本人の幸福度を向上させるための条件は、この連帯感の創出と無関係ではありえない。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/4889188775624583220-4600755324586193472?l=hollandvannaoko.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://hollandvannaoko.blogspot.com/feeds/4600755324586193472/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=4889188775624583220&amp;postID=4600755324586193472' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' 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type='text'>金融危機緊急経済回復プランの発表をめぐって</title><content type='html'>&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　米国のサブプライムローンに始まる世界規模の金融危機は、世界中の国々で、先行き不安を示しています。産業・経済市場のグローバル化によって、相互の依存度が著しく高くなっている中、世界規模の不況は、どこからきっかけをつかむのか、お互いにお互いの動きを察しつつも、先を読むことが難しく、具体的な対策を打ち出しにくい、前例のない状況を迎えています。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　そんな中で、日本では、数日前、突如として、「政労使三者が合意、7年ぶりに「日本型」ワークシェアリング」という文字が各新聞紙上に躍りました。それに至る議論もほとんど見られず、その後、発表された内容をめぐって展開される議論もほとんど続かなかったように思います。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　ワークシェアリングの元祖はオランダのポルダーモデルです。しかし、「日本型」ワークシェアリングとして示されている内容は、元祖のオランダのポルダーモデルには似ても似つかず、元来、ポルダーモデルを今採用するならば、苦境の日本経済と労働市場にかなりの効果を上げるのではないか、と思われるこの政策も、市民の議論を巻き込むどころか、なれあい合意に終わった感があり、未来に明るい見通しを開く、何よりも、労働市場で活動する一般市民にが未来に楽観を抱くことのできる、インパクトのある転換にはならなかったようです。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　他方、オランダでは、70年代の長い長い不況をもたらした「オランダ病」に奇跡の回復を与えた「パートタイム就業の正規化と賃上げ要求抑制という「ポルダーモデル」（日本では、オランダモデルとかワークシェアリングの名で知られるが、この用語では英語検索は無理）の切り札は、今回の危機にはもうありません。ただ、危機状況にあって、このポルダーモデルという労使協調の枠組みが、うまくいけば再び功を奏するかもしれない、という期待は若干あります。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;（ポルダーモデルについては拙著「残業ゼロ授業料ゼロで豊かな国オランダ」をご参照ください）&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　昨日、3週間の協議を経て発表された、現連合政権の「金融危機緊急経済回復プラン」の発表の様子と、それに対する反応について、報告します。金融危機に対するオランダの取り組みは何なのか、また、日本の取り組みとどこがどう違うのか、考えてみたいと思います。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;――――――――――――――&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　今回の金融危機のニュースが伝わった当初（昨年9月）、オランダの経済は、ヨーロッパ内でも優等生（失業率は2.9％で欧州連合内最低）でしたし、経済活動も非常に健全と、ボス財務大臣の落ち着いた、国民を安心させるような態度と、人々のそれに応じた楽観とで、危機感はあまりなかったように思います。その後に続いた、ABN-AMRO銀行のベルギーからの奪還ドラマでも、オランダの選択はなかなかしたたかで賢明であったと思われます。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　しかし、この楽観ムードは、前回述べた、ＣＰＢ（経済政策分析局）の経済見通しの発表後、急速に変化、楽観は一気に悲観へと変わり、世論にも、ひとびとの先行き不安を示す傾向が著しく上昇しました。いきおい、企業経営者側からも、労働者の側からも、政府はどういう方針で経済回復を推進するのか、一日も早く示せ、と迫る声が日増しに高まってきていました。また、つい先ごろ、２００８年にノーベル経済学賞を受章した世界的に名高いアメリカ人経済学者ポール・クルーグマンが、欧州の金融危機対策が消極的であることに落胆している、というコメントを述べたことでも、政府に対する人々の圧力と期待は高まっていたと思われます。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　「キリスト教民主連盟」（ＣＤＡ）を中心に、「労働党」（ＰｖｄＡ） と少数派の「キリスト教連合」（ＣＵ)とからなる元連合政権は、この3週間にわたって、危機対策プランのための話し合いを続けてきました。月曜日（23日）に予定されていた合意達成は難航し、ようやく24日夜遅く合意、昨25日の発表となりました。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　危機対策プランの骨子は、①2009年と2010年は、「持続可能性の高い」「革新的な」企業や生産を優先して、刺激を与えるために国庫投資を続け財政緊縮は2011年からしかやらない、②一般老齢年金AOWの受給年齢を65歳から67歳に引き上げる案に関し、向こう半年以内に、労使間協議で対案を提示できれば、検討する、という二つでした。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　①の、向こう2年間にわたる経済刺激活性化策のための国庫投資額は、600億ユーロ。この投資により、不景気の終点時点で、「より新しく、清潔で、より効率的な経済が存在していることを目指す」とのことです。不景気回復を予想した2011年には、500億ユーロの財政緊縮が予定されています。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　 ②のAOW（一般老齢年金）の受給資格年齢を65歳から67歳に上げるという案は、連合を構成している3政党が、唯一共通して同意できる削減策であったといわれます。財政削減案の中には、住宅ローン課税控除の制限、特別疾病一般法（AWBZ＝国民保険制度の一種)の改正、世帯内の無所得者または第2所得者に対する課税控除の廃止などが挙がっていたものの、連合内の3政党の足並みがそろわず、財政削減案としては提示できませんでした。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　さて、3週間にわたる集中的な討議を経て、危機対策プランを発表した政権に対して、野党は一様にブーイング、翌26日から、第2院（衆議院に相当）で、このプランをめぐる国会討議が始まっていますが、すでにさまざまの批判の声が聞かれています。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　革新的な野党の側からは、社会党SPが、危機状況は急進的に新しい選択を迫ることによって「文化変容」をもたらすものと期待していたにもかかわらず、今回のプランにはそういう展望が見られない、とし、民主66党（D66)も、「恐るべきほどに野心に欠ける」とこき下ろし、「緑の左派党」（GL）は、財政削減案として挙がっていた提案に対して、タブーを切り込む意欲が見られない、と批判。他方、保守派の野党側からは、自民党（VVD） が、古い政治慣習ですべての問題を先送りしているだけだ、と述べ、最も右翼的傾向の強い、移民排他で知られるヘールト・ウィルダーズ率いる自由党（PVV)も、何らの緊急感覚も見いだせない、古い体質の政治だ、と頭ごなしに批判しています。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　ただ、今回の、緊急プラン作成の途上で野党各党が不満を抱いていたのは、プランの内容についてだけではなく、それを生み出す過程そのものにもあったようです。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　なぜなら、緊急プラン作成に、野党の意見が反映されるよりも以前に、協議の席上に、組合の代表と企業代表とが参加していたからです。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　組合（代表）と企業（代表）とを、オランダでは、ソーシャル・パートナーと呼びます。つまり、雇用をめぐる、労働市場での、雇用者と被雇用者のことです。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　これは、冒頭に述べた「ポルダー・モデル」にも関係があります。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　オランダでは、1982年、長い経済低迷期を打開するために、政労使の間で「ワッセナーの合意」という、合意書が署名されました。それは、「失業対策の諸側面に関する中央諮問書」という正式名称の文書ですが、これにより、労働者は、企業側が、十分な賃上げの余裕を持っているにもかかわらず、賃上げ要求を低く抑えることで、インフレを抑制し、対外競争力が維持できることを優先したのです。その代わりに、企業側は、フルタイムとパートタイム就業の区別をなくすことを受け入れ、それによって、フルタイムと同じように、同一労働同一賃金、男女平等待遇の原則に基づくワークシェアリングが実現し、雇用機会の拡大と失業率の低下につながったという背景を持っています。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　この、普通、日本などでは非常に考えにくい雇用者と被雇用者の間の協調的な協働関係の基礎づくりをしてきたのは、1950年に設立されていた「社会経済評議会（SER）」という組織でした。SERは、以来、労使間の協議の場を提供してきたからです。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　つまり、SERは、ポルダーモデルの基礎としてなくてはならぬ団体だったのです。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　今回、経済回復プランを作成するにあたって、協議に加わっていたというのは、まさに、このSERで、野党が批判したのは、プランを立てるという政治政策設定の場に、野党よりも先に、SERが優先されていたことです。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　もっとも、今日、国会討議が始まるまえの昨日の新聞NRC（自由主義系）には、下記のように書かれています。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;「当然、、野党は、明日、討議に際して、＜ヤジの鍋釜騒動＞を展開するだろう。また、それが、当然野党の役割でもある」と。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;―――――――――――――――――&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　というようなわけで、今後しばらく、危機対策の経済回復プランに対しては、さまざまの議論が展開されることと予想されます。また、その議論を新聞やテレビが並行して追いかけることによって、徐々に世論が形成されていくと思われます。ポルダーモデルとは、そう言う、政策決定においても、その後においても、ずっと世の中に議論が継続していて、何らかの契機によって、進行、停滞、修正、逆行を小刻みに繰り返すシステムなのです。一見して効率は悪いように見える、しかし、そのおかげで、市民と政治家の極端な乖離を防ぎ、国に対する信頼感を維持し、市民が参加意識を感じられるシステムです。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　現に、この数日間、ハーグ市にある首相官邸で、協議が行われている間、ずっと、テレビでは、政治討論番組に、野党の党首らが招かれて、懸案の議論を同時進行で討論していました。また、首相のリーダーシップ、政権第2党である労働党党首のボス財務大臣（副首相）についても、危機対策における、首相との関係の取り方、発言の仕方などについて、大学の専門家など、識者が招かれ、さまざまに批判・助言が、公のメディアの上で続けられていました。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;―――――――――――――――&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　さて、1930年代以来の最大の経済危機を迎えている世界。1980年代に、政労使の協調「ポルダー・モデル」で危機を乗り越えたオランダは、ワークシェアリングへの転換という切り札はもう使えません。ただし、今も、この時の、労使協調をベースにした合意形成の記憶は新しく、それが、今でも、この国の、危機状況における「連帯意識」の基礎になっていることがはっきりと見て取れます。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　今回の危機を乗り越えるための方程式は、世界のどこを探しても見当たらない。また、お互いがお互いの動きに依存し合っているという意味では、今後の世界規模の経済の動きは、アメーバのように形を変えながら決まっていくのではないか、と思います。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　戦後間もなくの時期から、早、60年余りにわたって、強調的な多元主義・機会均等をベースとしたヨーロッパ連合のつながりと協力体制を生んできた欧州諸国ですが、金融危機を迎えて、各国の経済立て直し策のために、国ごとの「保護主義」に反動している傾向もごく若干ですが見え隠れし始めています。（自動車会社ルノーの工場閉鎖をめぐるフランスの政策など）多国間の平等な立場に基づく協調、開かれた共同に対する反動の動きです。こうした保護主義に対して当然批判があるとはいうものの、それでは、各国の自律的な体制と、ヨーロッパ全体の世界に向けての安定成長や権益との間の関係はどうなるのか。金融危機への対策は、このことを再考するための、「ヨーロッパ連合」にとっての大きな試練であるのかもしれません。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　そういう中で、果たして、ポルダーモデルに基づくオランダの選択は、成功するのか失敗するのか、当分の間、予断が許せません。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;―――――――――――&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　ただ、こういう場面をこの国にいて観察しながら、日本の状況に比べてみて、常に感じていることがいくつかあります。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　それは、危機の中にあって、①オランダ人が、左右どちらの意見を見ても、「連帯」による解決を求めようという前提だけは、共有の意識として持っていること、②野党からの批判はあったにせよ、ポルダーモデルが確立していることによって、労使間協調の形で、労働者の意見が反映される場があるということを、国民が確信し信頼していること、さらに③こういう「連帯」の意識や国の政策決定のプロセスへの「参加意識」をマスメディアが同時進行の議論を提示することで確実に一般市民の目に見える形で補強していることです。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　政策決定のプロセスが、国民の目にはっきりと見えること、また、そこに国民が影響を与えるパイプが残されていると感じられることは、社会に対する参加意識だけではなく、その政策の結果が見えてきたときに、帰結に対する責任意識を醸成すること、すなわち「連帯感」の強化に役立つものです。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　先週末、私は、もう一つのブログ「地球を渡る風に吹かれて」&lt;a href="http://naokonet.blogspot.com/"&gt;http://naokonet.blogspot.com/&lt;/a&gt;の中で、日本における「日本型ワークシェアリング」について、その決定過程をめぐる状況についてのコメントを書きました。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　施策が功を奏するか否か、また、その施策が「持続性」の高いものであるかは、その策定に対して参加意識を持っている人の数がどれだけいるか、世論がどれだけ政治家の議論に密着して作り上げられ、政治家の無責任を防止するものとして機能しているか、にかかっていると思います。これこそが、まさに民主主義の姿なのです。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　モンスターのごとき大恐慌の怒涛を、人間社会を襲う、一つの大きな病気とたとえるならば、オランダは、十分にコンディションの良い体を病気がおそって来た状態、日本は、コンディションが最悪の上に厄介な病気がさらに襲ってきた状態、という風に見えます。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　マイナス成長と急激に広がった格差のある日本を、再び活力のある社会へと変える重要な鍵の一つは、政治家の堕落と腐敗だけではなく、それを表から批判しきれない民度の低さ、とりわけ、エリートと呼ばれる人々が批判の言論を忌憚なく展開できない、その受け皿になるべきはずのマスメディアの脆弱さを、アメリカやヨーロッパ並みの確固としたものに立て直すことであると思います。もしも、そのマスメディアを言いように牛耳っているのが、政治家自身と官僚なのであれば、その近視眼的で個人の私利私欲に傾く卑劣と、それによって民主主義の基礎を自ら瓦解させようとしている態度とは、厳しく追及されるべきです。しかし、その追求を誰がするのでしょうか。マスメディアが、民主社会の第3の権力として機能していないことの問題は、ここにあります。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　もしかすると、今の日本は、本当に抜け道を持たない閉塞の中にあるのかもしれません。しかし、エリートの質と民度とを高めるために考えられる唯一の方法は、学校で家庭で、現実の社会で起こっていることを忌憚なく話し合う場を設けることにほかなりません。それは、誰かの意見が、他のものよりも優れているだろう、と識者を探し出すためにではなく、それぞれが、全く平等な立場で、「自分はどう思うか」を考える場を設けるためです。それが作り出せないのであれば、日本の未来はなきに等しいものと思います。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;―――――――&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　戦後日本の最大の失敗は、日本に住むさまざまの層と背景の人々を、彼らの生活条件と未来の幸福を決める政治に、みずから意欲的に参加させることに失敗したことであると思います。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/4889188775624583220-6123141876702926870?l=hollandvannaoko.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://hollandvannaoko.blogspot.com/feeds/6123141876702926870/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=4889188775624583220&amp;postID=6123141876702926870' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/4889188775624583220/posts/default/6123141876702926870'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/4889188775624583220/posts/default/6123141876702926870'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://hollandvannaoko.blogspot.com/2009/03/blog-post.html' title='金融危機緊急経済回復プランの発表をめぐって'/><author><name>リヒテルズ直子</name><uri>http://www.blogger.com/profile/09548745030915743508</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='21' height='32' src='http://3.bp.blogspot.com/-CQvXkgFX0x8/TyFsI_Pc0WI/AAAAAAAADbE/VXgdHo9mUoQ/s220/IMG_4798.JPG'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-4889188775624583220.post-520703868461420480</id><published>2009-02-18T17:17:00.004+09:00</published><updated>2009-03-27T02:33:44.572+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='経済'/><title type='text'>1931年以来の財政赤字と失業率急上昇の予測</title><content type='html'>　昨日2月17日は、オランダ人にとって先行き不安を感じさせる暗いニュースが発表された日でした。&lt;div&gt;　オランダの経済は、昨年9月、国会開会日に行われた予算発表でも、非常に順調、ヨーロッパ域内でも優等生の統計データだったのですが、それが、わずか4カ月の間に、大転換を遂げてしまうことになったのです。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　昨秋のウォール街初の金融危機の直後に起こった銀行金融危機でも、オランダ政府はうまく立ち回り、国民も経済好調が続くことに信頼を寄せていました。しかし、経済指標はそれがどうも保障されない、真っ暗な見通しを示したのでした。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　昨日おこなわれたCPB （オランダ経済政策分析局）の発表によると、2010年の失業率は9％にまで増加、予算赤字は5.5％に及ぶとのことです。この予算赤字率は戦時期を除く平時における過去の統計からして、1931年並み、つまり、前世紀最大の世界大恐慌の直後の時期と同レベルだというのです。国民の大半が、経験もしたことのない最大級の不況が目前に迫っているということで、プライムタイムのニュースに不安を感じたオランダ人は少なくなかったと思います。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　戦後最大の不況だった1983年の失業者数は６０万人でしたが、これは、近く67万5000人にまで増えると予想されており、CPBの所長は、財政危機からの回復は予想よりも長期化しそうで、2010年末までに８０万人に達する可能性があることも否定できない、と言っています。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　これほどの数の失業率が最も直撃するのは、やはり、出稼ぎ労働者として流入してきた移民とその子や孫の世代でしょう。経済のひっ迫は、オランダ人と移民の対立を再燃させるのではないか、と心配されます。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　昨年の予算案の時点では、10％増を見込んでいた企業投資は、今後11-12％減となる見込み。予算赤字5.5％は、政権が示している最大2％ラインも、また、ヨーロッパ連合の協約による3％ラインもはるかに上回っており、わずか半年足らず前に意気揚々と明るい見通しの中で出された予算案は、緊縮のために抜本的な見直しが迫られています。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　2008年の第3四半期の統計によると、オランダの失業率は2.7％で、ヨーロッパ域内では最低でした。同じ時点で、スペインは11.8％、フランス7.7％、ドイツ7.2％、オランダに次ぐ優等生のデンマークですら3.5％だったのです。この当時、オランダの経済成長率は0％でしたが、予算赤字はまだ0.1％とわずかでした。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　短期間の間に、オランダの経済予測をこれほどに変えたのは、世界市場の商取引が激減していることが最大の原因であるとされています。なにしろ、天然ガスを除き、資源のないことでは日本と同じ悩みを抱えるオランダです。ロッテルダム港やスキポール空港を中心に、ヨーロッパの物資集散地として、商業の流通地としての活動に、この経済は多くを依存しています。世界中が金融危機に陥り、投資が減って商取引にブレーキがかかればかかるほど、オランダ経済は、そのあおりを強く受けるのです。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　ただ、こういう暗い見通しの中で、購買力だけは、今年、2.25％増となる見込みなのだそうです。石油価格が下がったことが理由のひとつです。&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;―――――――&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　与野党の政治家らは、「失業率の急上昇」に何よりショックを受けています。国会は緊急討議を行い、政府は予算案の見直しに早速入ることと思われます。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　企業側と労働者の間で、失業対策を巡る議論がすでに始まっています。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　かつて「オランダ病」を、労使歩み寄りの政治、ポルダーモデルで乗り切り、ヨーロッパの中でも経済成長の優等生となったオランダ。しかし、今回は、少し事情が違います。国内市場だけの問題ではなく、オランダの経済を支える世界市場が激しく後退・停滞しているわけですから。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;div&gt;　不況の一時的な緩衝剤として、労働時間の短縮（フルタイムからパートタイムへ）が考慮される気配もありますが、抜本的にどのような方向に動いていくのか、今のところまだ予測が立ちません。&lt;/div&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　組合運動など、社会主義派は、政府に対して「早く景気回復策のために投資せよ」と要求していますが、先の見えない世界経済の動向を前に、ボス財務相（副大臣）は、まだリスクは冒せないと慎重な態度を維持しています。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　この急激な経済悪化は果たしてオランダだけのことなのでしょうか。スペインやフランス、ドイツなど、すでに高い失業率を抱えていた国々は、これからどうなっていくのでしょうか、、、。優等生だったオランダが、１９３１年レベルに後退するということは、ヨーロッパ全域を見ても、世界経済全体を見ても、本当に巨大な不況期が目の前に迫っているのではないのか、と思えます。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　アメリカでは、昨日、このオランダでの暗いニュースが流れた後、成立した景気対策法に準じ、オバマ大統領が、ジャーナリストらの見守る中で笑顔で署名をし、３５０万人の新規雇用を実現すると発表しました。IMFによる世界不況回復の見通しも、いくらか楽観的なようです。これらの動きとその効果、それに対応してオランダの経済がどのように動いていくのか、しばらく、目が離せない感じです。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/4889188775624583220-520703868461420480?l=hollandvannaoko.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://hollandvannaoko.blogspot.com/feeds/520703868461420480/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=4889188775624583220&amp;postID=520703868461420480' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/4889188775624583220/posts/default/520703868461420480'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/4889188775624583220/posts/default/520703868461420480'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://hollandvannaoko.blogspot.com/2009/02/1931.html' title='1931年以来の財政赤字と失業率急上昇の予測'/><author><name>リヒテルズ直子</name><uri>http://www.blogger.com/profile/09548745030915743508</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='21' height='32' src='http://3.bp.blogspot.com/-CQvXkgFX0x8/TyFsI_Pc0WI/AAAAAAAADbE/VXgdHo9mUoQ/s220/IMG_4798.JPG'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-4889188775624583220.post-2124114189849854294</id><published>2009-02-01T21:41:00.004+09:00</published><updated>2009-02-09T16:34:45.055+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='人権問題'/><title type='text'>ローマ法王によるホロコースト否定の英国人司教破門撤回に対するオランダの反響</title><content type='html'>　ローマ法王べネディクトゥス16世は、1月24日、1988年にカトリック教会から破門されていた4人の司教の破門を撤回した旨を発表しました。その中の一人、英国人司教リチャード・ウィリアムソンが、スウェーデンのテレビで、第2次世界大戦中のナチスによるユダヤ人大虐殺を否定する発言をしていたため、欧州一円、ユダヤ人問題や人権問題をめぐって、破門を撤回したローマ法王を批判する声が強まっています。&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　オランダは、戦時中、多くのユダヤ人が強制収容所に連行されたことで有名。今でも、ユダヤ人たちは、人権問題に積極的に声をあげますし、彼らの声が、この国の戦後の人権議論を率いてきた、といっても過言ではないと思います。同時に、それは、戦争中、１０万人にも及ぶユダヤ人被害者を生んだオランダという国の恥の意識のもつながっており、ユダヤ人たちだけではなく、オランダ人の国民的態度として、「人権問題」は敏感に態度を明らかにするもの、という意識もあります。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　ローマ法王から破門を撤回されたリチャード・ウィリアムソンという司教は、&lt;/div&gt;&lt;div&gt;「私はガス室はなかったと信じている、、、２０万人から３０万人ほどのユダヤ人がナチスの強制収容所でなくなったとは思っているが、、、そのうちのだれ一人としてガス室でなくなったものはいない」&lt;/div&gt;&lt;div&gt;と発言しているのです。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　ホロコーストでは、およそ６００万人のユダヤ人が殺害されたというのが定説です。最もよく知られたアウシュビッツの強制収容所だけでも、１３０万人のユダヤ人が、それも大半はガス室で殺害されているのです。そうした事実を証明するさまざまのデータは、戦後、生き延びたユダヤ人たちが、何年もの年月をかけ、調査し、集めてきています。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　しかも、この発言は、もともとドイツで収録されていた録画にあったもので、そういう発言をドイツで行っていたこと、また、それをスウェーデンのテレビが放映したことなどについても、さまざまの抗議が起こっています。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　オランダでは、２９日、野党社会党（SP）と与党キリスト教連合（CU)が、フェルハーヘン外相に対して、ヴァチカン市国の大使を召還して、この、ウィリアムソン司教の破門撤回について事情説明を要求すべき、という立場を示しました。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　キリスト教連合とともに与党を構成している「キリスト教民主連盟（CDA）」と「労働党（PvdA）」は、これに対し、この１件で外務大臣が何らかの関与をすることには賛成していませんが、CDAは、オランダ司教会議が、ウィリアムソンを否定する態度をとっていることで十分とし、PvdAは、司教の破門撤回については驚きの態度をとるものの、教会内部の問題に対して、オランダが政府として関与すべき事態ではないとの態度をとっています。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　そんな中で３０日、ネイメーヘンのラッドバウト大学のカトリック神学部に籍を置く倫理学者ジャン・ピエール・ウィルス教授が、カトリック教会から縁を切り、カトリック神学部の教授活動を停止すると書状で宣言するというニュースが伝わりました。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;「わたしは、もうこれ以上、反近代的で、反多元主義的な教会と関係も持ち続けたくない」&lt;/div&gt;&lt;div&gt;と言う、この教授の言葉には、潔さと、人としての憤りとを感じます。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;今後彼の決断が、オランダのカトリック教会内部でどんな波紋を呼ぶか、興味があるところです。&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/4889188775624583220-2124114189849854294?l=hollandvannaoko.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://hollandvannaoko.blogspot.com/feeds/2124114189849854294/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=4889188775624583220&amp;postID=2124114189849854294' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/4889188775624583220/posts/default/2124114189849854294'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/4889188775624583220/posts/default/2124114189849854294'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://hollandvannaoko.blogspot.com/2009/02/blog-post.html' title='ローマ法王によるホロコースト否定の英国人司教破門撤回に対するオランダの反響'/><author><name>リヒテルズ直子</name><uri>http://www.blogger.com/profile/09548745030915743508</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='21' height='32' src='http://3.bp.blogspot.com/-CQvXkgFX0x8/TyFsI_Pc0WI/AAAAAAAADbE/VXgdHo9mUoQ/s220/IMG_4798.JPG'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-4889188775624583220.post-6566141612278026191</id><published>2009-01-21T18:41:00.003+09:00</published><updated>2009-01-21T19:40:33.229+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='教育'/><title type='text'>国際化時代の大学教育</title><content type='html'>　お正月が明けて以来、忙しくて寝る暇もないと言っていた息子が、やっと数日前顔を見せに来ました。建築科の修士2年生ですが、半年かかってやる設計制作の発表の日が迫っていたというわけです。計画性のない息子らしい、と夫とぶつぶつぼやいていました。&lt;div&gt;　いつも散らかっぱなしの学生アパートに共同研究チームの他の二人の学生がやってきて、2週間ほ夜も昼もない日々だったといいます。とにかく、その発表も終わり、まずまずの成績だったようで、「終わりよければすべてよし」のような気分に親の方もならされたわけではありますが、、、&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;div&gt;　公共建造物をテーマにしたこのグループは、全員で30人ほどのグループで、およそ4割は外国からの留学生だったそうです。今回のテーマは、まず、全員で、モロッコのカサブランカに飛び、都心のスペースに博物館を建造するという想定で現地調査をすることから始まっています。一緒に旅をし、ディスカッションをし、と、なかなか連帯感のあるいいグループで、楽しかったと言っていました。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　意外に知られていませんが、オランダの大学では、工学部のように学生の規模が大きく留学生の数が多い学科は、学士課程では留学生だけを集めて、また、修士課程では、オランダの学生も一緒に授業は英語だけで行われています。まあ、中には、オランダ語なまりの教授もいると時々笑ってはいますが、そういう自分も、また、ほとんどの学生は、それなりに、母語の影響が多かれ少なかれある英語でしょう。でも、共通語として受け入れているということなのでしょう。当然、学生たちに課される課題の報告書も、プレゼンテーションなど口頭での発表も、全部英語です。どこの大学にも、オランダ語の研修のほか英語研修を受けられる施設を持っています。また、英語で論文を書く訓練もしてくれる短期コースなどもあります。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　息子のアパートに毎日毎夜とやってきて一緒に作業した二人の仲間は、オランダ人とタイ人。タイ人の学生は、国費留学生であるらしく、これまでに何箇所かの建築事務所でインターンもしたことのある優秀な学生だったようです。息子は、仲間の学生の性格が、研究の進め方にも現れていて面白がっていました。&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　「オランダ人の学生たちは、どっちかというと仕事に波がある子が多い。気分が乗ってくるとどんどんやるが、乗らないとなかなか進まない、、、でも、タイ人のT君は、いつも淡々と仕事をするんだ。ものはあまりしゃべらないが、どこかでいつも同じテンポで安定して仕事をしている、、、」と。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;「でもね、ほかのグループでは、オランダ人二人と中国人が組んでいて、中国人はあまりしゃべらないからだんだんに無視されていった感じだったよ。最後の発表でも一緒には並んでいたけどあまりしゃべらなかったな。しゃべらないからって考えていないわけじゃあないんだし、アジアの学生には、時々、発言のチャンスを仕向けてやらなくちゃいけないんだけどね、そうすれば、いいアイデアとか意見とか持っているんだよ。T君だって、ちょっとこちらから働きかけると、話をするし、アイデアを提供してくれるし、、、オランダ人にはそういうことがわからないんだな」&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　どうやら、日本人の母親を持って育った息子は、アジア人というのが、黙っているからと言ってモノを考えていないわけではない、ということは分かってくれていたようです、、、、&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　そういう息子に、&lt;/div&gt;&lt;div&gt;「でもね、留学するっていうのは、そういうことをまさに学ぶっていうことじゃあないのかな。中国人だって、タイ人だって、やっぱり、この国の人たちの中では、こういう風にやるのが共同の仕事なんだ、というのを学ぶ、そして、やっぱり、黙ってばかりいないで自分の方から口を切っていく努力も必要だと思うわよ」&lt;/div&gt;&lt;div&gt;なんて、物知り顔のことを言ってみたりしたのでした。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　30人のグループの中には、イタリア、ルーマニア、台湾、スウェーデン、ポーランドなどなど、いろいろな国からの学生がいます。何かの折に集まれば、イタリア人の学生がスパゲッティを御馳走してくれたり、、、そうそう、このイタリア人の学生は、アメリカ製のセサミストリートに出てくるキャラクターに似ていてあだ名が付いているのだとか、、、言葉の違ういろんな国の子たちとはいえ、子供時代に見た番組が同じだったというのも面白いです。子どもの時からアメリカ文化にまみれて育った、そういう時代の子供たちなのだな、と思います。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;―――&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　医学部3年生の娘の方も、国際化時代を生きている、という感じがします。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　2年生の時には、彼女の大学が交換制度を作っているスウェーデンとドイツの大学の学生が10人余り半年間授業を一緒に受けました。それぞれの大学と、単位互換制度を作っていて、一定期間、同じ内容の授業を、相手方の大学で受けられるような仕組みを作っているのです。この機関は、これらわずかの留学生のために、授業もゼミも実習も試験もみな英語で行われるのだそうです。これなどまさに、国際化の意味を考えさせるものです。授業そのものが目的というよりも、国際交流の体験を学生のうちにしておくことの意味があるのでしょう。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　なんでも、本年度から、スウェーデンの大学との互換制度は中止になったのだとか、、、理由は、単位互換するのに授業の程度が違いすぎるということだったのだそうで。「ほんとうに、うちの大学、古いから有名だとふんぞり返っているのよ、偉そうなことばかり言って、、、目を覚ませって言ってやらなくちゃ」とかなんとか、学生らしい不服を言っているのは娘たちです。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　互換制度は、お互いの大学の質をフィードバックする役にも立っているということでしょう。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　オランダには、医学部のある大学が、8か所くらいありますが、それぞれ、別のカリキュラムを作り、特徴を出して競い合っています。1年生から病院実習をやる大学もあれば、娘が言っている大学のように、4年生になってはじめて病院実習をやる大学もあります。理論と実践を同時進行でやるか、理論を確実に積んだ上で実践に入るか、という考え方の違いであろう、と思います。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　いずれにしても、この病院実習の期間になると、学生たちは、国内の病院だけではなく、外国の病院にも積極的に出かけていきます。かつてオランダの植民地だった南アメリカのスリナムやアフリカの国々は、外国に関心のある学生に人気のようです。もちろん、ヨーロッパ国内の病院に掛け合って、実習をやらせてもらえるように交渉してくる学生もいます。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　当然、交渉は大学の学生課や国際交流課に相談するなり、学生が自分でやらなくてはいけません。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　ヨーロッパ国内の大学を通じて実習をすれば、単位も認められるし、エラスムス奨学金という、ヨーロッパ域内の留学振興のために設けられた奨学金を受けることもできます。この奨学金制度は、ヨーロッパの学生たちによく利用されているもので、半年-1年程度の短期留学に使える便利なものです。自分の専門として入る学科で、特徴のある研究をしている大学に短期に留学してみる、というのに便利ですし、学科ごとに、この奨学金が使えるいろいろな大学間交流プログラムを作っているようです。オランダの場合、自国の大学に行く時にもらえる奨学金は、そのまま、欧州連合内の国の大学でも使えるので、隣国への留学が大変しやすい仕組みになっています。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　そのほかに、専門学科ごとに、学生たちが運営している国際交流振興会のようなものもあり、外国の大学の学科と提携して、研修や留学を希望している学生たちの便宜を図っています。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　そういうわけで、娘は、今年の夏、友人と二人で、医学部の国際交流振興会の事業としてやっているマラウィの病院研修に出かけることになっています。エイズやマラリア、その他の熱帯病が多いマラウィの病院で、他国たらの学生に交じって、医療チームの手伝いをしながら、病院実習を6週間やるのだそうです。今年の9月に始まる来年度、理論の履修が終わり1年半の病院実習が始まると、パリの大学病院に行きたいと、今、方々から情報を集めながら画策中です。医療単語を全部フランス語で覚え直さなければならない、とぶつぶつ言っていますが、パリ好きの彼女は、そっちの方が目的で何とかしたいと思っているみたいです。うまくいけばいいが、と思っています。&lt;/div&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/4889188775624583220-6566141612278026191?l=hollandvannaoko.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://hollandvannaoko.blogspot.com/feeds/6566141612278026191/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=4889188775624583220&amp;postID=6566141612278026191' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/4889188775624583220/posts/default/6566141612278026191'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/4889188775624583220/posts/default/6566141612278026191'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://hollandvannaoko.blogspot.com/2009/01/blog-post.html' title='国際化時代の大学教育'/><author><name>リヒテルズ直子</name><uri>http://www.blogger.com/profile/09548745030915743508</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='21' height='32' src='http://3.bp.blogspot.com/-CQvXkgFX0x8/TyFsI_Pc0WI/AAAAAAAADbE/VXgdHo9mUoQ/s220/IMG_4798.JPG'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-4889188775624583220.post-5153711665161701308</id><published>2008-12-14T22:06:00.006+09:00</published><updated>2008-12-15T04:48:22.143+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='ジャーナリズム'/><title type='text'>新聞業界に国からの補助</title><content type='html'>　紙に活字印刷のメディア業界は世界中どこも生存競争に苦しんでいます。インターネットによる安価なデジタル・メディアが氾濫し、読者離れが急速に進んでいるからでしょう。ただ、熟練したジャーナリストによる公正な情報収集と伝達の技術は、アナログの財産ですし、優秀な人材なしで生まれるものではありません。受け取る情報には、そういう人たちの足と目と耳と頭脳と手による技が生きているはずです。 そこには時間も金もかかるというわけです。長年の経験は、特にそうです。また、そういう人材ができるだけたくさんいなければ、情報が偏ってしまう危険もあります。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　オランダでも、ここ数年新聞業界は購読者の減少に対して、あの手この手で対策を考えてきたようです。これまでの大型紙面の新聞だけではなく、若い人たちが手に取りやすい、タブロイド版のダイジェスト・ニュース誌を出したり、歴史や文化をテーマに、ＤＶＤシリーズ、リスニング講義シリーズ、を出版したりしています。当然、インターネット上でのデジタルニュースも作っていますが、こちらも、ほとんど収益がないらしく、どの会社も、当日のニュース以外は、購読者のみ専用のパスワードを使って過去の記事にアクセスできる仕組みにしています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　そんなわけで、ここのところ、しばらく、新聞業界と第二院（衆議院）とから、メディア政策が十分でない、という批判を受けていたプラステルク教育文化科学大臣は、このほど、新聞業界に対して、公共放送の広告収入の一部を新聞業界の改革資金として提供することを決めました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　オランダの国営放送の番組が、会員制のＮＰＯ放送団体によって作られることは、「オランダ通信」でも、また、最近の著書（「残業ゼロ授業料ゼロで豊かなオランダ」光文社）の中でも述べています。国は、ＳＴＥＲという広告収入促進団体を別に設けており、国庫資金と合わせ、こうして集めた広告収入をいったんプールし、この資金をもとにして、各ＮＰＯ放送団体には、会員数によって時間帯を配分して、公共メディアの使用を許可し、番組を作成させるという仕組みになっています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　元来、ＳＴＥＲの広告収入は、テレビ・ラジオのためのものですが、「メディア法」によると、収入のうち最大4％までは、公共放送以外の目的に支出してよいことになっているとか。&lt;br /&gt;　今回プラステルク教育文化科学相が決めたのは、この4％枠をほぼ最大限に使って、つまり、年間、およそ2億ユーロのＳＴＥＲの収入のうち、ちょうど4％に当たる800万ユーロを、新聞業界再編のために拠出することにしました。800万ユーロといえばおよそ9億6千万円。オランダの人口は日本の人口の約8分の1ですから、日本の感覚に直せば、ほぼ75億円ほどが、新聞業界再編のために提供される、というような感じでしょうか。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　具体的には、これまでほどんと収益がない状態だったインターネット上のデジタル・ジャーナリズムに対してこの基金が使われることになるだろう、との予想です。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　いずれにしても、日本の場合、健全なジャーナリズムを支えるための、何らかの公的な仕組みはあるのでしょうか？&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　もちろんこの「健全」というのが曲者で、、、。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　たとえば、日本の場合、テレビならば「ＮＨＫ］が健全、学校教育ならば「検定教科書の内容」が健全、という、あまり根拠のない「健全」がまかり通っています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　しかし、本来、ジャーナリズムとは、国民の声を、それなりの比率で、つまり、多数派には多数派なりの、また、少数派には少数派なりの、広報の機会を与えるものであって初めて「健全」であるはずです。わかりやすくいえば、多数派・体制派・（今だけの）権力者だけがメガホンを持って大声を張り上げることができる状態を続けていくと、1．少数者の、ひょっとすると多くの人が気づかない優れた視点や貴重な考えが見過ごされる、2．多数派・体制派の考えを批判する声が抑えられると、本来もともともっと発展し洗練される可能性があった政策や考えもよりよく練磨される機会がなくなリ稚拙で耐性の小さい政策に終わる、3．ひいては普通ヨーロッパや世界を舞台にして行われる「議論」の文化からさらに一層遠のいてしまい、批判や議論を発展的生産的に受け止め、＜みんなで社会をよくしていこう＞という文化が育たない、4．そのために世界の議論についていけない状態が続きさらにどんどん悪化していく、5．結果、どうせ何を言っても自分なんか仲間に入れてもらえない、という投げやりの大衆ばかりになり、社会のために貢献しようという人々が著しく少なくなってしまうし、ちょっと論の立つ指導者が出てくると「丸投げ」状態で追随してしまう大衆行動になりがち、という結果が起こってしまうのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　どうも、今の日本の新聞業界は、そういう傾向が著しいように感じます。国際社会で対等に議論のできる一般市民が少なかったり、ちょっと見た目にかっこよいスターやきれいな女性キャスターの人気が出たりするところに、こういう「健全な」ジャーナリズム不在の状況は如実に表れているという気がします。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　日本でも、新聞の記事構成民放の番組作りには、一般の読者・視聴者がほとんど気づかないところで、スポンサーの影響が大きく反映していると思います。 新聞社が、読者の活字離れで苦しんでいるのはわかるのですが、、、 こんなことを続けていると、自らの存在価値すら認められないようなことになるのでは、と他人事ながら心配です。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　それでもどうにかして、声なき声を伝え、力も金もない人々にメガホンを渡すにはどうすればいいのか。そこにこそ「公」の役割があるはずです。税金が、そういうことのためにどう使われているのか、、、&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　日本でも、社会貢献意識の高いスポンサーが集まって、ＮＰＯ放送団体に、会員数に応じて番組制作をやらせるような民放チャンネルを作ってみたらどうでしょう？　カネは出すが口は出さない、という、、、。インパクトは強いだろうな、と思うし、「民主制」をしっかり主張できれば、スポンサーの評価も跳ね上がるのでは、などと思うのですが、、、&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/4889188775624583220-5153711665161701308?l=hollandvannaoko.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://hollandvannaoko.blogspot.com/feeds/5153711665161701308/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=4889188775624583220&amp;postID=5153711665161701308' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/4889188775624583220/posts/default/5153711665161701308'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/4889188775624583220/posts/default/5153711665161701308'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://hollandvannaoko.blogspot.com/2008/12/blog-post_14.html' title='新聞業界に国からの補助'/><author><name>リヒテルズ直子</name><uri>http://www.blogger.com/profile/09548745030915743508</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='21' height='32' src='http://3.bp.blogspot.com/-CQvXkgFX0x8/TyFsI_Pc0WI/AAAAAAAADbE/VXgdHo9mUoQ/s220/IMG_4798.JPG'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-4889188775624583220.post-2342321614744539786</id><published>2008-12-14T22:05:00.005+09:00</published><updated>2008-12-15T06:58:52.250+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='教育'/><title type='text'>学力テストの罪</title><content type='html'>　オランダでは、小学校の最終学年（第8グループ＝日本の小学6年生に相当）で、ＣＩＴＯtoets(シト・トゥーツ）という共通学力テストが実施されます。&lt;br /&gt;　このほど、このＣＩＴＯtoetsを巡って、興味深い動きがあります。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　元来、オランダでは、小学校を終えて中等一貫校に進む際に、子供たちは、およその進学コースを決めなくてはなりません。なぜなら、中等一貫校と言っても、3年目あたりから、大学進学コース（ＶＷＯ）、高等専門学校進学コース（ＨＡＶＯ）、職業訓練コース（ＶＭＢＯ）とに枝分かれしていき、その直前の段階として、中等一貫校の最初の2年間は、あきらかに、ＶＷＯ，ＨＡＶＯ，ＶＭＢＯと分かっているか、あるいは、隣接するコースの両方にまたがるブリッジコースに入るか、少なくとも、およその進学コースが分かっていなくてはならないからです（このあたりについては、平凡社「オランダの教育」に詳しく説明していますので、興味のある方はそちらをご覧ください）。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　さて、そこで、小学校の最終学年（学年は9月から7月まで）になると、ほぼ3月ごろに、親は、子供の意思を汲みながら、小学校の先生と懇談して、自分が選択する中等学校のどのコースに入るかを決め、入学希望の届けを出すことになります。これは、かなり時間のかかるプロセスです。なぜなら、入学試験に基づいた点数制ではないからです。原則としては、あくまでも、小学校でのその子供の発達の経過を観察してきた小学校の教員が、最も適切なレベルを助言することができる、と考えられており、さらに、子どもの権利を代弁する親の意思がもっとも尊重されなくてはならないことになっているからです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　当然、どこの国の親も人間、自分の子供は「すぐれている」と思いたいものですし、時には、過剰な期待もかけてしまうものです。そうなると、親の希望と小学校の先生の観察結果とがかみ合わないことなども出てきます。しかし、小学校の先生は、地域の中学校の生徒指導の先生と密に連絡をしています。ある学校が、連年無責任にそのコースにふさわしくない子供を無理にして入学させたりすると、専門家としての質を疑われるということになります。そういうことがもし起これば、中学校の生徒指導の先生が、おそらく、小学校の校長先生におとがめ・苦情の達しを送ってくることでしょう。ですから、結局のところ、小学校の最終学年の担任の先生は、自分自身の観察をもとに、親をどのように説得できるか、という力が求められることになりますし、普通は、どの学校でもベテランの先生をその役割のために配置しています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　もっとも、親が頑として聞かない場合には、中学校もとりあえず親の希望をかなえてやります。そのうち、子ども自身が、中学校のテストで欠点ばかり取るようになれば、「落第」あるいは、下のレベルに移動、という形が考えられるからです。こういうことが起これば、本来は、子どもにとって最善とは言えません。親が無理にレベルの高い所に入れたばかりに、子供には負担となり、かえって劣等感を抱く人間になったり、非行に走ったりしてしまうかもしれません。 不登校の可能性も起きてくるでしょう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　そんなことも一切含めて、小学校の先生は、一人ひとりの子どもにとって最適なレベルを見極めて親に対してアドバイスをし、「無理をして上のコースに入れても、ＯＯ君には不幸な結果になるのではないですか」てなことを言って親を説得する役割を受け持つのです。あくまで、子どもにとって最もふさわしい選択をさせるためです。（日本では、医師や会社の重役など社会的に地位が高かったり学歴が高い父親の態度や教育ママの態度が子供の精神的な負担になってのしかかり、それがもとで子供が親を殺すケースまで出てきていますが、そういうことがオランダで起きないのは、小学校の先生との懇談で、そういう部分にまで踏み込んで、先生が「子どもの立場を考慮して」アドバイスしてくれるのが一般的だからです）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　さて、前置きが長くなりましたが、そういう原則があるとは言いながら、この10年ほどの間、ＣＩＴＯtoetsの点数が、必要以上に重視される傾向が強まってきていました。大きな流れとしては、やはり、この同じ時期、グロバリゼーションと新自由主義の強まりという潮流の中で、知識偏重傾向がオランダといえども強まっていたということが一つの理由です。元来、ＣＩＴＯtoetsは、義務ではないのでやらなくてもいいのですが、その半面、子供の発達を客観的に示さなくてはならない、という原則があり、学校側としては、つい簡単にできてしまうＣＩＴＯtoetsに走る傾向があったのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　私が想像するに、新米の先生とか、あまり、親とのコミュニケーション能力がない先生にとっては、ＣＩＴＯtoetsを受けさせて、きれいに印刷されたグラフか何かで、「あなたの位置は全国的に見てどの程度」なんて結果が出ると、中学進学のコース決定を説得するのにはずいぶん楽だったのだろうな、と思います。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　そこで、これまでは、およそ、2月の初めごろにCITOtoetsが実施され、その結果を待って、教員と親の懇談会が行われ、それに基づいて、3月に中学校への入学登録をする、というのが、一般的な手順でした。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　その結果どうなったかというと、学力重視傾向が近年若干ぶり戻してきた中で、特に都市部の中学校で、コースごとにＣＩＴＯの最低点を入学の条件として出すところが出始めてきたのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　こうなると一番不幸なのは子供たちです。たった一回限りのテストでちょっとでも点数が悪いと、希望の学校や進学コースにに行けないかもしれないのです。&lt;br /&gt;　とくに、言語能力に遅れのある子供たちには不当なハンディキャップとなります。認知的な能力がすぐれていても、たまたま言語能力が遅れているために、テストで力を発揮できないということがあるのです。言語の方は、2，3年もすれば追いついてくる。でも、その時には、もう決まったコースに入っていて取り返すのは大変、というようなケースがあるからです。&lt;br /&gt;　また、オランダ人の子供であっても、体調が悪かったとか、家庭の事情で精神的に不安定であったとか、様々の理由で、学力試験で力を発揮できないこともあります。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　そういうわけで、このＣＩＴＯtoetsに関しては、親からも、また、小学校の先生からも、あまり好意的には受け止められていませんでした。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　さらに、もう一つついでにいえば、ＣＩＴＯtoetsが2月に終わって3月に中学進学コースを決めてしまうと、もう、子どもたちに学習意欲がなくなってしまい、小学校の先生の方も、力が抜けてしまう傾向もありました。結局、最後の3か月ほどは、キャンプだとか、フランス語初歩コースだとか、ダンス教室だとか、どうでもよい行事ばかりが続く、、、&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　まあ、そういうようなＣＩＴOtoetsをめぐるさまざまの事情を背景に、先週、「初等教育諮問委員会」という組織（代表は2年前まで教育監督局の局長だったコルヴェゼー女史）が、初等教育行政の代表責任者であるシャロン・デイクスマ教育文化科学省国務次官に対して、ＣＩＴOtoetsの実施時期を、現行の2月から6月に遅らせるべきである、という諮問を出すことを明らかにしました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　そして、デイクスマ国務次官は、これに対して、すぐに、この諮問を支持する方向で検討したい、という意思をプライムタイムのニュースの中で明らかにしています。諮問支持の理由は、そうすることによって、子供たちの進学コース決定にＣＩＴOtoetsという学力テストの結果が著しく大きな影響を与えることが無くなり、子供のストレスを軽減できること、また、この学力テストを学年末まで遅らせることによって、読みや算数の勉強を最後までしっかり続け、これまでのように、CITO toets以後の意欲の低下を防止できるから、というものです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　この動きに対しては、早速、「全国保護者会」が、歓迎の意思表示をしました。「全国保護者会」の立場は、あくまでも、ＣＩＴＯtoets全面廃止です。保護者たちは、最終学年に1度だけ、テストの瞬間だけの学力を測って、子供たちの一生を決める進学コースの決定のための材料にすることに、反対しているのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　実際、現行の法律では、初等教育の期間、学校は、子供一人ひとりの発達経過を定期的に、客観的で信頼性のある方法によってモニターしなければならないと義務付けられています。実際、多くの学校は、CITOtoetsをつくっているCITOという組織が別に作っている「習熟度モニターテスト」を導入しており、それをもとに、子供たち一人一人の発達をモニターし記録しています。当然、そのほかに、子供たちの心理テスト、行動問題、学習障害などについての先生の観察や指導の経過や効果、学内・学外機関による専門的なサポートなどなどについても記録されます（当然これらの記録は、プライバシー保護のため、その子供の親にしか公表されません）。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　これだけの記録を取り、毎日子供の指導に当たっている先生が、その子供にとって最もふさわしい進路を知っているはずだ、という信頼、あるいは、期待があるのです。少なくとも、親たちも、一度限りのテストの点数ではなく、そういう長期的に発達を観察してきた教員のアドバイスのほうを尊重するということです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ーーーー&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　学力テストを巡る専門家のアドバイス、担当行政官の対応、また、保護者の反応を見ていると、この国では、本当に、大人たちみんなが一緒になって「子どものためには何が最善か」という柱に沿って議論がなされていることがわかります。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　なぜ、それを安心してできるのでしょう？&lt;br /&gt;　なぜ、「国のため」「社会のため」「経済発展のため」と言わず、「子どものため」と言っていられるのでしょう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　それは、「子どものため」に、つまり、将来この国の社会を支えていく「小さな市民たち」にとって最善の道を選んでおくことが、やがて、その子供たちがこの社会を担っていく時に、最も安定した、最も希望のある社会を作る基礎になるという信頼を大人たちが皆持っているからです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　結局のところ、（競争に、学力テストに）勝ったからエリートになり指導者になって、負けたから、「仕方なく」職業教育に行く、落ちこぼれても誰も気にも留めてくれない、という新世代を作っていると、しっぺ返しは、いずれそうやって作った社会そのものに戻ってくるのです。（そのいい例が今の日本です。若い人たちがみんな社会に背を向けている、、、不登校・自殺・殺人、そして、少しできる子供たちすら、政治には関心なく、運さえよければ海外に出ていってやるぞ、と思っている。こんな国では子供など育てられないと女性たちは子供を産むことさえやめてしまっています。）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　たった一度の試験の日、親が離婚騒動で落ち着いて勉強もできなかった子はどうでしょうか？　たった一度の試験の日が、オランダに来てまだ1年にも経たない移民の子にはどんなに大きな苦痛でしょう？　これらの子供たちは、もしも、この日のテストで一生を左右する進路を決められていたら、後でいったい誰にその不満を投げつければよいでしょうか？　不満を解消して、その国の社会に貢献しようという気持ちになるまでに、どれだけの回り道や努力やエネルギーが必要でしょうか？そういう回り道を踏む間に、いったいどんな性格が形成されるでしょう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　未来の世代を築くには、この、大人たちによる、愛情のこもった、しかし、どの子に対しても公平で、人間的なガイダンスが必要なのです。 （自分の子さえよければよい、他人の子どもなど蹴落とせ、などという調子で子供を育てていれば、いずれ、その子供は、同世代の誰とも社会関係を結べずに、さびしい孤独の人生を送らなくてはならなくなるのです。）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　日本という国には、いまだに、先進国の中では例外的な「入試」があります。これほど非人間的で不公平で、機械で製品を振り分けるような無味乾燥な制度はありません。そして、これがあるために、子どもと子どもの間に、不必要な競争が生まれ、子供ばかりでなく、親たちの間にも協力的になれない雰囲気が生まれ、さらには、学校ごとの学力競争のために、教員たちは疲弊してしまっています。疲弊した教員には教育の専門家としての誇りを持つ余裕はなく、不安な親たちもそういう教員たちを信頼することができなくなっています。目の前に、まだ、若芽のように柔らかく温かい素直な心の子供たちが成長しているというのに、大人たちの方が温かい友好的な関係を築いて子どもの成長を見守ってやることができずにいます。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　一体、日本は、これからまだ何年、こんな非生産的で不幸な未来作りを続けていくのでしょうか。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/4889188775624583220-2342321614744539786?l=hollandvannaoko.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://hollandvannaoko.blogspot.com/feeds/2342321614744539786/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=4889188775624583220&amp;postID=2342321614744539786' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/4889188775624583220/posts/default/2342321614744539786'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/4889188775624583220/posts/default/2342321614744539786'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://hollandvannaoko.blogspot.com/2008/12/blog-post_2827.html' title='学力テストの罪'/><author><name>リヒテルズ直子</name><uri>http://www.blogger.com/profile/09548745030915743508</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='21' height='32' src='http://3.bp.blogspot.com/-CQvXkgFX0x8/TyFsI_Pc0WI/AAAAAAAADbE/VXgdHo9mUoQ/s220/IMG_4798.JPG'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-4889188775624583220.post-8900172531429102369</id><published>2008-12-09T22:08:00.003+09:00</published><updated>2008-12-09T22:26:21.297+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='教育'/><title type='text'>医学部の質の維持</title><content type='html'>　前の記事で、オランダの大学が直面している、質の維持という課題について少し触れました。&lt;br /&gt;　今回は、その一つの例として、医学部の例を挙げてみます。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　一方では学部の特徴を出さなくてはならない、他方では、スタンダードの質を維持しなければならない、という要請の中で、オランダの大学は、医学教育をどう進めているのでしょうか。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　オランダには、フロニンゲン、ネイメーヘン、マーストリヒト、ユトレヒト、アムステルダム、アムステルダム自由大、ライデン、ロッテルダムの大学に医学部があります。そして、それぞれ、教育プログラムにはかなり大きな差異がみられます。マーストリヒト大学は、1年生の時から、小グループでの事例ディスカッションと事例研究をもとにした「問題解決型学習」を看板にしています。ライデンは、その正反対で、はじめの4年間は、みっちり基礎理論を詰め込むやり方です。ユトレヒトでは、ちょうどその中間ですが、病院実習は1年生からすでに始まります。アムステルダムやロッテルダムでも、ライデンに比べると病院実習が早く始まるようです。大きくいえば、理論＞実践、なのか、実践＞理論なのか、という点で、教育者たちの考え方・立場の違いがあるようです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　これだけ教育プログラムの異なる医学部ですが、全国の医師養成としての質を一定水準に保つために、どの大学も共通に学生たちに「進度テスト」を実施しています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「進度テスト」は、1年生から6年生まで、すなわち、国家試験を受ける前の医学部の学生全員を対象にして、共通のテストを半年ごとに受けさせるものです。半年ごとに、もちろん、質問は毎回異なるテストが作られますが、すべての分野を網羅してそれぞれの学生が到達した知識を確かめるためのものです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　ですから、1年生で初めてこのテストを受けるときには、10％も理解できない、という状況になります。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　このテストを半年ごとに受けることで、学生は、自分の知識がどのように増えていっているかを確かめることができます。テストの結果は、前回までのテスト結果と合わせて通知されますから、進度がわかるのです。&lt;br /&gt;　このテストを受け続けることで、国家試験までの準備をするときの、重点の置き方についての材料にもなるでしょう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　他方、大学側は、データを集めることで、自分の大学の学生が、どのような分野でどのように進度を挙げているかを確かめることができます。他大学との比較も可能でしょう。&lt;br /&gt;　つまり、このような共通の尺度を持っていることによって、自分の大学の独自の教育プログラムの利点と欠点を発見でき、修正しながら教育活動が行えるという仕組みです。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/4889188775624583220-8900172531429102369?l=hollandvannaoko.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://hollandvannaoko.blogspot.com/feeds/8900172531429102369/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=4889188775624583220&amp;postID=8900172531429102369' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/4889188775624583220/posts/default/8900172531429102369'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/4889188775624583220/posts/default/8900172531429102369'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://hollandvannaoko.blogspot.com/2008/12/blog-post_6328.html' title='医学部の質の維持'/><author><name>リヒテルズ直子</name><uri>http://www.blogger.com/profile/09548745030915743508</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='21' height='32' src='http://3.bp.blogspot.com/-CQvXkgFX0x8/TyFsI_Pc0WI/AAAAAAAADbE/VXgdHo9mUoQ/s220/IMG_4798.JPG'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-4889188775624583220.post-4246577249936030662</id><published>2008-12-09T21:45:00.003+09:00</published><updated>2008-12-09T22:08:52.326+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='教育'/><title type='text'>大学教育の自由と質の維持</title><content type='html'>　オランダの小中学校は、「教育の自由」のために、公私立すべて国から平等の教育補助金を受け、しかも、学校ごとに、独自の理念と方法で教育活動を展開している、ということは、これまでに、「通信」のエッセイでも、また、刊行された単行本の中でも繰り返し書いてきました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　ところで、オランダでは大学でも当然ながらこの「教育の自由」があり、したがって、国内の大学は、それぞれ、独自の理念や方法に基づいて教育プランを立てています。まあ、それは、日本の大学でもこれまでそうだったし、法人化され自由化されたことによって、日本の大学は、さらに、独自の特徴を出していかなくてはならないくなってきていると思います。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　ただ、問題は「教育の自由」を認めた場合の質の維持をどうするかです。&lt;br /&gt;　これは、小中高校の場合には、オランダでは、「教育監督法」に明確にあらわされた基準があり、それに基づいて「教育監督局」が文書と定期的な訪問によって評価をし、問題がある場合には、すぐに、地域の教育サポート機関から支援を受けることができる仕組みになっています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　大学は、ただし、なかなか、そういうわけにはいきません。学問の自由が保障されていますし、教授たちの権限が大きいことは日本ともある程度似ているかもしれません。&lt;br /&gt;　そこで、大学の質の維持に最も大きい影響を与えるのは、言うまでもないことですが、大学生自身による評価です。毎年ランキングが出されます。ランキングには、大学に勤務する研究者自身の評価に基づいたものもあります。また、論文数などによって研究内容のレベルを示すものもあります。しかし、非常に大きいのは、やはり、受益者である大学生自身の評価、行動ではないか、と思います。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　何しろ、入試のない国です。大学のほうが「えらそうな顔」をして、「入りたいならこの試験に通ってみろ」と学生を学力で選抜する仕組みは、オランダでは、日本ほどに強烈ではありません。&lt;br /&gt;　進路に従ってしかるべき高校の卒業資格を取れば、学生は、全国の大学の中から、自分が好きな大学を選んで入れるのです。選ばれるのは学生ではなく、大学のほうです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　また、オランダの大学は、日本よりもずっと早く自由化されており、学生数や、卒業資格取得者数によって国からの補助金の額が変わります。ですから、学生が選んでくれなくなり、学生数が減ってしまうと、とたんに学部や学科を閉鎖したり、教授らのスタッフの数を減らさなくてはならなくなります。そういう仕組みが、大学に、より良い質の教育を提供するように働きかけるのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　しかも、もっと大事なことは、ヨーロッパ域内で、すでに単位互換制度が始まっていることです。それだけでなく、学生たちは、自国の奨学金をそのままヨーロッパ域内の他国の大学に行っても受給できるのです。（ただし、その場合、学生の奨学金は母国から受給されますが、その学生が通う大学へ直接支払われる教育補助金は、その大学が払います。）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　ということは、学生たちは、自国の大学に飽き足らなかったら、他国でもヨーロッパ域内で認可された大学卒業資格をとれるということなのです。大学市場は国境を越えて開放されてきています。&lt;br /&gt;　ですからなおのこと、大学は、よその国に自国の学生を取られてしまわないように、質の高い教育を提供しなくてはなりません。逆にいえば、より良い質の教育を提供している大学は、外国からの学生を受け入れて、そうすることで研究資金的にも豊かになれる、ということなのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　こうしたことは、学生にとって利点です。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　ただし、ここまで大学市場が解放されると、時流に合った人気の学部だけが残ってしまい、人気がなくても長い伝統をもつ学問、細々とでも研究者が研究をし続けることに長期的な意味で重要性のある学問がおろそかになる可能性は大いにあることは、言うまでもありません。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/4889188775624583220-4246577249936030662?l=hollandvannaoko.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://hollandvannaoko.blogspot.com/feeds/4246577249936030662/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=4889188775624583220&amp;postID=4246577249936030662' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/4889188775624583220/posts/default/4246577249936030662'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/4889188775624583220/posts/default/4246577249936030662'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://hollandvannaoko.blogspot.com/2008/12/blog-post_09.html' title='大学教育の自由と質の維持'/><author><name>リヒテルズ直子</name><uri>http://www.blogger.com/profile/09548745030915743508</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='21' height='32' src='http://3.bp.blogspot.com/-CQvXkgFX0x8/TyFsI_Pc0WI/AAAAAAAADbE/VXgdHo9mUoQ/s220/IMG_4798.JPG'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-4889188775624583220.post-1179855605250185054</id><published>2008-12-09T20:18:00.003+09:00</published><updated>2008-12-15T04:48:44.108+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='ジャーナリズム'/><title type='text'>オランダの新聞の作り方</title><content type='html'>　マスメディアは中立でなければならないとよく言われます。当然のことと思います。&lt;br /&gt;　けれども、記者は人間です。つい無意識のうちに、自分の何らかの立場を記事に反映させることがあるのはやむを得ないことと思います。また、記事の素材の取材の段階で、すでに、その記者の関心や興味、また、日ごろからのものの考え方が影響を与えることでしょう。&lt;br /&gt;　ただ、新聞は、読者にとっては、自分で現場に行くことができない、確かめることのできない重要な出来事についてそれを通して読みとるための大切な媒体です。しかも、これが、一気に何百万という数で量産され、全国至るところに配達されていくのですから、それは大変怖いことでもあります。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　読み手のほうが、嘘や怪しい情報を見破る力も大変重要になってきます。オランダでは、そのために、戦時中の新聞記事などを子供たちに読ませ、人々をある思想へと「扇動」するような、いわばプロパガンダといわれる記事はどのように書かれるのか、信頼性のある記事とはどういうものかを、考えさせ、議論させています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　ジャーナリストの良心として、それでは、どういう情報を発信すべきなのでしょうか。どういう新聞やテレビが、読者にとって役に立つメディアなのでしょうか。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　日本の新聞とオランダの新聞を比べてみます。&lt;br /&gt;　日本の新聞は、時事報道は多いですが、意見・論説などは比較的少ないと思います。また一つの記事の長さも、オランダに比べると大変短いと感じます。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　オランダは、これまで「オランダ通信」でも何度も報告してきたように、いくつかのマイノリティ集団からなる国です。どの集団一つをとっても、多数派を構成することができない国です。大きくいえば、カトリック、プロテスタント、無信教の自由主義者、労働者、その他、ユダヤ教徒、イスラム教徒やヒンズー教徒などの小さな文化・宗教集団、などからなっています。おおむね、それぞれの集団は、独自の新聞・テレビ制作団体、雑誌などを持っていますが、各新聞紙上、テレビ番組の中でも、必ずしも、自分たちの集団の中だけの議論をしているわけではありません。それぞれ、自分たちのメディアのうえで、他の集団の人たちを招いて、対談や議論をして見せ、それをそのまま新聞に収録しテレビで報道しています。たくさんの意見を、読者や視聴者が、選択肢として受け止め、自分自身の立場がどのあたりにあるのかを自分で判断するためです。&lt;br /&gt;　これも、マス・メディアの「中立」を守る一つのやり方ではないか、と思います。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　平日の新聞は、それほど厚くありませんが、土曜日の新聞となると、軽く、週刊誌の2，3冊分の量はありそうなほどの新聞が戸口に届きます。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　オランダの主要紙の一つＮＲＣの紙面を見てみましょう。&lt;br /&gt;　平日と同じように時事を集めたメインの紙面が日本の新聞と同じような大きさで１４ぺーじ。これは、国内ニュース・国外ニュース・アート・スポーツからなります。これも毎日来ますが、経済面は別冊になっています。&lt;br /&gt;　さて、週末版の付録は、3冊にまとめられたタブロイド版です。「意見と議論」「科学」「土曜日のエトセトラ」です。その内容を、11月22，23日の紙面と、12月6，7日の紙面から見てみます。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;ul&gt;&lt;li&gt;「意見と議論」紙面&lt;br /&gt;11月22，23日の紙面には、次のようなタイトルが並んでいます。&lt;br /&gt;「セックスとたばこの道徳的な厄払い」：学校での性教育についてのフリージャーナリストの報告と意見（約1ページ）、大学の歴史学教授が書いた喫煙禁止についての考察（約1ページ）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「オバマの勝利の後ヨーロッパはＮＡＴＯを廃止すべきだ」というタイトルの記事（約2ページ）。これは、日本でもおなじみの、カレル・ファン・ウォルフレンともう一人のＮＲＣの論説員による合同論説ですが、写真を除いても、タブロイド版に優に丸1ページはある記事です。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;読者の意見を求めた論説員による「提言」（ここでは、最近会った水利管理組織の選挙に関するものです）（約1ページ）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;読者の投稿欄（約1ページ：8投稿）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ロッテルダムの大学医学部の医療技術評価研究所に所属する医療経済の教授へのインタビュー（約1ページ）と新聞社のコメント（約3分の1ページ）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;移民出身の教授による連載コラム（約半ページ）&lt;/li&gt;&lt;/ul&gt;&lt;p&gt;&lt;br /&gt;&lt;/p&gt;&lt;ul&gt;&lt;li&gt;「科学」紙面&lt;br /&gt;12月6，7日の紙面から紹介します。&lt;br /&gt;まず、見開きのページで、その週の、学術・科学誌からの話題を読者が投稿して集めています。&lt;br /&gt;次に、以下のような話題が、ほぼ1－2ページの割合で、特集されています。&lt;br /&gt;「海の上での引力」（地学）「技術は飛び、法はへつらう」（技術・電子技術とプライバシーについての記事）「虹のたんぱく質」（生物学・細胞学でノーベル賞を受賞した研究の紹介）「都市の浮遊者の持っているもの」（考古学者によるアメリカのホームレスの所有物についての考察）&lt;/li&gt;&lt;/ul&gt;&lt;p&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;/p&gt;&lt;ul&gt;&lt;li&gt;「土曜日エトセトラ」紙面&lt;br /&gt;12月6，7日の紙面は次のように構成されています。&lt;br /&gt;「我々は危機を理解したくないのだ」（見開き2ページ）&lt;br /&gt;　世界でもっとも重要な経済学者といわれているジェフリー・サックスへのインタビュー&lt;br /&gt;「誰にでも起こりうること」（３ページ、写真1ページ分を含む）&lt;br /&gt;　ＨＩＶエイズビールス感染の問題&lt;br /&gt;「点数の低い医者たち」（2ページ、写真を含む）&lt;br /&gt;　ロシアの低い医療レベルについての報告&lt;br /&gt;＊（興味深い）人物紹介（1ページ、写真を含む）&lt;br /&gt;＊その週に話題になった政治スキャンダルの背景（2ページ、写真を含む）&lt;br /&gt;＊その週、「安全・治安問題」についての話題の講演をした講演者へのインタビュー（2ページ、写真を含む）&lt;br /&gt;＊写真集「どこもかしこも障害物だらけ」（ヨルダンからの報告）（見開き2ページ）&lt;br /&gt;「私は世界のためにプレゼント作りをしている」（モード・ファッション記事）（インタビュー）（見開き2ページ）&lt;br /&gt;＊飲食の記事として、キノコについての話題（1ページ）&lt;br /&gt;＊旅行記事、「砂漠ブルース」（マリ・ニジェール・アルジェリアにまたがるサハラ地方の紹介）（見開き2ページ）&lt;br /&gt;＊連載記事「オランダ日記」（知名人が、1週間の日記をつづる）（写真を含め1ページ）&lt;br /&gt;＊メディア面：女性ジャーナリストによるマスメディアに関するエッセイ（写真を含め1ページ）&lt;br /&gt;このほか、短いコラム各種&lt;/li&gt;&lt;/ul&gt;&lt;p&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　いかがでしょうか。土曜日となると、毎週毎週、平日の新聞に加えて、これだけの量の情報がタブロイド版に詰め込まれて送られてくるのです。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　日本の新聞に、これほどの量の徹底した専門記事、インタビュー、対談、エッセイなどは、掲載されているのは、見たことがありません。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　それでは、こういう読み物は、日本ではいったい誰がどんな風に担っているのだろうか、と考えてみると、すぐに浮かぶのは、書店に出てくる出版物です。特に、オランダの週末タブロイド版添付紙が取り扱う、時事に刺激された記事、一般読者への啓もうを誘う基本情報、などという性質の内容を考えると、たぶん、日本では、良質の週刊紙か新書が取り扱う題材ではないか、と思います。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　しかし、日本での書籍の出版数というのは、かなり話題になって売れたとしても10－30万がせいぜいではないでしょうか。大手新聞社の販売数800万ー1000万部にはとてもかないません。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　オランダでは、新聞に、これだけ堅苦しい話題をこんなにふんだんに入れていてもまだ売れる、あるいは、売れるためにわざわざ工夫して話題を選んでそうしてもいるのでしょう。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　民度の違い、教育の違いというのは明らかなような気がします。一般の市民が、ものを考え自分の立場を決めるために、読者に判断の材料を、さまざまの角度から提供しているのがオランダの新聞であるようです。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;br /&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　　&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;/p&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/4889188775624583220-1179855605250185054?l=hollandvannaoko.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://hollandvannaoko.blogspot.com/feeds/1179855605250185054/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=4889188775624583220&amp;postID=1179855605250185054' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/4889188775624583220/posts/default/1179855605250185054'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/4889188775624583220/posts/default/1179855605250185054'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://hollandvannaoko.blogspot.com/2008/12/blog-post.html' title='オランダの新聞の作り方'/><author><name>リヒテルズ直子</name><uri>http://www.blogger.com/profile/09548745030915743508</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image 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