「教育先進国リポートDVD オランダ入門編」発売

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2012年12月24日月曜日

宣誓と汗かき部屋

 12月21日、マヤ文明によると世界が崩壊するという予定だった日、娘の大学の卒業式だった。クリスマス前の気忙しい時ではある。どうしてこんな時に???と日本でならいぶかられるに違いない。オランダの大学はこんな風に、卒業式がバラバラ。なぜなら、学生が卒業要件に必要な単位を取得した時点で、申請して、卒業証書の授与が行われるという習わしだからだ。どの大学にもアカデミー館というような建物があり、年中卒業式をやっている。学部の規模にもよるが、大体10~20人程度を一グループにまとめてやるようだ。
娘の場合は15人ぐらいのグループだった。

卒業要件を満たして事務に卒業式の申請を済ませると、今度は、式をつかさどる教授との面談があった。個人面談で、どうしてこの学部を選んだのか、在学中にはどんな活動をしていたか、卒業後のプランは、などなどと話し合う。何を隠そう、卒業証書の授与の際に、卒業生一人の10分程度の紹介をするためだ。

さて、卒業式当日、その昔から、デカルトやブールハーベなど、世界的に有名な学者らが居を構えた ラーペンブルグ通りにあるライデン大学のアカデミー館(1516年設立された、元はドミニカ派の修道院のチャペルだった建物)に、卒業生たちは、招待された家族、親族、友人らと集まってくる。tトガと呼ばれる黒いマントと帽子をかぶった教授が二人、そして、式を補佐する事務官の女性たちとともに入場、卒業生たちは、会場より一段高い右手の席に一列に並ぶ。

医学部の場合は、卒業証書の授与は、医師免許の授与の意味を持つので、まず、これから医師になる卒業生たちに、オランダ医師会が作成した宣誓文が読み上げられ、一人ずつ、名前の呼ばれた卒業生が、「誓います」と宣誓しなくてはならない。

その宣誓文とは、以下のようなもの。(もとは、古代ギリシャのヒポクラテスの宣誓文に由来する。)
「Ik zweer/beloof dat ik de geneeskunst zo goed als ik kan, zal uitoefenen ten dienste van mijn medemens.
私は、私の隣人に奉仕するために、医学を可能な限りよく実践することを誓い(約束)します。

Ik zal zorgen voor zieken, gezondheid bevorderen en lijden verlichten.
私は、病にある人たちのために、健康を促進し、苦しみを軽減するべく治療に当たります。

Ik stel het belang van de patient voorop en eerbiedig zijn opvattingen.
私は、その患者の利害を前提とし、患者の見解を尊重します。

Ik zal aan de patient geen schade doen. Ik luister en zal hem goed inlichten. Ik zal geheimhouden wat mij is toevertrouwd.
私はその患者に対して危害を加えることをしません。患者の言葉によく耳を傾け、十分に情報を提供します。私は、私を信頼して委託されることについて秘密を守ります。

Ik zal de geneeskundige kennis van mijzelf en anderen bevorderen.
私は、自分自身の医学上の知識及び他者の医学上の知識を促進させます。

Ik erken de grenzen van mijn mogelijkheden. Ik zal mij open en toetsbaar opstellen, en ik ken mijn verantwoordelijkheid voor de samenleving.
私は、私の能力の限界を認めます。私は、自分自身を他に対してオープンにし、検証可能なものとして提示し、社会に対する私の責任を認めます。

Ik zal de beschikbaarheid en toegankelijkheid van de gezondheidszorg bevorderen.
私は健康管理の可能性を広げ、それへのアクセスを高めます。

Ik maak geen misbruik van mijn medische kennis, ok niet onder druk.
私は私の医学知識を、たとえなんかかの圧力の下でも濫用しません。

Ik zal zo het beroep van arts in ere houden.
私は、医師としての職業を栄誉あるものとして守ります。

Dat beloof ik.
これを約束します。
of:
または、

Zo waarlijk helpe mij God* almachtig.
真にこうあるべく、全能の神よ、われを助けたまえ。

*Gekozen is voor de algemene formulering 'God', waarbij studenten afhankelijk van hun geloofsovertuiging de naam van hun God in gedachten kunnen invullen.
一般的な表現としてGodが用いられているが、学生はそれぞれの信条に従って、自らの「神」とするところを独自の考えで内容として補うことができる。

(De nieuwe Nederlandse artseneed(2003))

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宣誓文の内容もさることながら、宗教心のあるものと、自由主義者との、言葉の違いが選択肢としてあることも注意を引く。また、最後の注意書きは、キリスト教者だけではなく、イスラム教やヒンズー教など、他の宗教の信者を想定していることは言うまでもない。

こうして、二つの宣誓の言葉のいずれかを選びながら、卒業生は一人ずつ宣言をするというわけだ。

DSCF7085.JPG

 先生がすむと、今度は、一人ずつ名前を呼ばれて、卒業証書に署名をする。無事署名が終わると、今度は、式を司る教授から、その卒業生の人となり、これからの計画などが披露される。
 


中学の時に、医学部に行こうと決意したときのこと、大学に入ってから印象を受けた授業、留学経験、ボランティア経験、進路への迷い、などなどが、時折ユーモアも交えて語られる。そして、卒業後、病院に勤めるもの、さらに研究を続ける予定のことなども紹介される。
アメリカで博士課程を取得してきた学生、初めは生物学をやっていたがのちに転学してきた子、「国境なき医師団」に参加することが人生の目的であるという女学生、老人医療に取り組みたいと考えている学生、両親の生まれ故郷スリナムで研修をして学んだという子、などなど、ここで一人一人が、どれほど個性のある選択として医学の道を歩み始めたのかが実に多様にうかがえるのである。


こうしてすべての学生の紹介が終わると、一人ひとりに、先の「宣誓文」と証書(ラテン語とオランダ語との両方で記載)とが手渡され、式は終了。15人ほどの学生のために、優に2時間は費やされていた。

その後、学生たちは、聴衆として会場にいた親族や家族から祝福の言葉を受けながら、ホールのカクテルパーティへ。ホールは、花束や祝辞で満たされ、カメラのシャーッターが切られ続ける。

半時間ほどして、学生たちは、三三五五に、らせん階段を上って2回の小部屋へと進む。この部屋は、ライデン大学の名物の一つで「汗かき部屋」といわれる部屋だ。この部屋は、その昔、博士号を無事授与される前に行われる最後の口答試験のための待合室だったもので、受験者は、どんな難しい質問をされることか、とひやひやしながら汗をかいて待っていたというのでこの名前がある。誰が始めたものかわからないが、合格した人が記念に自分の名を鉛筆で壁に書き残し、以来、卒業生が自分の名を書き残していく部屋となった。というわけで、ライデン大学の学生の落書き特権のある部屋だ。
床から天井まで隙間もなく書かれた名前の中には、オランダ王室のベアトリクス女王の名や、名誉博士号を授与されたネルソン・マンデラやウィンストン・チャーチルの名なども残っている。

http://www.leidenuniv.nl/nieuwsarchief2/1230.html

宣誓といい証書の授与といい、一人ひとりの個性を尊重して、卒業の儀式をしてくれるオランダの大学。工場生産物が出来上がったように、一斉に同じ服を着て、国旗を掲揚し、君が代を歌って、しかめっ面で証書を授与されても、社会に責任を持つ主体的な社会人は送り出せないと、改めて思う。大事なのは、そういうことではない。特に、グローバル社会に生きるグローバル市民の旅立ちとは、そんなものでは絶対にない。